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目次


序文

第1部.感情の性質、およびキリスト教信仰におけるその重要性について

1. 感情に関する序言

2. 真のキリスト教信仰は、その大きな部分が感情に存する

3. この教理から導き出されるいくつかの推論

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第2部.信仰的な感情が恵みによるものか否かを示すしるしとして、あてにならないものは何か

1. 信仰的な感情がどれほど激しく沸き立ち、どれほど心を打ち震わせようと、それは、いずれのしるしでもない

2. 感情が肉体に多大な影響を及ぼしているとしても、それが真のキリスト教信仰の性質を有しているかどうかを示すしるしにはならない

3. 人が種々の感情によって信仰的な話題をよどみなく、熱を込めて、ひっきりなしに語るようになったとしても、それは真に恵みから出た感情か否かを示す何のしるしにもならない

4. 人が自分の努力でかき立てたのでない感情をいだくことがあっても、それは恵みから出たものか否かを示す何のしるしにもならない

5. 信仰的な感情が、聖書の章句とともに尋常ならざるしかたで心に生じたとしても、それは真に聖く霊的な感情か否かを示す何のしるしにもならない

6. 種々の信仰的な感情の中に愛と思われるものが見られても、それは救いに至るものか否かを示す何の証拠でもない

7. 人が、多種多様な信仰的感情を相伴って有しているとしても、それだけでは、恵みから出た感情を有しているか否かを決するに十分ではない

8. 種々の慰めと喜びが一定の順序に従って生ずるように思われても、その感情の性質について確かなことは何も決することができない

9. 人が種々の感情によってキリスト教信仰に多くの時間を費やすようになり、外的な礼拝義務に熱心に打ち込みがちになったとしても、それが真のキリスト教信仰の性質を有しているかどうかを示す確かなしるしにはならない

10. 人が種々の感情によって口で神を賛美し、あがめたがる心を大いに起こされるとしても、その感情の性質について確かなことは何もわからない

11. 人が種々の感情によって非常に強い確信をいだいているとしても、その感情が正しいか誤りかを示すしるしにはならない

12. 人が種々の信仰的な感情について非常に感動的な証しをするとしても、その感情の性質について確かなことは何も結論できない

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第3部.真の恵みによる聖い感情をまぎれもなく示すしるしとは何か

序言

1. 真に霊的で恵みによる感情は、心に及ばされた霊的で超自然的な天来の影響や働きから生ずる

2. 恵みによる種々の感情の第一の客観的根拠は、天来の事物それ自体が有する、超越的にすぐれた慕わしい性質であって、そうした事物が利己心や個人的利益にとっていかなる関わりを有すると思えるか、ではない

3. 真に聖い種々の感情の主たる土台は、天来の事物の道徳的卓越性にある。あるいは、天来の事物をその道徳的卓越性の美しさと甘やかさのゆえに愛することこそ、あらゆる聖い感情の源である

4. 恵みによる種々の感情を生じさせるもととなるのは、正しく霊的に啓明されて、天来の事物を察知できる精神である

5. 真に恵みによる種々の感情には、天来の事物が確かな現実のものであるという確信が伴う

6. 恵みによる種々の感情には、福音的なへりくだりが伴う

7. 恵みによる種々の感情をそれ以外の感情と区別するもう1つのことは、それが性質の変化を伴うということである

8. 真に恵みによる種々の感情と、まがいものの、人を欺く感情との違いは、それが、キリストのうちに見られるような愛、柔和、穏和、赦し、あわれみの精神を自然と生み出し、押し進めることにある

9. 恵みによる種々の感情は心を和らげ、キリスト者的な霊の柔らかさを伴う

10. 真に恵みによる聖い種々の感情が、まがいものの感情と異なるもう1つの点は、均整と調和のとれた美しさである

11. 恵みによる種々の感情は高まれば高まるほど、魂の霊的な欲求と、霊的に高い境地に達したいという切望とを強くするが、それとは逆にまがいものの感情は、自己満足しきって安閑としている

12. 恵みによる種々の聖い感情は、キリスト者的な行ないによって働き、実を結ぶ

13. キリスト者的な行ない、すなわち、聖い生活は、信仰を告白するキリスト者の真摯さを、その隣人や兄弟たちの目に対して示す現われでありしるしである

14. キリスト者的な行ないは、その人自身の良心に対して恵みをまぎれもなく示す確かな証拠である

 

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