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第2章1―7 ベツレヘムにおけるキリストの誕生

 これらの節に記されているのは、ひとりの赤子が誕生した次第----すなわち、受肉した神の御子、主イエス・キリストが誕生した次第である。赤子が世に生まれ出るという出来事は、どんなときにも驚くべきことである。それは1つの不滅の魂が存在を始めたということにほかならない。しかし世界の創世以来、キリストの誕生ほど驚くべき誕生はなかった。それ自体が奇蹟であった。----「神が肉において現われた」のである(Iテモ3:16 <英欽定訳>)。それが世にもたらした数々の祝福は言葉に云い尽くせぬものであった。----それは人間の前に、永遠のいのちに至る扉を開いたのである。

 これらの節を読んで最初に注意したいのは、キリストがお生まれになった時代である。それは、初代ローマ皇帝アウグストが「全世界の徴税をせよという勅令」を出した頃であった <英欽定訳>。

 神の知恵はこの単純な事実のうちに明らかにされている。王権は、実質的にユダを離れつつあった(創49:10)。ユダヤ人は外国権力の支配と課税制度の下に移されつつあった。異邦人が彼らを治め始めていた。彼らはもはや、真の意味で独立自存の政府を有してはいなかった。そのときにこそ、約束されたメシヤが出現すべき「時至っ」たのであった。アウグストが「全世界」の徴税を始めるや否や、キリストがお生まれになったのである。

 それは、キリストの福音を世にもたらすには、まさに最適の時であった。文明化された全地域は、ついに一人の主人によって統治されるに至っていた(ダニ2:40)。新しい信仰の宣教者たちが町から町へと巡り歩き、国から国へと行き巡るのを妨げるものは何もなかった。異教世界の王や祭司たちは、はかりで量られ、目方の足りないことがわかった。エジプトや、アッシリヤや、バビロンや、ペルシャや、ギリシャや、ローマはみな次々と、「この世が自分の知恵によって神を知ることがない」ことを明らかにしてきた(Iコリ1:21)。その偉大な征服者たちや、詩人たちや、歴史家たちや、建築家たちや、哲学者たちの存在にもかかわらず、世の国々は、暗黒の偶像礼拝に満ちていた。それは、神が天から介入し、ひとりの全能の救い主を差し向けるのに、まさに「時至って」いた。それは、キリストがお生まれになるべき「定められた時」であった(ロマ5:6)。

 私たちは常に、時は神の御手の中にある、と考えて自分の魂を安んじようではないか(詩31:15)。神は、ご自分の教会に助けを差し向け、新しい光を世界に至らせるべき最善の時を知っておられる。私たちは身の周りで起こる事の成りゆきについて、過度の心配に屈さぬよう用心しようではないか。まるでそれは、王の王よりも自分の方が、助けの来るべき時を熟知していると云わんばかりの態度である。「フィーリプ、世界を治めようとするのはやめたまえ」、とルターは心配性の友人に語るのが常であった。これは深い知恵に満ちた言葉である。

 第二に私たちが注意したいのは、キリストがお生まれになった場所である。それは、母である処女マリヤの住んでいたガリラヤのナザレではなかった。預言者ミカは、この出来事が起こるのはベツレヘムであると予言していた(ミカ5:2)。そして、それが実現したのである。ベツレヘムでキリストはお生まれになった。

 神の支配的な摂理は、この単純な事実のうちに明らかにされている。神は天地のあらゆることを定めておられる。神は王たちの心の向きを思い通りに変えられる。神は、アウグストが徴税の勅令を発する時期を支配なされた。神は、その勅令の施行時期を定めて、マリヤがその「月が満ちて、男子の初子を産」むときには、ちょうどベツレヘムにいなくてはならないようになされた。傲慢なローマ皇帝も、その官吏のクレニオも、自分たちがイスラエルの神の御手の中にある道具にすぎず、王の王の永遠の目的を実行に移すために用いられていたとは思いもしなかったであろう。自分たちがある王国の礎石を据えるのに手を貸していたとは全く考えていなかったであろう。しかしその王国の前で、この世のあらゆる帝国はいつの日か没落し、ローマの偶像礼拝はすたれてしまうのである。これと似たようなおりに発されたイザヤの言葉を思い出すべきである。「彼自身はそうとは思わず、彼の心もそうは考えない」(イザ10:7)。

 信仰者は、神がこの世を摂理的に支配しておられることを思い起こして心慰められるべきである。真のキリスト者は決して、地上の支配者らの行動によって、あわてふためいたり、心乱したりするべきではない。むしろ、彼らの行なうすべてのことを上から支配し、神の賛美と栄光のために用いておられる御手を信仰の目によって見るべきである。信仰者は、あらゆる王や権力者----アウグストや、クレニオや、ダリヨスや、クロスや、セナケリブのごとき者ども----を、そのありったけの権力を用いても、決して神がお許しになる以上のことはできず、決して神のみこころを実行に移す以外のことはできない者らとみなすべきである。そしてこの世の支配者たちが「主に反抗して立つ」ときには、ソロモンのこの言葉によって慰めを受けるべきである。「彼らよりももっと高い者がいる」(伝5:8 <英欽定訳>)。

 最後に私たちが注意したいのは、キリストがお生まれになったしかたである。彼は、その母の家の屋根の下で生まれたのではなく、見知らぬ土地で、しかも「宿屋」でお生まれになった。生まれたとき彼は、前もってきちんと用意されたゆりかごに寝かされたのではなかった。「飼葉おけに」寝かせられた。「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」。

 私たちがここに見るのは、キリストの恵みと謙卑である。たとえキリストが、人類を救うために、王家の尊厳を身にまとい、御父の御使いたちに取り囲まれてやってきたとしても、それは私たちが受けるに値しないあわれみの行為であったろう。たとえ彼が王宮に住み、権力と偉大な権威をほしいままにすることを選んだとしても、私たちを驚愕させてあまりある理由があったであろう。しかし、人類の最底辺の者らと同じくらい貧しくなり、最も下賎な者らと同じくらい身を落とすこと、----これは、人知を越えた愛である。それは言葉に尽くすことも、測り知ることもできない。私たちは決して忘れないようにしよう。このへりくだりを通してイエスは、私たちが栄光に入れる資格をかちとってくださったのだ、と。彼は、その死ばかりでなく、その苦難の生涯を通しても、私たちのための永遠の贖いを手に入れてくださったのだ、と。そして彼は、その全生涯を通して、私たちのために貧しくなってくださったのだ、と。その誕生の時から死の時に至るまで。彼の貧しさによって、私たちは富む者とされたのである(IIコリ8:9)。

 私たちは貧しい人々を、貧しいからといって蔑まないように用心しよう。彼らの境遇は、神の御子が自発的に身にまとわれたことによって、聖められ、栄誉を与えられた境遇なのである。神にはえこひいきなどない。神がごらんになるのは、人の心であって、その収入ではない。私たちは、神から貧困の十字架を負わせられても、決してそれを恥じないようにしよう。不敬虔で貪欲な者であることは恥じるべきだが、貧しいことは何の不名誉でもない。みすぼらしい住まいや、粗食や、固い寝床は、血肉にとっては快いものではない。しかしこれらは、主イエスご自身が、この世に入来した日以来喜んで受け入れなさった分け前なのである。富は貧困よりもはるかに多くの魂を滅ぼしている。金銭への愛が私たちの心の中で広がり出したときには、ベツレヘムの飼葉おけと、そこに寝かされたお方のことを考えようではないか。そのような思いは、私たちを多くの害から救い出してくれるであろう。

注記. ルカ2:1-7


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第2章8―20 御使いによる羊飼いたちに対するキリスト誕生の告知

 これらの節に記されているのは、主イエスの誕生が、いかにして最初に人の子らに伝えられたかということである。普通、一国の王子の誕生は、全国民がこぞって浮かれ騒ぐ歓喜の機会となるものである。しかし平和の君が誕生したという告知は、ひっそりと、真夜中に、俗的な華やかさや物々しさなど何1つ伴わずになされた。

 ここで着目したいのは、キリストがお生まれになったという知らせを最初に伝えられたのはいかなる人々であったかということである。彼らは、ベツレヘム近郊において「野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた」羊飼いたちであった。羊飼いたちに----祭司長たちや指導者たちにではなく、----羊飼いたちに----律法学者たちやパリサイ人たちにではなく、ひとりの御使いが現われて宣言したのである。「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」、と。

 こうした言葉を読むとき私たちは、聖ヤコブの言葉を思い浮かべるべきである。「神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか」(ヤコ2:5)。いかなる者も金銭的に貧しいからといって霊的特権から締め出されることはない。神の国に関することはしばしば、権力者や貴人には隠され、貧しい者に啓示される。人は、その手を労働にいそしませているからといって神との特別な交わりを授けられないなどということはない。モーセは羊を飼っており、----ギデオンは小麦を打っており、----エリシャは畑を耕していたときに、それぞれ神からの直接召命と啓示を受けたのである。キリスト教信仰は労働者のためのものではない、などというサタンのそそのかしに耳を貸さないようにしよう。世の弱い者こそ、しばしば強い者をさしおいて召されるのである。あとの者がしばしば先となり、先の者があとになるのである。

 第二に着目したいのは、キリストの誕生を羊飼いたちに告知した御使いが用いた言葉である。彼は云った。「今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです」、と。

 こうした言葉に驚くことはない。四千年もの間地を覆っていた霊的暗黒は、今にも振り払われようとしていた。赦しと神との平和の道は全人類の前に開け放たれようとしていた。サタンのかしらは今にも踏み砕かれようとしていた。捕われ人には自由が、盲人には目の開かれることが告げ知らされようとしていた。1つの偉大な真理、すなわち、神は自ら義であられると同時に、キリストのゆえに不敬虔な者を義と認めることがおできになるとの真理が宣言されようとしていた。救いはもはや型や象徴によってではなく、公然と、顔と顔とを合わせて見られようとしていた。神知識はもはやユダヤ人だけのものではなく、異邦人の全世界に差し出されようとしていた。異教主義の時代は終焉を迎えようとしていた。神の国の最初の石は据えられようとしていた。もしこれが「すばらしい知らせ」でなかったとしたら、そのような名に値する知らせはいまだかつてなかったに違いない。

 第三に着目したいのは、キリストがお生まれになったとき最初に神を賛美したのはだれかということである。それは御使いたちであって人ではなかった。---- 一度も罪を犯したことがなく、何の救い主も必要としていなかった御使いたち、----堕落したことがなく贖い主も贖罪の血潮も求めていなかった御使いたちであった。「神が肉において現われた」ことをたたえる最初の賛歌は、「多くの天の軍勢」によって歌われたのである[Iテモ3:16 <英欽定訳>]。

 この事実に注意しようではないか。ここには深遠な霊的教訓が満ちている。ここに示されているのは、御使いたちがいかに善良なしもべたちかということである。彼らの天の主人がなさることは何事であれ彼らを喜ばせ、彼らの関心を呼び起こすのである。----ここに示されているのは、彼らがいかに明確な知識を有しているかということである。彼らは罪がいかなる悲惨さを被造世界にもたらしたかを知っている。天国がいかにほむべき場所であり、その天国に至る扉が開かれたことがいかなる特権であるかを知っている。----何よりもここで示されているのは、御使いたちがあわれな失われた人間たちに対して感じている深い愛とあわれみである。彼らは、これから多くの魂が救われ、多くの燃えさしが火から取り出されるという輝かしい未来を展望して喜んでいるのである。

 私たちは、この御使いたちと思いを等しくするよう努めようではないか。私たちの霊的無知と無感覚さを何よりも痛ましく明らかにすること、それは私たちが、ここで彼らの表現しているような喜びにひたれないということである。もしも天国で永遠に彼らとともに住みたいと希望するのであれば、確かに私たちは、この地上にいるうちから彼らの思いに共感できる部分が少しはなくてはならないはずである。罪の邪悪さと悲惨さをより深く感じとるようにしようではないか。そうするとき私たちは、贖いに対するより深い感謝の念をいだくことになるであろう。

 第四に着目したいのは、天の軍勢が羊飼いたちに聞かせた賛美の歌である。彼らは云った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」、と。

 この有名な言葉は様々に解釈されている。人は生来、霊的な事柄に鈍感すぎるため、あたかも天的な言語で云い表わされた言葉を聞いてもそれを理解できないかのようである。それでも、1つの意味だけは何の異論もなしにこの言葉から引き出すことができるであろう。それは意味として筋が通っているだけでなく、卓越した神学でもある。

 「いと高き所に、栄光が、神にあるように!」、とこの歌は始まる。今こそ至高の栄光が神に帰されるときが来た。御子イエス・キリストが世に現われたからである。彼はその生涯と十字架上の死によって、神のご属性----義と聖とあわれみと知恵----の栄光をいまだかつてなかったほどに現わした。天地創造は神の栄光を現わしたが、贖いほどではなかった。

 「地の上に、平和が!」、とこの歌は続いている。今こそ人のすべての考えにまさる神の平安が地にもたらされるときが来た。----聖い神と罪深い人との間における完璧な平安、キリストがご自身の血によって買い取ってくださる平安、----全人類に対して無代価で差し出される平安、----ひとたび心に与えられたならば、人々を互いに和合して暮らさせ、いつの日か全世界にあまねく広がるであろう平安がもたらされるときが来た。

 「御心にかなう人々にあるように!」、とこの歌はしめくくられている。今こそ、咎ある人間に対する神の慈愛と善意とが余すところなく知らされるべきときが来た。神の力は天地創造において見られた。神の義は大洪水において見られた。しかし神のあわれみが余すところなく啓示されるには、イエス・キリストの現われと贖罪を待たなくてはならなかった。

 このようなことこそ、御使いたちの歌の趣旨であった。幸いなことよ、その意味に共鳴することができ、その内容に心から同意できる人は。天国に住むことを希望する人は、天国の住人たちの語っていることをある程度は体験的に知っているべきである。

 この箇所を離れる前に、最後に着目したいのは、羊飼いたちがいかに喜んでこの天的な幻に従ったかということである。彼らのうちには何の疑いも、反問も、ためらいも見られない。その知らせがいかに奇妙で、いかにありうべからざるものと思えても、彼らはただちにそれを受け入れて行動を始めた。急いでベツレヘムへ向かった。そして、何もかも自分たちに告げられた通りであることを知った。彼らの単純な信仰は豊かな報いを受けた。彼らは、マリヤとヨセフをのぞけば全人類のうちで一番最初に、生まれたばかりのメシヤに、信仰の目をもって拝謁するという特権にあずかったのである。彼らは自分たちの見たことについて、「神をあがめ、賛美しながら」帰っていった。

 願わくは私たちの霊も彼らのようであるように! 願わくは私たちも、なすべき道が明確に示されているときには、無言で信じ、ぐずぐずせず即座に行動する者であるように! そのようにするとき私たちは、羊飼いたちと同じような報いを受けるであろう。信仰によって始まった旅路は、普通は賛美によって終わるのである。

注記. ルカ2:8-20


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第2章21―24 キリストの割礼および神殿における奉献

 この箇所で私たちの注意を引くべき第一の点は、いかに私たちの主が幼子としてユダヤ教の律法に従われたか、ということである。ここには、主が生後八日目に割礼を受けたと記されている。これが、主の生涯において、最初に記録されている事実である。

 ある人々がしてきたように、私たちの主が割礼を受けられた理由について憶測を巡らすのは時間のむだでしかない。私たちは、原罪であれ実際上の罪であれ、「キリストには何の罪も」なかったことを知っている(Iヨハ3:5)。主が割礼を受けられたのは、決して主のお心の内側に腐敗に向かう傾向がいささかなりともあったと示すためではなかった。それは悪に傾く性向があるとの告白でも、ご自分のからだの行ないを殺す恵みを必要としておられるとの告白でもなかった。こうしたことはみな、注意深く念頭に置いておかなくてはならない。

 私たちはただ、私たちの主の割礼がイスラエルに対する1つの公的証言であったことを覚えておきさえすればよい。すなわち、主は肉においては、ユダヤ人女性から生まれたユダヤ人であり、「律法の下にある者」とされた、ということである(ガラ4:4)。それなしには、主は律法の要求を満たせなかったであろう。ダビデの子、アブラハムの子孫と認められることはできなかったであろう。さらに覚えておきたいのは、私たちの主がイスラエルの教師として人々に耳を傾けさせるためには、割礼が絶対に必要だったということである。それなしには、主はいかなる正当なユダヤ人集会にも連なることができず、いかなるユダヤ教儀式にも全くあずかれなかったであろう。それなしには、主は、あらゆるユダヤ人から無割礼の異邦人としかみなされず、父祖たちの信仰から背き去った者と目されたであろう。

 私たちは、主がこのように、ご自分の必要としておられない儀式に服されたことを、自分の日常生活における模範としようではないか。私たちは、福音のつまづきを増し加えたり、いかなる点であれ神のためにならないことをするくらいなら、多くを堪え忍ぶことにしよう。聖パウロの言葉には、しばしば思い巡らされるべき価値がある。----「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです」。----「すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです」(Iコリ9:19-22)。これらの言葉を記した人物は、十字架にかけられた自分の主人の足跡のごく間近を歩んでいたのである。

 この箇所において私たちの注意を引くべき第二の点は、私たちの主が、神の特別の命令によって、いかなる名で呼ばれることになったか、ということである。「幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である」。

 イエスという言葉の意味は、「救い主」ということでしかない。これは旧約聖書の「ヨシュア」と同じ言葉である。これは、非常に驚くべき、また教えに富む名前の選択である。神の御子が地上に下られたのは、ただ単に救い主になるためだけではなく、王にも、律法賦与者にも、預言者にも、祭司にも、堕落した人間たちの審き主となるためでもあった。たとえ主がこうした称号のどれか1つを選んでいたとしても、ご自分の正当な称号をお選びになったとしか云えなかったであろう。しかし主はそれらをみな無視なさった。そして、失われた世界にあわれみと恵み、助けと解放を語りかける名前をお選びになった。主はもっぱら解放者として、また贖い主としてこそ、ご自分のことをお知らせになろうと願われたのである。

 私たちはしばしば、神の御子について自分の心が何を知っているか、自問してみようではないか。彼は私たちのイエスだろうか、私たちの救い主だろうか? これこそ私たちの救いを左右する問いである。キリストを、力ある奇蹟の実行者、この人が語るように語った人はないと云われる偉大な説教者として知るだけで満足しないようにしよう。----あるいはキリストを、神ご自身であられるお方、いつの日か世を審くお方として知るだけで満足しないようにしよう。私たちは、自分が体験的に主を、自分の罪の咎と力からの解放者として、またサタンの束縛からの贖い主として知るようにしよう。努めて私たちはこう云えるようにしよう。「このお方は私の友です。私は死んでいましたが、この方がいのちを与えてくださいました。私は囚人でしたが、この方が自由にしてくださいました」、と。----イエスというこの名前は、実際すべての真の信仰者にとって何と尊いことか! それは「注がれる香油のよう」である(雅1:3)。それは、良心の呵責に悩む者を回復してくれる。打ちひしがれた者を慰めてくれる。病床にある者を和らがせてくれる。死の時を迎えた者を支えてくれる。「主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である」(箴18:10)。

 この箇所で私たちの注意を引くべき最後の点は、私たちの主の母、処女マリヤの貧しく卑しい境遇である。これは、これらの節を通り一編に読むだけでは、目立って明らかな事実とは思えないかもしれない。しかしレビ記12章を参照すると、それがたちまち明白になる。そこには、マリヤのささげた犠牲が、貧しい者によってささげられるべきものとして特に定められていることが記されている。----「もし彼女が羊を買う余裕がなければ、二羽の山鳩か、二羽の家鳩のひなを取り……なさい」。つまり、彼女のささげ物は、彼女の貧しさを公に宣言するものだったのである(レビ12:8)。

 明らかに貧しさは、私たちの主が、そのごく幼少期から地上で受けておられた分け前であった。赤子の主に乳を与え、世話をしたのは、貧しい女性であった。主は、貧しい者の屋根の下で、その地上の生涯の最初の30年をお過ごしになった。疑いもなく主は、貧しい者の食べる食物を口にし、貧しい者の衣服を身につけ、貧しい者のする仕事をし、貧しい者が直面するあらゆる困難を分け合われたはずである。このようなへりくだりは真に驚異である。このような謙卑の例は人知を越えている。

 こうした事実を、貧しい人々はしばしば心に留めておかなくてはならない。それは、愚痴や不満の声を鎮め、自分の厳しい運命と折り合わせる大きな助けとなるであろう。イエスが貧しい女性から生まれ、一生の間、貧しい人々の間でその地上の生涯を過ごされたという単純な事実は、よく云われるような「キリスト教は金持ちの宗教だ」といった意見を黙らせてしかるべきである。何よりもそれは、祈りにおいて恵みの御座に近づこうとする、あらゆる貧しい信仰者を励ますものに違いない。その人が祈るときに覚えておかなくてはならないのは、天におられる彼の偉大な仲介者は、貧しさに慣れ親しんでおり、貧しい者の心情を身をもって知っておられる、ということである。もしも、キリストが貧しい者の真の友であることを労働者たちがわかりさえするなら、世界にとって何と良いことであろう!

注記. ルカ2:21-24


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第2章25―35 シメオン、その物語と賛美と預言

 これらの節に記されているのは、新約聖書の他のどこでも言及されていない、シメオンという名の「正しい、敬虔な人」の物語である。キリストのご降誕以前に、またそれ以後に、彼がどのような生涯を送ったか、私たちには何もわかっていない。ここで語られているのはただ、彼が御霊に感じて宮にはいったとき、幼子イエスが母に連れられて、そこにはいって来たということ、また彼が「幼子を腕に抱き、神をほめたたえ」、現在世界中でよく知られている言葉を口にした、ということである。

 私たちがシメオンという人物において悟らされるのは、いかに神は、最悪の場所、最暗黒の時代においてすら、信ずる民を保っておられるか、ということである。キリストがお生まれになった時代のイスラエルでは、真の信仰が非常に衰微していた。アブラハムの信仰は、パリサイ人やサドカイ人らの教えによって損なわれていた。その純金の輝きは嘆かわしいほど鈍いものとなっていた。しかし、そうした時ですら、エルサレムのただ中に、この「正しい、敬虔な人」、----「聖霊が彼の上にとどまっておられた」という人がいたのである。

 心励まされることに、神は決してご自分の証し人を根絶させはしない。信仰に立つ神の教会は時として数少なくなるかもしれないが、ハデスの門は決してそれに打ち勝てない。真の教会は荒野に散らされ、散り散りになった小さな群れになるかもしれないが、決して死に絶えることはない。ソドムにはロトがおり、アハブの王宮にはオバデヤがおり、バビロンにはダニエルがおり、ゼデキヤの宮廷にはエレミヤがいた。----そしてユダヤ人教会が最末期に至り、その不義が極みまで達そうとしていたとき、そこにはシメオンのように敬虔な人々が、エルサレムにすらいたのである。

 真のキリスト者は、いかなる時代にあっても、このことを覚えて慰めを受けるべきである。この真理をしばしば忘れがちであるため彼らは、すぐに意気消沈してしまう。エリヤは云った。「私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています」。しかし、彼に答えて神は何と云われただろうか。「わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく」(I列19:14、18)。私たちは、もっと希望を胸に抱くようになろうではないか。恵みはどれほど悪条件下にあっても命脈を保ち、力強く働くのだと信じようではないか。世界には、私たちの思っているよりも多くのシメオンたちがいるのである。

 私たちがシメオンの賛歌から悟らされるのは、信仰者が、いかに死の恐れから完全に解放されうるか、ということである。老シメオンは云う。「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを……安らかに去らせてくださいます」。彼の言葉を聞くと、これは、まるで死への恐怖がなく、まるで世の魅力を感じていない人のようである。彼はこの人生の巡礼状態から解放され、故郷へ帰らせていただくことを願い求めている。彼は、「肉体を離れて、主のみもとにいる」方がよいと思っている。あたかも彼は、この世を去るとき自分がどこに行くかを知っており、いつその日が来てもかまわないというかのように語っている。彼にとってその変化は良い変化であり、それが早く来るように願っているのである。

 一体いかにして定命の人間が、このようなことを云えるのだろうか? これほど多くの人々がつながれて奴隷とされている「死の恐怖」から、どうすれば私たちは解放されるのだろうか? 何が死のとげを取り去ることができるのだろうか?----こうした問いに対する答えは1つしかない。それができるのは、強い信仰だけである。目に見えない救い主に堅くしがみつく信仰、----目に見えない神の約束に安らう信仰、----信仰が、信仰だけが、人に死を直視させることができ、「私は安らかに去っていく」、と云わせることができるのである。痛みや病にうみ疲れ、それをなくせるものなら何でも甘んじようという思いにかられるだけでは十分ではない。日常の務めに携わったり、世の快楽を楽しんだりするだけの力がなくなってきたため、この世に対して無関心になるだけでは十分ではない。安らかに世を去りたければ、こうしたこと以上のものが必要である。私たちには老シメオンのような信仰、すなわち、神からの賜物である信仰がなくてはならない。そうした信仰がなくとも、私たちは穏やかに、「苦痛がなく」、死んでいくかもしれない(詩73:4)。しかし、そうした信仰なしに死ぬとき私たちは、来世で目覚めたとき、決して故郷で安らぐような気分にはなれないであろう。

 さらにシメオンの賛歌から私たちが悟らされるのは、福音が宣べ伝えられる前でさえ、幾人かのユダヤ人信仰者が、いかに明確なキリストのみわざと職務に関する理解に到達していたか、ということである。ここでこの善良な老人は、イエスのことを、「あなたが万民の前に備えられた御救い」、と語り、----「異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄」、と語っている。このシメオンの時代の博識な律法学者やパリサイ人らが、彼の足下に座り、彼の言葉に耳を傾けていたなら、どれほどよかったことであろうか。

 キリストはまさしく、「異邦人を照らす啓示の光」であった。キリストから離れていた彼らは、深い暗黒と迷信に沈み込んでいた。彼らはいのちの道を知らなかった。彼らが拝んでいたのは、自分の手で作った像であった。彼らの哲学者のうち最もすぐれた者らでさえ、霊的な事柄においては完全に無知であった。「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者とな」っていた(ロマ1:22)。キリストの福音は、ギリシャ、ローマ、そして全異教世界にとって、日の出のようなものであった。それが信仰という主題について人々の思いに差し込ませた光は、さながら夜から昼への変化と同じくらい大きなものであった。

 キリストはまさしく「イスラエルの光栄」であった。アブラハムの子孫であること、----契約、----約束、----モーセの律法、----神の定めによる神殿礼拝、----これらはみな大変な特権であった。しかしこれらすべても、イスラエルから世界の救い主がお生まれになったという偉大な事実にくらべれば無に等しかった。ユダヤ民族の最も高い栄誉、それは、キリストの母がユダヤ人女性であったこと、また「肉によればダビデの子孫として生まれ」たお方の血潮が、人類の罪の贖いをすることになった、ということであった(ロマ1:3)。

 老シメオンの言葉が、まだ完全に実現しきってはいないことは覚えておこう。幼子イエスをその腕に抱いた彼が信仰によって見た「光」は、やがてまばゆくばかりに輝き、異邦人世界のすべての国々がそれを見ることになる。----イスラエルが十字架にかけたそのイエスの「栄光」は、いつの日か、散らされたユダヤ人たちに対して明確に啓示され、彼らは自分たちが突き刺した方を見て悔い改め、回心することになる。イスラエルの心からおおいが取り除かれる日、万民が「主を誇る」*日がやってくる(イザ45:25)。私たちはその日を待ち、目をさまし、祈っていよう。もしキリストが私たちの魂の光であり栄光であるなら、その日がいつ来ようと早すぎることはないであろう。

 最後に私たちがこの箇所から悟らされるのは、イエス・キリストとその福音が世に現われた後に続くであろう数々の結果の驚くべき描写である。この問題に関する老シメオンの言葉は、ことごとく深く思い巡らされる価値がある。これらは全体として、日々成就されつつある1つの預言となっているのである。

 キリストは「反対を受けるしるし」となるはずであった。彼は、悪い者の火矢の的となるはずであった。彼は、「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ」るはずであった。彼とその民は、「山の上にある町」となり、四方八方から襲撃を受け、ありとあらゆる手合いの敵から憎まれるはずであった。そして、実際そのようになった。他の何事においても手を取り合おうとしない人々が、キリストを憎むことにおいては団結してきた。そもそもの最初から、何万もの人々が迫害者であり、不信者であった。

 キリストによって、「イスラエルの多くの人が倒れ」るはずであった。キリストは、高慢で自分を義とする多くのユダヤ人にとって、つまずきの石、妨げの岩となり、彼らは彼を拒絶し、自分の罪の中で滅びるはずであった。そして、実際そのようになった。彼らの大多数にとって十字架にかけられたキリストは、つまづきであり、その福音は「死に至らせるかおり」であった(Iコリ1:23; IIコリ2:16)。

 キリストによって、「イスラエルの多くの人が立ち上がる」*はずであった。キリストは、いったんはご自分を拒絶し、冒涜し、悪しざまに罵っても、後になって悔い改めて信じた多くの者たちの救い主となるはずであった。そして、実際そのようになった。彼を十字架にかけた何万もの人々が悔い改め、彼を迫害したサウルが回心したとき、そこに起こったのは、死者の中から生き返ることにほかならなかった。

 キリストによって、「多くの人の心の思いが現われる」はずであった。キリストの福音は、多くの人々の本性を明るみに引き出すはずであった。ある人々の神に対する敵意、----他の人々の内なる疲れと飢え、これらが十字架の宣教によって露見することになっていた。それは、人々の真実の姿を示すことになっていた。そして、実際そのようになった。「使徒の働き」が、そのほとんどすべての章において証言しているのは、老シメオンは、彼の預言の他のあらゆる事柄と同じく、この点においても真実を語った、ということである。

 さて、私たちは今、キリストのことをどう考えているだろうか? これこそ私たちの思いを占めていなくてはならない問いかけである。キリストは私たちの心にいかなる考えを呼び起こすだろうか? これこそ私たちが注意を払わなくてはならない質問である。私たちはキリストの味方だろうか、敵だろうか? 私たちは彼を愛しているだろうか、無視しているだろうか? 私たちは彼の教えにつまづいているだろうか、それが死からいのちに移ることであることを知っているだろうか? こうした問いに満足な答えを返せるまで、私たちは決して安心しないようにしようではないか。

注記. ルカ2:25-35


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第2章36―40 女預言者アンナ、および彼女の物語

 私たちが今読んだ節で紹介されている神のしもべは、この箇所以外、新約聖書のどこにもその名が言及されていない。アンナについて物語っているのは、シメオンの場合と同じく、聖ルカだけである。神は、その知恵によって、メシヤがお生まれになった事実を、男性だけでなく女性も証言するように定められた。ふたりの証人の口が確立したのは、マラキの預言が成就し、契約の使者が突然、その神殿にやって来られたということである(マラ3:1)。

 これらの節で注目したいのは、キリストの福音が確立する以前に生きていた一聖女の人となりである。アンナについて記録されている事実は少なく、簡素なものではある。しかし、ここから私たちは多くのことを教えられるであろう。

 アンナは非の打ち所ない人柄の女性であった。たった七年間の結婚生活の後で、彼女は、孤独な寡婦として八十四年も過ごしてきた。このような境遇の辛さ、寂しさ、誘惑は、おそらく非常に大きかったであろう。しかしアンナは、恵みによってこれらすべてに打ち勝った。彼女は聖パウロが記した通りの女性であった。彼女は「ほんとうのやもめ」であった(Iテモ5:5)。

 アンナは神の家を愛する女性であった。彼女は「宮を離れ」ることがなかった。彼女は神殿を、神が特別にお住まいになる場所、また外地にいるあらゆる敬虔なユダヤ人が、ダニエルのように自分の祈りを喜んで献げる方角であるとみなしていた。「より神に近く、より神に近く」、こそ彼女の心の願いであり、彼女が他のどこよりも神に近づいているのを感じるのは、契約の箱と、祭壇と、至聖所とを囲む壁の内側であった。彼女はダビデの言葉に完全に共感できた。「私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです」(詩84:2)。

 アンナは、大きな自己否定を行なっていた女性であった。彼女は、「夜も昼も、断食……をもって神に仕えていた」。彼女は絶えず肉を十字架につけ続け、それを自発的な禁欲生活に従わせ続けていた。こうした行為が自分の魂にとって助けになると心から確信していた彼女は、それを実践し続けるために何の労苦も惜しまなかった。

 アンナは大いに祈る女性であった。彼女は、「夜も昼も、……祈りをもって神に仕えていた」。彼女は絶えず、彼女の最良の友なるお方を相手に、自分の平安にかかわる事がらについて話し合っていた。自分の知り合いのため、そして何よりも、メシヤに関する神の預言の成就のため、神にとりなすことに彼女は決してうむことがなかった。

 アンナは他の聖徒らとの交わりのうちに生きていた女性であった。イエスを見た後すぐにアンナは、彼女の知り合いであるエルサレムの他の人々、そして明らかに彼女と親しい間柄にあった人々に、「この幼子のことを語った」。彼女と、その望みを等しくするすべての人々との間には、一致の絆があった。彼らは同じ主人に仕えるしもべ同士であり、同じ故国を目指す旅人同士であった。

 そしてアンナは、神へのその熱心な奉仕すべてに対して、この世を去る前から豊かな報いを受け取った。彼女は、かくも長い間約束されていたお方、また彼女がその到来をしばしば祈ってきたお方を見ることが許されたのである。最後の最後で、彼女の信仰は目に見えるものとされ、彼女の希望は確実なこととされた。この聖女の喜びは、まさに「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた」ものであったに違いない(Iペテ1:8)。

 すべてのキリスト者女性は、このアンナの人となりについて沈思黙考し、そこから知恵を学びとるのがよいであろう。疑いもなく、時代は大きく変わった。キリスト者の社会的義務は、エルサレムにいたユダヤ人信者のそれとは非常に異なっている。だれもが神によってやもめの立場につかされるわけではない。しかしそれでも、あらゆる事情を勘案した後ですらなお、アンナの物語には模範とするに値する多くのものが残っている。彼女の生き方の裏表のなさや、聖さ、祈り深さ、自己否定などについて読むとき私たちは、キリスト教会の多くの娘たちが、彼女のようになるべく努めることを願わざるをえない。

 これらの節で第二に注目したいのは、イエスのご降誕当時エルサレムにいた聖徒たちについて記された描写である。彼らは、「贖いを待ち望んでいる」人々であった。

 私たちが常に見出すところ、信仰こそ、神の選民が一様に帯びている性格である。ここに述べられている男女は、よこしまな都のただ中に住んでいながら、見るところによってではなく、信仰によって歩んでいた。彼らは、周囲にあふれる世俗性や形式主義や自己義認の洪水によって押し流されはしなかった。ほとんどのユダヤ人がひたっていたような、ただの世俗的メシヤに対する肉的な期待にかぶれてはいなかった。族長たちや預言者たちの信仰によって生きていた。来たるべき贖い主は、聖潔と義をもたらし、彼の主たる勝利は罪と悪魔に対するものであるとの信仰に生きていた。このような贖い主を彼らは忍耐強く待っていた。このような勝利を熱心に待ち望んでいた。

 この善良な人々から教訓を学びとろうではないか。もし彼らが、これほど僅かな助けとこれほど多くの落胆すべき障害に囲まれていてさえなお、このような信仰の人生を送っていたとするなら、完結した聖書と完全な福音を与えられている私たちは、いかにいやまさる生き方をせずにおられようか。彼らと同じように私たちは、信仰によって前方を見つつ歩むよう努めようではないか。キリストの再臨はまだ来てはいない。この地上の、罪とサタンと呪いとからの完全な「贖い」は、まだ起こっていない。私たちは、自分の生き方とふるまいによって、この再臨こそ私たちの待ち望むものであることを、だれの目にも明らかなように宣言しようではないか。実際、現在においてさえ、キリスト教の最も高潔なあり方は、「贖いを待ち望んで」いることであり、主の現われを慕うことと思って間違いはない(ロマ8:23; IIテモ4:8)。

 これらの節で最後に注目したいのは、主イエスが神であられるだけでなく、現実に、また真に人間であられたという点について、いかに明確な証拠が私たちには与えられているか、ということである。ここには、マリヤとヨセフが彼らの郷里のナザレに帰ったとき、「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った」、と記されている。

 疑いもなく、主イエスのご人格には深く神秘的なものが多々ある。いかにして同じご人格が同時に完全な神であり、完全な人でありうるのかは、必然的に人知を越えた点である。そのご生涯のごく初期においては、疑いもなく主が持っておられたあの神的な知識が、どのようなしかた、どのような程度、どのような割合において発揮されていたのか、私たちはおそらく説明できないであろう。それは高遠なきわみにある。私たちには及びもつかない。

 しかしながら、1つのことだけは完璧に明らかであり、私たちはそれを堅くにぎりしめるのがよいであろう。私たちの主は、罪をのぞく、人間の性質に属するありとあらゆることにあずかられた。人として主は、赤子になってお生まれになった。人として主は、幼子から少年になられた。人として主は、少年時代から成年に至るまでの間、年ごとに知力体力を増し加えていかれた。人の肉体の、罪とはかかわらないあらゆる状態、すなわち、その初期の脆弱さ、それから後の成長、その成熟に至るまでの規則的な発達、これらに主は余すところなくあずかられた。私たちは、このことを知るだけで満足しなくてはならない。これ以上せんさくしても無益である。これを明確に知っておくことは非常に重要である。この点で確固たる知識に欠けていることこそ、多くの突飛な異端への道を開いてきたのである。

 心慰める実際的な教訓が1つ、この真理には表立って現われている。私たちは決してそれを見逃してはならない。私たちの主は、あらゆる生の段階、すなわち揺りかごから墓場までの間の、あらゆる状態の人々に、同情することのできるお方である。主は、子どもであれ、少年であれ、青年であれ、それがいかなる性質と気質であるかを身をもって知っておられる。主は彼らの立場に立たれたことがおありになる。主は彼らと同じ境遇に置かれたことがおありになる。主は彼らの心を知っておられる。私たちは、青年たち相手に彼らの魂について語るとき、このことを決して忘れないようにしよう。私たちは彼らに確信をもって告げることにしよう。天で神の右の座についておられるのは、彼らの友となるのにまさにうってつけのお方である、と。十字架の上で死なれたお方は、ご自身も、一度は少年であったことがあり、成人たちだけでなく、少年少女にも特別の関心を持っておられるのだ、と。

注記. ルカ2:36-40


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第2章41―52 教師たちの間にすわっていたキリスト

 これらの節は、聖書の読者にとって常に興趣尽きせぬものであり続けるであろう。ここに記録されているのは、私たちの主イエス・キリストが、その幼児期の後で地上で送られたご生涯の最初の三十年について知りうる唯一の事実なのである。キリスト者ならだれしも、その三十年の間に起こった出来事について、またナザレの家の日常について、いかに多くを知りたいと願うことか! しかし、疑いもなく聖書は深い知恵によってこの主題に関して沈黙を守っているのであろう。もしこれ以上のことを知ることが私たちのためになることだとしたら、これ以上のことが啓示されていたはずである。

 この箇所から第一にくみとりたいのは、すべての夫婦が心にとめておくべき教訓である。それは、ここに述べられたヨセフとマリヤの行動のうちに見られる。「彼らは、過越の祭りには毎年エルサレムに行った」*、と記されている。彼らは、神がお定めになった儀式を規則正しく守り、それを夫婦で尊んでいた。ナザレからエルサレムまでは相当な距離があった。その旅は、何の輸送手段もない時代の貧民にとっては、厄介で、疲労困憊させられるものであったに違いない。十日から二週間も自宅を留守にすることは、並大抵でない出費が伴った。しかし神はイスラエルに命令を与えておられ、ヨセフとマリヤはそれにきちんと従ったのである。神は彼らの霊的な益のために1つの儀式をお定めになっておられ、彼らはそれを規則正しく守った。そしてその過越にまつわるすべてのことを、彼らは一緒に行なっていた。祭りのため都に上るとき彼らは、常に相伴って行動したのである。

 キリスト者の夫婦はみな、このようにしていなくてはならない。彼らは、霊的な事がらにおいて互いに助け合い、神への奉仕において互いに励まし合わなくてはならない。結婚は、疑いもなく、ローマカトリック教会が愚かにも主張しているような秘跡ではない。しかし、結婚は、結婚関係にはいった者たちの魂にきわめて大きな影響を及ぼす。それは彼らを上に押し上げる助けとなるか、下に引き下ろす助けとなるか、天国に近づけるか、地獄に近づけるかのどちらかである。私たちはみな、自分の交際している人々によって大きく左右される。私たちの人格は、自分が一緒に過ごす人々によって知らぬまに形成されていく。だれよりもこのことがあてはまるのは夫婦である。夫と妻は絶えず相手の魂に善を施すか悪を及ぼすかしているのである。

 結婚した人々は、あるいは結婚を考えている人々はみな、こうした事がらをじっくり考えてみるがいい。ヨセフとマリヤの行動を模範とし、同じようにする決意を固めるがいい。ともに祈り、ともに聖書を読み、ともに神の家へ行き、互いに霊的な問題を語り合うようにするがいい。何にもまして、自分が恵みの手段に関することで相手の妨げになることや、気をくじくようなことをしないように警戒するがいい。エルカナがハンナに告げたように妻に語る夫は幸福である。「あなたの良いと思うようにしなさい」。レアとラケルがヤコブに告げたように夫に語る妻は幸いである。「神があなたにお告げになったすべてのことをしてください」(Iサム1:23; 創31:16)。

 この箇所から第二にくみとりたいのは、すべての若年者が心にとめておくべき模範である。それは、12歳になった私たちの主イエス・キリストが、エルサレムでひとりきりになったときの行動のうちに見られる。四日もの間、主はマリヤとヨセフの目の届かないところにおられた。その間、ふたりは、主に何がふりかかったのかと、主のことを「心配して……捜し回っていた」。このような子を見失った、このような母の懸念がいかばかりであったか、だれに思い知れよう。----だが、とうとう彼らが主を探し当てたとき、主はどこにおられただろうか? 主は、12歳頃の多くの少年がするように、のらくら時間をつぶしたり、いたずらを始めたりしてはいなかった。愚かしく、無益な連中と連れ立っていたりしなかった。両親は、「イエスが宮で教師たち」----ユダヤ教の教師たち----「の真中にすわって」、その教師たちが語る「話を聞いたり」、説明してほしいと思う事がらについて「質問したりしておられるのを見つけた」。

 キリスト者家庭の子弟はみな、このようにしていなくてはならない。彼らは、両親の面前ばかりでなく、その背後にあるときにも、堅実で、安心してひとりにしておける者でなくてはならない。彼らは、賢明で思慮深い人々とともにいることを求め、生活の苦労に身をさらす前に、またその記憶力が強く新鮮なうちに、あらゆる機会を用いて霊的知識を獲得するよう努めなくてはならない。

 キリスト者の少年少女は、こうした事がらをじっくり考え、12歳でしかなかった頃のイエスの行動を模範とするがいい。何か悪さを働くほど年がいっているなら、何か善を行なうこともできる年齢になっているのだということを思い起こすがいい。物語本を読んだりしゃべったりできるのだとしたら、自分の聖書を読んだり祈ったりできるのだということを思い起こすがいい。年端の行かない年頃の者でさえ、神の前には責任を有しているのだということ、また、「神は少年の声を聞かれ」たと書かれていることを思い起こすがいい(創21:17)。子どもたちが「主を切に求め」、両親に何の涙も浮かべさせない家庭こそ、まさしく幸いである。自分の子どもたちについて、彼らが家を離れているときも、「私は、あれが自分から罪に飛び込んだりしないと信頼できますよ」、と云える親たちこそ、まさしく幸いである。

 この箇所から最後にくみとりたいのは、すべての真のキリスト者が心にとめておくべき模範である。それは、母マリヤに対する私たちの主の厳粛なことばのうちに見られる。彼女が主に、「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです」、と云ったとき、主は答えられた。「わたしが必ず自分の父の仕事についていることを、ご存じなかったのですか」[新改訳聖書欄外訳]。明らかにこの答えには、穏やかな叱責がこめられていた。主が母に思い出させようとしておられたのは、ご自分がただの普通の子どもではなく、ただの普通の仕事をしに世に来られたのではない、ということであった。ここにそれとなく明らかにされたように、彼女は知らぬまに、主が尋常ならざるしかたで世に来られたことや、主がいつまでもおとなしくナザレに居を構えておられるお方ではないことを忘れつつあったと思われる。この事件が厳粛に思い起こさせたこと、それは、神としての主には天に御父がおられ、この天の御父の仕事こそ主が第一に注意を払わなくてはならないことだ、ということであった。

 この云い回しは、キリストの民全員の心に深く銘記されていなくてはならないことの1つである。これは、日常生活において彼らの目当てとすべき目標であり、彼らが自分の習慣や生活態度を引き比べてみるべき試金石である。これは、彼らが怠けがちになるとき、彼らを奮い立たせるべきことである。世に戻りたいような気分に駆られるとき彼らを押し止めるべきことである。----「私たちは、自分の父の仕事についているだろうか? 私たちは、イエス・キリストの御足の跡を歩んでいるだろうか?」----こうした問いはしばしば私たちを非常にへりくだらせ、自分を恥ずかしく思わせるであろう。しかし、こうした問いは私たちの魂にとって、すぐれて有益なものである。教会がことのほか健全な状態にあると云えるのは、信仰を有するその構成員ひとりひとりが高みを目ざし、あらゆる事がらにおいてキリストのようになろうと努めているときにほかならない。

注記. ルカ2:41-52

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