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人は良心に従って生きていけば十分ですか?

 いいえ、十分ではありません。もしも、良心とは、だれもが持っていて、善は善、悪は悪と指し示す道徳的直観であるとし、私たちがみなそれに従って、結果がどうあれ善の方の立場を取らなくてはならないものであるとするならば、良心は、私たちを完全に服従させて、どんな善をも行なわせるのに十分な指針です。しかし、ここで問題となるのは善とは何かということです。良心は、何が善で何が悪かという道徳的な判断をくだす指針としては明らかに不十分です。多くの人は、全く間違ったことを良心的に行なっています。それは、その人たちの道徳的判断力が、正しく教育されていないからです。良心は、神の啓示と、聖霊の個人的な照明によって、何が善であるかについて光を受けなくてはなりません。

 もしも自分を明け渡して、結果はどうあれ善を行なおうとするなら、また、何が善であり、何が真実であるかを、心から誠実に探求するなら、必ず私たちはイエス・キリストが神の御子であり、神から遣わされた教師であると知るよう導かれるでしょう(ヨハ7:17)。そしてそのとき私たちは、自分の道徳的判断をキリストに明け渡し、キリストが教えさとしてくださるままにゆだねるでしょう。そしてイエス・キリストを神の御子、神から遣わされた教師として受け入れるとき私たちは、彼のことばを学ぶことを通して聖書全体を神のみことばとして受け入れるようにならざるをえないでしょう。その結果、私たちは聖書を自分の行動指針とみなすようになるでしょう。さらには、聖霊によって教えられ、聖霊によって正しい行動へと導かれることが、自分の大きな特権であることを理解するようになるでしょう。

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