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10. 肖像画*1


 「パウロがこのように弁明していると、フェストが大声で、『気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている。』と言った。
 「するとパウロは次のように言った。『フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。
 「王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。
 「アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。』
 「するとアグリッパはパウロに、『あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている。』と言った。
 「パウロはこう答えた。『ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。』」----使26:24-29

 ロンドンには国立肖像陳列館と呼ばれる、肖像画だけを蒐集した美術館がある。そこには、英国史に足跡を残したほとんどすべての偉人たちの肖像がおさめられている。それには一見の価値がある。しかし、残念ながらそこには、私がこの論考であなたに示そうとしている3つの肖像にまさって綿密な研究に値するような肖像画は、おさめられていないのではないかと思う。

 聖書の驚くべき特徴の1つは、その内容の多種多様さである。十八世紀もの間、敵対的な批評家たちの攻撃をくじいてきた、この壮大な古い本は、ただ単に教理や、訓戒や、歴史や、詩歌や、預言の宝庫というだけではない。聖霊は、人間性をあらゆる面から描写した、迫真の肖像画をも数多く私たちに示しておられ、それらは私たちの綿密な研究に値する。周知のごとく私たちは、抽象的な言明よりも、実際の手本や模範の方から、しばしば多くのことを学ぶからである。

 この論考の冒頭に冠された有名な聖書箇所は、私の云わんとするところを、素晴らしいしかたで例証してくれている。この章の冒頭からこの箇所に至るまで使徒パウロは、ローマ人総督のフェストとユダヤ王アグリッパの前で、身の証しを立てようとしている。彼らは、きょうのこの日も私たちの間に見られる、3種類の典型的な人物である。彼らのような人々は後を絶つことがない。流行の変化や、種々の科学的発見や、政治的改革にもかかわらず、あらゆる時代の人間の内心は常に同じである。私たちは、ゲーンズボロやレノルズやロムニーの名画の前に佇むのと同じように、この三枚の画像の前に佇んで、そこから何を学べるか見てみようではないか。

 I. 最初に、ローマ人総督のフェストを眺めてみよう。これは、聖パウロの弁論の途中にいきなり割り込んで、こう叫んだ人物である。「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」。

 疑いもなくフェストは、偶像崇拝的な神殿礼拝のほか、何の宗教も知らない異教徒であった。そうした偶像礼拝は、使徒たちの時代の文明社会の至る所に広まっていた。前章で彼がアグリッパに話しかけている言葉遣いからすると、彼はユダヤ教とキリスト教のどちらについても、きわめて無知であったらしく思われる。彼によれば、この審理の係争者たちが「言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張している」ことにあった(使25:19)。まず間違いなく彼は、衰退期のローマ帝国にいた、多くの高慢なローマ人たちと同じく、すべての宗教をひそかに軽蔑していたに違いない。宗教など、どれもこれも同じくらい偽りであるか、どれもこれも同じくらい真実であって、どれもこれも同じように、一廉の人物が注意を払う価値などないものとみなしていたに違いない。一介のユダヤ人が「異邦人に光を宣べ伝える」など語ることそのものが笑止千万であった! 時流に乗り遅れないこと、人の愛顧を得ること、目に見える物のほか何も気遣わないこと、「わが君」アウグストを喜ばせること、----これが、おそらくはポルキオ・フェストの有していた宗教のすべてであった。

 さて、私たちの間にもフェストのような者が数多くいるのではなかろうか? しかり! 残念ながら、海の真砂ほどにもいるのではないかと思う。そうした人々は、社会のあらゆる身分、階級に見いだされる。彼らは私たちと同じ街路を闊歩している。私たちと同じ鉄道列車の客室で旅行している。彼らと私たちは、日々、世間的な関わりの中で出会っている。彼らは社会で何ら後ろ指を指されることのない生き方をしている。彼らはしばしば優秀な実業人であり、自分の選んだ職業で抜きんでた働きをしている。彼らは自分の立場に伴う様々な義務を立派に果たしており、その立場を退いた後も、良い評判を残していく。しかし、フェストと同じく彼らは何の宗教も有していない!

 こうした人々は、自分に魂など全くないかのように生きている。1月から12月に至るまで彼らは、来たるべき世について何も考えず、何も感じず、何も見てとらず、何も知ることなく過ごしているように見える。魂に関することは、彼らの人生設計や、計画や、計算の中の、いずれの部分も占めていない。彼らは、あたかも肉体の世話をすることのほか何も必要ないかのような生き方をしている。----食べて、飲んで、眠って、服を着て、金を儲けて、金を使うことしかすることがなく、----いま私たちが目にしているこの世界のほか、何の世界のためにも備えをする必要がないかのように生きている。

 こうした人々は、その気を起こすことがあるにせよ、個人的にであれ公的にであれ、ごくまれにしか恵みの手段を用いることがない。祈りや、聖書を読むことや、神とのひそかな交わりは、彼らが蔑んで、手をつけようともしない事がらである。そうしたことは、老人や、病人や、死ぬ間際の人にとっては良いかもしれない。教職者や、修道僧や、尼僧にとっては良いかもしれない。だが、自分たちにはお呼びでない! 彼らが礼拝所に出席するようなことがあるとしても、それは単に形だけのことであって、体裁をつくろうためにすぎない。そしてあまりにもしばしば彼らは、何か大きな公的儀式がありでもしない限り、あるいは結婚式や葬式でもない限り、決してそうした場所に集いはしない。

 こうした人々の公言するところ、彼らには、宗教上の熱心だの、真剣さだのといったことがまるで理解できない。彼らは、キリスト者たちの《団体》や、《協会》や、《文書》や、《伝道的な》努力の数々を、限りない軽蔑をもって眺める。彼らの標語は、他人に干渉するな、である。《国教会》と《非国教会》とを比較する種々の主張や、私たちの教派内の党派間抗争や、《大主教区会議》や、《評議員会》や、《教区会議》は、彼らにとってはみな等しく無関心の対象にすぎない。ローマの詩人ルクレティウスが描写するところの哲学者のように、彼らはそうしたものを遠くから冷たく眺め、それらを頭の弱い者たちの子どもじみた争いとみなし、啓発された精神が注意を払う価値などないものとみなす。そして、もしそうした主題が彼ら自身の集まりの中に持ち出されるようなことがあると、彼らはそれを皮肉な寸評で、あるいは云い古された懐疑主義に立つ辛辣な評言で、払いのけてしまう。

 ここまで私が描写しようとしてきたような人々が、私たちの周囲に群れをなしていることを、だれが否定するだろうか?----ことによると、それは親切な人々で、道徳的な人々で、気立ての良い人々で、宗教のことを持ち出しさえしなければ、だれとでも馬の合う人々かもしれないが、それを否定するのは不可能である。彼らの名は「レギオン」である。大勢いるからである。この終わりの時代に蔓延している、知性を偶像にしようとする傾向、----何物からも独立して、自立した考え方をしたいという願い、----個人的な判断を礼拝し、自分自身の孤立した意見を持ち上げ、多くの人々ともに正しくあるよりも、少数の人々とともに間違っている方が、洗練されていて、才気ある態度だとみなすこと、----これらすべてによって、フェストにならう輩の数は膨れあがりつつある。残念ながら、フェストは巨大な階層の一典型ではなかろうか。

 そのような人々の姿は陰鬱な眺めである。彼らはしばしば私に、メルローズかボルトン修道院のような、どこかの壮大な古い廃墟を思い起こさせる。そこには、玄妙な美しさの迫持や、列柱や、塔や、網目模様の窓が、かつてはいかなる姿をしていたか、また、もし神が今もそこにとどまっておられたならば今もいかなる建造物であったはずかをうかがわせるに足るだけものは残っている。しかし今やすべては冷たく、沈黙して、陰惨で、腐敗を連想させるものとなり果てている。その家の《主人》、いのちの主が、そこにおられないからである。それと全く同じことが、フェストに続く多くの者たちについて云える。彼らの知的能力に目を留め、彼らの弁舌の才や、彼らの趣味や、彼らの性格の精力に注目するとき、あなたはしばしば感ずるであろう。「もし彼らの魂において神がその正当な立場を占めておられたならば、いかなる人々がここにいたことであろう!」、と。しかし神がおられないためすべてが誤っている。あゝ、不信仰と高慢とが人を完全に支配し、何の抑制も受けずに人を意のままにふるまわせるとき、何と壊滅的な力を有していることか! 聖書が未回心の人を描写するにあたり、その人を「盲目で、----眠っており、----われを忘れており、----死んでいる」、と描写するのも何の不思議でもない。

 この論考をきょう読んでいるフェストがいるだろうか? 残念だが、いないのではないかと思う! 宗教的な小冊子や信仰書などは、日曜の礼拝や説教と同じく、彼の性に合うものではない。日曜日にフェストはおそらく、新聞を読むか、会計帳簿に目を通すか、友人宅を訪ねるか、旅行に出かけるか、心ひそかに英国の日曜が大陸のそれのように、劇場や美術館が開いておればいいいのにと願っていることであろう。平日にフェストは、四六時中、取引か、政治か、娯楽か、現代社会の愚にもつかない営みによる時間つぶしに携わっている。彼は蝶々のような生き方をし、あたかも死や、審きや、永遠などといったものが存在しないかのように生きている。おゝ、否! フェストはこのような論考を読む人間ではない!

 しかし、フェストのような人間は、何の希望もない、あわれみも届かない状態にあるのだろうか? 決してそうではない! 神に感謝すべきことにそうではない。こうした人も、その性格の最深部にはまだ良心を有しており、いかにそれが無感覚になっているとはいえ、完全に死んではいない。----その良心は、真夜中の聖ポール大寺院の大鐘のように、大都会の喧噪が静まった後で、時として聞こえ出すのである。ペリクスや、ヘロデや、アハブや、パロのように、フェストにならう者たちにも、訪れの時がある。そして、彼らとは違い、一部の者たちは手遅れになる前に目覚めて、一変した人となることがある。彼らの生涯の中には、自分に押し迫る何かを感じ、「後にやがて来る世の力」を感じ、定命の人間が決して神なしにはうまくやっていけないことを見いだす時期がある。病や、孤独や、失望や、金銭の喪失や、愛する者たちの死は、時としてどれほど高慢な人間の頭をも垂れさせ、「いなごですら重荷だ」と告白させることがある。マナセだけが、「悩みを身に受けたとき」、神に向かい、祈り出した唯一の人間ではない。しかり! 私は長年の間、いかなる人についても絶望してはならないと感じている。霊的奇蹟の時代は過ぎ去ってはいない。キリストと聖霊にとって、不可能なことはない。最後の日には必ずや示されることであろう。多くの人々が、かつてはフェストとともに歩み始め、フェストのようなあり方をしていながら、向きを変えて悔い改め、聖パウロとともに終わることになったということが。いのちある限り望みはある。他の人々のために祈るがいい。

 II. さてここで、それとは非常に異なる画像に目を向けてみよう。アグリッパ王に目を留めてみるがいい。これは、聖パウロの弁論に感銘を受けたあまり、こう云った人物である。「あなたは、ほとんど、私をキリスト者にするところだった」、と <英欽定訳>。

 「ほとんど」。しばらくの間、この云い回しについて考えを巡らさせていただきたい。多くの人々は、ここで私たちの欽定訳聖書が誤っていると考え、原語のギリシャ語の完全な意味を伝えていないと考えている。私もそれはよく承知している。彼らの主張によると、この語句をより正確に訳せば、「短い間で」、あるいは、「弱く、たよりのない議論で、あなたは私を説得しようとしている」、となるという。大胆に云うが、私はこうした批評家たちの見解に与することはできない。確かにこの語句は、どちらかと云えばあいまいなものではあるが、しかし、こうした問題において私は、いかなる人をも先生と呼ぼうとは思わない。私は、古代と現代の双方における卓越した注解者たち数人*2とともに主張するものである。私たちの欽定訳による翻訳は正しく、正確である、と。この信念について、さらに私の意を強くしてくれるのは、これが新約聖書の原語で考え、語り、書いていた人物の見解であったという事実である。----私が云っているのは、高名なギリシャ人教父クリュソストモスのことである。そして最後に、しかしこれも重要なこととして、私には他のいかなる見解も、続く節における聖パウロの叫びと調和しているようには思えない。彼はアグリッパの言葉をとらえて、こう云っているかのようである。「ほとんど! 私が願っているのは、あなたが、ほとんどではなく、全くキリスト者になってくださることです」、と。こうした根拠に立って私は、私たちの古い版の訳をとるものである。

 いま私たちの注意を引いているアグリッパは、多くの点でフェストとは似ても似つかぬ人物であった。純粋なユダヤ人の血が流れていないとはいえ、ユダヤ人の血統の出で、ユダヤ人たちの間で育てられた彼は、このローマ人総督が完全に無知であった多くの事がらに通暁していた。彼は「預言者を」知っており、「信じて」いた。彼は、この聴聞会における彼の同席者にとっては、単なる「ことばや名称」にすぎず、支離滅裂なたわごとでしかなかった聖パウロの弁論の中に、自分の理解できる多くの事がらを認めたに違いない。彼は、心ひそかに、真実は自分の前に立っている人物の側にあるとの内的な確信を感じていた。それを彼は見てとり、感じとり、それに感動し、心動かされ、良心を打たれ、内なる願いと切望を覚えた。しかし彼は、それ以上のところまでは行けなかった。彼は見てとったが、行動する勇気がなかった。感じはしたが、行なおうとする意志がなかった。彼は神の国から遠くはなかったが、その外側でぐらついていた。彼はキリスト教を断罪しも、嘲りもしなかった。だが、金縛りにあった人のように、それを眺めて吟味するだけで、それをつかみとって心に受け入れる精神の力を持っていなかった。

 さて、信仰を告白するキリスト者の中に、アグリッパのような人物は数多くいるのではないだろうか? 残念ながら、この問いかけに返せる答えは1つしかないと思う。そうした人々は非常に多くの集団であって、数えることも困難な大群衆である。彼らは私たちの教会の中に見いだすことができ、あらゆる恵みの手段にきわめて定期的に携わっている。彼らは聖書が真理であることに何の疑いも持っていない。福音の教理に対してみじんも異論はない。健全な教えと不健全な教えとの違いがわかっている。聖い人々の生涯を賞賛している。良書を読み、良い目的のために献金している。しかし、不幸なことに彼らは、自分たちのキリスト教信仰において、ある特定の点を超えては決して先へ進むことがないように見える。彼らは決して大胆にキリスト教の側につくことがなく、決して十字架を負うことがなく、決して人々の前でキリストを告白することがなく、決して種々の細々とした裏表ある行動をやめようとしない。彼らがしばしば告げて云うところ、彼らはいつの日か自分ももっと断固たるキリスト者になろうと「意図しており、実際に希望しており、そのつもりがある」。彼らは、自分が完全にはしかるべき姿になっていないことを承知しており、いつかは違ったあり方をしようと望んでいる。しかし、その「おりを見て、また」という機会は決して訪れないように見える。そのつもりはありながら、意図しながら、彼らはやりくりし、そのつもりはありながら、意図しながら、彼らは舞台を去っていく。そのつもりはありながら、意図しながら、彼らは生き、そのつもりはありながら、意図しながら、あまりにもしばしば死んで行く。----彼らは、親切で、気立てが良く、尊敬すべき人々であって、アグリッパのように聖パウロの敵ではなく友となり、「ほとんどキリスト者に」なっている人々である。

 あなたは訝しく思うであろう。人がキリスト教信仰においてこれほどのところまで達していながら、いかなるわけでそれ以上先には進まないのか、と。いかにして彼らは、これほどのものを見てとり、これほどのものを知っていながら、それでも自分の有する光に従って「真昼となる」ことをしようとしないのか? いかにして知性と理性と良心とがこれほどキリスト教において進歩を遂げていながら、心と意志とが遅れをとることがありえるのか?

 こうした問いかけに対する答えはすぐに返すことができる。人への恐れによって、ある人々は引き留められている。彼らは、断固たるキリスト者になったら笑い者にされたり、嘲られたり、軽蔑されたりするのではないかという臆病な怯えにとらわれているのである。彼らは人々の間で評判を落とすようなことなど到底できない。私たちの主の時代にいた多くのユダヤ人指導者たちと同じく、彼らは「神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛した」のである(ヨハ12:43)。この世への愛によって、別の人々は引き留められている。もし自分が断固たるキリスト教信仰に進むなら、この世にふんだんにある流行の娯楽や、時間の費やし方のいくつかから、自分が分離せざるをえないことを知っているのである。こうした分離をする決心が彼らにはつけられない。彼らは、バプテスマを授けられた際の誓いである、「この世の虚飾と虚栄とを拒絶」することから尻込みする。ロトの妻のように彼らは、神の御怒りから救い出されたいとは思うが、彼女と同様、うしろを「振り返」らずにはいられないのである(創19:26)。表だっては現われない、一種の、自分を義としようとする思いによって、多くの人々が引き留められている。彼らは心ひそかに、結局のところ自分はフェストほど悪くはないのだ、と考えることで慰めを得ている。自分の知っている連中の中には、もっと悪い者らがいる。自分はキリスト教信仰を蔑んだりしない。自分は教会に通っている。聖パウロのように誠実な人々を賞賛している。自分たちの言動に些細な裏表があるからといって滅びるようなことがあるはずがない!----党派心に陥ることへの病的な怯えによって、多くの人々、特に青年たちが引き留められている。彼らにのしかかっている観念によると、キリスト教信仰において断固たる立場をとるならば、自分自身を何か特定の「主義主張」に引き渡さざるをえないのである。これこそ彼らがしたくないことにほかならない。だが彼らが忘れているのは、アグリッパの場合に問題となったのが教理ではなく、ふるまいであったこと、また、自分のなすべき義務について断固たる行動をとることこそ、教理的真理について光を得るための最も確実な方法だ、ということである。「だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には教えがわかります」*(ヨハ7:17)。----何らかの隠れた罪によって、残念ながら、少なからぬ人々が引き留められているのではないかと私は思う。彼らは、心の中では、自分が神の前で問題のある何かにしがみついていることを知っている。彼らの個人史をいろどるものの中には、白昼にさらけ出すことのできない、ヘロデヤのごときもの、ドルシラのごときもの、ベルニケのごときもの、アカンの金の延べ棒のごときものがどこかにあるのである。彼らは、この愛しいものと手を切ることができない。彼らには右の手を切り落とし、右の目をえぐり出すことができない。それで弟子になることができないのである。----あゝ、何と悲しい云いわけの数々であろう! はかりにかけてみれば、それらは無価値で、むなしい。あゝ、これらに安んじている者らの何と悲惨なことか! 彼らは、目を覚まして、自分の鎖を振り捨てない限り、永遠の難船に会うであろう。

 きょうアグリッパはこの論考を読んでいるだろうか? 彼のようなだれかが、今このページに目をとめているだろうか? キリストの教役者からの、心をこめた警告を受けてほしい。自分が非常に危険な立場にあることを悟るようにしてほしい。願うこと、感ずること、意図すること、そのつもりがあることは、決して救いに至るキリスト教信仰の代用にはならない。それらはコルク製の「浮き」にすぎない。それにすがっていれば、多少の間は浮かんでいられるし、頭を水面の上に出しておくこともできるが、それはあなたが急流に流されていくのを防ぐことも、最後にはナイアガラよりも破滅的な大瀑布に呑み込まれていくのを防ぐこともできない。それに、結局のところ、あなたは幸福ではない。キリスト教信仰について知りすぎているあなたは、この世で幸福になることはできない。この世と入り混じりすぎているあなたは、自分の信仰から何の慰めを得ることもできない。つまりあなたは、この世の中にあっても、この世の外に出ても幸福ではないのである。目を覚まして、自分の危険と愚かさに気づくがいい。神の助けによって、断固とした態度をとるよう決意するがいい。剣を引き抜き、さやを打ち捨てるがいい。「剣のない者は着物を売って剣を買いなさい」(ルカ22:36)。あなたの船を焼き払い、決然と進軍していくがいい。箱舟を眺めて、それを賞賛するだけでなく、その戸が閉ざされる前に、また洪水が始まる前に、その中に入るがいい。少なくとも1つのことだけは、キリスト教信仰の基本的公理として規定できよう。「ほとんど」キリスト者になった人々は、安全でも、幸福でもない、と。

 III. さてここで、この三枚の肖像画のうちの最後の一枚に目を転じよう。私たちが眺めたいと思うのは、フェストから「気が狂っている」と思われ、アグリッパを「ほとんどキリスト者にするところだった」人物である。聖パウロを私たちは眺めてみよう。これこそ大胆にも、「私が願っているのは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、ほとんどではなく、全く私のように----この鎖は別として----なってくださることです」、と述べた人物である。彼は自分の聞き手たちが、いま話をしている自分と同じように鎖をかけられたり、投獄されることを願っていたのではない。しかし、彼が真剣に願っていたのは、彼らが、どうしても必要な1つのことについて、自分と1つの心になること、また自分の平安と、希望と、確かな慰めと、期待とを分かち合うようになることであった。

 「全く私のようになること」。何と重みのある、記憶すべき言葉であろう! これは、自分が正しい側に立っていると徹底的に確信し、納得している者の言葉遣いである。彼はあらゆる疑い、ためらいを投げ捨てていた。彼は真理を、指先でつまみあげているのではなく、両の手でがっしりつかみ取っていた。これこそ、ある箇所では、「私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです」、と書き記し、----別の箇所では、「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」、と書き記した人物の言葉遣いである(IIテモ1:12; ロマ8:38、39)。

 (a) 聖パウロは、キリスト教に関わる事実が真実であることを全く確信していた。主イエス・キリストが実際に、「肉において現われた神」[Iテモ3:16 <英欽定訳>]であられたこと、----主がご自分の神性の証明として多くの否定しがたい奇蹟を行なわれたこと、----主が最後には墓からよみがえり、天に昇り、人間の《救い主》として神の右の座に着かれたこと、----この3つの点すべてについて、彼は徹底的に自分の心を 決めており、それらの信憑性をみじんも疑っていなかった。これらのためとあらば、彼は喜んで死ぬ覚悟があった。

 (b) 聖パウロは、キリスト教の教理が真実であることを全く確信していた。私たちがみな咎ある罪人であること、永遠の滅びという危険のうちにあること、----キリストが世に来られた一大目的が私たちの罪のための贖いをなすためであり、救済をかちとるためにキリストが十字架の上で私たちの身代わりに苦しみを受けたこと、----悔い改めて、十字架につけられたキリストを信ずる者はみな、あらゆる罪を完全に赦されること、----キリストに対する信仰以外に、神との平和を得て、死後に天国へ至る道はないこと、----これらをみな彼は、何にもまして堅く信じていた。こうした教理を教えることこそ、彼がその回心から殉教に至るまで一大目的としていたことであった。

 (c) 聖パウロは、自分自身が聖霊の力によって変えられたこと、新しいいのちに生きるよう教えられたことを全く確信していた。----キリストに献身し、捧げつくした聖い人生こそ、およそ人に送ることのできる最も賢明で、最も幸福な人生であること、----神の恩顧は、人間の恩顧よりも一千倍もまさること、----自分を愛し、自分のためにご自身をお捨てになったお方のためなら、いかに大きな行ないをするのも当然であることを全く確信していた。彼はその競走を「イエスから目を離さないで」走り、自分の財を費やし、また自分自身をさえ使い尽くそうとしていた(ヘブ12:2; IIコリ5:15; 12:15)。

 (d) 最後に、しかしこれも重要なこととして、聖パウロは、来たるべき世が現実にあることを全く確信していた。人間の賞賛や恩顧、この現世の報いや罰などは、みな彼にとっては「かす」でしかなかった。彼は絶えず自分の目の前に、朽ちることのない資産と、しぼむことのない栄光の冠を置いていた(ピリ3:8; IIテモ4:8)。その冠について彼は、何物も自分からそれを奪い取ることができないことを知っていた。フェストは彼を蔑み、「狂人」だとみなしたかもしれない。彼が上訴しようとしているローマ皇帝は、彼の首を切り落とせと、あるいは彼を獅子の穴に投げ込めと命ずるかもしれない。それが何だというのか? 彼が堅く確信するところ、彼にはフェストもカエサルも指一本ふれることのできない宝が天にたくわえられており、それを彼は永遠にわたって所有することになっていたのである。

 これこそ聖パウロが、「全く私と同じように」、と云ったときに意味していたことである。キリスト教の事実と、教理と、行為と、やがて来る報いについて、彼には深く根ざした、揺るぎない、堅い確信があった。----その確信を彼はあらゆる人々が分かち合うようになることを切望していたのである。彼は、自分の魂の未来の状態について何の疑いも恐れもいだいていなかった。フェストや、アグリッパや、ベルニケや、その周囲のあらゆる人々が、それと同じ幸いな状態になることを喜んで見たいと思っていた。

 さて現代には、聖パウロのような人物が多くいるだろうか? むろん霊感された使徒が多くいるかどうかということではない。私が云いたいのは、聖パウロのように徹底した、ためらうことのない、満ち満ちた確証を有しているキリスト者に出会うことはよくあることだろうか、ということである。残念ながら、この問いかけに返せる答えは1つしかないのではなかろうか。富者であれ貧者であれ、身分の高い者であれ低い者であれ、「多くは召されていません」。----「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」(Iコリ1:26 <英欽定訳>; マタ7:14)。都会であれ田舎であれ、あなたの好むところを見渡し、あなたの望むところを探しても、「全く」キリスト者になってい人々はほとんどいないであろう。フェストやアグリッパはどこにでもいる。彼らとは、いずこにおいても出くわす。しかし、聖パウロにならって徹底的で、一意専心している者はほとんどいない。だが1つのことだけは非常に確かである。こうした少数の者こそ、「地の塩」であり、「世界の光」だということである(マタ5:13、14)。この少数の者こそ、教会の栄光であり、それを生かし続けるために仕えている人々である。彼らなくして、教会は腐りつつある屍、白く塗った墓、あかりの灯されていない灯台、火の消えた蒸気機関、ろうそくの立っていない金の燭台、悪魔を喜ばせ、神を憤らせるしろもの以上の何物でもない。

 こうした人々こそ世界を揺り動かし、自分たちの後に拭い去りえない足跡を残す類の人々である。マルチン・ルター、ジョン・ウェスレー、ウィリアム・ウィルバフォースらは、その生前は憎まれ、軽んじられていた。だが彼らがキリストのために行なったわざは決して忘れられはしないであろう。彼らは「全く」キリスト者となっていたのである。

 こうした人々こそ、自分のキリスト教信仰によって真の幸福を享受する類の人々である。パウロとシラスのように、彼らは牢獄にあっても歌うことができ、ペテロのように、死の瀬戸際にあっても安らかに眠ることができる(使12:6; 16:25)。強い信仰によって彼らは内的な平安が与えられている。その平安によって彼らは、地上の種々の困難で左右されず、彼らの敵たちさえをも不思議がらせずにはおかない。あなたの周囲に満ちている、なまぬるいラオデキヤ的キリスト者たちは、自分のキリスト教信仰によってほとんど慰めを得ることがない。「徹底した」人々こそ、大きな平安を得ている人々である。メアリー女王治下で最初に殉教したジョン・ロジャーズは、プロテスタント主義のため焼き殺されに向かうとき、スミスフィールドの火刑柱まで、まるで自分の結婚式に向かうかのように朗らかに歩んでいったと云われる。自分が殉教する日、薪束に火がつけられる前に老ラティマーが語った、歯に衣着せない勇敢な言葉は、きょうのこの日に至るまで忘れられてはいない。「勇気を出すのです! リドリ兄弟」、と彼はともに苦しみを受けている相方に叫んだ。「私たちはきょう英国で、神の恵みにより、決して消えることのない蝋燭に火をともすのです」。こうした人々が、「全く」キリスト者となった人々であった。

 夜であれ、夜明けであれ、午前中であれ、とにかく今すぐ安全になり、自分の神に会う備えをしたいと願う人がいるならば、----はっきり感じとれる平安を自分の信仰によって享受したしたいという人、病にも、死別にも、破産にも、革命にも、最後のラッパの音にもびくともしない平安を得たいという人がいるならば、----自分の生きている時代と世代に善を施し、自分の周囲のすべての人々にキリスト者的な影響を及ぼす源泉になりたいという人、自分が墓に横たえられてからはるか先においても認められ、知られる影響をもたらしたいという人がいるならば、----その人は私がきょう告げることを覚えておき、決して忘れないようにするがいい。あなたはアグリッパのように「ほとんど」キリスト者になるだけで満足していてはならない。あなたは、聖パウロのように「全く」キリスト者となるように努め、努力し、苦闘し、祈らなくてはならない。

 さて今、この三枚の画像の前を離れるにあたり、自己省察と自己吟味をしてみよう。時は縮まっている。私たちの年月は急速に過ぎ去りつつある。世界は古びつつある。大いなる裁判がまもなく開廷するであろう。その《裁判官》がまもなく現われるであろう。そのとき私たちは、いかなる者となっているだろうか? いかなる者に似ているだろうか? 私たちの上に刻まれている彫像は、銘は、どなたのものだろうか? それはフェストのものか、アグリッパのものか、それとも聖パウロのものだろうか?

 フェストとアグリッパは今どこにいるのだろうか? 私たちにはわからない。その後の彼らの生涯については、垂れ幕が引かれており、彼らがこの時点まで生きてきた通りの状態で死んでいったかどうかは、わからない。しかし、「全く」キリスト者となった人、聖パウロはどこにいるだろうか? 彼は「はるかにまさっている」こと、「キリストとともにいる」ことを享受している(ピリ1:23)。彼は、罪やサタンや悲しみによってもはや悩まされることのない、かの安息のパラダイスにおいて、義人の復活を待っている。彼は勇敢に戦い終えた。走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通した。1つの栄冠が彼のために用意されており、主の現われなさる、かの大いなる閲兵の日には、それが彼に授けられることになっている(IIテモ4:7、8)。

 そして、神に感謝すべきことに、聖パウロは死んで去ったとはいえ、聖パウロをかくあらしめ、最後まで保ち続けてくださった《救い主》は、今も生きておられ、決して変わることがない。----常に救うことができ、常に受け入れようと待っていてくださる。もし私たちがこれまで自分の魂をないがしろにしてきたとするなら、それは過ぎ去った時でもう十分である。新規蒔き直しをしようではないか。これまで一度もそうしたことがなかったとしたら、いま立って、キリストとともに始めよう。もしすでにキリストとともに始めているとしたら、最後までキリストとともに進み続けよう。神の恵みがあれば、何も不可能ではない。キリスト者たちを憎む迫害者、タルソのサウロが、自分自身、「全く」キリスト者となり、偉大な《異邦人の使徒》となり、世界をひっくり返すことになるなどとだれが考えただろうか? いのちある限り、希望はある。フェストやアグリッパにならう者たちも、まだ回心することはありえる。そして何年かを生きた後で、とうとう聖パウロのように「全く」キリスト者となった者として墓に横たわることがありえるのである。

肖像画[了]

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*1 この論考に含まれている内容は、1881年4月に、オックスフォードの聖メアリー教会で全学を前に行なった説教、および、ロンドンの聖ジェームズ宮殿の王室礼拝堂でなされた説教である。[本文に戻る]

*2 ルター、ベザ、グローティウス、プール、ベンゲル、シュティーア、ハウスン主教座聖堂参事会長。[本文に戻る]
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