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心から信じるなら、どんな宗教を信じても同じではないでしょうか?

 とんでもありません。キリスト教は真理です。他の宗教は誤りです。部分的に真理をふくむものはあるかもしれませんが、誤りは誤りです。偽りは、どれほど心をこめて信じても、偽りでなくなるわけではありません。実際、偽りのものは、心をこめて、誠心誠意信じれば信じるほど、人をひどい目に合わせるものです。たとえば、毒薬を食べ物だと思って、心からそう信じ込んでいる人がいたとします。しかし、もしその毒薬を飲むなら、心から食べ物だと信じていたとしても、たちまち死んでしまうでしょう。それは毒薬だと知って飲み込む場合と何もかわりありません。また電車に乗り違えた人のことを考えてみましょう。電車は間違った方向に進んで行きます。たとえ乗り違えた人が、「電車は自分のめざす目的地へ向かっているはずだ」、と心の底から信じていたとしても、間違った電車が正しい目的地に連れていってくれるはずなどありません。信じる人を自由にするものは真理です。いくら熱烈な信仰をささげても、誤りは決して人を自由にしません。むしろ誤りは、熱心に信じれば信じるほど、その人の自由を奪い、とりこにしてしまいます。

 「心から信じていさえすれば、どんな宗教を信じても同じだ」、などと云うことほどばかげた考え方はありません。人は何を信じるかによって、人生のありかたが決まります。もし偽りを信じるなら、来世はおろか現世においても、誤った道を行くことになるのです。その信仰がどれほど真剣で、どれほど熱心であったとしても、関係ありません。

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