----

TOP | BACK | NEXT

目次

まえがき

第1章

以下の全論述の骨格をロマ8:13とする――使徒の言葉の分解――真の抑制と救いの間にある確実な結びつき――抑制は信者の務め――御霊こそこの抑制における主要な作用因――使徒の言葉における「からだ」の意味――「からだの行ない」の意味――この義務に対して約束されたいのちとは何か

第2章

この抑制の必要性に関する主要な主張を確認する――抑制は最上の信者も行なうべき義務(コロ3:5; Iコリ9:27)――内側の罪が常にとどまり続けるため、人はこの世では完全になれない(ピリ3:12; Iコリ13:12; IIペテ3:18; ガラ5:17など)――信者のうちにとどまる罪の活動(ロマ7:23; ヤコ4:5; へブ12:1)――罪の実りのおびただしさと、その傾向――あらゆる情欲は同種の最悪の罪を目ざす――内側に巣くう罪と戦うため与えられた御霊と新しい性質(ガラ5:17; IIペテ1:4、5; ロマ7:23)――抑制を怠ることによる恐るべき結果(ロマ3:2; ヘブ3:13)――本論述全体の第一の一般的原則が確証される――この義務の欠如が嘆かれる

第3章

第二の一般的原則である、この抑制の手段を確証する――御霊こそこの働きの唯一の創始者――カトリック的抑制のむなしさを明らかにする――彼らの用いる手段の多くは神の定めたものではない――神の定めた手段も濫用されている――この務めに携わる他の人々の誤り――御霊はこの働きのため信者に約束されている(エゼ11:19; 36:26)――私たちがキリストから受けるものはみな御霊を通して来る――いかにして御霊は罪を抑制するか――ガラ5:19-23――この目当てのために御霊が働くいくつかの方法を提示する――御霊の働きであると同時に私たちの義務であるのはなぜか

第4章

最後の原則:抑制の有用性――私たちの霊的生活の活力と慰めは私たちの抑制にかかっている――いかなる意味においてか――必然的に結果を絶対生じさせるものとしてではない。詩88のヘマンの場合――直感的、直接的な原因としてではない――手段として:反対物を除去することにより――抑制されていない情欲の及ぼす甚だしい影響。それは幾多の方法で魂を弱め(詩38:3、8)、暗くする――すべての恵みは罪の抑制によって成長する――真摯さの最良の証拠

第5章

本論述全体の主たる意図が提示される――良心が決すべき第一の主要問題が述べられる――罪を抑制するとはいかなることか、その否定的な考察――現世で罪を完全に滅ぼし尽くすことではない――罪がないようなふりをすることではない――何らかの天性の原理を向上させることではない――罪の向きを変えることではない――間欠的な克服ではない――間欠的な罪の克服とは何か。いつ行なわれるか。罪が突発的に吹き出した際。危険や苦難に遭う際。

第6章

罪の抑制とはいかなることかが具体的に述べられる――そのいくつかの部分と段階――罪の根幹と原理とを常習的に弱体化させること――情欲の誘惑する力――その力には個人差があり時期の違いもある――罪と常に戦う――その諸部分が考察される――罪に対する勝利――この論考の要約が考察される

第7章

いかなる情欲を抑制する際にも不可欠となる一般的規則――信仰者でない者にはいかなる抑制もありえない――未回心の人々が罪の抑制を試みる危険――この抑制という務めに関して未回心の人々がなすべき義務が考察される――ローマカトリック教徒による抑制の試みと、そのために規定された規則のむなしさが暴かれる

第8章

第二の一般的規則が提示される――あらゆる情欲を抑制しようという全面的な真摯さがなくては、いかなる情欲も抑制されない――部分的な抑制は常に腐敗した原理から生ずる――ある情欲の誘惑から来る苦悩は、しばしば別の方面におけるだらしなさへの懲らしめ

第9章

前述の場合に関する個々の指針が提示される――《第一に》、何らかの情欲に危険な徴候が伴っていないか考えてみること――1. 頑固さ――2. その影響下で平安が得られる:それがなされる、いくつかの手口――3. その誘いがしばしば成功する――4. それに対する魂の戦いが結果による議論によってのみ行なわれる――5. それに裁き的な厳しさが伴う――6. それが神からの個々のお取扱いに抵抗する――こうした事がらが見いだされる人々の状態

第10章

《第二の》個別的な指針:次のことについて、明確に感じとること――1. 困惑させている罪の咎――その場合に助けとなる考えが提示される――2. 多くの危険――(1.) かたくなにされる――(2.) 現世における矯正――(3.) 平安と力の喪失――(4.) 永遠の破滅――この問題を扱うための規則――3. その害悪――(1.) 御霊を悲しませる――(2.) 新しい創造を傷つける――[(3.) 用いられなくなる]

第11章

《第三の》指針が提示される:困惑させる霊的疾病の咎で、あなたの良心を嘆かせること――これがなされる方法と手段――《第四の》指針:解放を慕い求めること――《第五の》指針:ある種の霊的疾病は生来の気質に深く根ざしている――そうした霊的疾病の考察と扱い方――《第六の》指針:罪がきっかけと弱みをつかむのを妨げること――《第七の》指針:罪の最初のうごめきに激しく抵抗すること

第12章

《第八の》指針:神の威光の気高さを考えること――私たちがなぜ神を知ること乏しいのかが提示され考察される

第13章

《第九の》指針:心が罪によって平静を奪われるときは、神が平安を語るまで、決して心に平安を語らないこと――平安は罪への嫌悪なしには不健全であり、そのように私たちに分け与えられる――自分で自分に平安を分け与えているとき、それをいかにして知るか――その省察のための指針――軽々しく平安を語ることと、全般的な理由によらず単一の理由によってそう行なうことのむなしさ

第14章

これまであげた指針の一般的活用――目指す働きを成し遂げるための大指針:キリストに基づいて信仰を働かせること――これを行なういくつかのしかた――キリストにある豊かさに救済を求めることが提示される――キリストに対する大いなる期待――こうした期待の根拠:主のあわれみ深さ、主の真実さ――そのような期待の結果:キリストの側において:信仰者の側において――信仰は特にキリストの死に基づいて働かせるべきこと(ロマ6:3-6)――この務め全体における御霊のみわざ

 

----――

HOME | TOP | BACK | NEXT