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第3章 初期における祝福の事例

 当初から、この印刷された説教を読むことで人々が祝福を受けた事例はいくつも報告されていたし、初期の実例のいくつかは、ここで述べるのがふさわしいであろう。それは、C・H・スポルジョン自身の言葉で語られるに越したことはない。――「こうした説教が刊行され始めるや否や」、と彼は云う。「主はそれらの上にご自分の証印を押してくださり、罪人たちの回心、信仰後退者たちの回復、信仰者たちの建徳のために用いてくださった。そして、主をほめたたえるべきことに、それがずっとそうあり続けてきたと書けることを私は嬉しく思う。多年にわたり、ほとんど一日とおかずに――そして決して一週間とおかずに――、ありとあらゆる場所から、地上の最果てからさえも、私のもとに手紙が届いては、この説教のいずれかを通して魂が救われたと告げてくれるのだった。長く続けているうちに、いくつかの講話は――誇張なしに云えるが――聖霊によって、何百もの尊い魂にとって祝福とされた。そして、それらが語られた遠い先になってからも、それらが用いられたという清新な事例がいくつも明るみに出てくるのだった。このことゆえに、神にすべての栄光があらんことを!」

 「こうしたごく初期の説教の何編かは、事実それを読むことによって、何人かの人々に尋常ならざる祝福をもたらしてきた。私がそれらに言及するのは、単にそれらが、おのずと興味深いものであるからばかりでなく、それらが、その後に続く歳月の間を通して聖霊によってなされてきた、多くの類似したあわれみの奇蹟を典型的に示しているからである。1856年6月8日、私はエクセター公会堂でヘブル書7:25から説教を行なった。『したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです』。この説教は、『完全なる救い』と題されて出版されたが、三十年以上も後になってから、私は喜ばしい知らせを受け取った。すなわち、南米でひとりの殺人犯がそれを読んで《救い主》に導かれたというのである。タバナクルからさほど遠くないところに住んでいるひとりの友人が、あるときブラジルのパラ州に行った。そこで彼は、英国人がひとり投獄されているという噂を聞いた。泥酔中に殺人を犯し、終身刑になったのだという。私たちの友人は、その男と面会に行き、相手が非常に深く悔悟していること、だが、穏やかで落ち着いており、主にあって幸いにしていることを知った。彼は、その男の魂の中に、流血の咎のすさまじい傷跡があるのを感じとったが、それは癒されていた。そして、罪赦された、この上もない幸福を楽しみ喜んでいた」

 「以下に示すのは、このあわれな男が自分自身の言葉で物語る、その回心の物語である。――『ひとりの青年が、瓦斯工場の請け負い契約を完了した後、英国に帰ろうとしていました。しかし、そうする前に、彼は私の面会に来て、本を一包み持ってきてくれました。開いてみると小説ばかりでしたが、私は文字が読めましたので、何であれありがたく思われました。何冊か読んだ後で見つけたのが、スポルジョン氏の説教集の1つ(第84号、「完全なる救い」、第2巻)でした。その中で氏は、パーマーに言及していました。彼は当時、死刑の宣告を受けて、スタッフォード監獄に収監されていたのです。そして、その聖句の真理を聴衆の心に突き入れるために、氏はこう云っていました。たといパーマーが他に多くの殺人を犯していたとしても、悔い改めて、キリストにある、神の赦しを給う愛を求めるとしたら、彼でさえ赦されるのだ、と! そのとき私は、もしパーマーが赦されるのなら、私だって赦されることができるだろうと感じました。私は《救い主》を求めました。そして、神はほむべきかな。彼を見つけました。そして、今の私は罪を赦されています。自由です。恵みによって救われた罪人です。人殺しではあっても、『完全』な極みまで罪を犯したのではないのです』。主の聖なる《御名》はほむべきかな!」

 「この嬉しい知らせを聞いて私は非常に喜ばされた」、とC・H・スポルジョンは云い足している。「あわれな殺人犯が、このように回心させられていたのである。そして感謝なことに、殺人というすさまじい犯罪を犯していたこの男のみならず、他にも多くの人々が、印刷された幾多の説教の上に御霊の祝福が臨んだことにより、悔い改めと、私たちの主イエス・キリストに対する信仰に導かれてきたことを私は知っている。別の男は酩酊と不身持ちな生活を送っており、鞘付き猟刀と回転拳銃で人の血を流したことさえあったが、それでもやはり《救い主》を見いだし、新しい人となった。そして、死にかけていたとき、そばにいた人にこう命じたというのである。私の講話の1つこそ、自分をキリストに導いてくれたものであることを、私に告げてくれるようにと。『あっしは決して地上ではスポルジョン氏に会うことはないでしょう』、と彼は云った。『ですが、《天国》に着いたときには、彼のことを主イエス・キリストに申し上げますよ』。はるか彼方の辺境の森林地で読み上げられた一編の説教が、主権の恵みを通して、この大罪人の救いの手段となったのである」。

 これも初期の事例の1つである。「1856年11月のとある土曜日の朝、私が、翌日サリー公園音楽堂に集まる大会衆のための話を一心不乱に準備していたとき、ノリッジにいたひとりの男性から一通の長い手紙を受け取った。それまで彼は、その町の不信心者たちが結成した協会の頭株のひとりであった。当時、私が耐え忍んでいた反対と中傷の最中にあって、彼が書いて寄こしたようなことを読むのはこの上もなく心励まされることであった」。

 「私は[と、彼は書いている]、『このスポルジョンとは何者か?』、という題の小冊子と、あなたの肖像画(あるいは、あなたの肖像画とされている絵)を三ペンスで買いました。そして、それを自宅に持ち帰っては、店先の陳列窓に並べました。そうしたい気分になったのは、小馬鹿にするような喜びのためでした。その小冊子の題名は、冷やかしを意図したものと思われましたし、私がそれをあなたの肖像画にくっつけておいたのは、とりわけそうした印象を深めるためでした。しかし、私には別の目当てもありました。それを呼び物にすれば、商売繁盛になると思ったのです。私は書籍販売や文筆業とは全く関係がありませんから、それを陳列した私の動機は、ことのほか、あからさまなものでした。私は今ではそれを取り下ろしています。私も引き下ろされています。……その二、三日前に私は、ある不信心者について語られた、あなたの説教の1つを買っていました。その説教の中にはこのような言葉が書かれていました。――『彼らは進んで行く。その足どりは安全である。――彼らは一歩踏み出す。次の一歩も明らかに安全である。――さらに一歩を踏み出す。だが、その足は暗黒の深淵にかかっている』。私は読み進めましたが、暗黒という言葉に恐怖を覚えさせられました。私の人生は完全な暗黒でした。『本当だ。道は今までは安全だった。だが今の私は途方にくれている。これまでしてきたように進み続けることはできない。否、否、否。もう危険を冒すことはできない』。私は、自分が思いにふけっていた部屋から出て行きましたが、そうするとき、『だれにそれがわかろう?』、という言葉が心に囁かれたかのように思われました。私は、次の日曜日が来たら、絶対どこかの礼拝所を訪ねようと決意しました。いつ私の魂を引き渡すよう要求されるかわかりませんでしたが、その魂に全く機会を与えないのは、卑しく、下劣で、臆病なことに感じられたからです。『そうとも!』、と私は思いました。『仲間たちは私のことを笑い、あざけり、馬鹿にし、臆病者よ裏切り者よと呼ぶかもしれないが、私は自分の魂に対して正しい行ないをしよう』」。「私は会堂に出かけました。畏怖のあまり麻痺せんばかりでした。そこで私に何が求められたでしょうか? 門番は目を丸くして、思わず知らずこう問いかけました。『これは、何某さんが、ここへ?』 『そうです』、と私は答えました。『いかにも私です』。彼は私をとある座席に案内し、その後で賛美歌を一冊持ってきてくれました。私は苦悩のために胸も張り裂けそうでした。『さあ』、と私は思いました。『私はここにいる。もしこれが神の家なら、天よ、私の拝謁を許し給え。私は完全に降参するでしょう。おゝ、神よ。私に何か、しるしを示して、あなたがおられること、あなたの御顔と赦しのあわれみをあえて求めようとする、この卑しき逃亡者を、決してあなたが門前払いしないことを教え給え』。私は、自分を引き裂きつつある感情から気をそらそうとして賛美歌を開きました。そして、そこに見えた言葉に目が釘づけになりました。――

      『暗し、暗し、墓場は暗し、
      もし われ光を 汝れより受けずば』」。

 「自分が真の回心者であると思われる証拠をいくつかあげた後で、彼は結びにこう書いている。『おゝ、先生。このことを、あわれな者たちに告げてください。私と同じような高慢のため、地獄と結託している、みじめな者たちに告げてください。ためらう者たち、小心な者たち、思いの冷めたキリスト者たちに告げてください。神は、窮するすべての者らにとって、そこにある助けであられる、と。……このあわれな罪人のことをお考えください。この世でお目にかかることは決してないかもしれませんが、生ける限りはあなたに感謝し、あなたのために祈るであろう者、また、罪深い疑いからも、人間的な高慢からも、信仰後退する心からも免れた世で、あなたとお会いすることを切望するこの罪人のことを』」。

 「その手紙の後で」、とC・H・スポルジョンはしめくくっている。「私は幾度となくこの善良な兄弟から便りを受け取った。そして私が知って喜ばされたことに、次のキリスト降誕日に彼はは、ノリッジの市場に行き、自分のあらゆる過りを撤回し、キリストに対する自分の信仰を告白したのである。それから彼は、自分の著した、あるいは、自分の所蔵していたあらゆる不信心な書物を取り上げると、公衆の面前でそれを焼き払ったのである。私はこの人のような恵みの驚異について、心底から神をほめたたえた。そして、後には彼自身の唇から、主が彼の魂に何をしてくださったかを知るという喜びを受け、ともに主を、その驚嘆すべきあわれみゆえに賛美し、ほめたたえた」。

 このような事例は、いくらでも増やすことはできようが、上に述べた数例だけでも、この出版された説教集が、説教された言葉と同じくらい、霊的な疑いや困難をかかえた人々の必要に効果的に答えていたことを示しているであろう。さらにまた、C・H・スポルジョンの力が単なる雄弁術に存していたのではなく、むしろ、彼の講話の中身こそ、彼を成功と人気に至らせたものであったことを証明しているであろう。


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