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4. 土台となる真理*1


「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと……です」----Iコリ15:3、4

 この論考の冒頭に冠された聖句は、ほとんどの英国人にとって、あまりにも慣れ親しまれた聖書箇所から取られている。この章から選ばれた教訓こそ、英国国教会の比類なき埋葬式の一部をなすものにほかならない。卑見によれば、祈祷書の中のいかなる特別礼拝にもまして、これほど美しい礼拝式はない。私たちがみなよく承知しているように、かの古き良き『公同祈祷の書』は、一部の人々の目には何の見とれるような姿もなく、輝きもない。埋葬に関する英国国法は変更されてしまい、私たちの教会墓地の葬儀には、他のいくつかの「礼式」が認可され、導入されつつある。しかし私は、1つのことだけは確信している。信仰を告白するキリスト者のからだが土にゆだねられるとき行なわれる礼拝式として、国教会の典礼式文ほど賢明で健全なものは、今後決して現われることはないであろう、と。

 この章の議論の出発点となっているのが、ここで主題聖句とした2つの節なのである。使徒がまずコリント人たちに思い起こさせているのは、彼が初めて彼らに教えた際に彼らに伝えた「最も大切な事がら」には、キリストについての2つの偉大な事実があった、ということである。その1つはキリストのであり、もう1つはキリストの復活であった。明らかにこの箇所は、非常に興味深い2つの主題を提示していると思われる。この論考を手に取ることになるすべての人々に私は、その2つの主題に注意を払うよう促したい。

 I. 1つのこととして、聖パウロがコリント人たちに伝えた主要な真理に、よく注目しよう
 II. もう1つのこととして、その真理をなぜ聖パウロが、それほどまでに目立って顕著な立場に置いているのか探ってみよう

 I. では、使徒がコリントで「最も大切なこととして」宣べ伝えた事がら、彼が最も重要であるとした事がらは何だったのだろうか?

 この問いかけに答える前に、私は読者の方々にしばし立ち止まって、聖パウロがアテネを離れてコリントに着いたとき、彼がとどのつまりはいかなる状況にあったのか十分に理解しておいてほしいと思う。

 ここには、ひとりぼっちのユダヤ人が、とある異教徒の大都市を初めて訪れている姿が見える。彼が来たのは、そこで全く新しい宗教を宣べ伝え、攻撃的な伝道活動を開始するためにほかならない。彼の属していた民族は、他からの蔑視の対象であり、ギリシャ人からもローマ人からも冷笑され、他民族から切り離された辺境の一角に国を構え、その風変わりな律法や風習によって隔離され、異邦人たちには、文学においても、軍事力によっても、芸術によっても、学問によっても知られていないものである。この大胆なユダヤ人の「実際に会ったばあいの」風采は「弱々しく」、その「話しぶり」は、ギリシャの修辞学者にくらべると、「なっていない」(IIコリ10:10)。彼は、この都市の中で孤立しているひとしい。だがその都市たるや、異教徒の評価によってさえ、その奢侈と、不道徳と、偶像礼拝とによって、世界中に名を馳せた都市であった。そのような場所に、そのような人物が立っていたのである! これほど尋常ならざる立場を思い描くのは困難である。

 だが、この孤独なユダヤ人は、そのコリント人たちに何を告げたのだろうか? 彼は、この新しい信仰の偉大な《かしら》であり《創設者》であるお方について、何を告げただろうか? 何によって彼らを、その古来の宗教にかえて、新しい信仰を受け入れさせようとしただろうか? 彼は、キリストがどのような生涯を送ったかをこわごわと告げることから始めただろうか? キリストがいかに教え、いかに奇蹟を行ない、いかに、「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません」、と云われるほどの話し手であったかを告げただろうか? この方がソロモンのように富んでいたとか、ヨシュアのような勝利をおさめたとか、モーセのように学問があったと告げただろうか? そのような類のことは何1つ語らなかった! 彼がキリストについて真っ先に宣言した事実は、この方が死んだこと、それも最も不名誉な死に方をしたこと、----犯罪者としての死、十字架における死を遂げたことであった。

 では、なぜ聖パウロはキリストの生よりもキリストの死の方に、これほどの強調を置いたのだろうか? それは、彼がコリント人に告げているように、キリストが、「私たちの罪のために死なれた」からである。何と深遠な、何と瞠目すべき真理であることか! これこそ、使徒が宣べ伝えにやって来た宗教全体の土台となる真理であった! というのも、キリストのその死は、殉教者としての不本意な死でも、単なる自己犠牲の模範でもなかったからである。これは、《天来の代理人》がアダムの咎ある子らにかわって受けた、自発的な死であった。その死によってこの方は、「世の罪」のために贖いをなされたのである。それは神の御前における罪深い人の立場に、深甚な影響をもたらす死であった。堕落の数々の結果からの完全な救済を差し出す死であった。一言で云えば、聖パウロはコリント人にこう告げたのである。キリストが死んだとき、キリストは咎ある人間の《代表者》として死んで、ご自分のいけにえにより私たちのための贖罪を成し遂げ、私たちが受けてしかるべき刑罰を耐えてくださったのだ、と。キリストは、「十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました」。キリストは、「罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは……私たちを神のみもとに導くためでした」。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」(Iペテ2:24; 3:18; IIコリ5:21)。これは、疑いもなく人知を越えた、途方もない神秘に違いない! しかしそれは、アベルの時代以来、四千年もの間、個々のいけにえがみな絶えず指し示していた神秘だったのである。キリストは、「聖書の示すとおりに」死なれたのである。

 聖パウロが自分の教えの前面に押し出した、キリストに関するもう1つの偉大な事実は、キリストの死者の中からの復活である。彼はコリント人に向かって大胆に告げた。死んで葬られたこの同じイエスは、死んでから三日後に墓から生きて出て来られ、多くの確かな証人たちによって、その肉体を見られ、ふれられ、握りしめられ、話しかけられたのだ、と。この驚愕すべき奇蹟によってキリストは、前々からそうすると語っていた通りに、ご自分が約束の、長く待たれ、預言によって予告されていた《救い主》であると証明なさったのである。ご自分の死によって成し遂げられた罪の償いが、父なる神に受け入れられたこと、私たちを救済するためのみわざが完成したこと、罪と同様に、死という敵もまた打ち負かされたことを証明なさった。つまり、使徒はこう教えたのである。ありとあらゆる奇蹟の中でも最大の奇蹟がなされた。そして、私が宣言するためにやって来たこの新しい信仰の《創設者》が、このように、まず私たちの罪のために死に、続いて私たちが義と認められるためによみがえられた以上、何事も不可能なことはなく、人間の魂が救われるために欠けたことは何1つないのだ、と。

 それこそ、聖パウロが、キリスト教の教師としてコリントで活動を始めたときに、最も大切なこととした2つの偉大な真理であった。----すなわち、キリストの私たちの罪のための代償死、----そしてキリストの墓からの復活である。これらに先んずるものは、明らかに何もなかった。これらと肩を並べるものは何もなかった。疑いもなく、聖パウロのように学識に富み、高度な教育を受けた人物にとって、そのような手段をとることは、信仰と勇気が激しく試みられることであった。血肉は、そうした手段から身をよじらせて逃れたことであろう。パウロ自身こう云っている。「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました」(Iコリ2:2、3)。しかし、神の恵みによって彼はひるむことがなかった。彼は云う。「私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心した」。

 またコリントでなされたことは、他に例のないことではない。この偉大な異邦人のための使徒はどこへ行こうと、同じ教理を宣べ伝え、それを自分の説教の最前面に置いていた。彼が語りかけた聴衆は千差万別であり、その精神状態も非常に異なる人々であった。しかし、彼は常に同じ霊的薬を用いた。それがエルサレムであれ、ピシデヤのアンテオケであれ、イコニオムであれ、ルステラであれ、ピリピであれ、テサロニケであれ、ベレヤであれ、アテネであれ、エペソであれ、ローマであれそうした。その薬とは、十字架と復活の物語であった。それこそ、彼の教えのどこを切っても出てくることであった。ローマ人総督のフェストでさえ、アグリッパにパウロの云い分を伝える際には、その係争点が、「死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張している」ことにあるのだと説明している(使25:19)。

 (a) ここで私たちが1つのこととして学びたいのは、千八百年前にパレスチナから発して、世界をひっくり返したこの宗教の主要な原理は何であったか、ということである。筋金入りの不信者でさえ、この宗教が人類の上に生み出した影響を否定することはできない。キリスト教の創始以前の世界と以後の世界は、光と闇、夜と昼ほどにも異なった世界であった。キリスト教こそ、偶像礼拝をすたれさせ、異教の神殿に閑古鳥を鳴かせたものであった。----剣闘士の決闘競技を中止させ、女性の地位を向上させ、道徳の格調を完全に引き上げ、子どもたちや貧窮者の状態を改善したものであった。こうした事実は、啓示宗教のいかなる敵に対しても、反駁してみるよう私たちが挑戦して差し支えないものである。これらの事実は、不信心にとって最も重い困難の1つとなっている。何がこれをもたらしたのだろうか? 一部の人々が云うように、単なるより高尚な義務の規範----プラトン哲学の焼き直しのようなものを、何の根拠も動機もなしに世に現わしたことによってなされたのではない。否! それはカルバリの十字架と、園に残された空っぽの墓という単純な物語であった。「そむいた人たちとともに数えられた」お方の驚嘆すべき死と、その驚愕すべき復活の奇蹟であった(イザ53:12)。神の御子がいかにして私たちの罪のために死に、いかにして私たちが義と認められるためによみがえられたかを告げることによって、使徒たちは、また使徒たちにつながる人々は、世の全面を一変させ、おびただしい数の人々を教会に集め、無数の罪人たちを聖徒に変えていったのである。

 (b) もう1つのこととして学びたいのは、もし内的な、霊的な慰めを本当に得たければ、何が私たち個人の信仰の土台でなくてはならないか、ということである。初期のキリスト者たちがそのような慰めを有していたことは、真昼の太陽のようにはっきりしている。私たちは新約聖書の中で何度となく彼らの喜びと、平安と、希望と、忍耐と、朗らかさと、充足感について読んでいる。教会史の中で、彼らが、いかに熾烈な迫害のもとにあっても、その勇気と堅固さを保ち続けたこと、愚痴1つこぼさずに苦しみに耐え、勝利のうちに死んでいったことを読んでいる。だが、何がその彼ら独特の性格の主ぜんまいだったのだろうか?----彼らの不倶戴天の敵たちにすら賛嘆の念をかき立て、プリニウスのような哲学者たちを困惑させた、この性格の源泉は何だったのだろうか? その答えは1つしかない。この人々は、聖パウロがコリント人に向かって「最も大切な」こととして宣言した、2つの偉大な事実をしっかり握っていたのである。彼らの偉大な《かしら》、主なるイエス・キリストの死と復活を握っていたのである。私たちは、決して彼らの足どりにならうことを恥じないようにしよう。「教義神学」をあざ笑い、昔ながらの信条や信仰様式を、時代遅れの、錆びついた、この十九世紀にはふさわしからざるものででもあるかのように冷笑するのは、いかにも手軽で安直なことである。しかし、結局のところ、現代の哲学や冷たい抽象論の教えの成果は、この明確な、見下されつつあるキリスト教教義の成果にくらべれば何だろうか? もしあなたが、生において平安を、死において希望を、また悲しみにあってはっきり感じとれる慰めを有する人々を見たければ、それが見いだせるのは唯一、この聖句にある2つの偉大な事実に心安んじて、こう云える人々の内側だけである。「私が生きているのは」、私の罪のために死なれ、私が義と認められるためによみがえった「神の御子を信じる信仰によっているのです」*(ガラ2:20)。

 II. さてここで、私たちの前にある主題を別の面から眺めてみよう。私たちがこれまで見てきたのは、いかなる真理を聖パウロは「最も大切なこととして」コリント人に宣言したか、またそれらがいかなる効果を生じさせてきたか、ということであった。いま私たちは、彼がなぜそれらをこれほどまでに目立った立場に置くよう導かれたかという理由を把握して、吟味してみよう。

 この質問は非常に興味深いものである。一部の人々とは違って私は、聖パウロがこのような方針を採ったのは、単にそうするように任ぜられ、命ぜられたからだ、と主張することはできない。その理由は、それよりはるかに深いところにあると思う。その理由は、堕落した人間性がかかえている必要と状態との中に求めるべきである。私の信ずるところ、何にもまして人間の必要にかない、それを満たす使信は、聖パウロがコリントにもたらした使信以外にはありえない。もし彼がこの使信をもたらさなかったとしたら、彼がそこに行ったのは全くの無駄足となっていたであろう。

 というのも、世界中のいかなる地域に行こうと、人間には、私たちが注目せざるをえない3つの事がらがつきまとっているからである。それらは、私たちが人間の性質と、立場と、成り立ちをじっくり吟味すればするほど立ち現れてこざるをえない。すなわち、人間とは、罪意識を有し、心の奥底では自分の状態について弁明する責任があると感じている生き物であり、----ゆりかごから墓場に至るまで、常に悲しみと悩みを感じがちな生き物であり、----後には確実な死が、最後には未来の状態が待ち受けている生き物である。これらは、ヨーロッパであれ、アジアであれ、アフリカであれ、アメリカであれ、いずこにおいても、人間をまっこうからねめつけている、3つの大きな事実である。世界中を旅して回ろうと、あなたはそれに出会うであろう。いかに高等教育を受けたキリスト者たちの間であろうと、いかに粗野な野蛮人の間であろうと、それに出会うであろう。わが国の全土を行き巡り、だれよりも学識のある哲学者たちの家庭生活と、だれよりも無学な百姓たちの家庭生活とを研究してみるがいい。いずこにおいても、いかなる身分や階級においても、あなたは同じ報告書を作成せざるをえないであろう。いずこにおいてもあなたは、この3つの事がら----悲しみと、死と、罪意識----を見いだすであろう。そして私は、こういう立場を大胆に取りたい。----いかなる想像を巡らし、いかなることを思い描こうとも、人間性の欲求に何よりも合致し、何よりもふさわしいのは、聖パウロがコリントで最初に伝えたこの教理しかない、と。----すなわち、私たちの罪のためにキリストが死なれたことと、私たちのために墓からよみがえられたことしかない、と。それは、正しい鍵が鍵穴にぴたりと一致するように、人間の必要に一致しているのである。

 しばらくの間、いま私があげた3つの事がらについて見つめさせてほしい。そして、それらがいかに深い洞察を、聖パウロのコリント伝道の開始に際して選ばれた主題に投げかけているか示させてほしい。

 (a) まず第一に、人類という家族のあらゆる成員に、多かれ少なかれ存在している、内なる罪意識と不完全さの自覚を考察してみるがいい。それが人により非常に異なっていることは、私も全く認める。おびただしい数の人々のうちで、それは完全に消え失せ、拭い去られ、死に絶えてしまっているかに見える。初等教育の欠如、習慣的な罪、いかなる形の信仰をも常にないがしろにすること、常習的に肉欲にふけること、----こうしたすべての事がらには、目を見えなくし、良心を無感覚にする驚くほどの力がある。しかし、高位階級の娑羅門か、気違いじみたキリスト教の狂信者たちの間以外のどこであなたは、自分は完全だ、自分には何の欠陥もない、などと堂々と告げる人を見いだせるだろうか? どこであなたは、いかに責めたてられようが、自分が自分のあるべき姿に正確に到達していないとも、しなくてはならないとわかっていながら行なっていないことがあるとも告白しようとしない人を見いだせるだろうか? おゝ、否! 人類の大多数には罪を感ずる良心があり、それが彼らを時としてみじめにしているのである。ヒンドゥー教徒が自らに課す難行苦行も、ヘロデやペリクスのような支配者たちの身震いも、私がいま述べていることを証明している。アダムの子どもがいるところはどこであれ、そこには、心の内奥で咎と、欠陥と、欠乏を意識している生き物がいるのである。

 そして、この罪意識が真に目覚めて、私たちの内側で動き出すとき、何がそれを癒せるだろうか? それこそ大問題である。ある人々は、漠然と神の「あわれみ」や、「いつくしみ」について語るが、自分が何を意味してるのか全く説明することができず、それを手に入れるいかなる資格が人間にあるのか全然示すことができない。他の人々は自分にへつらって、自分の悔い改めや、涙や、祈りや、宗教儀式に活発で勤勉に励むことが、自分に平安をもたらすだろうと考える。しかし、いかなるアダムの子どもが、そのようなしかたで安息を見いだしたことがあっただろうか? こうした薬によっては、決して内側の不安や精神的な恐れは癒されたことがないという、おびただしい数の人々の経験した記録ほど確かなものがあるだろうか? 罪に打ちひしがれた魂に善をもたすことができるとわかっている唯一のものは、神と人との間の《天来の仲保者》の姿だけしかない。この全能の力と全能のあわれみをお持ちの、真に生ける《お方》が、私たちの罪を負い、私たちに代わって苦しみ、ご自分の上に私たちの救済の重荷すべてを引き受けておられる姿しかない。人間が自分の内側を見つめている限り、また自分自身の性格をすり磨き、きよめようとする無駄な努力によって、その罪意識を拭い去ろうと考えている限り、そうしている限り人間は日増しにみじめな気分を味わうしかない。だが、ひとたびその人が自分の外側で平安を求めるなら、----「人としてのキリスト・イエス」が、自分の罪のために死んでいる姿を見つめるなら、----また、自分の魂を主の上に安らわせるなら、その人は、過去十八世紀の間おびただしい数の人々がそうしてきたように、自分の傷ついた良心にまさに必要なものを得たことに気づくであろう。つまり、私たちの罪のために死んでくださっているキリストを信仰によって見ることこそ、人間の霊的必要のために神が定められた治療法なのである。それはアダムの全家を汚染している命とりの業病、いったん見てとられ、感じとられたならば人々をみじめにしてやまない疫病のための、《天来の》特効薬なのである。もしパウロがこの大特効薬をコリントで宣言しなかったとしたら、それは人間性に対する極度の無知と、彼がとんだ藪医者であることをさらけ出していたはずである。そしてもし私たち教役者がこれを宣言しないとしたら、それは私たちの目が節穴であり、私たちにうちにほとんど光がないからであるに違いない。

 (b) 次のこととして考察したいのは、人間がいかに悲しみに陥りやすいものか、ということである。「人は生まれると苦しみに会う」、との聖書の証言は、聖書のことなど全く知らず、ただ自分の経験について語っているにすぎない、おびただしい数の人々によって、絶えずこだまのように返され続けている。ほとんどあらゆる人が同意するように、世は苦しみで満ちている。ある真実な言葉によれば、私たちは泣きながら世に生を受け、不平を云いながら世を過ぎ行き、失望とともに世を去る。神のあらゆる被造物のうち、人間ほどもろいものはない。肉体が、精神が、感情が、家族が、財産が、みな順々に悲しみの原因となり、悲しみに通ずる道になる。そして、いかなる身分、階級の人といえども、それから免れることはできない。貧者と同じく富者にも悲しみはあり、無学な者と同じく学のある者にも悲しみはあり、老人と同じく若者にも悲しみはあり、あばら屋と同じく宮殿にも悲しみはある。そして、富も、学問も、高い身分も、決してそうした悲しみが私たちの家々に押し入り、時として武装した人のように私たちの上に襲いかかってくるのを防ぐことはできない。こうしたことが昔からあることを私は承知している。古のギリシャやローマの詩人たち、哲学者たちも、私たちと同じくらいそれを知っていた。しかし、それを思い出させられることはよいことである。

 というのも、人が悲しみに直面し、それを忍ぶのを何が最もよく助けてくれるだろうか? これが問題である。もし私たちの状態が、《堕落》以来悲しみを免れえないようなものだとするなら、何がその悲しみを耐えうるものにする確実な処方箋だろうか? ストア哲学の冷たい教訓の中には何の力もない。神のみこころへの忍従と服従は、好天のもとではこれ以上ないほどすぐれた話の種である。しかし暴風雨が私たちに襲いかかり、心が痛み、涙が流れ、近親者の間に欠けが生じ、友人が私たちを裏切り、金銭が翼をつけて飛んで行き、病が私たちを打ちのめすとき、私たちは抽象的な原則や一般的な教訓以上の何かを欲するのである。私たちは生きた、人格的な《友》がほしくなる。必ずや自分を助けてくれ、思いやってくれるはずだという確信をもって向き合うことのできる《友》がほしくなる。

 さて私は主張したいが、まさにここにおいてこそ、よみがえられたキリストという聖パウロの教えが驚嘆すべき力をもってやって来て、私たちの必要を正確に満たしてくれるのである。私たちには、神の右の座に着いている、同情心に満ちた《友》がいるのである。そのお方は、私たちを助けるためのあらゆる力をお持ちで、弱い私たちの感情を思いやることのできるお方、神の御子イエスである。主は人間の心も、人間のいかなる状態も知っておられる。主ご自身が女から生まれ、血肉のからだにあずかられたからである。主は悲しみがいかなるものか知っておられる。主ご自身がその肉体をとられたときには、涙を流し、うめき声をあげ、深い悲しみを味わったからである。主は私たちに対するご自分の愛を証明するために、三十三年の間この世で「私たちのあり方を忍び」、おびただしい数のいつくしみ深い行ないをなされ、無数の慰めの言葉を語り、最後には私たちのために十字架上で死んでくださった。そして主はこの世を去る前に、わざわざ次のような黄金のことばを語ってくださった。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」。「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです」。「求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです」(ヨハ14:1、18; 16:24)。私はこれほど人間の欲求に合致した真理を想像することができない。悲しみにあるとき、規則や、原則や、処方箋や、教訓はみな、それなりに非常に役には立つ。しかし、人間の心が何にもまして切望するのは、自分が行って語りかけることのできる、もたれかかることのできる、心を通いあわせることのできる、個人的な友なのである。よみがえられたキリスト、今も生きておられ、神の右の座に着いて私たちのためにとりなしをしておられるキリストこそ、私たちがまさに必要とする《お方》にほかならない。もし聖パウロがこのお方をコリント人に宣言しなかったとしたら、彼は人間の最大の求めの1つを満足させないまま放っておいたことになったであろう。いかなる宗教も、人間性の正当な欲求を満たすことがない限り、決して人を満足させることはないであろう。生きた、よみがえられたキリストを全く等閑に付するような信仰体系を教える人々は、倦み疲れた自分たちの聴衆が、ローマカトリック教の告解場で、人間の司祭たちの足元に安息を求めるようになるとしても、決して驚いてはならない。

 (c) 最後に考察したいのは、アダムのあらゆる子らがいつの日か出会うことを心に決めなくてはならない、死の確実さと、その種々の結果である。

 死が深刻なことであると云うのは、非常に無味乾燥な、自明の真理を口にすることに等しい。だが、奇妙な事実ではあるが、人が六千年もの間なじんできたにもかかわらず、死の深刻さはごく僅かも減じられてはいない。個々人の最期は、その人の生涯の中でも、決して容易ならざる出来事であり、ほとんどの人は正直にそう告白する。この世を去って、それまで自分が果たしてきたあらゆる務めに対して目を閉ざすこと、----自分の肉体を、好むと好まざるとにかかわらず、病と、腐敗と、墓場という屈辱に引き渡すこと、----私たちの立案や計画や意図のすべてをやめさせられること、----これらはみな十分すぎるほど深刻なことである。しかし、あなたがこれらに1つの圧倒的な考えを加えるとき、----墓のかなたには何かがあるのだ、----生者のいまだ見たことのない、未知の世界があるのだ、----地上における私たちの一生について何らかの申し開きが求められるのだ、----という考えを加えるとき、いかなる人の死も、途方もなく深刻な出来事となる。いみじくも私たちの大詩人シェイクスピアは、「死後の何物かに対する恐怖」について語っている。それは、多くの人々が口でそうと告白するよりもはるかに大きく感じている恐怖である。イスラム教の宿命論で満足する人はほとんどいない。魂の死後絶滅説を信じている者など、千人にひとりも見つかるまい。

 さて、霊感を受けていない古代宗教や、現代哲学の体系にとって、死の刹那ほど、それが完膚無きまでに崩れ落ちる点はない。エーリュシオン[極楽浄土]の野で、生身を持たない幽体の間で永遠に暮らすことは、ホメーロスの描く英雄たちでさえ、ありがたくない終末とみなしていた。死後の薄ぼんやりとした安息の状態について語る、曖昧模糊とした、何の根拠もない理論----何らかのしかたで、何らかの方法によって、肉体を離れた善人や義人の魂は何の目的もないまま無限に存在し続けるなどという考え----は、みじめな慰めにしかならない。ホメーロスも、プラトンも、ボーリングブルックも、ヴォルテールも、ペインも、みな同じように、口を開いた墓穴を見下ろすときには悄然とし、沈黙してしまう。

 しかし、まさに人間の作ったすべての体系が最も弱い点、人間性の欲求を最も満足させることのできない点において、聖パウロがコリントで宣言した福音は最も強大な力を有しているのである。というのも、それが私たちに示している《全能の救い主》は、私たちの罪のため一度死んで墓に下ったただけでなく、その肉体をもって再び墓からよみがえったお方、またご自分が死に対して勝利を得たことを証明したお方だからである。「今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」。----「キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました」。----「主は、その死によって、死を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださいました」*(Iコリ15:20; IIテモ1:10; ヘブ2:15)。

 そして、神に感謝すべきことに、この死と墓に対するほむべき勝利は、キリストによってキリストご自身だけのためにかちとられたのではない。十八世紀もの間、キリストはご自分を信じ、ご自分を信頼するおびただしい数のキリスト者たちをして、恐れなく恐怖の王に直面できるようにしてくださった。彼らが死の影の谷に下っていくときも、確かに自分は勝利を得て出てくることができ、自分の肉から神を見るはずだとの、確実な希望を持てるようにしてくださった。異教徒による迫害下にあった初期のキリスト者たちの死の物語を読むがいい。メアリー女王の治下に、オックスフォードやスミスフィールドで、プロテスタント信仰のため苦しみを受けて死んでいった人々の経験に注目するがいい。もしあなたにできるものなら、伝記という伝記を渉猟し、平安と希望と力強い励ましという点にかけて、キリスト者の臨終の床に少しでも匹敵できるような、非キリスト者の臨終の床を見つけだしてみるがいい。あなたは永遠に探し続けても見つけだせまい。あなたは、キリストが死んでよみがえったという古い聖書の真理こそ、人間性にまさに合致した真理であり、神から下ってきたものに違いないという結論に至らざるをえないであろう。これが、これだけが、生まれながらの人をして、その最後の敵に恐れなく立ち向かわせ、こう云われることができるであろう。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか」(Iコリ15:55)。

 こうした事がらに私たちは何と云うだろうか? 人間の心とその必要という主題が、深遠で、入り組んだものであることは、私もよく承知している。しかし、人々の心を多年にわたり注意深く学んできた結果、私は1つの断固たる確信に達した。その確信によると、聖パウロが、コリントで宣べ伝えたことを最も大切なこととして真っ先に宣べ伝えた真の理由は、彼が人間の性質と、その道徳的状態と、立場とを、正しく理解していたことにある。彼は聖霊なる神によって教えられていたのである。これこそ、この病にふさわしい唯一の薬である、と。人間性に必要とされるのは、死に行く罪人たちのための信仰であり、強大な救済体系であり、人格的な《贖い主》である。そして、キリストのみわざは、その必要を満たすものとして驚嘆するほどふさわしいものなのである。私たちは命とりの病を病んでおり、何よりもまず求められるのは生きた医者である。

 もし聖パウロがコリントにおけるその働きを始めた際に、単に人々に向かって、あなたがたは高潔であれ、道徳的であれ、と告げるだけで、キリストを押し隠していたとしたら、それは無価値よりも悪かったであろう。それは今も同じくらい無価値である。それは、積極的な害悪をさえもたらす。人間性を覚醒させた後で、それに対して神の霊的な処方箋を示さないのは、何にもまして有害な結果に至らせることがある。私たちの知る限り最もあわれな事例は、一方で、罪と、悲しみと、死を明確に見てとりながら、もう一方では、罪のために死に、罪人のためによみがえられたキリストを明確に見てとっていない人の場合である。そのような人は、まさしく全くの絶望に落ち込むか、ローマ教会の人を惑わす神学に慰安を求めるしかない。疑いもなく、私たちは未回心の夢を何年も見続け、霊的疑いや恐れなど全く感じないでいることがありえる。しかし、いったんある人の良心が不安になり、平安に餓えかわくようになったが最後、私の知る限り、その人を癒すことができ、その人を魂を滅ぼす過誤から守ることができる唯一の薬は、聖パウロがコリントで伝えた「最も大切なこと」しかない。----キリストの贖罪死と復活という2つの教理しかない。

 さてこの論考のしめくくりにあたり私は、これを読むすべての人々への助言の言葉をいくつか述べておきたい。それは、今の時代にとって必要と思える助言である。これが、だれかにとって時宜にかなった言葉にならないとだれに云えよう?

 (a) それでは、まずあなたに何にもまして強く助言させていただきたい。最も大切なこと、すなわち、キリスト教信仰の土台となる真理について、断固たる見解をいだくことを恥じてはならない、と。あなたの生まれ合わせた時代は、自由思想と、自由解釈と、自由探求の時代である。近年は教義的な決定や、いわゆる教条主義に対する嫌悪が蔓延しており、ことによると、いかなる年齢層にもましてその影響にさらされているのが青年層である。青年の心の中に自然にある寛大さ、疑うことを知らない純真さ、正々堂々たる行動への愛により、青年は、極度に明確な神学的見解をとることや、狭量で、党派心にかられた、けちくさい根性から尻込みするものである。現代の誘惑は、あいまいな熱心さで事足れりとし、輪郭のはっきりした明確な見解すべてから遠ざかり、あらゆる学派の名誉会員となり、熱心さを示し、一所懸命に働いている限りだれしも信仰において不健全ではありえないと主張することである。

 (b) しかし、結局において、あなたが自分のキリスト教信仰をして、この冷たい世界を生き抜かせ、実を結ばせたいと思うのなら、それには根がなくてはならない。「熱心さ」や「情熱」や「働き」は素晴らしい言葉である。しかし、花壇に突き刺した切り花のように、下に根が隠されていない以上、それらには長持ちする力がない。むろんキリスト教信仰には二義的な事がらがあり、それらについて青年である人々は判断を留保しておき、より光を与えられるのを待っていてかまわない。だが、私はあなたに覚えておくように命ずる。キリスト教信仰の中には、何にもまして大切なことがあり、それについてあなたは断固たる考え方をし、自分の心を決めなくてはならない。私は云う。もしあなたが内なる平安をいだきたければ、また用いられる者となることを望むのなら、そうしなくてはならない。そして、そうした最も大切なことの中でも、平原にそびえる山々のように、2つの偉大な真理が、この論考の冒頭に冠された聖句には規定されているのである。それは、私たちのためのキリストの死、そしてキリストの奇蹟的な復活にほかならない。この2つの偉大な真理を堅く握りしめるがいい。これらにあなたの足を堅く踏みしめるがいい。こらによって魂を養うがいい。これらを糧として生きるがいい。これらに立って死ぬがいい。決してこれらを手放してはならない。努めてこう云えるようにするがいい。「私は、自分の信じて来た方をよく知って」いる、と。----信じて来たものではなく、、と。私が生きているのは、私のために死んで、よみがえってくださったお方を信じる信仰によっている、と。いかなる代価を払っても、このことについて断固たる立場に立つがいい。そうすれば、しかるべきときに、他のすべての真理もこれに加えて与えられるであろう。

 (c) もしかすると、この論考を読む人々の中には、幸福な実家という穏やかな停泊地から、せわしない生活の戦いと争闘の中に乗り出そうとしている人がいるかもしれない。しかし、あなたの暮らす土地がどう巡り合わせようと、それが都会であれ田舎であれ、富者の間であれ貧者の間であれ、私はあなたが善を施そうとする人になってほしいと思う。そして覚えておくがいい。あなたが絶えず解決しなくてはならなくなる主たる問題の1つは、いかにすれば、罪の重荷の下にあえぐ魂、あるいは悲しみに押しつぶされそうになっている魂、あるいは死の恐れにのしかかられている魂を助けることができるか、ということなのである。もしその時が来たならば、私が今日あなたに語りかけている言葉を思い出すがいい。----善を施すための唯一の道は、聖パウロの足どりにならって、人々に最も大切なこととして、第一に、絶えず、繰り返し、人々の前でも、家々でも、こう告げることである。イエス・キリストはあなたの罪のために死んで、あなたが義と認められるためによみがえられ、今も神の右の座に着いて生きていて、あなたを受け入れ、赦し、守ろうとしておられ、あなたに栄光の復活を与えるためにすぐにも再び来ようとしておられる、と。これらは聖霊が常に祝福してこられ、今も祝福しておられ、主が来られるまで祝福してくださる真理である。これらが聖パウロの「最も大切なこと」であった。神の恵みによって、これらがあなたの最も大切なこととなるように決心し、決意するがいい。

土台となる真理[了]

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*1 この論考の内容は、元来、1880年に、オックスフォードの聖メアリー教会の選抜説教者としての私の番が巡ってきたときに、全学を前に説教されたものである。[本文に戻る]

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