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罪の確信はどのようにして生まれるのですか?
人に罪の恐ろしさをさとらせ、自分の罪を確信させるには、どんな種類の説教をしたらいいと思いますか?

 律法が与えられたのは人に罪の意識を生じさせるためです(ロマ3:20)。私の経験からも、律法の説教は事実そうした意識を生じさせます。ですから私は十戒を説教し、人がどれほど律法を破ってきたかを聖霊がさとらせてくださるよう期待します。また黄金律と呼ばれる、あのマタイ7:12を説教し、人がその命令を守ってこなかったこと、それゆえ、「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」、という黄金律によっては救われえないことを説明します。またマタイ22:37、38を説教し、この箇所から、人が罪を犯した者であること、それどころか、何よりも大きな第一の戒めを破ってきたことを示そうと思います。「イエスは彼に言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』」。

 しかしヨハネ16:9には、聖霊が人に確信させる罪は、イエス・キリストに対する不信仰の罪であると書いてあります。また使徒2:37からわかるのは(直前のペテロの言葉を見ると)、ペンテコステの日、何千人もの人々に聖霊が確信させた罪は、イエス・キリストを拒否した罪でした。この線から何度も聖書を解き明かした経験から云うと、人々の前にイエス・キリストの大能と栄光と、私たちのためのその犠牲を指し示した後で、このような救い主を拒否する罪の恐ろしさを心底つきつけるときほど深い罪の確信がもたらされることはありません。

 しかし、どのような説教をしようと忘れてならないのは、人に罪を確信させるのは私たち自身ではなく、聖霊だということです。それは、私たちが提示する真理を通してなされますが、私たちは自分が聖霊に依存する者であることを認め、聖霊がそのみわざをなしてくださることを期待しなくてはなりません。ここで多くの人々は間違いを犯します。彼らは、聖霊に自分を明け渡し、聖霊が自分を通して人に罪を確信させてくださるよう望むかわりに、自分で人々に罪を確信させようと努力するのです。

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