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3.
ジョン・ケネディへ

 キリストにあって、私の愛する最も親愛な兄弟へ。

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安があなたの上にありますように。あなたが恐ろしい海難事故に遭って亡くなられたと聞き、嘆いていたところ、あわれみによってあなたが救われたことを知って本当に嬉しく思いました。兄弟よ、確かにサタンは、あなたをあなたの岩からふり落とすか、少なくともあなたをぐらつかせ動揺させるかするためには、ことわざにも云う通り、あらゆる石をひっくり返してみずにはおかないようです。よこしまな人々が陸の上で口をきわめてあなたをののしっているとき、同時に海の上では、空中の権威を持つ支配者が、あなたに向かって荒れ狂ったのです。この邪悪な人殺しが、あなたをどれほどありがたい目に遭わせようとしたかごらんなさい。一度に二本の鞭であなたを打ちすえようとしたのです。しかし神はほむべきかな。この者の腕は長くありませんでした。もし海も風もこの者に従っていたなら、あなたは二度と陸へ上がれなかったでしょう。あなたの神に感謝します。神は云われます。「わたしは死とハデスとの鍵を持っている」[黙1:18]。「わたしは殺し、また生かす」[申32:39]。「主はよみに下し、また上げる」[Iサム2:6]。もしもサタンが死と墓の牢番で、その鍵を持っていたなら、そこには今よりずっと多くの囚人がつながれているはずです。あなたはその黒い門を叩き続け、扉が閉ざされているのを見ていたことでしょう。しかし私たちは生きて戻られたあなたを心の底から喜んで迎えます。

 あなたは自分がゆえなく私たちのもとへ送り返されたのではないことを知っているでしょう。主はあなたが旅に必要な何かを忘れてきたことをご存じだったのです。あなたの武具は、まだ死の打撃によく耐えうるほど厚くなかったのです。ですから、イエスの力によって、あなたの仕事をなし遂げなさい。その負い目は赦されたのではなく、返済が延期されただけであり、死はあなたに別れを告げたのではなく、しばらくの間遠ざかっただけなのです。夜がやって来る前に旅路を走り終えなさい。昏く流れの早いヨルダン川を押し渡らなければならないときのために、あらゆるものを準備しておきなさい。そして、イエスよ、その深みも岩場も岸のようすもみなご存じのイエスが、あなたの水先案内となってくださいますように。最後のときには、潮はあなたを少しも待ってくれません。潮が満ちて、あなたが船に足をかけたとき、何かを忘れてきたことに気づいたとしても、取りに戻ることはできません。人生では、きょう間違いを犯しても、明日つぐなうことができるでしょう。神があなたの上に日を昇らせてくださる数と同じだけ、あなたには新しい一日一日があるのです。しかし、あなたは一度しか死ぬことができません。そこでしくじったら、後戻りしてやり直すことはできないのです。悪い者として二度死ねる者はいません。死ぬのは一度だけですから、良い者として死ぬか、悪い者として死ぬかも一度だけです。あなたは自分の日数が神の書にしるされていることを知っています。ですから、主の雇い人のひとりとして、あなたは夕暮れの影が迫るときまで働かなくてはなりません。砂時計の砂の最後の一粒が落ちきるまで走り抜くのです。喜びをもって、あなたの行程を全うしなさい。なぜなら、私たちが墓の中へ持っていけるものは何もなく、ただ良い良心か、悪い良心かのいずれかだけだからです。今回は嵐は過ぎ去って空が晴れ渡ったとはいえ、雲は再び集まって別の嵐を呼び起こすことでしょう。

 あなたはキリストに従う歩みを始められたとき、その十字架を担うという契約をかれと結ばれたことと思います。忍耐をもって、あなたの果たすべき分を履行しなさい。イエス・キリストを相手に違背してはなりません。兄弟よ、かれとの取り引きにおいては誠実を尽くしなさい。私たちの神にまさって、子らをどう育てればよいかをご存じの方があるでしょうか。というのも神は、(その測り知れぬ知識は別としても)この五千年もの間、ずっと世継ぎの子らを育ててこられ、その子らがみな立派に成人しているからです。そのうちの多くは、今、天にある自分の家で安らっている誠実な人々であり、父の遺産を相続した世継ぎらです。

 さて神が子らをお育てになる手段は、懲らしめ、懲罰、矯正、教導です。一体、神が子らのうちだれかに例外を設けられるようなことがあるでしょうか[黙3:19; ヘブ12:7、8]。否! 長子であり、世継ぎの御子たるイエスですら例外ではなかったのです[ヘブル2:10]。私たちは苦しまなくてはなりません。それは私たちの生まれる前から神がお定めになっていたのです。私たちがどれほど不平を云おうと、決して変更することはできません。確かに良心の恐れは私たちを落ち込ませます。しかし良心の恐れがなければ、私たちが再び上へ引き上げられることはないでしょう。恐れと疑いは私たちを動揺させます。しかし恐れと疑いがなければ、私たちはすぐに眠ってしまい、キリストから離れてしまうでしょう。患難と誘惑は私たちを根こそぎにしてしまいそうになります。しかし患難と誘惑がなければ、私たちは雨を受けなかった牧草や穀物のような成長しかできないでしょう。罪とサタンとこの世は、私たちの耳に、審きの日にはひどいつけが回ってくるぞと吹き込み、叫び立てます。しかし、この三者といえど、嘘をつかない限り、新しい契約の主旨は私たちの罪によって変わってしまうぞ、と面と向かって云うことはできません。

 ですから親愛な兄弟、前進するのです。手を離してはなりません。真理を堅く握りなさい。この世は神の真理を1ドラクマ分も売っていないのですから。特に、雲を見て羅針盤を調整しようとする未熟な海員よろしく、時勢によって真理を測ろうとする者が大半の現代においてはなおさらのことです。この邪悪な時代の考え方や行動の中では、今や時勢こそ真理の父となり母となっているのです。真理の神が私たちを堅く立たせてくださいますように。なぜなら悲しむべきことに、今、希望にすがる囚人を慰め、シオンのために嘆く人々を慰める者はだれもいないからです。私たちにできるのは、ヨセフの切り株のために祈り、嘆くことぐらいです。今、試練のうちにあるエルサレムを忘れる者の舌は上あごにはりついてしまうように。そして主よ、エドムを覚えて、彼が私たちになした通りに彼に報いてください。

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