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わが子を永遠の苦しみに落とすような父親があるでしょうか? もしいないとしたら、神は人間に劣ることになるのではないでしょうか? 神は、ご自分の子たちを、人間さえしないような残酷な目に合わせるのでしょうか?

 この問いは、すべての人間は神の子らであるという前提に立っています。聖書は、そうではないと教えています。確かにすべての人間は神の被造物であり、神のかたちに似せて造られました。その意味では人間はすべて神の子孫です(使徒17:26-29)。しかし、人間が真の意味で、完全に神の子となるのは、聖霊により(ヨハネ3:3-6)個人的にイエス・キリストを救い主として受け入れるときだけです(ヨハネ1:12; ガラ3:26)。

 第二に、信者にとってさえ、神には父という以外のお立場があります。神は、この宇宙の道徳的支配者です。宇宙の義なる道徳的支配者として、神は罪を罰さなくてはならりません。永遠に罪を捨てようとしない者があれば、永遠に罰さなくてはなりません。人間の父親でさえ、賢明な父親なら、かたくなに罪を犯し続ける子供を、他の子供たちから遠ざけ、接触させないようにするでしょう。息子の性根が腐り切っていると知った父親は、どれほどその子を愛していたとしても、あえて自分の娘たちと親しく交わらせるようなことはしないはずです。あなたが非常に愛している者がいるとします。しかしもしその者が、あなたがもっと愛しているお方に対して、はなはだしい不正を犯し、しかもその不正を永遠に犯し続けてやまないとしたら、あなたは、その者が永遠の刑罰を受けてしかるべきだとは思わないでしょうか。

 第三に、無限に聖なる神の行動を、私たちの行動でおしはかるのは決して安全ではありません。今日の世界は、私たちが決してわが子に味わせたくないような苦痛を受けている人々で満ちているではないでしょうか。一体、今日スラム街で人々がなめているような苦しみを、わが子が受けるのを平然と見ていられるような人が私たちの中にいるでしょうか? 愛の神がなぜこのようなことを許しておかれているか、その説明は困難かもしれませんが、それが現実であることは事実です。神に従わず、罪にしがみつき、イエス・キリストを拒んでいる結果、人々がこの世で受けている苦しみは、罪のうちを歩む人々が、今のこの世で救い主を拒否した結果、永遠の世で受ける苦しみの暗示とすべきでしょう。「私は愛の神を信じる。神がご自分の被造物を永遠に地獄に落とすなんて信じられない」、と云うのは自由ですが、周囲に厳然と存在する事実に目を開けば、このような推量がいかにむなしいかわかるでしょう。なぜなら、今でさえ私たちの目にうつるのは、この同じ愛の神が、今のこの世で、多くの被造物にすさまじい、耐えず増し加わる苦痛を受けることを許しておられる事実だからです。

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