どうして愛の神が、永遠の刑罰を受けることになる者らを造られたのですか?神がご自分の被造物を永遠の刑罰を受けさせるためにお造りになったことは一度もありません。神は、あらゆる人格的存在を、神を愛し、神に従い、永遠に神を喜ぶために造られました。しかし神は、そのうちのある者をより高位の存在、すなわち自分で善悪を選べる力をもつ者として造られたのです。こうして、ある者らは悪を選びました。しかし、なおも神は彼らを見捨てず、自ら選んだ狂気の道から彼らを救うため、ご自分にできる最大限の犠牲をお払いになりました。神はご自分の御子を遣わし、彼らのために死なせ、彼らが悔い改めと赦しといのちと栄光を受けられるようにしてくださったのです。もし人が進んで悪を選ぶばかりか、悪を選んだ後、愛の神が自らはかりしれない代価を払ってまでも備えてくださった救いの手段を、意図的に、かたくなに拒み続けるのなら、彼らが永遠の刑罰を受けるのは自分自身の責任であり、そのことのゆえに神を責めるのは、すさまじい不正であるばかりか、赦しがたいほど恩知らずで、理不尽なことです。
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無限に聖く、あわれみ深い神が、どうしてご自分の愛する被造物を永遠の刑罰に定めることができるのですか?
それは、神が永遠の刑罰に定めるというよりも、むしろ人が、神のあわれみと恵みを拒むことで自分を永遠の苦しみに定めているというべきです。多くの人は、罪を選びとるとともに、神が備えられた、驚くほど恵み深い、罪からの救いを拒むことを選んでいます。もし自分から罪から救われようとしなければ、罪の中にとどまり続けるほかありません。罪の中にとどまり続けるなら、とどまり続ける限り、苦しみを受けずにいることはできません。そして遅かれ早かれ、悔い改めをしたくてもできなくなる時、そしてもちろん救いが不可能となる時がやってこざるをえません。人の受ける永遠の苦しみは、単にその人が、自ら意図的に、またかたくなに罪を選んだことによる、必然的な結果にすぎないのです。
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