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原罪とは何ですか? どうして私たちは原罪のために罪人とされなくてはならないのですか?

 最近、「原罪」ということばがさまざまな意味で、しかもたいていの場合は不正確に使われています。厳密に云うと、原罪とは、他のすべての罪が生じる原因となった罪、すなわちアダムとエバがエデンの園で犯した罪のことです。

 私たちが原罪のために罪人とされるのは正当なことです。なぜなら第一に、私たちはみな、アダムがその罪を犯したとき彼のうちにいたからです。第二に、当時存在していたただひとりの人類であったアダムは、私たちの代表として罪を犯したのであり、私たちは彼にあって罪を犯したからです(ロマ5:12)。しかしイエスが第二のアダムとして来られたとき、彼もまた私たちの代表となり、全人類の代表、人の子となりました。彼が神の律法を完全に守り行なったとき、彼は私たちの代表として律法を守ったのであり、彼の贖いの死は、アダムにおいて犯された罪の咎を私たちから除き去ったのです(ロマ5:15、16、18)。アダムの罪のために滅びる人はひとりもいません。もしだれかが失われるとしたら、それは単に、彼が第二のアダムを受け入れなかったためです。

 私たちがアダムの罪ゆえに罪人とされるという神のご計画は、私たちがそれぞれ自分の行ないの責任を負う場合よりも、はるかにあわれみ深いものです。もし私たちがそれぞれ自分の行ないの責任を取らなくてはならないとしたら、私たちはみなアダムと同じことを行ない、同じ罪を犯していたでしょう。そして何の希望もなかったでしょう。しかし、第一のアダムが私たちの代表として立っていたおかげで、第二のアダムも私たちの代表として立つことができました。彼は私たちのだれひとり自分ではできなかったことを、私たちにかわって成し遂げられました。彼は神の律法を完全に守り行ない、その上で、私たちの身代わりになって死なれたのです。それは、アダムの罪によって律法を破ったばかりか、自分自身の個人的なそむきの罪によっても律法を破った私たちの身代わりとなるためでした。ここに神のご計画の知恵と、あわれみの深さがあります。私たちは、ただ永遠にわたって驚嘆し、賛美するほかありません。

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