注記. ルカ2:1-7

1節----[皇帝アウグスト] これは、アクティウムでアントニウスとクレオパトラが破れた後、ローマ帝国の統治権を掌握した、あのオクタウィウスのことである。彼こそ、正確に云って初代のカエサル、すなわち、ローマ皇帝となった人物である。[本文に戻る]

[全世界の] ある人々の考えによると、このように訳されたギリシャ語は、新約聖書では特にユダヤとその周辺諸国を指すものとして用いられているという。しかし、その十分な証拠はない。この言葉は、使17:31でも黙12:9でも、そのように限定的な意味にとることはできず、ここでもそのようにとるべき必要はない。[本文に戻る]

[徴税をせよ](taxed) 英欽定訳でこのように翻訳されている言葉は、それと同等に、「人口登録をせよ」(enrolled)と訳すことも十分可能である。欽定訳の欄外にはそう訳されている(inrolled)。この言葉は、新約聖書の他の箇所では一度しか使われておらず、そこでは「登録され」(written)と翻訳されている(ヘブ12:23)。[本文に戻る]

2節----[これは、クレニオがシリヤの総督であったときの……] この節には、よく知られた困難が伴っており、ここで多少の所見を述べておく必要があるであろう。霊感を受けていない著述家たちによると、クレニオ、またはラテン語の著者たちの呼ぶところのクィリーニウスは、キリストが誕生してから8年か10年経つまで、シリヤの総督にはなっていなかった。これをどうしたら聖ルカの記事と調和できるだろうか? これまでは以下のような説明がなされてきている。

 ある人々によると、クレニオという名前は誤って聖書本文の中に紛れ込んだものであって、本来はクィンティリウスもしくはサトゥリヌスと読まなくてはならないという。この二名はクレニオに先立って総督になった人物である。しかし、困難を解消するために字句を変更するというのは、到底満足のできないやり方である。この場合、そのような変更を加えてよい保証は何1つない。

 ある人々によると、その説明は「……ときの」[……ときになされた(was made) <英欽定訳>]と翻訳された言葉のうちに見いだされるという。そしてこれは、「……ときに効力を生じた」(took effect)と訳されるべきであるとする。その場合この文章の意味は、「この人口登録あるいは徴税は、命ぜられたのは現在だが、実際に効力を生じたのはクレニオが総督の時であった」、となるであろう。

 ある人々によると、「最初の」と翻訳された言葉は、「……に先立つ」、あるいは、「……の前の」、と翻訳すべきだという。その場合この文章の意味は、「この徴税は、クレニオのもとでなされる前のものであった」、となるであろう。そのような翻訳の類例はヨハ1:15、30に見られる。

 ある人々によると、クレニオが関わった徴税は二回あったのだという。ただし、それぞれの場合、クレニオ自身の立場は完全には同じではなかったのである。----そして聖ルカはこのことを知っていたため、「最初の」という言葉をわざわざ挿入して、自分の意味しているのがどちらの徴税かを示しているのである。この見解の後押しとして思い起こさなくてはならないのは、聖ルカは、霊感を受けていない著述家たちのいかなる者にもまして、事実関係において無限に正確に知りうる立場にあったということ、また私たちには、ルカが彼らと異なる場合、彼らが正しくて彼が間違っていると思いみなす何の権利もないということである。さらに驚くべき事実として、二世紀の人である殉教者ユスティノスは、三度にわたって、キリストはクレニオの統治下で生まれたと主張している。ワーズワースは云う。「ザムプトの諸調査によって大いに高まった可能性は、キリスト降誕の時期にキリキヤの総督であったクィリーニウスは、シリヤ総督をも兼ねていた、ということである」、と。

3節----[人々はみな……自分の町に向かって行った] ケネルはこう述べている。「アウグストは、自分の盛名を高め、己れの統治の栄華をいや増しつつあると想像している。しかし彼の勅令は、彼のものよりもはるかに強力で絶対的な勅令によって、彼がまるで知りもしない数々の預言の成就のために----また、彼が決して相見ることのない一人の王の誕生のために----そして、ローマ帝国も他の諸王朝をも支配下におさめるであろう1つの王国のために奉仕させられているのである。これはいかなる時代にも起こることだが、人々はこのことに何の注意も払っていない」。

 この徴税が創世記49:10の成就である点については、ワトソンがこう所見を述べている。「王権がユダを離れつつあったこと、ヘロデの統治がほぼ名ばかりのものであったことを、これほど驚くべきしかたで証明する事実はない。背教者ユリアヌスは、まさにこの人口登録のゆえにキリストがカエサルの臣民のひとりとして生まれたという主張に反論したが、彼はこれがいかに真実に古の預言を例証していたかを全く預かり知らなかった。しかしヤコブは、キリストの誕生と、ユダから王権が離れ去ることが同時に起こると預言していたのである」。[本文に戻る]

4節----[血筋] このように翻訳された言葉は、他では二箇所しか使われていないが、そこでは、「子孫」、「家族」と訳されている(使3:25; エペ3:15)。[本文に戻る]

7節----[男子の初子を] このように翻訳された言葉は、ギリシャ語ではもっと強い意を込められている。これをより字義通りに訳すと、「彼女の息子、その初めての子を」、となる。[本文に戻る]

[布にくるんで] この表現をもとに、教父たちや、ほとんどのローマカトリック教徒の著述家たちが打ち立てたのは、私たちの主の誕生は何の陣痛も苦痛もないものであった、という考えである。そのような考えは、ごく控え目に云っても、愚にもつかない憶測である。ここには、マリヤのような立場にあった東方の母親が、何の手助けもなく自分ひとりで何をせずにすませたかについては、何も言及されていない。私たちの主の受肉においては、はっきり啓示されたこと以外、何の奇蹟的な状況も想像したり、創作したりする必要はない。[本文に戻る]

[飼葉おけに] このように翻訳された言葉は、新約聖書の他の箇所では一度しか使われておらず、そこでは「小屋」と訳されている(ルカ13:15)。私たちの主が寝かされたのが、家畜の餌箱となっている飼槽であったという、人口に膾炙した考え方が本当に正しいかどうかは、大きな疑問の余地がある。この表現が確実に意味しているのは、主が「馬屋に寝かされた」こと、そしてそれは「宿屋には彼らのいる場所がなかったから」であったことだけであり、それ以上のことを意味しているという確たる証拠は何1つない。ある人々の考えによると、この飼葉おけは、この地域の国々で牛馬にまぐさを食べさせるのに用いる、馬巣織り布の一種であったという。こうしたすべての出来事が起こったのは、今もユダヤに数多く見られる、洞窟の1つの中であったと考えるべき強力な理由がある。[本文に戻る]

[宿屋には彼らのいる場所がなかった] ここでは、しばしば見落とされている1つの事実を注意深く指摘しておくべきであろう。それは、神の摂理により、キリストの誕生は、ひとりの赤子の誕生としては考えうる限り最も広く知れ渡ったものとなった、ということである。それは宿屋で起こり、しかもその宿屋は、全地方からやってきた旅人でごったがえしていた。このようにして、いかなる詐称も不可能となったのである。その出来事は多くの証人の前ではっきり起こったことであり、否定のしようもないものであった。神の御子は真に受肉なさり、私たちひとりひとりと全く同じように、文字通りに真にひとりの女性からお生まれになったのである。もしもその誕生がナザレで、あるいはベツレヘムのだれかの私宅で、ひっそりと起こったことだったとしたら、おそらく30年も経つうちに、その出来事のすべては否定されてしまったことであろう。[本文に戻る]

注記. ルカ2:8-20

8節----[羊飼いたちが、野宿で]云々 これらの言葉は、私たちの主がお生まれになったのはクリスマスの日であるはずがない、とという諸見解の論拠となってきた。ユダヤ人たちには、冬に野で羊の群れを飼う習慣はなかったからである。この議論がそれほど決定的なものかどうかは疑問の余地があるであろう。いずれにせよ、パレスチナの隣国パダン・アラムでラバンの羊の群れを飼っていたヤコブは、「夜は寒さに」悩まされた、と苦情を述べている(創31:40)。しかしながら、私たちの主のご降誕の正確な日付がわかっていないことは否定しがたい事実である。この件について憶測を逞しくする人々の間では、一年のどの月もその候補として主張されている。確かに云えることは何1つない。日にちを知ることが私たちにとって有益であったなら、神は私たちに教えてくださっていたはずである。降誕節を祝うことは、教会の伝統という以外には何の権威もない。[本文に戻る]

10節----[この民全体] 「すべての民」(all people)と英欽定訳で訳されたこの表現は、特に、主としてユダヤ人を指しているのではないかという異議が唱えられてしかるべきであろう。より字義通りに翻訳すれば、これは、「この民全体に」(to all the people)、となる。[本文に戻る]

12節----[みどりご] "The babe" と訳されたこの言葉のより良い翻訳が "a babe" であることに疑問の余地はない。ギリシャ語の冠詞が欠けているばかりでなく、文脈全体からして、それが妥当であることを示している。[本文に戻る]

14節----[御心] ここに示された言葉とその内容は、エペ1:5、9に記されているものと同一である。その意味は、御子イエス・キリストにおいて明らかにされた、人間に対する「神の善意と御意志」である。----それは、テト3:4における「神のいつくしみと愛」と同じであり、ヨハ3:16における「神の愛」と同じである。[本文に戻る]

15節----[この出来事を見て来よう](See this thing which is come to pass.) 「事」(this thing)と翻訳された言葉は、「言」(this saying)とも訳すことができる。この箇所についてのアンブロシウスの注解は、教父たちが決して無謬などではなかったことを示す珍妙な証拠である。彼は「この事」を、人格を持つことば(the personal Word)、神の御子であるとみなしている! 少しでもギリシャ語をかじったことのある者なら、この言葉をこうした意味にとることが不可能であることはわかるであろう。ローマカトリック教徒の注解者バラディウスでさえ、この注解はアンブロシウスの間違いであったと告白せざるをえないでいる。[本文に戻る]

16節----[急いで行って] フーパー主教が遺した一書簡には、羊飼いたちのこの行動について感動的な注釈が記されている。その書簡は、「ボウ教会境内の一家屋で祈祷中に一度に捕縛された、敬虔で信仰深い囚人の方々」に宛てられたものであった。彼は云う。「聖ルカの第2章を読みなさい。そこに記されているのは、一晩中羊の番をしていた羊飼いたちのことです。彼らは、キリストがベツレヘムでお生まれになったと聞くやいなや、時をおかずにキリストにお会いしに行ったに違いません。彼らは、留守中だれが狼から羊を守るのだなどと論じ合ったり云い争ったりしませんでした。ただ命ぜられた通りに行ない、自分たちの羊のことは、自分たちが今そのみこころに従おうとしているお方にゆだねたのです。では今召されている私たちも同じようにしましょう。その他のことはみな私たちを召されたお方におゆだねしましょう。そのお方は、すべてが最善になるようにしてくださいます。その方は夫を助けてくださいます。妻を慰めてくださいます。しもべを導いてくださいます。家を守ってくださいます。持ち物を保ってくださいます。そうです、何もかもおしまいになるどころか、この方が皿を洗ってくださり、揺りかごを揺らしてくださるのです。ですから、あなたがたのあらゆる心配事を神に投げかけなさい」。----『フーパー全集』(パーカー版、第2巻、p.617)[本文に戻る]

注記. ルカ2:21-24

21節----[幼子に割礼を施す] ホール主教はこう述べている。「私たちに代わって罪となるために来られたお方は、私たちの代理として法的には汚れた者となられた。律法を満足させることによって私たちの汚れを取り除けるようになるためである。彼は、私たちが通常出生時に帯びている状態から免れてはいたが、人間性の弱さと欠陥を暗示する、こうした通常の儀式から身を避けようとはなさらなかった。彼は、ある律法を成就して、それを廃止しようしし、別の律法を成就して、それを満足させようとされたのである。律法の上におられたお方が律法の下にある者となったのは、私たちを律法から解放するためであった」。[本文に戻る]

[胎内に宿る前に御使いがつけた名] プールはその注解でこう述べている。「旧約聖書には、誕生前から神によって名前をつけられた四人の人物が記されている。イサク----創17:19、ヨシヤ----I列13:2、イシュマエル----創16:11、クロス----イザ44:28、である。新約聖書では二人----バプテスマのヨハネとイエス・キリストである。これは、将来起こるであろうことについて神が確実に定めておられることを示すものである。なぜなら、イシュマエルや、イサクや、バプテスマのヨハネの両親が神の命令に従ってそうした名前を授けたとしても、また、命名と誕生の間の時間的間隔が短いものだったとしても、ヨシヤやクロスの場合は事情が全く異なっていたからである」。[本文に戻る]

24節----[家ばとのひな二羽] ライトフットによると、これはヘブル語で、「金持ちがささげても義務を果たしたことにはならない、貧者のささげ物」と呼ばれていたという。[本文に戻る]

注記. ルカ2:25-35

25節----[エルサレムにシメオンという人が] 一部の識者の主張するところ、このシメオンという人物は、エルサレムにおいて非常な高名をはせており、ヒレルの子、ガマリエルの父であったという。ヘンリーは云う。「ユダヤ人たちによれば、彼には預言の霊が授けられており、メシヤの地上的王国に関するユダヤ人の共通意見に反する証言をしたために、その地位を追われたと云われる」。こうしたすべては、控え目に云っても、疑わしいことである。[本文に戻る]

[イスラエルの慰められること](Consolation of Israel) これはユダヤ人たちがメシヤにあてはめていた名前であった。ライトフットは云う。「全民族がイスラエルの慰めを待ち望んでいた。それは彼らが、その慰めを見たいという願望によって誓いを交わすことが日常茶飯的になっていたほどであった。」[本文に戻る]

[聖霊が彼の上に……] ここで見逃してならないことは、これがキリストの死および昇天の前、また聖霊がペンテコステの日に注ぎ出される前であったということである。私たちは決して、旧約時代の聖徒たちが聖霊によって教えられていたことを忘れてはならない。彼らは、福音が打ち立てられた後の信仰者たちと同じくらい十分には教えられていなかったにせよ、同じくらい真実に教えられてはいたのである。[本文に戻る]

29節----[去らせてくださいます] ここには、人を鎖から自由にする、あるいは囚人を捕らわれの状態から解放するという意味がある。[本文に戻る]

30節----[御救い] こう翻訳された言葉は、ここ以外では他に三箇所でしか用いられていない。----ルカ3:6; 使28:28; エペ6:17である。これは、普通こう翻訳されている言葉よりも、より抽象的で、精力的な言葉である。[本文に戻る]

31節----[万民] この表現(all people)は、10節の表現[「この民全体」(all people)]とは異なっている。この箇所をより字義通りに、また正確に訳すと、「すべての民族」(all peoples)、となるであろう。[本文に戻る]

32節----[異邦人を照らす……光、……イスラエルの光栄] フォードは、この節に対するリチャード・クラーク博士の言葉を引用している。「博識の学者らの注解によると、この賛歌の甘美な歌い手が異邦人をユダヤ人の前に置いているのは、第二の召し----ユダヤ人のキリストに対する回心----が、異邦人の完成のなる時まで起こらないためである」。[本文に戻る]

33節----[幼子について](of him) この箇所の「について」(of)は、「について」、あるいは、「に関して」、という意味であることに注意しておきたい。[本文に戻る]

34節----[シメオンは両親を祝福し] この表現からある人々は、シメオンが、大祭司ではないまでも少なくとも祭司長であったに違いないと推測してきた。このような推測を正当化する根拠は全くない。シメオンが両親を祝福しているのは、聖霊によって特別に預言の霊感を受けた者として、祭司であろうがなかろうが、預言者ならだれでも行なったであろうことをしていたにすぎない。[本文に戻る]

35節----[剣があなたの心さえも、云々] これらの言葉の最も単純な説明は、シメオンが処女マリヤに臨む悲しみを予言し、それを剣のように心を切り裂き、刺し貫くものであると語った、ということである。このことが特に成就したのは、彼女が十字架の傍らに立ち、息子がそこで死につつあるのを目にしていたときである。私たちの主は、彼女にこの預言のことを思い起こさせようとして、かの厳粛なおりにご自分の弟子ヨハネに、「そこに、あなたの母がいます」、と云って彼女を託し、彼女が助けを必要とするとき、そばに友がいるようになさったのではなかろうか。[本文に戻る]

注記. ルカ2:36-40

36節----[女預言者] これは尋常ならざる表現であって、この箇所以外には新約聖書で一箇所しか用いられていない(黙2:20)。この言葉をその最も完全な意味にとるとすると、マラキの時代から四百年近くも差し止められていた預言の霊が、キリストがお生まれになった時代、イスラエルに回復されつつあったことを示しているように思われる。しかし、「預言者」という言葉は、新約聖書においては、必ずしも未来に起こることを予言する力を意味してはおらず、「女預言者」という言葉についても同様であろう。[本文に戻る]

[アセル族] アセルが捕囚に引かれていって二度と帰還しなかった十部族の1つであったことを思い起こすと、これも尋常でないことである。考えられる唯一の結論は、散り散りになった彼らが、何らかの形でユダおよびベニヤミンと入り混じり、捕囚後、彼らとともにバビロンから帰還したのだろう、ということである。[本文に戻る]

38節----[すべての人々に、この幼子のことを語った] ここで注目すべきことは、私たちの主のこの神殿における奉献が、マラキ3:1、「主が、突然、その神殿に来る」、の主たる成就であったらしいことである。実際それは、物々しいところの全くない、突然の到来であった。見たところ、その証人となったのは一老人と一老女でしかなく、----その付き添いとなったのは、貧乏な一女性と、その同じくらい貧乏な夫でしかなく、----主が現われなさったのは、腕に抱きかかえられた赤子という形であった! これは、私たちには到底思いもよらぬことだったろう! いかに多くの預言が今この時にも私たちの周囲で成就しつつあるかもしれぬことか! 神の道は、まことに私たちの道とは異なっている。[本文に戻る]

39節----[ガリラヤの……ナザレに帰った] ここでは、私たちの主のご生涯における2つの重要な事件を、聖ルカは飛ばして叙述している。それは必ずしも彼がそれらについて知らなかったためではなく、ただ単にそれらについて書くよう霊感されなかったからである。その事件とは、東方の博士たちの来訪と、エジプトへの逃亡である。ヨセフとマリヤは、神殿における奉献の後でベツレヘムに帰ったと思われる。もしかすると、しばらくの間はナザレに戻っていたこともきわめてありうることである。彼らはおそらく、義務感からベツレヘムに帰ったのであろう。メシヤは、彼が生まれると預言された土地に住むべきであると感じたのであろう。そのベツレヘムにおいて、彼らは東方の博士たちの訪問を受けた。そこから彼らは、その贈り物によって旅費をまかないつつ、ヘロデの怒りを避けてエジプトに逃亡した。エジプトから彼らは、ヘロデの死後、ナザレに帰ったのである。
 このいささか困難な問題については、疑いもなく他の見解も提起されている。だが、上に記した見解こそ、はるかに理にかなったもの、最も困難の少ない見解である。
 もしマリヤとヨセフがベツレヘムにとどまっている間に博士たちが訪れ、その訪問の後で彼らがエルサレムに上ったとしたなら、彼らはむさむざ危地に飛び込むこととなったであろう。そこにはヘロデがいたからである。
 もし神殿における奉献が、博士たちの訪れを受け、その贈り物を受け取った後で行なわれたとしたら、マリヤのささげ物が家ばと二羽でしかなかったというようなことは考えにくいであろう。[本文に戻る]

注記. ルカ2:41-52

42節----[十二歳] どうやらこの年齢は、ユダヤ人の間では、子ども時代を脱する一種の区切りとみなされていたらしい。ライトフットはラビ文献の著者のひとりによる次のような言葉を引用している。「人は息子が12歳になるまでは、優しく接するがいい。しかしそのときが過ぎたら、父親とともに生業につかせることだ。----すなわち、その子の生きる糧になるような道と規則と行為とに熱心に近づけさせることである」。[本文に戻る]

44節----[一行] このように翻訳された言葉は、この箇所でしか用いられていない。これは特に、旅しつつある人々の集団を意味する。[本文に戻る]

[と思って、一日の道のりを行った] この点について説明するベーダの文章が、コーデリアスによって引用されている。彼によれば、ユダヤ教の祭礼への行き帰りは、男は男だけで歩き、女は女だけで歩くのが習慣だったという。このようにしてヨセフは、ついイエスはマリヤと一緒にいるのだろうと「思い」、マリヤは、イエスがヨセフと一緒にいるのだろうと「思って」いたわけである。[本文に戻る]

46節----[三日の後に] ホール主教はこう述べている。「おゝ、ほむべきイエスよ。汝はこの三日の間いずこにあられたか。かくエルサレムで独りであられたとき、いずこに泊まり、何者の世話を受けられたか。----汝の、かくも年少のうちより寄留者たる困難でわが身を煩わせたるか、はたまた奇蹟的に身を養われたるか、汝の啓示なければ、我も多くを問わじ。ただ一事のみ我は知る。すなわち、かくして汝、汝が両親に教えんとしたまえり。生きるため汝は彼らを必要とされず、日ごとに彼らの世話に頼りしは、いかなる意味にても汝に欠けあるがためにあらず、ただ恵み深きご経綸によるものなり、と」。[本文に戻る]

[教師たちの真中にすわって、云々] いわゆる、「博士たちと論じ合うキリスト」という表現を正当化するような根拠は、この箇所には全くない。そのような表現は、不適切で不正確な考え方の現われであり、キリスト者たちの間で用いられないようにすべきものである。私たちの前にある記事には、いかなる「論争」の形跡も全く見あたらない。[本文に戻る]

48節----[あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです] 私たちの主に対する処女マリヤのこの言葉には、内なる弱さが見てとれる。彼女がここで明らかにしているのは、他のいくつかの箇所と同様、彼女が他の聖女たちと変わることなく、自分自身、救い主を必要としており、当然、他人を救うことなどできない存在だということである。[本文に戻る]

49節----[自分の父の仕事についている] このように翻訳された言葉は、「自分の父の家に」、と訳すこともでき、多くの注解者たちは、そのような意味にとる立場を強く主張している。しかし、全体として見ると、私たちの英訳聖書の翻訳こそ最良の、また最も包括的な訳であると思われる。提案されている翻訳は、「自分の父の家」という1つのことにだけあてはめて限定することによって、この言葉の意味を小さく狭めてしまう。「自分の父の仕事」という翻訳は、はるかに幅広い意味を持つものであり、私たちの主のことばに普通伴うあの深さと豊かさとに、より合致したものである。[本文に戻る]

51節----[仕えられた] この言葉には、ナザレに住んでおられた間の継続的な習慣という意味合いがあり、ただ一度限りの孤立した行為ということではない。[本文に戻る]

52節----[ますます知恵が進み、背たけも大きくなり] プールの注解には、この件に関して一読に値する文章がある。「いかにして御父の永遠の知恵であり、唯一の神であられるお方が知恵に進むことができたのか、と問う者があるなら、彼らは知らなくてはならない。聖書でキリストについて語られたあらゆる事がらは、そのご人格全体について語られているのではなく、そのご人格において結合されている一方の、あるいはもう一方のご性質について語られているのだ、と。キリストが知恵に進まれたのは、彼が年を重ねたり背たけが大きくなったりしたのと同じく、彼の人間としての性質に関わることであって、神としての性質に関わることではない。そして神は、日々彼に対する御恵みといつくしみを増し加えつつ、彼が近隣やガリラヤの人々の好意を得るようにしてくださったのである」。[本文に戻る]