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第20章

スポルジョン氏のカルヴァン主義

ユニコーン広場教会における礼拝――高踏的カルヴァン主義の牙城――その《説教》の抜粋――ニューパーク街における宣教活動の拡大――《貧民学校》の開設

 1855年にスコットランドから帰国してすぐに、スポルジョン氏は、トゥーリー街ユニコーン広場の由緒ある会堂で、記憶に残る説教を行なった。《教役者の救済協会》のためになされた説教である。この慈善団体が創設されたのは、さほど古い昔ではなく、創設者は、当時クロスビー通りの会堂を集会場としていた教会の牧師、チャールズ・ウォルターズ・バンクス氏であった。バンクス氏はその後すぐに、彼のいわゆる懐かしきユニコーン広場における彼の教区牧師職へと移った。彼は、この場所に対する深い愛着をいだいており、この由緒ある聖所を真に愛情のこもったしかたで語っている*1。バンクス氏は、彼が《福音に仕える教役者の救済協会》と呼んでいたものの働きに、その友スポルジョンの関心をかき立てることに成功した。ニューパーク街の教会牧師としてスポルジョン氏はすでに、彼の前任者ベンジャミン・スティントンが1717年に設立した《特定バプテスト基金》の会員であり、この団体のために年に一度醵金を募ることが期待されていた。それにもかかわらず彼は、自分の友であり隣人である人物が創設した、この補助的な団体に強い好意をいだいたものと見受けられる。こういうわけで、8月29日の水曜の晩には、この若き牧師がトーリイ街をユニコーン広場へと向かって歩いている姿が見られたはずである。おそらく彼は、一年前よりはずっと意気軒昂としていたであろう。というのも、彼が手を付けた仕事は果敢に前進しているように思われ、国家的な展望がいささかも明るくなったわけではない一方で、スポルジョン氏自身は、時代の最も傑出した説教者として、はるかに地歩を固めていたからである。ロシア相手の戦争は、なおも疲弊しつつ続いていたが、時折の成功がフランス人を高揚させてきたし、女王と[夫君の]アルバート公は、パリにおける、その八日間のフランス皇帝訪問から戻ってきたばかりで、その折には、華々しい盛観が見られたものであった。

 この機会になされた説教は、『ご自分の民のためのキリストの祈り』*2と題されており、その聖句はヨハネ17:20であった。――「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします」。この説教は、それものが、スポルジョン氏の初期の様式の特徴を実によく示しており、そのようなものとして、以下に続く節は、この説教者のロンドンにおける初期の進歩に関心をいだくすべての人々に喜ばれるものであろう。注目されるであろうことに、ここには、カルヴァン主義の本質的特徴をなす諸教理が強烈に主張されている。そうした教理に完全には同調していない人々にとって、これほど大胆に表明されたこうした意見は、疑いもなく、いやというほど不快なものであったろう。だが、ジェームズ・ウェルズやチャールズ・ウォルターズ・バンクスを健全な教理の典型的な使徒とみなしていた高踏的カルヴァン主義者たちの心に思い浮かんだのは、果たしてスポルジョン氏が現実に、より厳格な教派との一致へと引き寄せられつつあるのかどうか、という問題であったに違いない。その導入部でこの説教者は、ご自分の民に対するキリストの特有の愛について詳述した。――

 「この主題の冒頭から、云い知れぬほどの喜びを感じさせられることに、ここには私たちの《救い主》が、いかにご自分の民に対して素晴らしい愛をいだいておられるかが示されている。ここで主は、御父の御座の前で彼ら全員のためにとりなそうと約束しておられる。主は、『この人々』のために祈るだけでなく、このとりなしが、いまだ召されておらず、回心しておらず、新生してもいない者たちのためにも立ち昇ると宣言しておられる。主の情愛の深さに注目するがいい。――主は、寸暇を惜しんで、絶えず御民のためにとりなしをしておられる。私は、イエス・キリストのへりくだりに驚嘆する。――御民のひとりひとりの名前が、常にキリストの唇の上にあるというのである。その彼らが、自分たちに対する主のこの上もない恵みと情愛のすべてにもかかわらず、そむきの罪を犯し、反抗する者であることを思うとき、主が彼らの名前を口になさること、あるいは、彼らの人格を思いやりになられることは、まさに驚異であると思われる。しかし、かの夜のない国で、日々御父の御座の前に立っておられる主は、彼らの名前が深々と彫り刻まれた宝石と宝玉の胸当てを常時帯びており、常に両手を差し伸ばして彼らのために嘆願しておられるのである。それを思い起こすとき私たちは、彼らに対する主の愛を賞賛せざるをえない。また、主をしてこう宣言させている恵みに対して、深い尊崇の念を感じざるをえない。――『シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは』[イザ62:1]。

 「また、やはりここで注目しなくてはならないのは、私たちの《救い主》イエス・キリストが、その民全員のために有しておられる格別な愛のみならず、彼らについて有しておられる格別な知識である。というのも、主は、まだ召されていない者たちのためにも願うと云っておられるからである。さて、神を信ずる信仰を有する私たち――イエスを信ずるように召され、導かれた者たち――のうちひとりとして、主に知られていない者はいない。主は、贖われた御民が、いかに異なる状態にあっても彼らを知っておられる。主は、ふたりの酔っぱらいのうち、どちらが立ち返ってご自分の家族のひとりになるかを知っておられる。いかに罪と邪悪さの中に深く沈み込んでいる者といえども、もし主の恵みの契約によって主のものとなっているとしたら、今からでさえ、主のとりなしにあずかっていない者はひとりもいない。主は、ご自分の愛する者を識別する目印が何もなくとも彼らを知っておられる。主は、ご自分の羊が、他の人々には狼や山羊のようにしか見えないときも、彼らを見分けてくださる。主は、ご自分の家族が、ケダルの天幕のように黒いときも、彼らを認識し、彼らがソロモンの幕のように美しくなることを知っておられる[雅1:5]。主は、ご自分の子どもたちが自分のことをわかっていないときも、彼らを知っておられる。彼らが、もはや自分は救いようもないほど失われていると思い込んでいたり、愚かにも自分で自分を救えると考えているときにも、彼らを知っておられる。しかり。彼らのあらゆる希望が絶たれ、主が彼らを知ってはいないのではないか、福音は彼らを知っていないないのではないかと見受けられるようなとき、――いかなるキリスト者も彼らを知らず、教役者も彼らに何の慰めも与えられないようなときも、キリストは、そうしたときでさえ彼らを知っておられる。というのも、それでもこう記されているからである。『わたしは彼らのためにお願いします』。世のためにではなく、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々、まだ信じてはいないが、すでに召された者たちの言葉によって信じる人々のためにです、と[ヨハ17:6、9、20参照]。

 この主題に移る前に、もう1つだけ考えておこう。というのも、私たちは、この聖句に含まれている種々の思想の中のいくつかを、手始めに示唆しておきたいからである。その別の思想とは、このことである。――いかにイエスが、ご自分の民全員を同じ情愛で愛しておられるかに注目するがいい。主は、ご自分のご生涯の間に主を信じた少人数の人々のために祈り出すや否や、突如として(人間的な云い方をすれば)、彼らがほんの一握りでしかないことを思い起こさざるをえなかった。それゆえ、主は勢い込んで、こう云われたのである。『父よ。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします』。それは、あたかもこう云うかのようであった。この人々は、このように早々と回心したからといって、わたしが依怙贔屓する者らというわけではありません。わたしは、この者らを他の者らにまさって愛しているのではありません。――わたしは、まだ召されていない人々のためにも祈ります。わたしの民のために、分けへだてなく祈ります、と。いみじくも使徒のひとりは、『何の差別もありません』、と云っている[ロマ3:22]。そして、愛する方々。まことに、神の子どもたちに対する神の情愛には何の差別もない。むろん賜物や地位については、また、この世で彼らが成し遂げるであろう務めについては、選民の中でも、えり抜きの者たちがいることは私も認めよう。だが、愛の浅さ深さということでは、選民の中には、いかなるえり抜きの者もいない。彼らはみな同じように愛されている。全員が、同じ永遠の愛といのちの書に記されている。全員が、《救い主》の同じ尊い血によって買い取られた。ある者は主の足によって買い取られ、別の者は主の手によって買い取られた、などということはなく、全員が主のまさに心血によって買い取られたのである。彼らはみな同じ義によって義と認められ、みな同じ御霊によって聖められ、みな同じ天国に入ることになる。私は栄光の程度に何か違いがあるかどうか、はっきりはわからない。ある星は、別の星と、その固有の色や形においては異なっているであろう。だが、その輝きや光彩において違いはない。それらは、永遠にわたって星々のようにみな輝くであろう。彼らはみな同じ恵みによって救われ、同じ愛によって愛され、同じ財産の相続人である。そして、イエス・キリストは、彼らをみな1つに合わせて、こう云われるのである。――『わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします』!」

 第一に主張された点は、神は御民がご自分を信ずる前から彼らを愛しておられた、ということである。イエス・キリストは、決してご自分が愛してもいない者たちのために祈ろうとはなさらなかったであろう。それゆえ、こうした祈りは偽善者の祈りとは違っていた。世には、偽善的な祈りがあまりにも多い。そうしたものは、道にころがしておいても拾い上げる値打ちすらない。神がその民を、彼らが恵みの状態に至る前から愛しておられたことは、聖書的な教理であると示された。多くの人々がそれを悪し様にそしるとしても関係ない。もし人々が神のもとに来たとしたら、それは全く恵みのおかげである。これらすべては、説教者のカルヴァン主義的信仰を明らかにしていた。それで、第二のこととして彼が、福音を宣べ伝える教役者の務めは何の役に立つかを説明したとき、彼は自分の教えに反して繰り出されるであろう反論に多少注意を向けざるをえなかった。――

 「さて、第二のことである。――福音を宣べ伝える教役者の務めが何の役に立つのか? さて、揚げ足取りや、あら探しをしたがる多くの人々は、こう反対するであろう。――『あなたは、神がご自分の民を愛している、だから彼らは救われるのだ、と云う。ならば、あなたの説教が何の役に立つのか?』 ならば、あなたの説教が何の役に立つのか? 神はだれにも数えきれぬほどの大勢の群衆、無数の大群衆を愛しておられるのだ、と私が云うとき、あなたは私に、説教が何の役に立つのかと問うだろうか? 説教が何の役に立つというのか! こうした主の金剛石たちを堆肥の山から取ってくること、潜水夫がそうするように、深海に潜って、神の真珠たちを、それが横たわっているところから取ってくることである。説教が何の役に立つのか? 良い麦を刈り取って、それを倉に納めることである。説教が何の役に立つのか? 神の選民を堕落の廃墟から連れてきて、岩なるキリスト・イエスの上に立たせ、しっかり立つようにさせることである。あゝ、あなたがた、神がある人々を救いへと定めておられるからというので、説教が何の役に立つのかと問う人々たち。私はあなたに尋ねたい。やがて収穫は来るのだから、種蒔きが何の役に立つのだろうか、とか、やがて収穫は来るのだから、刈り入れが何の役に立つのだろうか、などと問うのは、途方もなく馬鹿げたことではないだろうか? 私たちが種を蒔き、刈り入れをする理由は、私たちが、収穫は来ると確信しているからである。そして、実際もし私が、救われる人はひとりもいないに違いないと信じたとしたら、私は二度と講壇に立てないであろう。ひとたび私が、だれも確実には救われないのだと考えたが最後、私は説教したいとは思わない。しかし、いま私は、無数の人々が救われるに違いないことを知っており、キリストが『末長く、子孫を見ることができる』*、と確信している[イザ53:10]。私は知っている。たとい私が牧会活動において心くじかれること多く、その成果をほとんど見ることができないとしても、それでもキリストは、御父から与えられた者たちをひとりとして失うことはない、と。それで私は説教できるのである。私は、現在のところは、『私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか』[イザ53:1]、と云う人々の仲間ではない。だが、たとい私にそう云えたとしても、それにもかかわらず、私は彼らが救われるだろうと知っている。そして、それは私を慰め、元気づけ、さらに努力を続けさせるであろう。私は今晩この会堂に入って来たとき、こう確信していた。神はこの場所に、まだ召されてはいないものの、ご自分の子どもである人々を何人か有しておられるに違いない、と。そして私は、神が牧会活動を用いてだれかをお召しになることは確実だと感じている。では、なぜそれが私によってなされないわけがあろうか? 私は知っている。神が私の牧会活動を通して、少なからぬ魂を――ただに数百人というだけでなく、数千人もの魂を――私に与えておられることを。私は、パーク街やその他の場所における自分の説教によって、何百人もの人々が神のもとに導かれたのを見てきた。そして、その確信とともに私は進み続けざるをえない。私は、イエスが『子孫』を持つに違いないと知っている[イザ53:10]。その民は増加するに違いなく、彼らを探し出し、彼らを神の囲いの中に連れてくることこそ、まさに牧会活動の目的である。私たちの《救い主》は、私たちに告げておられる。牧会活動は、そうした人々が『彼らのことばによってわたしを信じる』役に立つ、と。このことに関しては、1つ特別な点がある。『その人々は、彼らのことばによってわたしを信じる』*、とキリストは云っておられる。あなたは今まで、人々がだれかを追いかけることについて、やかましくとがめだてするのを聞いたことがないだろうか? 彼らは云う。『君たちはみな、あのを追いかけているね』。だから何なのか。女を追いかけてほしいとでもいうのだろうか? あなたは云う。『人々は、ある特定の人を追い求めている』。他のだれを追い求めればよいというのか? ある人々は云う。『われわれが、これこれの場所に行ったら、そこの人々は自分たちの教役者を愛しすぎていた。――おゝ、あれでは人間礼拝だよ』。疑いもなく、それは非常に恐ろしいことに思われるかもしれない。しかし、実はそうではない。いずこにおいても、私たちの同胞に対する愛は、ごく僅かしかないし、愛されすぎて教役者が破滅する危険について云う限り、彼らがそういう羽目に陥ることはめったにない。ほぼ例外なく彼らは、他の何にも負けないほど多くの反対を受けているものである。そして、たとい彼らが、ある特定の場所で実際に愛されすぎているとしても、それ以外の場所ではそれと逆の反応を受けすぎているものである。たとい私たちが多少の甘味を受けるとしても、他のだれかが確実にたっぷりと苦味を加えるのである。聖霊が、『その人々は、彼らのことばによってわたしを信じる』*、と云われたのは異様なことではないだろうか? さて、神の民は牧会活動の言葉を通してキリストを信ずるのだろうか? 私たちの信仰の土台は、人間の言葉ではなく、神のことばである。私たちは、いかなる人にも依存していない。それでも、それは彼らの言葉を通してなのである。それは、使徒たちの言葉を通して、また、あらゆる忠実な教役者の言葉を通してなのである。私はこれをこう解釈する。福音は、教役者が経験と現われから語るとき、彼自身の言葉になる、と。聖書の中にあるのは神のことばである。だが、神が経験を通して私に語ってくださることは、神のことばであるだけでなく、私の言葉となる。そして、教役者が、自分の心にある神のことばを伴って講壇に立つとき、それは彼らの言葉なのである。私が思うに、教役者が召されて説教すべきなのは、自分が聖書の中に見いだすものだけではない。――単なる、むきだしの教理だけではなく、自分が自分の心で経験したこと、自ら味わい、感じ、扱ったことを説教すべきである。もしそうするなら、その人は自己中心主義者だと呼ばれる危険が大いにあるであろう。まず間違いなくその人は、『私は』『私は』と云いすぎることになるであろう。よろしい。その人は、ジョン・スミスの経験や、他のだれかの経験を説教することはできない。自分自身の経験を説教するしかない。ならば、そのときその人は、『私は』と云わざるをえないであろう。しかし、もしその人が経験的に自分で感じたことを説教しないとしたら、『その人々は、彼らのことばによってわたしを信じる』ことにはならないであろう。私たちが、自分の知っていることを語り、自分が見たこと感じたことを証しする場合に、自分は《救い主》が罪人たちをお赦しになるだろうことを知っている、なぜなら主は自分を許してくださったからだ、と云うならば、そのときそれは、単に神のことばというだけでなく、私たちの言葉となる。もし私が、ある神の子どもに向かって、『行って、あなたの重荷を主に投げかけるがいい。そうすれば、あなたは救いを見いだすであろう』、と云い、『私も同じようにしたのだ』、と云うならば、そのときそれは単に神のことばであるだけでなく、私の言葉にもなるのである。教役者が《救い主》のことばを自ら経験するとき、そのときそれは、その教役者の言葉となるが、それが聖霊によってその人に現わされたときも同じである。ある人々は、こうした聖霊による顕示など、みなたわごとだと云う。私は多くの人々が適用された聖句に反対するのを聞いてきた。こうした人々は、敬虔の真の法則についてほとんど理解していないのである。さもなければ彼らは、以前は決して意味を悟れなかった聖句が、あるとき自分に顕示されるのを見てとるはずである。私も知る通り、教職にある私の兄弟たちの多くは、時としてある聖句を取り上げて、それを分解しようと苦心したことを、いま証言できるであろう。彼らはそれを鉄製の大槌で強打したが、ほんのひとかけらも割り砕くことができず、脇へ放り出すしかなかった。しかし、愛する方々。それとは別の折に、同じ聖句が示されると、以前に取り上げたときには花崗岩のように硬く思われたのに、今やそれは粉々に割り砕けていくのである。なぜ? 今は神の聖霊がそれを照らし出しているが、以前はそうなさらなかったからである。かつては自分の大槌の頭が壊れるまで打ち叩き続けても、一片もはがれ落ちなかったのに、聖霊が顕示されるとき、その聖句の意味は明かされる。ほとんどの聖句はそのようにして学ばれるのである。深い瞑想によって聖句の意味に達することは、あまり多くはない。すぐれて霊的な交わりがなされる、ある尊い時が来るまで、とりあえずそれを放っておくことである。そして、その時がきたとき私たちは、その聖句の意味が横たわる秘密の小部屋そのものに入るのである。何らかの厳粛な瞬間に私たちは、その聖句の意味が隠されている深みそのものの中に飛び込む。神が私たちにその意味を教えてくださり、そのときにそれは、私たちの言葉となる。それは適用によって私たちのものとなっており、私たちの信ずるところ、愛する方々。罪人たちが神に回心するのは、私たちが聖書の中に見いだす福音を説教することによってだけでなく、私たちが自分の心に見いだす『すべての人に知られ、また読まれている』福音を説教することによってなのである![IIコリ3:2] 『その人々は、彼らのことばによってわたしを信じる』!

 「では私たちは、この決意とともに自分の講壇に立とうではないか(私は、教職にある私の兄弟たちに語っている)。神の御助けにより、自分の経験したことを聴衆にまざまざと感じさせるようにしよう。私たちは、時として自分自身について話すであろう。そして、そのことを恥とは思わないであろう。というのも私たちは、主なる私たちの神が私たちに云われたことは――みことばにおいてのみならず、経験によっても、その御霊によっても云われたことは――何であれ、人々に語るからである」。

 それらすべてにもかかわらず、神は、そうなさるつもりがあれば、教役者たちなしでもやっていくことがおできになる。教役者たちが必要であると主張されるとき、それは人間に関して、人間的な云い方によって語っているのであった。説教者は語を継いで云う。――

 「神にとっては、教役者たちは必要ではない。神は彼らがなくともやっていくことがおできになる。私は今日、道を歩きながら、『神は私なしでもやっていくことがおできになる』、と考えていた。私は、説教をしている多くの人々のことを考えた。『神は、彼らなしでもやっていくことがおできになる。彼らが全員かき消されても、彼らなしでやっていくことがおできになる』。私は、自分の教会の何人かの教会員のことを考えた。私にとって大切な人々、教会の柱とも思える人々である。そして、『彼らがいなければ、私に何ができるだろう?』、と考えた。だがそのとき、この考えが私の脳裏に浮かんだのである。『神は、彼らなしでもやっていくことがおできになる』。神がお望みになりさえすれば、神の民は、彼らなしでも、それまでと全く同じように救われていくはずである。神は、ご自分の説教者たちをだれひとり助太刀につけなくとも、ご自分ひとりで十分である。神が御使いたちをお造りになったとき、それは彼らを必要とされたからではなかった。神は、燃える熾天使の翼なしでも、また、栄光に富む智天使の声なしでも、ご自分のみこころを成し遂げることがおできになったであろう。神が星々をお造りになったとき、それはそれらを必要とされたからではなかった。神は、太陽や、月や、星々の光がなくとも、ご自身が光であられた。神が人間をお造りになったとき、それは人間を必要とされたからではなかった。それは、神が人間を造ることをお望みになったからであり、それ以外何の理由からでもなかった。そうする必要など全くなかった。神は、そのすべての被造物が死んだとしても、同じ永遠の神であられるであろう。また、たとい神が宇宙に記された、こうしたあらゆる知恵と恵みの線を抹消なさるとしても、それまでと全く同じように栄光に富み、偉大なお方であられるであろう。そして神は、特に福音の牧会活動において、そのしもべたちなしでも、やっていくことがおできになる。だが、今は手段の時代であるため、神は手段なしにお働きになる神ではないのである。神は、お望みになれば、彼らなしに事を行なうこともできるし、いかなる教役者の助けも必要とはしないが、そうはなさらない。神は、ご自分の民を教役者たちなしに贖われた。キリストがご自分の民を贖うのを、いかなる大神学者が助けることができただろうか? しかり。それだけでなく神は、そうお望みになれば、教役者たちなしにその民を召すこともおできになる。というのも、私たちはある人々が、みことばを読むだけで、牧会活動の助けを借りずに、恵みを受ける者となったことを知っているからである。また、日曜学校に集う中で永遠のいのちの言葉を受け取った人々もいる。これは、私たちの高慢をたちまちぺしゃんこにしてしかるべきである。私も知る通り、神が私たちを用いておられることは、非常な栄誉であり、それを知ることは、私たちにとって大きな励みとなる。だが神は、もしお望みになれば、私なしでも、あなたなしでも、その目当てと目的を十分成し遂げることがおできになるのである。たとい明日、私たちが棺桶に横たえられ、たとい私たちの教会員たちが自分の牧師が死んだといって泣きながら出ていくことになるとしても、神は他の人々を起こすことがおできになる。あるいは、もし他の人々を起こすことをなさらなかったとしても、私たちなしでも、その目当てを成し遂げることがおできになるであろう。また、もしかすると、そのうちに福音に仕える教役者たちが不要になる時代がやって来るかもしれない。そのときには、だれひとりその兄弟に、『主を知れ』、と云う必要はなくなるであろう。『小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな主を知るようになるからである』[ヘブ8:11]。やがて来たるべき幸いな時代には、『主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たす』であろう[イザ11:9]。そのときには、山々の上にあって『神の都を喜ばせる』[詩46:4]使者たちは、全く必要とされなくなり、主という太陽の輝きが、私たちのあわれで安っぽい灯心草ろうそくに取ってかわることになり、イエスが、『その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来る』[マタ25:31]。そして、私たちは、人々の真ん中におられるお方について、立って人々に説教したりしなくとも、立ってこの方を賞賛すべきあまりにも多くのことを有することになる」。

 この雄弁家は、さらに続いて、神が決してご自分に仕える教役者たちなしでは事を行なわれないことを示していった。神の選びの恵みに従い、集められるべき人々がある限り、出て行って彼らを集めるべき教役者たちもいることになるであろう。それから彼は、真の「使徒たちの継承者たち」と、偽りの「使徒たちの継承者たち」について、辛辣な言葉を述べた。――

 「キリストはこの聖句で云っておられる。『わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします』。ある人は反対して云うかもしれない。『ええ。しかし、「彼らのことば」というのは、使徒たちの言葉のことではないのですか?』 また、別の人はこう尋ねるかもしれない。『あなたがたは使徒たちの継承者なのですか?』 近頃は、途方もなく膨大なたわごとが、『使徒たちの継承者』について流布している。世の中には、使徒たちの継承者であると触れ込む人々がいる。ローマカトリック教徒たちがいる。彼らこそ使徒たちの継承者だというのである。しかし、私が思うに、もしペテロやパウロが生き返り、自分の継承者であると称する人々を見たとしたら、彼らは、自分とそうした人々との間に非常に大きな隔たりがあると思ったであろう。たとえ話として、かりに処女マリヤと、ペテロと、パウロが、ある日曜日に地上に降りて、とある大聖堂に行ったとしよう。よろしい。彼らが中に入ると、処女マリヤは人々が自分をほめたたえ、賛美し、自分に栄光を帰すために一斉に歌っているのを耳にした。彼女はペテロを突っついてこう云った。『この人たちは何をしようというのかしら? この人たちは私を礼拝しているのよ。私の《息子》は私に、「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方」[ヨハ2:4]、と云ったのに。彼は一度も私を礼拝しなかったわ』。そう云うと彼女は、『こんなところからは出て行きましょうよ』。彼らがもう少しとどまっていると、人々のひとりがこう云う言葉が耳に入った。使徒ペテロは教会のかしらであり、それゆえ彼の継承者たる教皇はかしらなのだ、と。ペテロは処女マリヤを突っついて、云ったことであった。『何という嘘っぱちだ! 私は一度も教会のかしらだったことなどありはしない。私は罪に陥ったではなかろうか? 私が教会のかしらだと! 何とご立派なかしらであったことか』。それからまもなくしてパウロは、彼らが行ないによる義認を説教しているのを耳にした。『出ていこう』、と彼は云った。『ここには何の福音もない。私は、行ないによらない信仰による義認を宣べ伝えていた。だのに、彼らは行ないによる義認を説教している』。それで、それを聞いて彼らは三人ともみな外へ出て行った。やがて彼らは、『御座にすわる小羊に、栄光と誉れと賛美と栄光と力があるように』、と人々が歌っているのが聞こえる場所にやって来た[黙5:13参照]。そして彼らは、人々が、『信仰により、神の御力によって守られており、救いをいただく』ことになる者らについて語るのを聞いた[Iペテ1:5]。『あゝ』、とペテロは云った。『これこそ正しい場所だ。ここに私はいよう』。使徒たちに似た人々こそ、使徒たちの継承者である。使徒たちの継承者とは、私たちから金銭をむしりとり、自分たちの宗教に用立てるような者たちだろうか? 使徒たちの継承者とは、だれそれ兄弟の家に行って、彼の卓子や、彼の匙や、彼の燭台を取り上げて、彼が信じてもいないような宗教への税を支払わせるような者たちだろうか? コリントに教会維持税があったとか、使徒パウロがエルサレムの誰かの動産を差し押さえたなどという記事を読んでみたいものである。そんな者らが使徒たちの継承者であると! 彼らは敬虔な人々かもしれない。――というのも、聖い人々は時としてひどい間違いを犯すことがあるからである。――だが、彼らは使徒たちとは似てはいない。もう一度云うが、使徒たちに似た人々こそ、彼らの継承者にほかならない。――自分の沽券にかかわるなどと考えて、他のだれとも話すことを恥じるような者たちではない。――平明な言葉で語ることのできないような者たちではない。私たちの中には、辞書持参で会堂に行かなければ全く理解できないようなことばかり語る教役者たちがいないだろうか? あなたは彼らを使徒たちの継承者と呼ぶだろうか? あなたの分別は、『否』、と答える。骨の髄まで正直で、人に理解できる言葉を語り、神の福音を宣言する、それも神が語らせたいと思われる通りに、手心を加えずに宣言する人、それこそ使徒たちの継承者である。そして、彼らの言葉(使徒たちの言葉、また使徒たちの継承者たちの言葉)によってこそ、人々は救われるのである。使徒たちの継承者! 私は、バース地区主教だの、ロンドン地区主教だの、その他いかなる場所の主教だのにも負けないくらい、ことによると、それ以上に、使徒たちの継承者である。私たちはみな、神によって召され、《いと高き方》によって叙任された監督たちである。私たちは、自分の叙任を《全能者》の御手までさかのぼって考える。このお方が、ご自分の御手を私たちの頭に置かれたのである。使徒たちの継承者は常にいるであろう。キリスト教の牧会活動は、時がその最後の時期に至るまで、決してやむことはないであろう。いかなる星々も照らさないほど暗い霊的な闇夜は、これまで一度もなかった。太陽の輝きが全く隠されるほど空が曇ったことは一度もなかった。そこには常に何らかの光があった。そして、最後の最後の時まで、《全能のお方》の力を身にまとい、全能の神エホバによって強くされた人々が常に何人かはいることであろう。彼らは、自分たちの言葉を、すなわち、結局のところは神のことばを証しし、それによって人々は救われるであろう。

 「さて、私の愛する兄弟姉妹。これまで私があなたがたの注意を引いてきた事実は、神が確実に何らかの牧会活動を常に有され、常にそれをお用いになるということ、また、牧会活動は、それなしでも神は事を行なうことがおできになるにしても、神のもとにあって必要であるということであった。では、私たちは彼らのために何をすべきだろうか? 私は、ある人々が何と云っているかを教えよう。――奴らを飢えさせてやれ。ある人々はこう考えているのである。教役者は、週に1ポンド以上の収入がある場合、体験的な敬虔さを宣べ伝えることができないのだ。そして、自分の身を養うものを、信徒たちと同じくらい持とうと考えることによって、教役者は破滅してしまうのだ。――もちろん、そうなるに決まっている! 教役者も、他の人々と同じような弱みがあるのであり、それゆえ自然と高慢になるであろう。金銭は、会衆に座っている人のかくしにおさまっている限りは、すべて正しく良いものだ。だが、それは、教役者の手にあると、その人を世俗的にしてしまうのだ。それゆえ、ある人々は教役者を飢えさせようと努めているのである。私は、ここでそうなっているとは云わないし、私の教会員たちがそうだと云うわけでもない。だが、それは多くの田舎の村々でそうである。残念なことに、多くの農夫たちは、神の御国の進展のために多額のものをささげる余裕があるにもかかわらず、自分の下婢のベティが天井桟敷に座って、その会衆席代に1シリング四分の一を支払っている一方で、主人の方もやはり1シリング四分の一しか支払わっていないのである。そのあわれな少女は、年間数シリングで会衆席を借りているが、何万シリングも有している金持ちと同じだけのものを神の国のためにささげているのである。その男は、『私は自分の会衆席代を払ってますよ』、と云う。だが、その会衆席代はいくらだろうか? バプテスト派の教役者たちの多くは、年間三十ポンドも収入を得ていない。彼らは、家計のやりくりをせざるをえないが、それをいかに行なっているか見当もつかない。店でも営むしかない。それで、日曜になると、多くの人々は教会から出てきて云うのである。『きょうの話は、ひどく貧弱な説教だったわい。中身が何もなかったぞ。われわれの教役者は、ちゃんと学びをしていないに違いない』。だが、どうして学びなどできようか? 店番をしていなくてはならなかったというのに。しかし、キリストに仕える教役者たちは、説教しなくてはならないという、やむにやまれぬ思いにかられて、その務めに専心している。そして彼らは、沈黙しているよりは、乾いたパンをかじっても説教しようとするのである。さて、私たちがこの《協会》を結成したのは、まさにこうした人々を助けるためである。請け合ってもいいが、もし私たちの愛する友人たちのひとりが、私が一年間しか占めていなかったような立場に立った場合、その年間収入を合計する段になったときには――もし少しでも慈悲心を感じていたとしたら――、ほとんど無一文になっているであろう。実際、もしあなたが自分に向かってなされる催促にいちいち耳を傾けていたとしたら、全く何も残っていないであろう。バプテストの教役者たちの収入が多すぎると語るとは! 私の確信するところ、彼らの収入は煉瓦職人の労務者よりも低い。

 「ロシア皇帝がこの国に大使を遣わしたときには、その人は瀟洒な家だの何だかんだを持つものであった。私は、神の大使たちに、そのような羽振りの良さを求めるものではない。ほどほどの生活費を求めているのである。そして、彼らがそれを得ていない場合、私たちは彼らを助けるために何かをすべきであると思う。

 「さて、もう1つ考えておこう。もし神が教役者たちを世に遣わしてご自分の福音を宣べ伝えさせておられるとしたら、私たちが彼らを害するなどというのは、何とふさわしくないことであろう!――『あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ』[ゼカ2:8]。私は常に、神の子どもを傷つけないように細心の注意を払うようにしてきた。あなたも知る通り、人を何にもまして激怒させるのは、その人の子どもたちを傷つけることである。私の知っていたある父親は、温厚で、穏やかで、非常に優しい気立てをしている。――だが、だれかがその人の子どもたちを傷つけたとき、彼はたちまち相手の顔に殴りつけた。好きなように私の持ち物を傷つけ、私の家を傷つけてみるがいい。私は苛立つであろう。だが、私の子どもを傷つければ、私の怒りはたちまち爆発する。彼は、それに我慢がならない。おゝ、愛する方々。こうしたことに照らして見るとき、ある人々には、神の民の中においてすら、重い責任が負わされている。神の民を傷つける! 神の選民を傷つける! 神のお気に入りの者らを傷つける! 神の愛し子たちを傷つける! おゝ、用心しよう! 私たちは、神の子どもであると公言しながら、実はそうではない者を見逃してやる方が、本当に神の者であるだれかを無慈悲に、あるいは不親切に扱うよりもましである。そして、私が思うに、もし福音の教役者たちに何か違いがあるとしたら、これこそ特別な理由になると思う。何にもまして私たちは、彼らの悪口を触れ回ることによって、彼らの人格を傷つけないようにすべきである。彼らは、よこしまなこの世から十分に悪口を云われるであろう。だが、私たちは彼らに優しくし、彼らの周りに垣根を巡らし、あらゆる方面から彼らを守ってやる必要がある。彼らはキリスト教界の旗手たちなのである。そして、もし旗手たちが倒れるとしたら、それは何という不名誉をすべてにもたらすであろう! 私たちは、彼らに味方し、彼らのため祈り、彼らのため神に懇願し、神が彼らの手を支えてくださるよう願うすべきである。というのも、この世には、ごく僅かな同情心や、ごく僅かな親切心しかないからである」。

 こうした抜粋は、スポルジョン氏が説教と説教者をいかなる光に照らして眺めていたかを十二分に示すであろう。この働きを助けることによって彼は、常に溌剌とした喜びを感じさせられるのであった。また、幾度となく彼の心は、メトロポリタン・タバナクルにおいて《特定バプテスト基金》のためにささげられる豊かな拠金によつて喜ばされたものである。

 すでに言及されたように、ニューパーク街では国内宣教の働きが着手されていた。平日学校と週間宣教がギルフォード街で行なわれており、そこには、その目的のために、一層広く使い勝手の良い施設が取得された。8月には、四百人の人々によるロッシャーヴィル旅行が催され、それによって総額四十四ポンドが利益があがり、9月9日には、公の茶会が行なわれ、スポルジョン氏がその主宰を務めた。A・フレッチャー博士その他の人々が講演を行なった。だが、この若き牧師自身に次いで、故ペイン判事こそは第一の呼び物であったようである。ちょうどその頃、サザク区の議席が欠員となっており、この「博愛主義の弁護士」と呼ばれる人物は、ごく自然とその事実を利用した。「この件は、多くの風評を巻き起こしております。そして問題は、だれがこの誉れあるMP(Member of Parliament:下院議員)の身分を引き継ぐかということであります。私は、私たちの司会者(スポルジョン氏)がすでにMPであると考えています。というのも、彼は《信念の人》(Man of Principle)であり、目的にかない(Made on Purpose)、人を動かし(Move the People)、壮大な説教者(Magnificent Preacher)にして、素晴らしい忍耐力を有し(Marvellously Patient)、堅忍不抜の意志をしている(Mightily Persevering)からにほかなりません」。ペイン氏は、さらに四種類の説教者について語を継いだ。――「人を凍らせる説教者、人を茶化す説教者、人を喜ばせる説教者、人を締めつける説教者」である。それから、原因と効果についてはどうだろうか? この牧師のうちに彼は、若々しさ、有能さ、多才さ、そして真のへりくだりを認めていた。その効果は、そのロンドン市長就任日に見られたように、「大評判の呼び声に、会館の開所*3、社交辞令に、栄誉ある集会」であった。

 スポルジョン氏がこのような初期の頃から、攻撃的な宣教の働きに携わっていたという事実は、彼が貧民学校運動に心から共鳴していたことを示している。同運動は、当時シャフツベリー卿を傑出した指導者としていた。今よりもごみごみしていたにもかかわらず、その頃のロンドンには、探検家を引き寄せるような物珍しい文物がずっと多くあった。テムズ川の南岸の低地地区には、旧時代の遺物が数多く残されていた。多くの場合それらは、それ以来、改良されて取り除かれてしまったものである。犯罪者たちが好んで隠れ家としてきた古くからの聖域の1つ、ミント街は、なおも悪名高い悪疫の中心地であった。それこそ、かの恐るべき1832年の大悪疫における、最初の虎列剌患者が発症した場所である。ミントは、いまだに、ある著述家がこう呼んだ通りの場所であった。――「破滅の天使のごとき疫病が、夜の深い闇の中、真昼の光の中を忍び込む入口となる死の土地」。しかしながら、スポルジョン氏がロンドンにやって来た当時のごみごみした状況にもかかわらず、この地区は異様な関心を集める地区の1つであった。家々は、二、三世紀前に建てられたまま残っていた。「こうした古代の路地には、昔の時代の匂いが立ちこめていた」、と当時ひとりの著述家が述べたている。「こうした古い家々の材木は色褪せ、死んだもののように見え、煉瓦積みそのものでさえ、一度も新しかったことなどなかったように思えた。それらの中に見いだされるのは、幅広く、うつろな音のする、腐りかかった階段で、その先には、だだっ広い、荒廃した部屋の数々がある。そこにこだまするのは、黒い目をした馬鹿でかい鼠たちがチューチュー叫び声を上げて、走り回る物音だけである。この鼠たちは、硬い床板や羽目板を食い破り、人間の声によって驚かされることなどないまま、生き、そして死んでいく」。こうした古来の住居の下の方の部屋に居住していた人々は、その地区に特有の住民に見えた。そして、もし彼らが自分たちの部屋の出入り口に立って、大通りの外の世界の様子を眺めている姿が目にされれば、彼らは「労働者階級」の中にも、他のいかなる階級の中にも含められることなく、1つの別個の階級とみなされるであろう。こうした場所こそ、この時代にニューパーク街会堂に付属していると云われえた国内宣教の場であった(他の人々もそこで活動してはいたが)。ロンドンの中でも、こうした類の場所のうち、最も奇妙なものは、ミントのファームハウスであった。それは、簡易宿泊所として、その四十の部屋に寝台を二百備え付けていた。その大きな台所で、サリー会堂から来た説教者たちが礼拝を行なっていた。

 スポルジョン氏と彼の信徒たちの場合、ギルフォード街会館で創始されたのと同様の働きは、彼らの手によって数を増し加え、ついにはメトロポリタン・タバナクルが、そうした多数の集会所によって取り巻かれるまでとなった。時勢は変わったが、そうした集会所のいくつかは、今なお実際に古くからの貧民学校の様子をしている。――例えば、悪名高きケント街に隣接した、ランズダウン町は聖ジョージ教会の裏にある集会所などがそうである。

  


*1 「あの懐かしき、そして真に古めかしい、あの長く敬われてきた祈りの家――おびただしい数の人々にとって、一世紀半かそれ以上もの間、生誕地であり、ベテルであった場所――は、急速に朽ち果てつつあった。それは、集う人々もほとんどなく、風の噂と、実際的な見識のある人々の述べるところ、集会を開く場所としては安全でなかった。主は、そのいつくしみ深く恵み深い摂理によって私を召し、進んでやって来る神の聖徒たちという金銀を集め、この長く敬われてきた福音の聖所を全く刷新し、復興する使命をお与えになった。その再開所の前日、私は、私たちの恵み深き神に乞い願い、ご自身からのことばを私に与えてくださるよう祈った。私は、そうしたことばとともに自分の新たな働きの場へ入りたかったのである。そして、この言葉が私の心に印象づけられた。子よ。きょう、私のぶどう園に行って働くがいい[マタ21:28 <英欽定訳>]。私は、その講壇に立ったときの光景を決して忘れないであろう。――熱心な目をした群衆と、あふれんばかりの幸いな感情、そのただ中にあって私は《主人》が与えてくださった使信を伝えたのである」。――『チャールズ・ウォルターズ・バンクスの生涯』、p.61。[本文に戻る]

*2 『一銭講壇』、第2454号。[本文に戻る]

*3 この集会は、この会館の開所を祝うものであった。その収容人数は子ども六百人であった。百五十人の子どもたちが連れて来られたとき、そのうちの百人は、それまで一度も学校に通ったことがないことが発見された。『バプテストの使者』、第3巻、p.141、また、『自由人』、1855年11月21日号を参照されたい。[本文に戻る]


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