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第5章 一説教の全史

 ここで、1つの説教の完全な歴史を辿るのも、それなりに興味深いことであろう。ある説教が、最初にこの説教者の心に思い浮かんだ時から、その最終校正刷が彼の手を離れて印刷業者に渡される時までの間に、何が起こるのだろうか。

 その働きは、土曜日の晩の六時から始まった。その時間になると決まってC・H・スポルジョンは、自分の書斎にいるどの来訪者や訪問客をも出て行かせ、翌朝の自分の説教のための祈りをささげ、その準備を開始するのだった。スポルジョン夫人はこう告げている。「いかなる人間の耳も、そうした厳粛な晩に彼の書斎から立ち上った、彼と彼の信徒たちとのための力強い嘆願を聞いたことはありません。いかなる定命の人の目も、契約の《御使い》と格闘している際の彼の姿を見たことはありません。彼は、勝つまでその格闘を続けては、《主人》の御名によって伝えるべき使信を携えて、そのヤボク川から帰って来なくてならなかったのです。彼の最も壮大な、また、最も実り豊かな説教は、最も大きな魂の苦しみと霊の苦悶を彼に強いるものでした。苦しかったのは、説教を準備し、まとめることではなく、自分がおびただしい数の魂について神に責任を負っているという圧倒的な感覚でした。彼はそうした魂たちに向かって、イエス・キリストを信ずる信仰による救いの福音を宣べ伝えなくてはならなかったからです」。

 時として、1つの聖句が週日の間からこの説教者の心に置かれていることもあった。だが、時には土曜日も深更になってから――それも多くの祈りを積んだ後で初めて――上からの使信を得ることもあった。単に他の人々から示唆されただけの聖句は、決して受け入れられなかった。それと同時に、そこから説教することが主の明確なみこころであるとC・H・スポルジョンが感じなくてはならなかった。彼は、そのようなしかたでその聖書箇所が自分のもとに送られたのだと感じなくてはならなかった。彼の妻は、多くの場合、そうした聖句を彼に伝える手段となり、準備においても大いに彼を助けた。ある折に、彼は若干名の教役者たち(彼の《牧師学校》で学んだ以前の学生たち)に対して胸襟を開き、自分のやり方の何がしかを告げたことがあった。

 「兄弟たち」、と彼は云った。「私が説教をどのように作っているか正確に伝えるのは簡単なことではない。一週間の間中、私は安息日に用いることのできる材料を物色している。だが、それを取りまとめる実際の働きは、どうしても土曜日の晩に持ち越さざるをえない。というのも、他のあらゆる瞬間が、主への奉仕によって完全にふさがっているからである。以前もしばしば云ってきたように、私にとって最も困難なのは、次の日の講話の主題となるべき特定の聖句に専念することである。あるいは、もっと正確に云うと、いかなる話題を会衆の前に持ち出すことを聖霊が望んでおられるかを知ることである。いずれかの聖書箇所が本当に私の心と魂を捕えるや否や、私は全精神をその箇所に集中させ、原語の正確な意味を調べ、前後の文脈をじっくり吟味する。それから、その主題について心に浮かぶあらゆる思想を大雑把に走り書きする。それを聴衆に向かって提示するために、きちんと配列することは後回しである。

 「この点に達すると、私はしばしば1つの障害によって中断させられる。ただそれは、自分の説教が定期的に印刷されている者たちに限った問題ではあるが。私は自分の聖書を持ち出す。そこには、刊行された私の講話の完全な記録が書き込まれている。そして、該当の聖句について以前に行なった講話を調べてみると、場合によっては、その一般的な思想の流れが、いま目星をつけたばかりのものと似通いすぎているため、その主題をご破算にして、別の主題を探さなくてはならないことになる。幸いなことに聖書の聖句は、多くの面を持った金剛石にも似て、いかなる面をかざしても燦然と煌めくために、たといある特定の箇所についていくつ説教を印刷していたとしても、それでも、そのきわめて貴重な宝石にはなおも清新な切り口がありえるし、仕事を進めることができる。次に私は、その主題聖句について他の人々が何と云っているかを見たいと思う。そして、たいていの場合、このような経験をする。その教えが完璧に平明である場合、注解者たちはひとり残らずそれを長々と説明するのに、それと全く同じくらい一斉に彼らは、ペテロならば「理解しにくいところ」[IIペテ3:16]と述べただろうような節を避けるか、うまくはぐらかすことに精を出すのである。彼らがこれほど多くの胡桃を、私が砕けるように残しておいてくれたことはまことにありがたいと思う。だが、もしも彼らが自分自身の神学的な歯を胡桃割り器として用いてくれていたとしたら、私は全く同じくらい恩を感じていたであろう。しかしながら普通は、そのみことばについて注釈してきた数多くの人々のうち少なくとも何人かは、それに側面から光を投げかけるのを助けてくれるものである。そして、自分の準備がその部分に達したとき、私は謹んで愛する妻を呼びよせ、私の手伝いをしてもらう。その主題全体の明確な観念が得られるまで、読み聞かせてもらうのである。そして、次第に私は、最上の形の梗概に導かれる。それを私は半分にした筆記用紙に書き写し、講壇で用いることにする。こうしたことが関係しているのは、朝の説教だけである。夜の説教については、通常、聖句とそこから引き出すべき種々の教訓が決まればそれで満足し、その区分や小区分や例証を最終的にまとめることは、主日の午後に回すことにするからである」。

 ちなみに言及してよいだろうが、パスモアとアラバスターの両氏は、一冊の興味深い小さな本を出版している。『複写版講壇用草稿』という題名のこの本には、C・H・スポルジョンによる十二編の説教と、その説教が語られる元となった、それぞれの筆記用紙半枚の草稿の複写版が含まれている。この本を見れば、この説教者の方法を克明に辿ることができるであろう。タバナクルには、ひとりの速記者が常に待機しており、説教が語られる通りに書き取っていた。この記録係は、C・H・スポルジョンのことを、そのための理想的な話し手であると感じていた。トマス・アレン・リード氏は、長年の間この重要な務めを果たしており、この話し手の印象を次のように記している。「話し手が、個々の音をはっきり発音するとともに、明瞭な力強い声量を有しているとき、その話を耳で聞き取らなくてはならない記録係はエーリュシオン[極楽]にいます。すなわち、その発言があまりにも速すぎず、その文体の様式があまりにも難解すぎなければ、ということですが。しかしながら、それらが両立することはめったにありません。その非常に驚くべき実例がスポルジョン氏です。彼は、メトロポリタン・タバナクルの隅から隅にまで、難なく自分の声を届かせることができました。明瞭に響きわたる音楽的な声に加えて、彼が個々の音をはっきり発音するしかたはほとんど完璧でした。……平均的な演説速度は、約毎分120語です。一部の演説者は、その話の中で大きく変化します。例えば、スポルジョン氏の語ったある説教の覚え書きを持っていますが、それによると氏は、最初の十分間は毎分123語で語っています。次の十分間は、132語。三番目の十分間は、128語。四番目の十分間は、155語。そして残りの九分間は、162語なのです。平均すると、ほぼ毎分140語ということが分かります。別の説教では、毎分125語でした。すなわち、最初の十分間は、119語。二番目の十分間は、118語。三番目の十分間は、139語。そして、残りの十六分間は、126語です。いくつかの説教の平均を取ってみると、氏の速度は、大体毎分140語であると考えて良いでしょう」。

 記録者によって普通の文字に書き改められたその説教がC・H・スポルジョンの自宅に届けられると、彼は月曜日の早朝からその訂正を始めた。まず第一に、その枚数をざっと見て、その講話が通常よりも長かったか短かったかを判断する。それを要求されている長さにするために、切り詰めなくてはならないか、余分の内容を追加しなくてはならないを決めるのである。少なくとも一度は、この説教者は午前四時という早い時間に、その原稿に取り組んでいる姿を召使いたちから発見されたことがある。そして、時として月曜日に田舎で説教する予約が入っている際には(早めに出発する必要があるため)、日曜日の夜、タバナクルでのその日の労苦にくたくたになって帰ってきた後で、いやでも速記者の原稿訂正を始めざるをえないことがあった。その作業を火曜まで放っておくことはできなかったからである。そして、C・H・スポルジョンはふざけ半分でよくこう云うのだった。毎週木曜に説教が刊行されなければ、地球そのものが回転をやめるだろうね、と。

 この説教者は、自分が必要と考えた変更や修正を原稿に加えた後で、それを自分の個人秘書に手渡すのが常であった。種々の引用句や、本文の句読点の正誤等々を確認するためである。そして、ほぼ三分の一が仕上がると、その分を使い走りが印刷所に届けに行き、後で残りを受け取りに戻って来た。この作業は徹底的に行なわれたため、もうこの時分には、午後も遅い時間になっているのが普通であった。そして、お茶の時間の後には、この説教者は、毎週の祈祷会のために急いで家を出て、タバナクルに向かわなくてはならなかった。時には、その祈祷会の後に別の約束があることもあった。

 それから、帰宅するなり彼は最初にこう尋ねるのだった。「説教は届いているかい」。届いていると、彼は、飾り縁伝票に示されているその長さが一行単位まで正しいかどうかを確認した。正しくなかった場合、さらなる削除か追加がなされなくてはならなかった。翌日に何か説教予約を果たすことになっている場合、この校正刷りの見直しは、その晩か翌朝早くに終わらせなくてはならなかった。だが、それが終われば作業は完了した。しかしながら、こうした講話を読んでいる人々のうち、それにいかなる量の労働が伴っていたかに少しでも思い及んだ人は、おそらくほとんどいなかったであろう。その説教を語る前の準備のみならず、その後の見直しや修正における労働を考えればそうである。

 だが、いかに過重な仕事をかかえているときも、この説教者は他の人々への思いやりを欠かさなかった。例えば、パスモア氏に送られた次の覚え書きを見てもそれが分かる。「あの小さな坊やが月曜の深夜遅く、説教を持ってここにやって来たとき、それは必要なことだった。しかし、この子を今晩遅く、ここに来させた責任者のことは、君の方で叱り飛ばしてくれ給え。このあわれな子は、この大雪の中を、本来持ってしかるべき重さをはるかに越えた荷物をかかえてやって来たのだ。可哀想に、この子は十一時までには家に帰れなかったのではないかと思う。私は、残酷な人非人になったような気がした。自分のせいでないとはいえ、ひとりのあわれな子どもを、あんな夜のあんな時間まで外に出させておくことになったのだから。そのようなことをする必要は全くなかった。私に代わって、責任者をこきおろしてくれ給え。そして、こんなことが二度と起こらないようにしてほしい」。

 この説教者と彼の印刷業者たちとの関係は、その長いつき合いの間中、きわめて暖かなものであった。どちらの側においても、決してひっかかりを覚えたり、荒々しい言葉が発されたりすることはなかった。そして、C・H・スポルジョンはしばしば冗談めかしてパスモア氏にこう尋ねるのだった。「私が君のために書いているのかい? それとも、君が私のために印刷しているのかい? それに、私が君を雇っているのかい、それとも、君が私を雇っているのかい?」 次の手紙は、この関係をきわめて明確に指し示している。

 「わが親愛なるパスモア君。きょう君が私に支払ってくれた金額は、これまで私が君の会社から一度に受け取った中では最高の額だったので、これを機会に、君もすでに知っているに違いないことを云わせてほしい。私は、自分の出版事業を君の手に委ねたことを、この上もなく真摯に神に感謝している。私と君との関係は、まじりけのない満足と楽しみの関係だった。君の気前の良さは、自発的なものであり、かつ、広く大きなものだった。たとい私が何の個人的利益も得なかったとしても、君の商売が繁盛するのを見るだけで喜びとなっていたことだろう。というのも、君に対する私の関心は、君が実の兄弟であった場合と同じくらい深いからだし、実際、私たちは、最高の意味で本当の兄弟でもあるのだ。君と、君の共同経営者から、私は親切と礼節と気前の良さのほか何も受けたことがない。私のあずかる利益は常に私の期待を越えてきたし、それがいかなることを通して与えられたかは、その金銭自体をも越えて価値あることだった。願わくは、神が君たち二人を、仕事においても家庭においても祝福してくださるように! 願わくは、君の健康が増し加えられ、私たちが生きている限りは、これまで同様に近しく親しい間柄でいられるように! 残念ながら、私は、愚痴を云いたくなると時々君のことを冗談の種にするという、独特の癖があるのではないかと思う。だが、私は単に、君の所の職人のねじが一本ゆるんでいると知らせたいというつもりしかなく、本気で何かを嘆いているわけではない。君の幸福が増し加わることは、私にとって非常に大切なことであり、君の仕事が繁盛するのを見ることほど私にとって嬉しいことはない。それに加えて、キリスト者としての私が自分の友人としての、また執事としての君に対して愛をいだいていることは、あえて云うまでもないだろう」。――心からの敬愛をこめて。C・H・スポルジョン


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