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第4章 尋常ならざる成長 この説教集の発行部数はうなぎ上りに増加していった。そして、この冒険的事業の成功に誰にもまして驚かされたのはC・H・スポルジョンその人であった。
「こうしたすべての年月の後で」、と彼は1886年に書いている。「こう云えるのは喜ばしいことである。『こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです』[使26:22]。多年にわたり、いかに多くの『一銭講壇』が立てられては取り壊されてきたかは推し測りがたいものがある。確かに、際立ってすぐれた人々の説教を毎週発行しようという試みは非常に多くなされてきたが、それはみな、多かれ少なかれ、日ならずして打ち切られた。説教者の不健康や死によってそうなった場合もあったが、そうでない場合、その理由は――私の知る限り――売れ行き不振であった。そうした講話は高級すぎたのかもしれない。大衆は明らかに大した興味をそそられなかった」。「説教を読むことが、世間でいかに退屈なことと思われているかを知っている人なら、三十年以上にもわたって、熱心な支持者の輪に恵まれてきた男を幸福であるとみなすであろう。この人々は、単に彼の講話を買うだけでなく、実際に読んでくれるのである。私は、他のいかなる人にもまして、この事実に驚いている。そして、その理由として考えられるのは、ただ1つ、――これらの説教には、平易な言葉遣いで宣べ伝えられた《福音》が含まれており、これこそまさに他の何にもまして大衆が必要としているものだということである。常に清新で、常に新しい《福音》こそ、私の莫大な会衆を長年にわたり維持してきたものであり、この同じ力によってこそ、おびただしい数の読者は私から離れずにいるのである」。
他の言語への翻訳の働きもすぐに始まった。まず最初にこの説教集のウェールズ語版が準備され、月に一度その言語で発行された。それからオランダ語訳が作られ、下は農民から上は君主に至るまで、オランダのあらゆる階級の間で非常に広く普及した。オランダ女王は、この説教集を何冊か贈呈され、それを読み、この説教者に関心をいだいた。そして、彼が欧州大陸を旅行しているとき、宮廷を訪問するように依頼したため、彼はそうした。ドイツでは、二十社を下らない出版社が翻訳を出版し、その一部の訳本には、バーデンや、カールスルーエや、ハンブルグ等々から始まった日付が記されている。スウェーデン語の説教集は、上流階級の間で広く普及し、その翻訳者からチャールズ・ハッドン・スポルジョンが知らされたところ、貴族たち、そして王族の中にさえ、その熟読を通して回心に至った場合が何例かあったという。この説教集が翻訳された他の言語としては、以下のものがある[1905年現在]。アラビア語、アルメニア語、ベンガル語、ブルガリア語、カスティリャ語(アルゼンチン共和国向け)、支那語、コンゴ語、チェコ語、エストニア語、フランス語、ゲール語、ヒンディー語、ハンガリー語、イタリア語、日本語、カフィル語、カレン語、レット語、マオリ語、ノルウェー語、ポーランド語、ロシア語、セルビア語、スペイン語、シリア語、タミル語、テルグ語、ウルドゥー語。一部の説教は、やはり早いうちから、盲人にも読めるようにムーンおよびブライユ点字法で組まれた。
一部の富裕な人々がこの説教集に寄せた熱意は、尋常ならざるものであった。ひとりの人など、二十五万部は下らない冊数を購入し、それをただで配布したのである。彼は、四十二編の説教を入念に装丁した合本を作らせ、欧州全域の国王ひとりひとりに献呈した。それより廉価な装丁の十二編綴りの合本も作成され、各大学の全学生に送られた。少なくともそのひとりは、それから何年も経ってから[スポルジョンの自宅]ウェストウッドに手紙を寄こし、いかに自分がそうした合本の一冊を熟読することによって祝福されたか伝えることになった。同様の説教集は、上下両院の議員全員にも送られ、この気前の良い寄贈者は、アイルランドの主要な家屋所有者たちの間でこの合本を配布することさえ始めた。「願わくは、この人が勤勉に種を蒔いた良い結果が、後の時代に見られるように」、とC・H・スポルジョンは書いている。「この兄弟が徹底的に自分を否定して、ごく限られた収入の中から費用を捻出し、個人的に労して配布したことは、いかなる称賛をも越えるものだった。だが、いかなる賛辞も受けつけられることはなく、この人は人々の注目をひどく恐れた。この働きは、彼の右手が何をしているかを、左手が知らぬうちに行なわれたのである」。
別の紳士は、町で商人をしており、フレンド派に属していたが、ありとあらゆる種類の雑誌でこの説教集を宣伝し、自分の事務所でそれらを提供すると申し出た。この手段によって、通常の販路では手を差し伸ばされなかっただろうような人々に、多数の説教集が売られることとなった。
ひとりの富裕なロシア人は、こうした説教集の何編かを読んだ後で、その価値に深い感銘を受けた。このため、ロシア語訳を出版する許可を検閲官から取りつけては、たちまち百万部が作成された。それらは、正教会の上級聖職者たちの承認と認可を受け、表紙に公印を押された。すなわち、正教会の忠実な教会員たちが自由に読み、自由に配布してかまわないものと認証された。そして、帝政ロシア皇帝の全領土で配布され、広く流布されることとなった。このようにして、一個の「異端者」の講話が、キリスト教界の中でも最も専制的な《教会》の聖職者たちによって祝福され、是認され、推奨されることとなったのである。英語版の第八巻が刊行され始めた頃には、C・H・スポルジョンの《教会》は、ニューパーク街会堂からメトロポリタン・タバナクルへと移転しており、その結果、その説教集の題名も、『メトロポリタン・タバナクル講壇』と変わることとなった。それと同時に、売れ行きも大幅に増加しつつあった。1863年3月、週刊説教の五百編目の発売を記念して、パスモアとアラバスターの両氏は、一団の友人たちのためにタバナクルで夕食会を催した。そこでは様々な挨拶がなされ、そこで明らかにされたところ、この説教集はすでに世界中で八百万部が配布されたという。C・H・スポルジョンは明言した。自分は加奈陀、豪州、合衆国における再販を、英国での刊行に次いで重要なものとみなしている、と。その晩、総額五百ポンドが《牧師学校》のために寄付された。それは、この説教者が手塩にかけて維持していた機関であり、この説教集の売上から生じた利益の大部分は、この働きのためにつぎ込まれていたのである。
チャールズ・ハッドン・スポルジョンは、今や印刷された説教を校正する時間が取れるようになっていた。そこで彼はこう書いている。――「校正の仕事は、私にとって非常に有益な修練となっている。説教を完全に書き上げてからそれを語る人々が身につけるような、正確な言葉を用いるための大きな訓練である。その苦労は、一部の人々が考えるよりも、はるかに大変なものであった。普通は月曜日の一番良い時間が丸々つぶれ、少なからぬ量の油を真夜中まで燃やさなくてはならない。だが、自分には最良の努力をささげるに値する支持者たちがいると感じている私は、決してこうした時間を惜しんだことはない。とはいえ、しばしば頭はくたくたに疲れ、楽しみは苦行になってしまう」。また、この説教者は、年次合本の序文を書き上げることにも、それまで以上に、ずっと大きな興趣を感じるようになってきた。このため彼は、第八巻でこう宣言した。自分は、継続的にこの講話を熟読してくれる、おびただしい数の読者の方々と、多少とも親しく話を交わしたいと願っている、と。そして、時を移さず様々な種別の人々に語りかけ始めた。
「病んでいる聖徒たち。あなたがたに対して、みことばの奉仕をすることに、私はいかなる喜びを感じることか! 聖所からも、みことばの響きからも閉め出されているあなたは、他の人々が群れをなして聞いてきたものを読むことに慰めを見いだしている。苦しみの中にあるあなたへの、私の心からの同情を受け入れてほしい。私はそっと祈っている。あなたのうちで苦しんでおられる《お方》が、あなたとともにおられ、……あなたの私室が聖所となり、あなたの寝床が講壇となり、あなたの愛に満ちた、天来の恵みの経験が絶えざる説教となるように、と。私たちは、主の戦いにおいて、あなたがたなしにやって行くことはできない。善のためのあなたの力は驚異的なものである。あなたの有利な立場を忘れず、むしろ、あなたの主の旗を高く掲げ上げるがいい。あなたの枕頭を訪れたいかなる人をも、必ず何らかの愛情こもった勧告で富ませてやるがいい。目が冴えてしまって眠れない夜には、《教会》のため、世界のため、あなたの教役者のため、あなたの友人たちのために訴えるがいい。また、今この文章を書いている、役に立たない兄弟をも省かないでほしい。あなたのとりなしが、いかなる慈雨を引き下ろすことであろう。天国の黄金の鍵束はあなたの腰にある。宝物庫を開いて、私たちすべてを祝福してほしい」。『あなたがたにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているのです』*[IIコリ1:5]。
「教役者職にある私の兄弟たち。私の愛情こもった挨拶と最高の感謝を受けてほしい。あなたは、こうした説教の普及を押し進めるため心から努力してくれている。私はわがイスラエルの指導者たちの間にこれほど多くの読者を有している自分を、実に果報者だと思う。たとい《伝道者たち》の中では子わっぱ同然であっても、私が大麦のパンと小さい魚を差し出せば、それを《主人》はあなたに分け与えてくださるであろう。それであなたがたが何千もの人々を養うことになれば、私たちはみなともに喜ぶであろう。……」。
「田舎家や村の説教部屋でこの説教集を公に朗読する兄弟たち。希望に満ちた励ましを一言云わせてほしい。私の講話を公に朗読するという、あなたがたの善良な働きを通して、今年何人かの人々が罪を確信させられ、慰めを与えられたという知らせが私のもとに寄せられている。ぜひとも、たゆまず励み続けてほしい。いかなる人も、魂をかちとることに絶望する必要はない。この頃では、才質が欠けていても、それは決して人が豊かに用いられない理由にはならない。たとい自分では説教を語れなくとも、それを何人かの小百姓たちに読み聞かせることが聖霊なる神から祝福されるという場合、誰がそうすることを拒めるだろうか? 行ない続けるがいい。愛する兄弟たち。そして、願わくは主がその恵みの喜ばしい知らせを公にすることにおいて、さらに私たちを祝福し続けてくださるように。私たちが仕えているのは恵み深い《主人》であり、私たちの小さなものを大きなものと考えてくださる。おゝ、私たちがいやまして主を尊ぶようになればどんなに良いことか。
「私のすべての兄弟たち。私の『イエスのための言葉』を広める際の、あなたがたの力添えと愛とに感謝したい。なぜなら、私たちはこの方にあって1つだからである。どうか、あなたがたの祈りにおいて、私とともに格闘してほしい。この良き知らせが、多くの備えられた心によって受け入れられるように、と。もし私の読者たち全員がこの説教者のために、また、この説教集が全国を旅する間に祝福があるように祈ってくれるとしたら、いかに大きな結果が生じるであろう。聖霊は、使徒たちの時代と同じくらい今もこの言葉に成功を収めさせることがおできになる。一人、二人と同じくらい容易に、何百、何千もの人々を引き寄せることがおできになる。御霊が私たちの伝道活動に力で証印を押してくださるとしたら、私たちの才質などほとんど何の意味もないであろう。……人は貧しく教育がないかもしれない。その言葉が訥々とした、文法に合わないものかもしれない。ホールの洗練された美文も、チャーマズの栄光に富む熱弁も、そこにはないかもしれない。だが、もし御霊の力が伴うとしたら、いかにつまらない伝道者といえども、最高の学識を有する神学者や最高に雄弁な説教者たちにもまさる成功を収めるであろう。私たちが必要としているのは、並外れた知的な力ではなく並外れた霊的な力である。知的な力によっても会堂は人で埋まるかもしれないが、霊的な力によってこそ《教会》が埋まるのである。知的な力によっても会衆は集まるかもしれないが、霊的な力によってこそ魂は救われるのである。私たちになくてはならないのは霊的な力である」。
翌年の序言の中で、C・H・スポルジョンは、このように刊行された説教1つ1つの準備に伴う労苦をほのめかしている。「私たちは、この一年間の伝道活動が幕を閉じるとき、甘やかな安堵の息をつくのを感じる。私たちの序言という一里塚に腰を下ろし、わが家が近づいたことを思い出す。すでに踏み越えてきた一歩一歩を感謝とともに振り返ると、行く手の道においても励まされるのを覚える。本巻は、罪とサタンに対する軍事作戦をもう一年分記録したものである。さらなる一連の相克と、競争と、打撃と、格闘と、敗北と、勝利との記念碑である。物事の終わりは、始まりよりも良い。私たちは震える希望とともに始め、自らの短所に対する深い悔い改め、また、自分が収めてきた数々の成功に対する心からの感謝をもって幕を閉じる。同じようなことを耐え忍んでいる人のほか、ほとんどいかなる者もあずかり知らないのが、一個の説教者が覚える数々の苦悶と喜びである。他人は差し出口を挟めない。織り手が、糸の一本一本に自分の額の汗が染み込んでいるのを目にし、その織物の中に自分の神経と腱が織り込まれているのを見てとるように、神に仕える教役者も、自分の説教の見直しをするとき全く同じことを感じる。農夫は、まず第一に収穫の分け前にあずかるものであり[IIテモ2:6]、その最初の祝宴において、自分自身の労苦と懸念と希望とが天の露によって甘やかにされ、神の優渥な日差しによって香気を添えられているのを味わってきた。他のいかなる人よりも大きな歓喜とともに、その実を食べることができるのは彼である。ならば、どうか許してほしい。この一連の講話を私に与えてくださった絶えざるあわれみゆえに、私が神への賛美に全霊を注ぎ出すことを」。彼は、この一年の間、喜びとともに数々の回心の知らせを聞いてきたと述べている。その巻に収められた講話のほとんどから、聖霊によって回心がもたらされてきたのである。そして、こうしめくくっている。――「信仰者の方々。私たちはあなたに願う。どうか、私たちの努力の上に祝福があるように絶えず祈りをささげてほしい。読んで益を得たすべての人々は、熱心に祈るがいい。そのとき、そのほむべき結果がいかなるものとなるか誰に分かろう? おゝ、いと高き所からの油注ぎがあればどんなに良いことか! それこそ必要なただ1つのことである。祈ろうではないか。絶えずともにおられる御霊が私たちの間でいやまして力強くお働きになるように。おゝ、主よ。いま私たちを栄えさせ給え。アーメン」。
こうした興味深い序文の数々は、ほとんどそれだけで独立した一巻としてまとめられて良い価値があるが、そこからもう一箇所抜粋しよう。1866年にC・H・スポルジョンはこう書いている。――「私たちの説教を年ごとにまとめた十二巻の本が今や公衆の前にある。そして、それを振り返って見るとき、パロの献酌官のように、私たちは自分の過ちを申し上げなくてはならない。ジューエル主教は云う。『過ち』は指の隙間からすり抜けるものだから、常にそれを厳しく見つめるがいい!、と。だが私たちの過ちは手の上に山盛りである。というのも、私たちは一度も丹念な校正を行なう機会が得られなかったからである。むしろ、私たちの生のままの性急な言葉は、下手な料理のようにすぐさま食卓に出されてきた。そして、私たちの思念という穀物は、ほとんどあおぎ分けもされず、ほとんど脱穀もされないまま袋詰めにされてきた。……あのアウグスティヌスが熟年に達したとき、自分の若書きの数々の誤りを訂正する必要があった(また、それに相当な注意を費やした)以上、いかに大きく自由が私たちには許されなくてはならないことか。私たちの場合、彼のような才能の持ち合わせがないだけでなく、彼のような余暇もなく、入念に認められた論考についてではなく、時のはずみで語られ、そそくさと修正されただけで印刷された言葉に責任を負わなくてはならないのである。良く刈り込まれた葡萄の木の実にも時として酸いものがあるとしたら、野生の葡萄の木の房が常に甘いことがあるだろうか? もし乳と蜜を産する土地に必ずしもおどろが生えないわけでないとしたら、荒野に接した園については何と云えば良いだろうか? 若さは私からまだ抜けきっていないが、この十二巻のうち最初のものが生まれたとき、私はようやく二十一歳に達したばかりだったのである。批評者たちが賢い人々である場合、これ以上の弁明の必要があるだろうか? また、もし批評者たちが賢くないとしたら、どんな弁明をしようと何の役に立つだろうか?」
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