Athens            目次 | BACK | NEXT

9. アテネ*1


 「さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。
 「そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた」----使17:16、17

 この論考を読んでいるあなたは、ことによると町か都市に住んでおり、緑の野原よりも煉瓦や漆喰を見ることの方が多いかもしれない。ことによるとあなたには、町に住む親戚か友人がいて、当然ながら彼らに深い興味を寄せているかもしれない。いずれにせよあなたは、このページの冒頭に冠した聖書の節に、よくよく注意を払うべきである。しばらくの間、私の云うことに注意を傾けてほしい。私はあなたに、この箇所に含まれているいくつかの教訓を示したいと思う。

 この節であなたが前にしているのは、ただの都市ではなく、ただの人物ではない。

 その都市とは、かの有名なアテネである。----きょうのこの日に至るまで、その政治家や、哲学者や、歴史家や、詩人や、画家や、建築家が盛名を馳せているアテネ、----古代ギリシャが異教世界の中心であった時代に、そのギリシャの中心であったアテネである。

 その人物とは、かの偉大なる《異邦人への使徒》聖パウロである。----史上最も激しく働き、最も成功をおさめた教役者にして宣教者たる聖パウロ、----彼自身の《天来の主人》を除き、女から生まれたいかなる者にもまさる足跡を、その筆と舌によって深々と人類の上に残した聖パウロである。

 アテネと聖パウロ----キリストの偉大なしもべと、古の異教主義の総本山----が顔と顔とを向かい合わせている。その結果がここで語られている。その会合が丹念に叙述されている。私があえて考えるところ、この主題は、私たちの生きている時代にとって、また、ロンドンや、リヴァプールや、マンチェスターその他の、現代の英国の大都市に居住する多くの人々を取り巻く状況にとって、この上もなく適したものである。

 これ以上は何の前置きも語らず、私はあなたに、この箇所で3つのことに注目してほしいと思う。----

 I. 聖パウロはアテネで何を《見た》か。
 II. 聖パウロはアテネで何を《感じた》か。
 III. 聖パウロはアテネで何を《行なった》か。

 I. まず第一に、聖パウロはアテネで何を《見た》だろうか?

 この聖句による答えは明確で、取り違えようのないものである。彼は、「町が偶像でいっぱいなのを」見た。偶像は、あらゆる街路で彼の目にとまった。偶像の神や女神の神殿が、あらゆる目立った場所を占めていた。プリニウスによれば高さ四十フィートを越える、壮麗なミネルヴァの像がアクロポリスの上に聳え立ち、町中から見えたという。非常に制度化された偶像礼拝が、その都市全体を覆っており、彼の目につくあらゆる場所でのさばっていた。古代の著述家パウサニアスは、はっきりこう云っている。「他のいかなる州にもましてアテネ人たちは、神々への礼拝に意を用いていた」。つまり、その都市は、欄外別訳にあるように、「偶像で満ちていた」のである。

 だがしかし、ここで思い出してほしいが、この都市は、おそらく聖パウロが見ることのできた異教都市としては格好の見本であった。その規模に比例して、この都市にはまず間違いなく、地球上で最も学識に富み、最も開明的で、最も哲学的で、最も高い教育を受け、最も芸術的で、最も知的な住民がいたであろう。しかし、宗教的な見地からして、それはいかなる場所であっただろうか? ソクラテスやプラトンのごとき賢人たちの都市、----ソロンや、ペリクレスや、デモステネスの都市、----アイスキュロスや、ソフォクレスや、エウリピデスや、トゥキュディデスの都市、----精神と、知性と、芸術と、品性の都市、----この都市が、「偶像でいっぱい」だったのである。真の神が、アテネで知られていなかったとしたら、アテネに劣る暗愚な地域のどこで知られえただろうか? ギリシャの中心が霊的にはこれほどの密雲に覆われていたとしたら、バビロンや、エペソや、ツロや、アレキサンドリヤや、コリントといった場所、否、ローマでさえ、その状態は、いかなるものでしかありえなかっただろうか? もし人々が、生木においてさえこれほど光から遠ざかっていたとしたら、枯木においてはいかなるものになり果てずにはおかなかっただろうか?

 こうしたことに私たちは何と云うべきだろうか? こうしたことから私たちが否応なしに導かれるのは、いかなる結論だろうか?

 1つのこととして私たちは、神的啓示の、そして天からの教えの、絶対的な必要性を学ぶべきではないだろうか? 人間は、聖書なしに放っておかれても、何らかの種類の宗教を奉じはするであろう。というのも、いくら腐敗してはいても、人間性は、神なしにはいられないからである。しかし、その宗教には、光も、平安も、希望もないであろう。「この世は自分の知恵によって神を知ることがない」*(Iコリ1:21)。古のアテネは、私たちが絶えず思い起こして損はない教訓である。堕落した人間は、啓示の助けがなくとも、その天性によって、神のご性質に導かれうるのだ、などと考えるのは無駄である。聖書を持たないアテネ人は、切り株や石を拝み、自分の手で作ったものを礼拝していた。だれかひとり異教徒の哲学者を----それがストア派であれエピクロス派であれ----ぽっかりと口を開いた墓穴のわきに伴い、来世について尋ねてみるがいい。彼は確かな、満足の行く、平安を与えるようなことを何も云うことができない。

 もう1つのこととして私たちは、いかに高度な知的訓練も、必ずしも宗教上の愚昧さを防ぐ手立てにはならない、ということを学ぶべきではないだろうか? 疑う余地もなく、異教世界のどこかに人々の精神と理性が高度に教育されている場所があったとしたら、それはアテネであった。ギリシャ哲学の学究たちは無学の徒でも無知な人々でもなかった。彼らは、論理学にも、倫理学にも、修辞学にも、歴史学にも、詩学にも精通していた。しかし、こうした修養のすべてをもってしても、彼らの都市が「偶像でいっぱい」になることは防げなかった。だが、十九世紀の私たちは、読み書きと、算術と、数学と、歴史と、言語と、物理学があれば、聖書の知識がなくとも、それで十分な教育であると告げられてはいないだろうか? とんでもない! 私たちはキリストのことを、このようには学ばなかった。人によっては、知力を偶像視し、世界がギリシャ人の知性から受けた恩恵を高く評価するのは快いことかもしれない。だが、ともかく1つのことだけは、明々白々である。もしもヘブル人の国で聖霊によって啓示された知識がなかったとしたら、古代ギリシャは世界を愚昧な偶像礼拝の中に埋没させたままだったであろう。ソクラテスやプラトンの弟子たちは、様々な主題について賢明に、また雄弁に語れたかも知れないが、あの看守の問いかけ、「救われるためには、何をしなくてはなりませんか?」、に答えることだけはできなかったに違いない(使16:30)。その人は、臨終を迎えたときに、決してこう云うことはできなかったに違いない。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか」。

 別のこととして私たちは、いかに卓越した芸術によっても、決して暗愚きわまりない迷信から免れることはできないことを学ぶべきではないだろうか? アテネ人の手になる建築と彫刻が完璧の域に達していることは、否定しがたい偉大な事実である。アテネで聖パウロの目は、今なお芸術的な人々にとっては「永遠の喜び」である多くの「美々しいもの」を見つめた。だがしかし、アテネの壮麗な建築物を考案し、建造した人々は、唯一真の神については完全に無知であった。近年の世界は、私たちが到達した芸術および科学における、いわゆる進歩についての自負で、ほとんど酔いしれているかのようである。人々は、種々の機械類や製造品には何事も不可能ではないかのように語ったり書いたりしている。しかし、決して忘れないようにしよう。いかに高度な芸術や機械技術も、宗教面で霊的に死んだ状態と並び立ちうるのである。フェイディアスの都市アテネは、「偶像でいっぱいな」町であった。アテネ人の一彫刻家は、比類ない墓石を設計することはできたが、哀悼者の目から一滴の涙も拭い取ることはできなかった。

 こうした事がらを忘れるべきではない。それらは注意深く熟考されるべきである。それらは私たちが生きている時代に最も適したものである。私たちが生まれ合わせた時代は、懐疑的で、不信仰な時代である。私たちが至る所で出会うのは、啓示の真実さと価値に関する種々の疑念と質問である。「理性さえあれば十分ではないだろうか?」----「聖書は本当に人々に知恵を与えて救いを受けさせるのに必要だろうか?」----「人間の内側には、真理と神に至らせることのできるような光と、真実を見きわめる力があるのではないだろうか?」 こうした問いかけや疑問が、雨あられのように私たちの周囲に降り積もっている。こうした思弁が、多くの不安定な人々の心を乱している。

 1つの平易な答えは、種々の事実に訴えることである。異教徒の手にあった時代のエジプトや、ギリシャや、ローマの遺跡が私たちに代わって語ってくれる。それらが神の摂理によって今日まで保存されてきたのは、啓示を受けていない知性と理性に何が可能かを示す記念碑とされるためである。ルクソルやカルナックにある神殿、あるいはパルテノンやコロセウムを設計した精神は、愚者の精神ではなかった。彼らの設計を具現化した建造者たちは、現代のいかなる工事請負人にできるよりも見事な、また永続的な仕事を行なった。エルギンの大理石彫刻として知られる、彫刻の施された小壁を構想した人々は、最高度に訓練された、知的な人々であった。だがしかし、宗教面では、こうした人々は暗黒そのものであった(エペ5:8)。聖パウロがアテネで目にした光景は、《天来の》啓示を持たない人間が、自分の魂に善を施すべき何物についても無知であることを示す、反駁しようのない証明である。

 II. 第二のこととして私があなたに注意してほしいのは、聖パウロがアテネで何を《感じた》か、ということである。彼は「町が偶像でいっぱいなのを」見た。その光景は、いかなる影響を彼に及ぼしただろうか? 彼は何を感じただろうか?

 人々が、同一の光景によって、いかに異なる影響を及ぼされるかに注目するのは、非常に示唆に富むことである。ふたりの人を同じ場所に置いてみるがいい。彼らを隣り合わせに立たせ、目の前に同じ物を差し出してみるがいい。一方の人に呼び起こされる種々の情緒は、もう一方の人のそれとはしばしば全く異なっている。そこに呼び覚まされて、生じさせられる種々の思いは、しばしば両極端なほど正反対である。

 ただの芸術家がアテネを初めて訪れたならば、疑いもなくその数々の建築物の美しさに陶然とさせられるであろう。政治家か雄弁家ならば、ペリクレスやデモステネスの記憶を呼び覚ますであろう。文筆家ならば、トゥキュディデスやソフォクレスやプラトンについて思い起こすであろう。商人ならば、ピレエフス[アテネに隣接する港市]と、その港と、海を見つめるであろう。しかしキリストの使徒は、はるかに高い思いをいだいていた。1つのことが、他のすべてを圧して彼の注意を呑みつくし、それ以外のすべてを些事にしてしまった。その1つのこととは、アテネの人々の霊的状況、----彼らの魂の状態であった。この偉大な《異邦人への使徒》は、この上もない一事の人であった。その《天来の主人》と同じく、彼は常に自分の「父の仕事」について考えていた(ルカ2:49 <新改訳欄外訳>)。彼はアテネに立って、アテネ人の魂の他ほとんど何も考えなかった。モーセや、ピネハスや、エリヤと同じように、彼は「町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた」。

 私にとって、地上のあらゆる光景の中でも何にもまして印象深く、思慮深い人の精神につきせぬ思想をかき立ててやまないと思われるのは、大都市の眺めにほかならない。都市によって自然と生み出される、人と人との日ごとの交際が、いかに知性を鋭利にし、いかに精神活動を刺激するかは、農村部の教区や、その他のうら寂しい地域に住んでいる人々には想像もつかないであろう。良かれ悪しかれ、都市の住民は、田舎の農村に住む人々にくらべて、二倍のことを、二倍の速さで考えている。都市こそ、「サタンの王座がある」場所である(黙2:13)。都市こそ、ありとあらゆる種類の悪がこの上もなく急速に胚胎し、種子を蒔かれ、生育し、完熟する場所である。----都市こそ、実家を離れて人生に乗り出す青年たちがどこよりも早く心をかたくなにし、日ごとに罪の光景になじむことで良心を無感覚にしてしまう場所である。----都市こそ、いずこにもまして肉欲や、放縦や、邪悪きわまりない世俗的な娯楽が、極度にはびこり、それに適した雰囲気に事欠かない場所である。----都市こそ、不敬虔と不信心とがその最大の激励を受ける場所、安息日を破り、あらゆる恵みの手段を無視する不幸な人々が、他の人々の模範の陰に隠れて強気になり、「自分ひとりだけじゃない!」、と感じてみじめな慰めを味わえる場所である。----都市こそ、ありとあらゆる形の迷信や、形式尊重主義や、熱狂主義や、宗教上の狂信の根城である。----都市こそ、ありとあらゆる種類の偽りの哲学の温床である。ストア哲学や、エピクロス的な快楽主義や、不可知論や、世俗主義や、懐疑主義や、実証論や、無信仰や、無神論の温床である。----都市こそ、現代における発明品のうち最大のもの----すなわち、印刷機という、善をも悪をも行なう圧倒的な力を有するもの----が、不眠不休の活動を続けて、思索の種となる新しいものを常に吐き出しつつある場所である。----都市こそ、毎日の新聞が絶えず精神のための食物を供給し、世論を形成し、誘導しつつある場所である。----都市こそ、あらゆる全国規模の取引の中心である。幾多の銀行や、法廷や、証券取引所や、議院や、議会はみな、都市と結びついている。----都市こそ、磁石のような影響力によって、国中の上流社会や社交界の人々を引き寄せ、社会の趣味やあり方の基調を整えている場所である。----都市こそ、実質的には一国の運命を左右する場所である。農村部に散らばっている何百万もの人々は、定常的に協調することも連絡もとりあうこともないため、肩と肩を接して居住し、日々意見を交換し合っている何万人もの人々の前では無力なのである。都市部が国を支配しているのである。もしも聖ポール大寺院の大聖堂の天辺に立ってロンドンを見下ろしても、何の感動も覚えず、自分の見ているのが、文明世界の隅々にまでその脈拍を届かせている心臓であることを考えもしない人がいるとしたら、憐れな人だと思う。では、アテネの姿を目の当たりにした、この偉大な《異邦人への使徒》のような人物が、「心に憤りを感じた」としても、一瞬たりとも不思議に思うことがあるだろうか? 全く不思議ではない。それは、この回心したタルソ人の心をまさに動かすであろうような姿であった。ローマ人への手紙を書き、イエス・キリストとじかに向き合ったことのある人物の心をまさに動かすであろうような姿であった。

 彼は、聖なる同情心によって激情を感じた。彼の心を動かしたのは、これほど膨大な数の人々が、知識を欠くために、神なく、キリストなく、希望なく、滅びに至る広い道を破滅に向かって歩みつつある光景であった。

 彼は、聖なる悲しみによって激情を感じた。彼の心を動かしたのは、これほど大きな才能が濫用されつつある光景であった。ここには、卓越した工芸品を作り上げることのできる手と、高貴な構想をいだくことのできる精神があった。だがしかし、いのちと息と力とをお与えになった神の栄光は現わされていなかった。

 彼は、罪と悪魔に対する、聖なる憤激によって激情を感じた。彼は、この世の神が、おびただしい数の自分の同胞たちの目をくらませ、彼らを思いのままにとりこにして引き回しているのを見た。人間の生まれながらの腐敗が、蔓延した悪疫のように1つの大都市の住民を汚染し、そこに何の霊的治療法も、解毒剤も、救済の手立ても全く見当たらないという姿を見た。

 彼は、自分の《主人》の栄光に対する、聖なる熱心によって激情を感じた。彼は、「強い人が十分に武装して」、正当には自分のものでもない家を守っており、しかるべき所有者を閉め出しているのを見た。自分の《天来の主人》が、ご自分の被造物たちによって知られることも認められることもなく、偶像どもが《王の王》に捧げられる敬意を受けているのを見た。

 読者の方に云いたい。こうした、使徒の心を揺さぶった種々の感情は、御霊によって生まれた人に主として伴う特徴の1つなのである。あなたは、それらについて少しでも知っているだろうか? 真の恵みがあれば、必ずそこには他者の魂に対する優しい気遣いがあるものである。真に神の子どもとされた者がいれば、必ずそこには御父の栄光を求める熱心があるものである。不敬虔な人々について聖書の語るところ、彼らは、死罪に当たることを行なっているだけでなく、「それを行なう者に心から同意している」という(ロマ1:32)。それと同じくらい真実なことは、敬虔な人々が、自分自身の心の中にある罪について嘆くだけでなく、他の人々のうちにある罪についても嘆く、ということである。

 ソドムに住んでいたロトについて何と書かれているか聞くがいい。彼は、「不法な行ないを見聞きして、日々その正しい心を痛めていた」(IIペテ2:8)。ダビデについて何と書かれているか聞くがいい。「私の目から涙が川のように流れます。彼らがあなたのみおしえを守らないからです」(詩119:136)。エゼキエルの時代の敬虔な人々について何と書かれているか聞くがいい。彼らは、「この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんで」いた(エゼ9:4)。私たちの主にして《救い主》なるお方ご自身について何と書かれているか聞くがいい。「都を見られたイエスは、その都のために泣い」た(ルカ19:41)。確かにこのことは、聖書的なキリスト教信仰の第一原則の1つとして規定されてよいであろう。すなわち、悲哀を感ずることもなく罪を眺めることのできる人は、御霊の思いを有していない、と。これこそ、神の子らをまぎれもなく示し、悪魔の子らとはっきり区別する事がらの1つである。

 読者の方々はこの点に格別の注意を払ってほしい。時代は私たちがこの点に正面から向き合うことを要求している。私たちが罪や、異教主義や、不信心を目にするときに、いかなる感情をいだくかは、今日、途方もなく重要な主題となっているのである。

 最初にあなたに願いたいのは、わが国の外に目を向け、異教世界の状態について考えてみることである。少なくとも六億を下らない不滅の存在が、今この瞬間にも無知と、迷信と、偶像礼拝の中に沈み込んでいる。彼らは神なく、キリストなく、希望なく生き、そして死んでいく。病や悲しみに遭うとき、彼らには何の慰めもない。老年や死に際して、彼らは墓の彼方に何の生も有していない。ひとりの《贖い主》を通して得られる平安の道についても、キリストにある神の愛についても、無代価の恵みについても、咎からの完全な赦免についても、永遠のいのちへの復活についても、彼らは何の知識も有していない。長く、大儀な幾世紀もの間、彼らは、キリストの教会の遅々たる動きを待ちわびていた。その間、キリスト者たちは眠りこけているか、形式だの儀式だのに関する、つまらない口論や論争にふけっていたのである。これこそ、「心に憤りを感じ」るべき光景ではないだろうか?

 次にあなたに願いたいのは、もう一度わが国に目を向け、私たちの大都市の状態について考えてみることである。私たちの大首都や、リヴァプールや、マンチェスターや、バーミンガムや、ブラックカントリー[英国中部の工業地帯]には、キリスト教が実質的に全く知られていないも同然の区域がある。東ロンドンや、サザクや、ランベスにおける宗教事情を吟味してみるがいい。土曜の夜に、あるいは日曜日に、あるいは何らかの一般公休日に、リヴァプールの北地区の通りを歩いてみるがいい。そこでいかに安息日破りや、暴飲や、不敬虔さ一般が、大きな顔でのし歩いているか見てみるがいい。「強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です」(ルカ11:21)。そしてそのとき思い出すがいい。こうした事態が、自らキリスト教国であると公言している国、1つの《国立教会》を有する国、オックスフォードやケンブリッジから数時間しか離れていない所で存在しているということを! もう一度私は云う。こうした事がらは、私たちの心に「憤り」を感じさせてしかるべきではないだろうか?

 悲しい事実だが、現在私たちの周囲には、異教主義や、無信仰や、不信心を眺めても、平然と、冷淡に、無関心なようすをしていられる世代があるのではないだろうか? 彼らは国内国外を問わず、キリスト教の宣教活動について全く気にかけようとしない。彼らには、そうしたものがなぜ必要なのかわからない。彼らは、いかなる教会の、あるいは団体の《伝道的な》働きにも無関心を決め込む。そうしたものをみな、あからさまな蔑みをもって扱う。彼らはエクセター・ホールを軽蔑する。彼らは何の募金にも応じない。何の集会にも出席しない。何の宣教報告書も読もうとしない。あたかも彼らは、いかなる人も真摯でありさえすれば、その人の有する律法や宗派によって救われるのだと考えているかのように見える。いかなる宗教も、それを告白する人々が誠実に信じさえすれば、どれもみな等しく良いものであると考えているかのように見える。彼らは、霊的な組織や宣教活動をこきおろしたり、けなしたりすることを好んでいる。彼らが常に行なっている主張によると、現代は、国内であれ海外であれ、いかなる宣教活動を行なおうと何にもならず、そうした活動を支援する人々は愚鈍な熱狂主義者とほとんど変わることがないのである。そうした言葉遣いから判断する限り、彼らは世界が宣教活動や積極的なキリスト教運動によって何の益もこうむらないと考えているように思われる。あたかも、世界はそのまま放置しておいた方がましだと云わんばかりである!

 こうした人々に対して私たちは何と云うべきだろうか? 彼らと出会わないような場所はない。いかなる集まりにおいても彼らの声は聞こえる。無関心な態度をとり、皮肉を云い、批判し、何もしない。----見るからに、これが彼らの喜びであり使命なのである。私たちは彼らに何と云うべきだろうか?

 私たちは彼らにはっきり云ってやろう。----彼らに聞く耳があればの話だが、----あなたがたは使徒、聖パウロとは全く正反対である、と。私たちは彼らに示してやろう。アテネの通りを歩きながら、「町が偶像でいっぱいなのを見て」、その霊に「憤り」を感じた、かのキリスト教宣教師の大模範を。私たちは彼らに尋ねよう。あなたがたは、中国やヒンドスタン、アフリカや南太平洋の偶像礼拝について、あるいは、ロンドンや、リヴァプールや、マンチェスターや、バーミンガムや、ブラックカントリーの半異教的な区域について、なぜ聖パウロが感じたように感じないのか、と。私たちは尋ねよう。千八百年経ったからといって、神のご性質に何か違いが生じたのだろうか? 堕落した人間の必要や、偶像礼拝の罪深さや、キリスト者たちの義務に、何か違いが生じたのだろうか、と。そう尋ねても、筋の通った答えは何1つ返ってこないであろう。私たちの弱さを鼻で笑う人々も、私たちの主義原則については論駁できない。私たちの欠陥や失敗を物笑いの種にできるからといって、私たちの目標が間違っているという証明にはならない。しかり。彼らはこの世の小賢しさや知恵は味方につけているかもしれない。だが、新約聖書の永遠の原理は、明瞭に、平易に、取り違えようのないしかたで書かれている。聖書が聖書である限り、魂に対する愛は、キリスト者が有する種々の恵みのうちでも第一のものの1つであり、異教徒たちの、また、あらゆる未回心の人々の魂を思いやることは、厳粛な義務なのである。こうした感情を全く知らないという人は、まだキリストの学び舎で学ぶ者となっていないのである。この感情を蔑む者は聖パウロの後継者ではなく、「私は、自分の弟の番人なのでしょうか」、と云った者----すなわち、カインの追従者なのである。

 III. 最後のこととして私が読者に注目するよう願いたいのは、聖パウロがアテネで何を《行なった》か、ということである。あなたは、彼が何を見たかを聞いてきた。何を感じたかを告げられてきた。だが、彼はいかなることを行なっただろうか?

 彼は何かを行なった。彼は、偶像に満ちている1つの町を目の当たりにしたとき、手をこまねいて何もせず、「血肉に相談する」ような人物ではなかった。考えようと思えば彼は、自分が孤立していることを考えられたかもしれない。----自分が生まれながらのユダヤ人であること、----見知らぬ土地にやってきたよそ者であること、----自分が反対しようとしているものが、数々の根深い偏見と、古来からの学識者たちの寄り合いであること、----古から町をあげて奉じてきた宗教を攻撃することは、獅子のひげをその巣穴で抜くに等しい暴挙であること、----福音の種々の教理は、ギリシャ哲学が浸透した精神にはほとんど影響を及ぼす見込みがないことを考えられたかもしれない。しかし、こうした思いのいかなるものも、聖パウロの思いをよぎったようには見えない。彼が見たのは魂が滅びつつある姿であった。彼は人生が短く、時が過ぎ去りつつあることを感じていた。彼は、自分の《主人》の使信の力が、あらゆる人間の魂にふさわしいものであることを確信していた。彼は自分自身あわれみを受けとった者であり、沈黙を守っていることなどできなかった。彼はただちに行動した。できることを見つけ次第、全力を込めてそれを行なった。おゝ、今の時代にも、こうした行動の人がもっといたならどれほどよいことか!

 だが彼の行動は、聖なる大胆さによるものであったばかりか、聖なる知恵によるものでもあった。彼は自分ひとりで積極的に打って出た。同行者や助け手がやって来るのを待ってはいなかった。しかし彼は、この上もなく見事な手際でそれに着手し、最も福音の足がかりを得られる見込みが高いしかたで始めた。第一に彼は、会堂で「ユダヤ人……たちと」、またユダヤ教の礼拝に集っていた「神を敬う人たち」、すなわち、改宗者たちと論じたと書かれている。その後で彼は、「広場では毎日そこに居合わせた人たちと」、「論ずる」、すなわち、討論をするようになった。彼は歴戦の将軍のように一歩ずつ前進していった。ここでも、他の点と同じく、聖パウロは私たちにとっての模範である。彼は、熱烈な熱心と大胆さを、つぼを押さえた如才なさや、聖なるものとされた常識に結び合わせていた。おゝ、今の時代にも、こうした知恵ある人がもっといたならどれほどよいことか!

 しかし、使徒は何を教えたのだろうか? 彼が、ユダヤ人やギリシャ人の双方と会堂や町中で論じ合い、論証し、討論した大きな主題は何だったのだろうか? 彼が偶像礼拝の愚かさを無知な群衆の前であばき出したこと、----彼が神の真のご性質を、人の手の作った像を拝む人々に向かって示したこと、----彼が、いかに神は私たち全員にとって身近におられるお方であるか、また、いかに確実に最後の審判の日には神への厳粛な申し開きがなされることになるかを、エピクロス派とストア派の哲学者たちに向かって主張したこと、----これらは、マルスの丘における彼の演説として詳細に記録されている事実である。

 しかし、使徒がこの偶像礼拝的な都市を扱ったしかたについては、それ以上何も学ぶことができないのだろうか? 聖パウロは、それ以上に明確で、格別にキリスト教的なことは、何もアテネ人たちの前に持ち出さなかったのだろうか? 否、それ以上のことが確かになされた。私たちがいま眺めている章の18節には、黄金の文字で書かれてしかるべき語句がある。----それは、ある人々が大胆にも云い立てている厚かましい主張を、永遠に沈黙させるべき語句である。彼らは云う。この偉大な《異邦人への使徒》は、時として、理神論と自然神学を教えるだけで満足していたのだ、と! だが私たちが18節で告げられているところ、アテネ人たちの注意を引いたのは、聖パウロが、「イエスと復活とを宣べ伝えた」という事実だったのである。

 イエスと復活! この語句には何と豊饒な内容が込められていることか! キリスト教信仰の何と完全な要約がこの言葉から引き出されうることか! この言葉が1つの要約を意味しようとしたものであることを私は全く疑っていない。この言葉の意味を絞り上げ、内容をそぎ落とし、単にそれが、キリストの預言者職と模範しか意味してないと解釈するような人々を私は憐れむ。それから数日も経たないうちにコリントに行き、「イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方」----すなわち、十字架の教理----「のほかは、何も知らないことに決心した」のと同じ使徒が、アテネ人の耳には十字架のことを押し隠そうとしたなど、私は到底信じがたいことだと思う。私の信ずるところ、この「イエスと復活」という語句は、福音の全体を云い表わしている。その《創始者》の名前と、福音の土台となる諸事実の1つとが、ここではキリスト教全体の代名詞とされているのである。

 それでは、この語句は何を意味しているのだろうか? 私たちは聖パウロが何を宣べ伝えたと理解すべきだろうか?

 (a) 聖パウロがアテネで宣べ伝えたのは、主イエスの人格であった。----主の神性と、主の受肉と、主の世に下って罪人たちを救うという使命、主の生涯、主の死、そして昇天、主のご性格、主の教え、主の人々の魂に対する驚くばかりの愛であった。

 (b) 聖パウロがアテネで宣べ伝えたのは、主イエスのみわざであった。----主の十字架上における犠牲、主が罪を償われた代償、主が正しい方として悪い人々の身代わりとなられたこと、主がすべての人々のために獲得し、特に信ずるすべての者たちにもたらされた完全な救済、主が失われた人間のために罪と死と地獄に対しておさめた完璧な勝利であった。

 (c) 聖パウロがアテネで宣べ伝えたのは、主イエスの職務であった。----神と全人類との間の唯一の《仲介者》としての職務、罪に病むすべての魂のための偉大な《医者》としての職務、重荷を負ったすべての心に《休息を与えるお方》、また《平安を与えるお方》としての職務、友なき者の《友》たる職務、自分の魂をその御手にゆだねるすべての人々の《大祭司》、また《弁護者》としての職務、とりことされた人々の《贖い代を支払うお方》としての職務、神から離れてさまようすべての人々の《光》、また《導き手》としての職務であった。

 (d) 聖パウロがアテネで宣べ伝えたのは、主イエスがそのしもべたちに対して、全世界に宣べ伝えよとお命じになった条件であった。----主が罪人のかしらをも喜んで、たちどころに迎え入れようとしておられること、主がご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになること、主が信ずる者すべてに差し出しておられる、完全にして、即刻即座に与えられる赦し、すべての形の悪から主の血によって完全にきよめられること、信仰、すなわち単純な心の信頼こそ、自分の罪を感じて救われることを願っているすべての人に要求されている唯一のことであること、信ずるすべての人々には、何の行ないも、わざも、律法の行ないにもよらず、完全な義認が与えられることであった。

 (e) 最後に、しかしこれも重要なこととして、聖パウロがアテネで宣べ伝えたのは、主イエスの復活であった。彼は復活を、イエスご自身がその使命の信憑性の礎となさった奇蹟的な事実として宣べ伝えた。種々の奇蹟に難癖をつける者たちが、正直な思いによっては、いまだかつてあえて立ち向かおうとしたことがないほどの膨大な証拠によって証明された事実として宣べ伝えた。----彼は復活を、救済のわざ全体のまさに冠石であり、お引き受けになったすべてのことをキリストが完全に成し遂げたこと、贖い代が受け入れられたこと、贖罪が完成されたこと、その牢獄の扉が永遠に開け放たれたことを証明するものとして宣べ伝えた。----彼は復活を、私たち自身が肉体において復活することを疑いもなく証明し、「神は死者をよみがえらせるのだろうか」、という大問題に永遠に決着をつけるものとして宣べ伝えた。

 こうした事がらと、こういった類の多くの事がらを、疑いもなく聖パウロはアテネで宣べ伝えたに違いない。彼が、行く先々で全く別のことを教えていたなどとは、私は一瞬たりとも考えることができない。聖霊は、彼の宣教の内容を、「イエスと復活」という滋味豊かな語句によって示しているのである。同じ聖霊は私たちに対して、いかに彼がこうした主題を、ピシデヤのアンテオケで、ピリピで、コリントで、またエペソで扱っていたかを十二分に告げておられる。『使徒の働き』と新約書簡は、この点について、決してはっきりしない音で語ってはいない。私の信ずるところ、「イエスと復活」の意味は、----イエスと、イエスが死んで墓からよみがえることにより、その贖いの血により、その十字架により、その身代わりにより、その仲介により、その天国への凱旋により、そしてその結果たる、ご自分を信ずるすべての罪人たちの受ける完全にして完璧な救いにより、もたらされた救済にほかならない。これこそ、聖パウロが宣べ伝えた教理である。これこそ、聖パウロがアテネにいたときに行なったわざである。

 さて、私たちはこの偉大な《異邦人への使徒》の行ないから、何も学ぶことがないだろうか? 非常に重要ないくつかの教訓がある。それを私は手短に述べて、この論考を読むあらゆる人々に注意するよう勧めたい。私は手短に云う。それぞれについては、ほんの一言ずつ提示するにとどめるので、自分ひとりで熟考してほしい。

 (a) 第一のこととして、アテネにおける聖パウロの行ないから学びたいのは、1つの教理的な教訓である。あらゆる場所における私たちの教えの一大主題は、イエス・キリストであるべきである。私たちの聴衆が、いかに学識ある人々であろうと、いかに無知文盲な人々であろうと、いかに高貴な生まれであろうと、いかに卑しい身分であろうと、十字架につけられたキリスト、----キリスト、----キリスト、----キリスト、----十字架につけられ、よみがえり、とりなしをし、贖い、赦し、受け入れ、救いを与えておられる、----そのキリストこそ、私たちの教えの一大題目でなくてはならない。私たちは決してこの福音を改良できない。決してこれほど大きな善を施せる主題は他にない。私たちは、聖パウロが蒔いたように蒔くのでなければ、聖パウロが得たような収穫を得ることはできない。

 (b) もう1つのこととして、アテネにおける聖パウロの行ないから学びたいのは、1つの実際的な教訓である。必要がある場合、私たちは決して孤立したり、たったひとりでキリストのための証しを立てたりすることを恐れてはならない。----不敬虔さに覆われた、わが国の巨大な教区において孤立すること、----東ロンドンや、リヴァプールや、マンチェスターにおいて孤立すること、----デリーや、ベナレスや、北京において孤立すること、----それは大した問題ではない。もし神の真理が私たちの側にあるなら、私たちは沈黙を守る必要はない。アテネにおける一個のパウロ、世界を向こうに回した一個のアタナシオス、ローマカトリックの高位聖職者たちの大群を向こうに回した一個のウィクリフ、ヴォルムスにおける一個のルター、----こうした人々は、こうした人々こそは、私たちの目の前にある灯台である。神は人が見るようにはご覧にならない。私たちは味方の数を数えながら傍観していてはならない。ひとりの人は、キリストを心にいだき聖書を手に携えていさえするなら、数多の偶像礼拝者たちよりも強いのである。

 (c) もう1つのこととして学びたいのは、キリスト教信仰の本質的部分としての超自然的な要素を大胆に主張することの重要さ----否、むしろ必要性とすら云いたいこと----である。このページを読んでいる多くの人々には云うまでもないことであるが、近年は不信者や懐疑主義者が増大していて、彼らは聖書の種々の奇蹟に対して断固たる姿勢をとっている。そして、ひっきりなしに、それを役に立たない棒切れのように投げ捨てたり、小利口な説明によって、それらが寓話であって奇蹟でも何でもないと証明しようとしている。私たちは決してこうした教えに絶えず抵抗すること、また聖パウロと同じ立場をとることを恐れないようにしよう。パウロのように私たちは、キリストの復活を指し示し、それを支持する証拠を論駁してみよと、あらゆる公正で道理の分かる人々に向かって確信をもって挑戦しよう。超自然的キリスト教信仰の敵たちは、いまだかつてその証拠を論破したことはなく、今後も決してそのようなことはできないであろう。もしキリストが死者の中からよみがえらなかったとしたら、キリストが世を離れてから後の使徒たちの行動や教えは、解明不能な問題であり、完璧な謎であり、分別のあるいかなる人にとっても説明のつかないことである。しかしもし、私たちが信ずるように、キリストの復活が否定しようもない事実、反証不可能な事実であるとしたら、超自然的キリスト教信仰に対する懐疑的議論の基本構造は掘り崩され、倒壊してしまうに違いない。キリストの復活という途方もない奇蹟がひとたび認められたならば、聖書の中にある、それより小さな他の奇蹟が信じがたいとか、不可能であるとか云うのは全くのたわごとである。

 (d) もう1つのこととして、アテネにおける聖パウロの行ないから学びたいのは、信仰を励ますべき1つの教訓である。もし私たちが福音を宣べ伝えるとしたら、私たちはそれが善を施すであろうという完璧な自信をもって宣べ伝えることができる。マルスの丘に立つ、孤立無援のタルソ出身のユダヤ人は、そのときには大した善をほとんど、あるいは全く施さなったように思われた。彼は次の旅先へ向かって行き、失敗したかのように見えた。ストア派やエピクロス派たちはおそらく勝負に勝ったのは自分たちだとでも云うかのように笑ったり、嘲ったりしたであろう。しかし、その孤立無援のユダヤ人は、それ以来一度も吹き消されたことのない燭台の火をともしていたのである。彼がアテネで宣言したみことばは、生長し、丈を増し加え、巨大な大木となった。その小さなパン種は、最終的にはギリシャ全土に作用を及ぼした。パウロが宣べ伝えた福音は、偶像礼拝に対して勝利をおさめた。かの空虚なパルテノンは、今日に至るまで、アテネ人の神学が死に絶えたという証明である。しかり。もし私たちが良い種を蒔くなら、それを涙とともに蒔いたとしても、「束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る」であろう(詩126:6)。

 そろそろしめくくりに近づいている。私は、聖パウロがアテネで何を見たか、何を感じたか、何を行なったかということから、実際的に重要な点へと話を進めたいと思う。この論考を読んでいるあらゆる人に私は尋ねたい。私たちは何を見、何を感じ、何を行なうべきであろうか、と。

 (1) 私たちは何を見るべきだろうか? 現代は、観光遊覧と興奮の時代である。「目は見て飽きることも……ない」(伝1:8)。世界は見聞を広めることや、知識を増やすことに狂奔している。幾多の富と、技芸と、人間の発明品を収集した大博覧会には、絶えず膨大な数の人々が引き寄せられている。毎年のように何千何万もの人々が海外へ渡航し、人の手になるわざに驚きの目をこらしている。

 しかし、キリスト者は世界地図を見つめるべきではないだろうか? 聖書を信じている人は、その地図の中の広大な領域が、いまだに霊的な暗黒と死の中にあり、福音が伝えられていないのを見て、厳粛な思いをいだくべきではないだろうか? 私たちの目は、地球の人口の半分がまだ神をもキリストをも知らず、いまだに罪と偶像礼拝の中に安住していること、また、わが国の大都市に住むおびただしい数の同国人が、実質的には異教徒とほとんど変わることがないこと、それはキリスト者たちが魂のためにかくも少ししか行なっていないためであることを見てとるべきではないだろうか?

 神の目はこうした事がらをご覧になっている。私たちの目もそれらを見るべきである。

 (2) 私たちは何を感じるべきだろうか? 私たちの心は、もしそれが神の前で正しければ、無宗教や異教主義を目の当たりにするとき心を動かされてしかるべきである。実際、世のありさまを見るとき私たちの心の中に呼び起こされるべき感情はいくらでもある。

 私たちは、自分が受けている無数の特権のゆえに感謝を感じるべきである。実際、英国の人々の大半は、自分たちがいかに大量の負債を日ごとに、また無償で、キリスト教に負っているかほとんど知ってはいない。ある人々の場合、もしも毎年、数週間でも異教国に強制的に住ませられるとしたら、よい影響があるであろう。

 私たちは、これまでの英国国教会が、キリスト教の進展に対し、いかに少ししか行なってこなかったかを考えて、恥と不面目を感じるべきである。実際、神は、クランマーや、リドリや、ラティマーが火刑柱に赴いた時代以来、私たちのために偉大な事がらを行なってくださった。----多くの試練を通して私たちを守り、多くの祝福によって私たちを富ませてくださった。しかし私たちは、いかに少ししか神に見返りを与えてこなかったことか! 私たちの一万五千の教区のうち、国内であれ海外であれ、キリスト教宣教の名に値するようなことを行なっている教区の、いかに少ないことか! 魂の救いについて熱心さを示す会衆の、いかに少ないことか! こうしたことがあるべきではない!

 私たちは、未回心の魂の不幸な状態と、キリストを離れて生きて死んでいくすべての人々の悲惨さについて考えるとき、同情を感じるべきである。この貧窮ほどの貧窮はない! この病ほどの病はない! この奴隷制ほどの奴隷制はない! この死----偶像礼拝と無宗教と罪の中における死----ほどの死はない! 私たちは、自分自身に問いただした方がよいであろう。もし私たちが失われている人々を思いやらないとしたら、キリストのみ思いはどこにあるのか、と。私は、次のことを大胆に、1つの大原則として規定するものである。すなわち、未回心の人々の状態について思いやらせないようなキリスト教は、千八百年前に天から下ってきて、新約聖書の中に防腐保存されたキリスト教ではない、と。それは、ただの空疎な名前にすぎない。それは聖パウロのキリスト教ではない。

 (3) 最後に、私たちは何を行なうべきだろうか? 結局において、これこそ私があなたの精神にもたらしたいと思っている点である。見てとることも感じとることも悪くはない。だが、行なうことこそキリスト教信仰の生命である。行動に至らせることのない、受動的な印象には、良心を無感覚にし、私たちに積極的な害悪を及ぼす傾向がある。私たちは何を行なうべきだろうか? 私たちは、これまでしてきたことをはるかに越えたことを行なうべきである。私たちはみな、おそらく今より多くのことを行なうことができるであろう。福音の栄誉、海外における宣教地の状態、国内で過密しつつある諸都市の状況、これらはみな私たちが今以上のことを行なうことを要請している。

 私たちはただ手をこまねいて、自分たちの戦いの武器を恥じている必要があるだろうか? 福音は、----昔からの《福音主義的な》信条は、----私たちの時代の求めには力不足なのだろうか? 私の大胆に主張するところ、私たちはこの福音を恥じることなど全くない。それは、錆びついてなどいない。時代遅れになってなどいない。私たちは何も新しいものを必要としてはいない。福音には何をつけ足すことも、何を差し引くことも不要である。私たちが必要としているのは、ただ「昔からの通り道」にほかならない。----昔からの種々の真理を十分に、大胆に、心を込めて宣言することである。ただ福音を、聖パウロが宣べ伝えたのと同じ福音を十分に宣べ伝えるがいい。そうすれば、それは今なお、「信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力」であって、それ以外に宗教と呼ばれるいかなるものにも真の力は全く何もない(ロマ1:16)。

 私たちはただ手をこまねいて、福音宣教の結果を恥じている必要があるだろうか? 私たちは首をうなだれて、「聖徒にひとたび伝えられた信仰」はその力を失ってしまい、何の善も施すことがないのだなどと不平を云わなくてはならないのだろうか? そのように恥じることは全く何もない。私は大胆に云うが、地上にあるキリスト教信仰の教えの中でも、言及に値するような成果を指し示せるのは、教理的、教義的神学と呼ばれるものだけである。現代の----教義的な教えを蔑む----学説学派が、いかなる解放を地上にもたらしてきただろうか? いかなる解放を作り出してきただろうか? 大都市や、わが国の海港や、製造業都市や、炭坑地区といった場所に広がった半異教的な教区のうち、彼らが伝道したり、教化したりした教区がどこにあるだろうか? いかなるニュージーランドを、いかなるレッド川を、いかなるシエラレオーネを、いかなるティルネルヴェリを、この終わりの日の大仰な体系は、自分たちの体系の成果として指し示せるだろうか? 否! もし「真理とは何か?」という問いが、結果や成果を引き合いに出すことによって決されうるとしたら、新約聖書の信仰は、----すなわち、その原理原則の要約と精髄とが私たちの《信仰箇条》や《信条》や《祈祷書》に防腐保存されている信仰は、----何1つ恥じることはない。

 さて私たちに今できることと云えば、過去については深くへりくだり、今後については、神の助けにより、より多くを行なおうと努力することだけである。私たちは、自分の目をより大きく見開いて、より多くのことを見てとるようにしよう。自分の心をより大きく広げ、より多くのことを感じとるようにしよう。自分を奮い立たせて、より多くのわざを行なうようにしよう。----自己否定的な捧げ物により、熱心な協力により、大胆な弁論により、熱烈な祈りにより、より多くを行なおう。自分の信ずる真理にふさわしいことを何か行なうようにしよう。イエスが天国を離れて地上に来てまでも打ち立てようとした真理は、私たちのなしうる最上のことを捧げるに値するものに違いない。

 さて今、この論考のしめくくりにあたり私は、冒頭で述べた思想に立ち戻りたいと思う。ことによると、あなたは町か都会に住んでいるかもしれない。わが国の農村部の人口は年々減少しつつある。都市部の住民数は急激に農村地域の住民数を上回りつつある。もしもあなたが都会の住人であるとしたら、これから私が差し出す勧めの言葉を受け入れてほしい。よく注意して聞くがいい。私はあなたに、あなたの魂のことについて語るのである。

 (1) 1つのこととして、あなたは、自分が格別な霊的危険の伴う立場に置かれていることを覚えておくがいい。バベルの時代からこのかた、アダムの子らが大勢寄り集まる場合、例外なく彼らは、互いに互いを極度の罪と邪悪さのきわみに引きずり込みあうのが常であった。大都市は常にサタンの座であった。都市こそ、青年があふれんばかりの不敬虔さの実例を目にする場所である。また、もし彼が罪の中で生きようと決意するなら、常にその道連れに事欠かない場所である。都市こそ、劇場や賭博場、舞踏場や安酒場が絶えず混み合っている場所である。都市こそ、金銭への愛や、娯楽への愛や、官能的快楽への愛が、おびただしい数の奴隷をとりこにして引き回している場所である。都市こそ、常にあまたの人々が他人に悪い励ましを与え、安息日を破らせ、恵みの手段を軽蔑させ、聖書をないがしろにさせ、祈りの習慣を捨てさせようとしている場所である。私は読者の方々に云う。こうした事がらを考えるがいい。もしあなたが都市に住んでいるなら、注意するがいい。自分の危険を悟るがいい。自分の弱さ、罪深さを感じるがいい。キリストのもとに逃れ来て、自分の魂をその守りの手にお任せするがいい。キリストに、自分を支え続けてくださいと願うがいい。そうすればあなたは安全であろう。用心を固めるがいい。悪魔に立ち向かうがいい。目を覚まして、用心しているがいい。

 (2) その一方で、もしあなたが都市に住んでいるとしたら、おそらくあなたは、地方では必ずしも見いだすことのできないような特別な助けを得られるであろう。英国のほとんどの都市には、キリストの忠実なしもべたちが何人かはおり、あなたが天国へ向けて歩んでいる旅において、喜んであなたを支え、あなたを助けてくれるであろう。ほとんどいかなる英国の都市においても、あなたは福音を説教している教役者を数人は見いだし、狭い道を歩んでいる巡礼たち、そして自分たちの仲間の数が増えることを喜んで歓迎する人々を数人は見いだすはずである。

 私は読者の方々に云う。勇気を出すがいい。都会でキリストに仕えることなど不可能だという絶望的な思いに決して屈してはならない。むしろ、神にとって不可能なことは何1つないと考えるがいい。自分の十字架を負った人々、そして熾烈きわまりない誘惑の最中にあってさえ、死に至るまで忠実であり続けた証人たちの長い名簿に思いをはせるがいい。ダニエルや、あの三人の少年たちのことを考えるがいい。ローマでネロの家中にあった聖徒たちのことを考えるがいい。使徒たちの時代のコリントや、エペソや、アンテオケに在住していた、おびただしい数の信仰者たちのことを考えるがいい。人をキリスト者にするのは場所ではなく恵みである。いまだかつて世にあった、最も聖く、また最も用いられた神のしもべたちは、荒野にこもった世捨て人ではなく、都市に住む者たちであった。

 こうした事がらを覚えておき、勇気を出すがいい。あなたはアテネのように、「偶像でいっぱいな」都市に住むよう巡り合わせているかもしれない。あなたは銀行や、会計事務所や、取引場や、商店で、孤立しなくてはならないかもしれない。しかし、もしキリストがあなたとともにおられるなら、あなたが真の意味で孤立することはない。主にあって、その大能の力によって強められるがいい。大胆で、裏表なく、断固たる、忍耐強い信仰者となるがいい。やがて来たるべき日には、あなたは気づくであろう。たとえ大都市の中にあっても、人は幸福で、用いられるキリスト者となることができ、生きている間は尊敬され、死ぬときには栄誉を与えられることができるのだ、と。

アテネ[了]

_____________________________

*1 この論考に含まれている内容は、1880年に、オックスフォードの聖メアリー教会で、全学を前に説教されたものである。[本文に戻る]

HOME | TOP | 目次 | BACK | NEXT