第3章 遺稿――契約と信仰内容要約――在ロンドンのキリスト者たちへの手紙――逸話と言い伝え――その教区における影響――ホーワース競馬の中止――にせ信仰告白者をどのように発見するか――聖なる礼拝における独特の司式方法――ロウメイン、ヴェン、ニュートンの証言
ひとりの偉人の人格を正しく評価するためには、その生涯の事跡に加えて、可能であれば常に2つの情報源に目を向けなくてはならない。1つは、その人が後に遺した文章であり、もう1つは、その人について同時代の人々が後世に伝えたあれこれの逸話である。その双方によって私は、今このページを読んでいる方々に対して、ウィリアム・グリムショーについて知るべき点をさらに努めて示そうと思う。グリムショーのような人物が遺した文章は、まばらで数の少ないものとならざるをえない。それは、余儀ないことであろう。もしもある聖職者が毎週二、三十回も絶え間なく説教しており、ヨークシア・ランカシア・チェシアの全域で一貫して強力な伝道活動を行なっていたとしたら、その人にものを執筆するための時間がほとんどなくなっても不思議はない。事実、先に言及した『ホワイトへの返答』だけが、グリムショーが公に著した唯一の出版物である。同じ『返答』の中で、この人物は自らこう語っている。「私は、自分の行なっている働きはみなそうですが、ものを書くための時間をほとんど持ち合わせていません」。しかしながら、グリムショーの思想を綴った貴重な遺稿が今なお、ほんの僅かは存在している。それは、この説教者がどのような気立てをしていたかを示す有益なよすがであり、おそらくキリスト者であるどのような読者にとっても有益な内容であろう。
グリムショーが神と結んだ契約は、ハーディによって詳しく示されているが、きわめて驚くべき、また興味深い文書である。とはいえ、このような伝記に収めるにはいささか長すぎる*1。以下に示すその抜粋によって、この契約がどのようなものであったか多少は理解できよう。――
「永遠にして、変わり給うことなきエホバよ! 天と地の大いなる《創造主》にして、御使いと人間たちの畏み崇むべき主よ! 今このとき、 畏怖すべき御前で私は、この上もなきへりくだりと魂を卑しむ思いをもってここに願い、熱心に祈ります。言葉にすることも思い描くこともできないご栄光をふさわしく感じさせることで、この魂を貫いてくださるようにと」。……
「私は知っています。あなたの愛の御子イエスを通して、あなたが身をへりくだらせて、罪深い定命の者たちのもとを訪れ、あなたに近づくことができるようにしておられること、また、このような契約によるやりとりを許してくださっていることを。それどころか、私は知っています。そのご構想とご計画が全くあなた自身のものであり、あなたが恵み深くもそれを送り、私に差し出してくださったことを。たとい現実に差し出されたとしても、あなたによる教えを受けていない者は誰ひとり、そのご計画に加わることも、受け入れることもできないのですから」。……
「それゆえ、あなたに私はいま近づきます。愛によって招かれ、主の義にのみより頼みつつ、恥と不面目をもって御足のもとにひれ伏す中で、この胸を打ちながら、あの取税人とともに申し上げます。神さま。こんな罪人の私をあわれんでくださいと! おゝ、主よ。私は大きなそむきの罪を犯してきたことを認めます。私のもろもろの罪は天にまで達しており、私の数々の不義は空にも及びます。私の卑しい腐敗と情欲は無数のかたちで死のために実を結んできました。私の行なった悪が逐一記録されたとしたら、私には決して耐えられなかったことでしょう。しかし、あなたは恵み深くもみもとに帰るよう私を召してくださいました。私は放蕩息子であり、堕落しつつある子どもだというのに。ですから、ご覧ください。私は厳粛に御前に出ています。おゝ、私の主よ。私は自分の罪と愚かさを確信しています。おゝ、主よ。あなたはご存知です。1738年に私はあなたと厳かな契約を結びました。そして、この1752年12月4日、いま一度とこしえに私は、これ以上なく厳粛に、私のすべてと、霊と、魂と、からだとをあなたに明け渡し、おささげし、放棄します。私の《救い主》キリスト・イエスにあるあなたのみこころと命令に従うために、自分の卑しさと取るに足りなさを覚えつつ、しかし、私の愛する尊い《救い主》イエス・キリストの霊と血において、自分があなたに赦され、義と認められ、新生させられた子どもであることを、明確な経験によって感じながら、おささげします」。……
「おゝ、私の《三一の神》よ、栄光が、あなたにありますように! あなたと結んだ私の契約をここに繰り返し、新たにすることをお許しください。私は全く、また永遠にあなたのものであることを願い、決意します。ほむべき神よ、私はこの上もなく厳粛に自分自身をあなたに明け渡します。天よ、聞け、地よ、耳を傾けよ! この日、私は主を私の神、《父》、《救い主》、永遠のゆずりの地であると断言する。私は永遠にその契約の子どもたちのひとりなのだ。おゝ、永遠の主よ、あなたの記憶の書にお記しください。これより私が永遠にあなたのものであることを。この日より私は厳粛に、あなたの御名において、以前のあらゆる主人たちと――この世と、肉と、悪魔と――絶縁します。もはや直接的にも間接的にもそれらに従うことはしません。この日私は私自身を、生きた、聖い、受け入れられる供え物としておささげします。それが私の霊的な礼拝であることを私は知っています。私の世的な所有物をすべてあなたに聖別します。あなたへの奉仕のために、私あらゆる時間を費やすことを願い、決意します。その一瞬一瞬を、今も今後も、生のどのような状況や境遇にあろうとも、あなたのご栄光のために、また、あなたをほめたたえるために費やすことを教えていただきたいと願います。また私は真剣に祈ります。他の人々に対して振るえる影響力として、何らかの形であなたから授かるものは何であれ、どうか、それを最大限にあなたのご栄光のために振るえる力と勇気をお授けください。私は、道理にかなう、ふさわしい影響を及ぼすことによって、単に自分ばかりでなく他のあらゆる人々をも、主に仕えさせようと決意します。おゝ、主よ。その大目的のために私は、今際の息をつくまで倦まずたゆまずに励み、飽くことなく祈ります。この人生のあらゆる日々が、欠けたる点を補い、それらの欠点による不正を矯正するものとなりますように。また、天来の恵みによって私が、そのような幸いな道から離れることなく、日々その道にあって一層多く働けますように。また私は、自分の持てるすべてをあなたへの奉仕のために聖別するだけでなく、この上もないへりくだりをもって、自分の持てるすべてを、あなたの聖く主権的なご意志へと引渡し、明け渡します。おゝ、主よ。私は自分の所有するものすべてと、自分の願うすべてとをあなたのみはからいと御指図におゆだねし、どのような楽しみや興味も御前に置いて、あなたのみこころのままに取り扱ってくださるように願います。すでに私にお与えになったものを与え続けるか、取り除くかしてください。自分が欲していると私が想像しているものを、ただみむねのままに授けるか拒むかなさってください。決して不平を言わないなどとはあえて申しませんが、それでも私はこう言えると思いたく存じます。私は、ただ明け渡すことだけでなく、黙って従うことにも努めており、あなたから下る最も重い苦しみに耐えることだけでなく、そのような苦しみを良いものとして認め、それゆえにあなたを賛美することに努めていると。満ち足りた心で、あなたの定め給うすべてにおいて自分の意志をあなたのみこころに溶かし、自分自身を無と見定め、そしてあなたを、おゝ、神よ、偉大なる《永遠のすべて》と見定めながらです。世のあらゆる物事は、あなたのみことばによって決定され、あなたの御力によって秩序立てられるのですから」。……
「おゝ、神よ。私の行なう事がらを、全くあなたのご栄光と私自身の真の幸福とに付随するような形であしらってください。そして、地上におけるあなたのみこころを果たし終え、忍び、耐えきったときには、みこころの時と方法において私を故郷にお召しください。その臨終の折に、また、永遠に近づいていく瞬間瞬間には、ただこのことをお許しください。私がこのことを、あなたに対する私の約束として思い出し、私の最後の息をあなたの奉仕のために用いることができますように。そして、あなたが、死の苦しみの中にある私を見るとき、たとい私は想起できなくとも、やはりこの契約を思い起こしてくださるように。おゝ、主よ。あなたの衰えつつあり、死に瀕している子どもを、上から眺めてください。あなたの永遠の御腕を私の頭の下に置いてください。世を去ろうとしている私の霊に力と確信を吹き込み、その霊を受け入れ、あなたの永遠の愛で抱きしめてください」。……
「そして、私がこのように死者とともに数えられ、定命の存在に伴うあらゆる恩恵が私にとっては永遠に過ぎ去ったとき、この厳粛な嘆願書が生き残っている友人か親族の誰かの手に入ったならば、それがその人々の思いに真剣な印象を残す手段となり、その人々が単に私の言葉としてではなく、その人々自身の言葉として読めますように。そして、私の神である主を恐れるようになり、私とともに、時においても永遠においても、主の御翼のかげに、自分の信頼を置くようになりますように」。……
「ここに私は、御使いたちと、目に見えないあらゆる傍観者たちとの前で、常にほむべき《三一の神》に対して自分を奉献したことを証しし、厳粛に署名するものである。
1752年12月4日 ウィリアム・グリムショー」次に、ある文書からいくつかの文章を抜粋して示したいが、その文書とは、1762年12月、その死のほんの四箇月前に、グリムショーがロウメインに宛てて送った《信条》あるいは《信仰内容の要約》である。その全文は、ミドルトン著『福音主義者列伝』を見れば示されている。この信条は、グリムショーがキリスト教信仰についていだいていた見解を組織的に言明しているもので、26項目にもわたっているため、もちろん、ここで全文を差し挟むには長すぎる。読者には、二、三の段落を示すことしかできない。いずれにせよ、以下の文章を読めば、グリムショーがどれほど多くの点でウェスレーと一致していようと、確かに当人はアルミニウス主義者ではなかった事実がはっきりするであろう*2。
「二十二――私は信じます。御霊によってこそ私たちは、古い人を(一部の人々が確言するように)根絶するのではなく、――それは馬鹿げているからですが、――意のままに従わせることができます。私たちの肉的な欲求を根こそぎにするのではなく、抑えることができます。世と悪魔に抵抗し、打ち勝つことができます。そして、恵みにおいて、急激にではなく漸次的に成長し、完璧な永遠の日に達することができます。これこそ私がキリスト者の完全、あるいは聖化として認めている、あるいは、知っているすべてです。
「二十三――私は信じます。あらゆる真の信仰者は、肉によっても、世や悪魔によっても、その生涯最後に至るまで日々誘惑を受けます。また、その世や肉や悪魔に従いたいという思いを多かれ少なかれ感じ、しかり、そして事実、従ってしまうものです。ですから、最上の信仰者は、自分が何を言っているか知っており、かつ真実を語るとしたら、最上の状態にあってさえ、罪人でしかないのです。
「二十四――私は信じます。信仰者の思いは、たとい聖書を読んだり瞑想したり祈りをささげたりしている最中であってさえ、絶え間なく一千もの不適切で無益な想念にさらされています。信仰者が行なうどのような信仰上の勤めにも欠けがあります。信仰者が帯びている美点はみな、どれほど卓越したものであっても不完全です。神は、信仰者が行なうあらゆる聖なる物事に不義をご覧になります。かりに信仰者が心を尽くして神を愛しているとしても、それでも絶えず詩篇作者とともにこう祈らなくてはなりません。『あなたのしもべをさばきにかけないでください』[詩143:2]。
「二十五――しかし私は信じます。イエスは、価なしの《救い主》であるばかりか、十分な《救い主》であり、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。キリストおひとりが、単に信仰者の知恵また義であるだけでなく、聖めと贖いです。信仰者のうちには、その今際のときまで、罪とけがれをきよめる泉が常に開かれています。それが日ごとに私に与えられている必要な特権、私の救援、私の慰めです。
「二十六――私は最後に信じます。神は真実で変わることがありません。その約束はことごとく『しかり。』であり『アーメン。』です。神は、使徒が言う通り、決して決して私を離れず、決して決して私を捨てません。むしろ私や、神を信じ、愛し、恐れるすべての者に、私たちの信仰の結果である魂の救いを与えてくださるでしょう。
「それが、私の信条の要点です。これは、少なくとも私が、かの健全なことばの手本であるとあえて呼びたいものです。この要点において私は、古今を問わず、どのような人間にも書物にも重きを置かず、ただ聖書と、理性と、経験だけを重んじています。この信条に従って私は、自分のあらゆる説教において、これまで進んできましたし、これからも進んでいきたいと希望しています。人間を卑しめ、私の愛する主をそのあらゆる職務においてほめたたえながらです」。
グリムショーの遺稿の中から示したいと思う最後の見本は、ロンドンにいる何人かのキリスト者たちに宛てて書かれた一通の書状である。それは1760年1月9日付けの手紙で、ハーディによるグリムショー伝の中に見つかる。
「私たちの父なる神と私たちの主イエスから、恵みとあわれみと平安とがありますように。あなたがたが、これまで関わりを持ってきたか、いま関わりを持っている、ある種の人々については安心できます。キリストにあって神のもとに行った方々については安心できます。キリストにあって、神のもとに行っていない方々については安心できます。いまキリストのうちにある者になり、神のもとに行きたいと切に願っている方々については安心できます。キリストのうちにある者になりたいとも、神のもとに行きたいとも願っていない人々については安心できます。安心できないのは、キリストの外にあり、悪魔のもとに行ってしまった人々だけです。そのような人々のことは放っておき、もはや何も言わずにおくに越したことはありません。
「キリストにあって神のもとに行った方々については安心できます。あなたがた、キリストに仕える教役者たちも信徒たちは、その方々についてもはや疑いや痛みを感じていません。その人々は今や、そして永遠に、世と肉と悪魔の手が届かないところにいます。悪者どもがいきりたつのをやめ、力のなえた者がいこえる所に行っています。アブラハムのふところの中で甘やかに安らいでいます。自分たちを贖ってくださったお方の御前に住んでおり、そこには永久に喜びと楽しみが満ちあふれています。この人々は喜ばしい復活の朝を待っており、その時には自分たちの卑しいからだが主の栄光のからだに似たものとなり、たましいとからだが再び結ばれ、喜ばしい判決を聞き、世の初めからこの人々のために備えられた御国を継ぐのです。
「まだ神のもとに行ってはいなくとも、いまキリストのうちにある人々もやはり安心できます。あなたがたは、神やキリストの隣に住んでいます。天国も、あなたがたをもって始まっています。神の国はあなたがたの中にあり、それをあなたがたは感じています。それは、義と平和と聖霊による喜びという国です。この国は恵みの中で始まり、栄光の中で終わりを迎えます。そうです。それは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。岩なるキリスト、あなたがたの心に据えられた土台、合間にある恵み、天辺にある栄光です。キリスト、望み、栄光です! キリスト、望み、栄光です! あなたがたは《小羊》の血によって洗われており、義と認められており、聖められており、じきに栄光を受けることになります。そうです。あなたがたのいのちは、すでにキリストとともに神のうちに隠されてあるのです。あなたがたの国籍はすでに天にあります。すでにあなたがたはキリスト・イエスにあって天の所に座らされています。これは何と天的な文章でしょう! パラダイスに匹敵するようなものが一体ありえるでしょうか? あなたがた、幸いな魂よ。主をほめたたえなさい。あなたのうちにあるすべてのものが、聖なる御名をほめたたえるようにしなさい。あなたが生きている限り、主に歌い、いのちのある限り、あなたの神をほめたたえなさい。そして、それがどれだけ続くことになるでしょう。栄光に富む永遠にあって代々限りなく続くのです!
「いまキリストのうちにある者になり、神のもとに行きたいと真に願っている方々はみな大丈夫です。確かにあなたがたは神のものです。あなたの願いは神から出ています。あなたは神のいつくしみを味わうことになるでしょう。やがてあなたは、私たちの主イエス・キリストを通して神との平和を持つことでしょう。群れの足跡について行き、羊飼いの住まいのかたわらで養われなさい。あらゆる恵みの手段を誠実に用いなさい。この方は、勤勉に求める者にご自身を示してくださいます。悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。あなたがたの罪がどれほど数多く、どれほどすさまじいものであっても、すべて赦されるでしょう。主はあわれんでくださり、豊かに赦してくださいます。罪の増し加わるところには、恵みも本当に満ちあふれるからです。あなたがたのうちにこの良い働きを始められた方は、それを完成させて、あなたがたに永遠の善を施し、ご自分の栄光が永久にほめたたえられるようにしてくださいます。ですから、疑ってはいけません。恐れてはなりません。砕かれた、悔いた心を神はさげすまれません。あなたの悲しみが深ければ深いほど、あなたの喜びは近づいているのです。人間の窮境は、神が恵みを施される機会です。闇が最も深まるのは普通は夜明け前にほかなりません。じきにあなたは赦罪と平安と豊かな贖いを見いだし、ついには神の聖徒たちに共通する栄光に富む救いにあって喜ぶことでしょう。
「そして最後に、本当にはキリストのうちにある者になりたいとも、神のもとに行きたいとも願っていない人々については安心できます。というのも、今のあなたが地獄の中にいないのは良いことだからです。あなたの恵みの日が完全には過ぎ去っていないのは良いことです。確かに、今はあなたの恵みの時、今はあなたの救いの日です! あなたが、その日の残りを活用し、恐れおののいて自分の救いの達成に努めるならどんなに良いことでしょう。今は信仰を――救いに至る信仰を――得るべき時です。今あなたは《贖い主》の血によってあらゆる罪から洗いきよめられ、義と認められ、聖化され、天のために整えられることができます。願いたいのは、まだ時間のあるうちに、あなたが時間を取ることです。今のあなたには用いるべき恵みがあり、味わうべき神の儀式があり、読んで聴くべき神のみことばがあり、あなたを教える牧会伝道の働きがあり、あなたと会話する教会の会員たちがいます。一日のうちに何が起こるか、あなたは知りません。あなたは突然に死んでしまうかもしれません。死があなたを置いていくとき、審きがあなたを見つけるでしょう。そして、もしあなたが今の状態のまま死ぬ――キリストから離れ、信仰を持たず、新生しておらず、聖められていないまま死ぬ――としたら、神はあなたの上に火と硫黄、つむじ風と暴風を浴びせ、耐えがたい杯を飲ませることでしょう。
「ですから、あなたがたひとりひとりは、これまでの言葉を赦してください。神の栄光と、あなたがたの永遠の救いしか私は目当てとしていません。告白しますが、あなたがたからお返しとしていただきたいのは、私が値する以上の贈り物――あなたがたの祈りです」。
この他にも数多くの文章を抜粋することは容易であろう。しかし、それは控えることにしよう。しかしながら、すでに示した引用の長さについては何も弁解すまい。読者も同意してくれると思うが、これらの引用文はそれ自体に興趣尽きないものがある。しかし、それだけではなく、グリムショーが遺した文章には、別の意味においても価値がある。これらを読むと、この人物が自分の思うところをどのように表現していたか、また、この人物の精神が常々どのような主題を深く考え巡らしていたかが、まざまざと思い浮かぶのである。事実それらを読めば、この天晴れな人物がどのような種類の説教を行なっていたかを、相当まで正確にとらえることができるに違いない。どう考えてもグリムショーは、自分が考えたり話したりする通りの言葉を書き記していた。この人物の遺稿が示しているのは、聖書に満ち、キリストに満ち、聖書の様々な真理に関するする深い思慮に満ちた心からあふれ流れた思想にほかならない。その心は、罪の極度の罪深さと、魂の価値と、悔い改めと信仰の必要と、聖い生き方の幸福と、来たるべき世の重要さとを常に思い巡らしていたことが分かる。グリムショーの遺稿を隅から隅まで丹念に調べるなら、グリムショーがどのような具合で常に説教を行なっていたかについて、相当に正しいとらえ方ができるだろうと思う。
ホーワースのこの善良な教会管理司祭について伝わっている逸話や伝説は非常に数多く、奇抜なものである。ことによると、そのすべてが真実ではないかもしれない。ことによると、一部ははなはだ誇張されているかもしれない。しかしながら、理にかなった推察をことごとく行なった上でも、多くの言い伝えは疑いもなく信じてよい実話である。そのいくつかを、ここに挙げてみよう。
グリムショーが自分自身の教区で獲得した影響力は、非常に大きなものであった。回心していない人々でさえ、この教役者を尊敬し、恐れていた。ジョン・ニュートンは言う。「ある日曜日、ひとりの人が馬に乗ってホーワースを通り抜けようとしていたとき、蹄鉄が1つ外れてしまった。そこで鍛冶屋の所に行って蹄鉄をつけ直してほしいと頼んだところ、驚いたことに、主の日に蹄鉄をつけるには牧師先生のお許しがなくてはなりませんと言われたのである。二人は連れ立ってグリムショー氏のもとに行き、その人は自分が本当に急いでいることを氏に納得させた。鍛冶屋はグリムショー氏から蹄鉄をつけることを許してもらったが、その許しを得なかったとしたら、二倍の賃金をもらっても仕事しようとはしなかったであろう」。
さらにニュートンは、こう言い足している。「グリムショー氏は、会衆が説教前の詩篇を歌っている間、教会を出て、誰かが礼拝を欠席したり、教会付属の墓地や、町通りや、居酒屋などをぶらぶらしたりしていないか確かめるのを常としていた。そして、そのようにしているのを見つけた多くの者らを教会へと追い立てていったのである*3。私のある友人は、主の日の午前中にホーワースの大衆酒場の前を通りかかったとき、何人かの男があわてて逃げ出していく姿を見た。下の方の窓から抜け出す者もあれば、低い塀を乗り越えて行く者もいる。最初友人はその光景に仰天し、酒場が火事にでもなったのかと思ったが、その大騒ぎの原因を尋ねたところ、単に牧師がやって来る姿が見えたからだという。男たちは牧師の方を治安判事よりも恐れていた。グ氏の叱責はきわめて権威がありながらも、きわめて優しく親切なものであったため、どれほど頑固な罪人も氏にはかなわなかったのである。
「同じようにグリムショー氏は、夏の間、主の日に神の家にやって来る代わりに野原をうろつくという多くの者らの習慣をやめさせようと力を尽くした。ただ講壇からそのような行為を非難したばかりでなく、自らそのような野原に乗り込んでいって、違反者を突きとめて叱責するのだった。大勢の若者連中は、氏から何度注意されても、村から少し離れたある場所に寄り集まるのをやめずにいた。とうとうある晩に氏は、自分が誰か分からないように変装して、この不心得者らが誰か探ることにした。十分に現場に近づいてから氏は変装をかなぐり捨てて、そこを動くなと言い放った。氏は面々の名前を鉛筆で書き取ってから、自分の告げる日時に牧師館にやって来るよう命じた。一同はみな、出頭令状を受け取ったかのように時刻通り牧師のもとにやって来た。みなが揃うと、氏はこの若者らを私室に招き入れ、車座に膝をつかせて、その真中で自分も膝をつき、その全員のために相当の時間をかけて熱心に祈りをささげた。それから立ち上がると、親身で愛情のこもった訓戒を行なった。このように優しい説諭を繰り返す機会は二度と起こらなかった。氏はそのように好ましからざる習慣を完全に捨てさせてしまったのである」。
グリムショーに関する、最も尋常ならざる、そして信頼の置ける逸話の1つは、ホーワース競馬と関わっている。同競馬は、宿屋の主人連が申し合わせて開催していた年に一度の祭であり、大きな酩酊と暴動と放蕩と混乱を引き起こすもとであった。しばらくの間、グリムショーはこのような催しをやめさせようと試みたが、不首尾に終わっていた。ジョン・ニュートンによると、「とうとう氏は、人間を説き伏せることができなかったために、神に語りかけた。競馬が始まる少し前から氏は、事を熱心な祈りの対象とし始めた。願わくは主が介入し、ご自分のやり方によって、その悪しき出来事を中止してくださるようにと祈り続けたのである。出走時間がやって来たとき、人々はいつものように集まったが、すぐに散り散りになってしまった。競走を始められるようになる前に黒雲が空を覆い、ひどい土砂降りになったため、野外にとどまることができなかったからである。雨は競馬のために予定されていた三日の間絶え間なく振り続けた。この出来事はホーワースで人々の語り草になった。老グリムショーが祈りによって競馬をやめさせたという話は、巷でことわざの文句めいたものになった。そして、その祈りは実質的に事をやめさせてしまった。ホーワースではそれ以後、競馬が行なわれなくなったのである」。
ニュートンはさらに言う。「グリムショー氏は、自分の群れの中でも公に信仰を告白した人々に、ことのほか気を配っていた。告白者たちが、あらゆる事がらにおいて私たちの救い主なる神の教えを飾っているか、裏表のない性格を保っているかどうかに目を光らせていた。そして、自分の教会の陪餐会員が悪い行ないに手を染めている場合には、非常に厳しく非難するのだった。偽善の疑いがあると、それを突きとめるために異様な方法を用いることもあった。もしかすると氏以外の誰ひとりとして考えつかなかったかもしれない方法である。氏は、自分の説教を聞いている人々の何人かの真摯さに疑念をいだいていた。そのひとりを突きとめるために、氏は貧乏人に変装し、その人の自宅に出かけて施しと一晩の宿を求めた。すると見よ! まれに見る善良さと愛の持ち主と思われたがっていたこの人は、氏を口汚く罵って追い出したのである。――それから氏は別の家を訪れた。ほとんど目が見えなくなっていた、ある女の家である。氏が手にした杖で、ちょいちょいとその女に触れ、しばらくそうし続けていたところ、それを近所の悪たれどものしわざと思いこんだこの女は、脅しをかけ始めたばかりか、冒涜の文句まで口にした。このようにして氏は、自分の懸念にますます確信の度を深めたのである」。
ハーディは言う。「ある小屋で行なう祈祷会において、グリムショーの信徒たちの一部は多くの妨害と迫害を忍ばなくてはならなかったが、しばらくの間、誰がその悪者か分からなかった。とうとう教会管理司祭が助太刀にやって来て、その謎を解いた。グリムショーは年寄り女の帽子をかぶり、扉のかげからこっそりと中をうかがった。それから、思い切って行動してよいと思われていくにつれて、望んでいた現場を目にすることになった。氏が目にしたのは、いたずら好きの悪童どもであった。この連中は、ただ他の人々をからかい、困らせるためだけのためにやって来ていたのである。じきに悪童どもは、この年寄り女(のように見えた来会者)をからかい始め、嘲ったり、脅したりし始めた。このようにして悪さを働く連中は全員が正体を暴かれ、司直の手に渡され、その後、迫害はぴたりと鳴りを潜めたのである」。
グリムショーは、その謙遜さと簡素な生き方を突きつめるあまり、キリスト者の兄弟を優しく扱い、もてなすことができさえするなら、自分の安楽さなど全く意に介さなかった。あるときこの人物の家に一泊した、ひとりの敬虔な友人は翌朝、寝室の窓から外をのぞいて愕然とした。この家の主人が自らの手で、客の長靴を磨いていたのである! それがすべてではない。階下に下りてきた客人が悟り知ったところ、実はグリムショーは、自分自身の寝室をお客のために明け渡し、一晩中、屋根裏の干草置き場で過ごしていたのだった!
自分の教区で、牧師としての働きを行なう際のグリムショーの身の処し方は、非常に独特であった。ハーディによると、「この人物は、小道で誰かに出会うと親しく会話を交わし、普通は、相手が日々祈りをささげているかどうかを尋ねるのだった。ささげていますとの答えを受け取っても、その真摯さに疑いをいだいたときには、ここで膝をつき、その義務をどのように行なっているか示してみるよう命じるのである。その結果、時としてこの村の道ばたでは、事情に通じていない人が微笑みを浮かべずにはいられないような光景が見られた。だが、当事者たちにとって、このような問いかけは、場合によっては、自分の魂に関する関心を目覚めさせる手段となった。この地域では、『あの方は、人を<馬から引きずり下ろしても>祈らせなさる』と言い伝えられている。しかしグリムショーは、人に叱責を与えるのと同じくらい進んで親切なふるまいも行なう質であった。あるときコーンに赴く途中で、この人物はひとりの年取った女に追いつき、どこまで行くのか尋ねた。女は、『グリムショーの話を聞きに』行くのだと答えた。この人は、女が多くの弱さをかかえていることをあわれんだが、女は言った。自分の心はすでにそこに着いており、からだをついて行かせているのだと。その熱心さに打たれたこの人は、現実にその女を自分の鞍の後ろに乗せ、そのようにして女がそれ以上難儀しなくとも目的の場所につけるようにしてやった」。
ハーディはこう言い足している。「グリムショーは、他人の魂の見張りをしながら、自分自身について無頓着にしていたわけではない。一時期この人物は、非常に立派な雌牛を持っており、その雌牛をとても自慢していた。そのため、その雌牛についての考えが《教会》の礼拝にまでこの人の後をついて来て、神との交わりを妨げるほどであった。グリムショーは、その雌牛がもはや自分の思いを波立たせるべきではないと決意し、それを売りに出すと宣言した。ひとりの農夫がその雌牛を見に来たとき、普通そうするように、こいつには、どこかに欠点はありますかいと牧師に尋ねた。それに対してグリムショーは、目を白黒させられるような答えを返した。『私の目に入るこいつの欠陥は、あなたには何の欠陥でもないでしょう。こいつは私の後をついて講壇にまで入り込んでくるのですよ』」。
グリムショーが自分の教会の内部で行なっていた事がらは、聖書台の前においてであれ、講壇においてであれ、今日の私たちにとっては、極度に奇矯で突拍子もないものに思われるであろう*4。疑いもなく、それらは見習うべき模範ではないし、人が「グリムショー並みの人物」でない限り、見習おうとする何の権利もない。しかしながら、そのような行為をあまりにも強く断罪する人々は、まずは時代とこの人物が相手にしなくてはならなかった住民を思い浮かべるべきである。いま私たちが取り扱っているのは事実、百年前に生きていた人物なのである。
グリムショーは、ホーワースにおける自分の教会で礼拝する人々の間に、秩序と敬虔なふるまいを強く求める点でことのほか口やかましかった。放心していたり、注意を散漫にしていたりする者がいれば、直ちに察知し、公に叱責を行なった。そして、出席している者ら全員が敬神の姿勢を取るのを見るまで礼拝式を先に進めようとはしなかった。聴衆たちの一部は確かに大きな配慮と励ましを受けるに値していた。少なくない人々が日曜ごとに十マイルか十二マイルも遠くからこの教役者の牧会を受けるためにやって来ていたからである。ベイカップのジョン・マッデンなる人物はしばしば安息日に、ホーワースまでほぼ四十マイルもの距離を徒歩でやって来ては、同じ日の晩に教会を出て帰宅するのだった*5。
教会で歌うべき何曲かの賛美歌を指定した後で、時としてこの教区牧師は、度外れなほど自由にふるまうことがあった。私の尊敬している友人は、ホーワースに住んでいるひとりの老人の話を聞いたことがあるが、その老人は自分の祖父がグリムショーについて話をするのを覚えており、次のような物語を告げたという。――この人の祖父がホーワース教会にいたとき、グリムショーは、次の言葉で始まるウォッツ博士の有名な賛美歌を朗読した。――
「来たれ、主をば 愛す者等(もの)、
われらが喜び 知らしめよ。
こころを寄せて 歌いつつ、
あまつ御座をば 囲めよや。」グリムショーは、最初の一節を読み上げたとき、人々を眺めて、こう大喝したという。「さて、今この場にいる、まだ回心していない罪人たち。あなたがたはこの言葉を歌えるだろうか?」
この人物がホーワースの自分の講壇に立っているとき、説教が短いものになることはほとんどなかった。実際、時には二時間も語り続けることがあった! この点について、あるときグリムショーはジョン・ニュートンに向かってこう弁解したことがある。「私もどこか別の土地にいたなら、これほど長く語ることが必要だとは思わないかもしれません。しかし、私の話を聴いている者らの多くは、よこしまで無頓着なばかりか、それと同じようにきわめて無知で、理解が遅いのです。話を理解させなければ、善を施すことは望めません。だから、人生のはかなさについて思い、もしかすると、これが最後の機会かもしれないのだ、かの大いなる日までこの人々を二度と見ることがないこともありえなくはないのだと思うとき、どれほど事をはっきり語っても十分ではないように感じるのです。私は主題を様々な確度から取り扱おうと努めます。同じ思想を異なる言葉で表現します。そして、何かを言い落としてはいけないと思うと、どこで話をやめれば良いかほとんど分からなくなります。その何かが欠けていたために、私の説教や人々が耳を傾けている努力が無駄になってはならないからです」。
グリムショーが説教の後でささげる祈りは、時として全く人々の虚を突くものであったに違いない。有名なメソジスト派の説教者ジョン・ドーソンは、1803年にこう語っている。自分は五十年前に、グリムショーがきわめて慰めに満ちた講話を語るのを聞いたことがある。それは、「主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ」(詩34:9)という言葉に基づいて行なわれた話であり、その中で説教者は、神がどれほどご自分の約束に忠実なお方であるかについて非常に力強く語り、こう言ったという。「主は、ご自分の約束が果たされないままにするくらいなら、神性を打ち捨て、神でなくなることをお選びになるであろう」。それからグリムショーは次のような祈りをささげた。「主よ。あなたの祝福をもって私たちを去らせてください。このあわれな者らをみな、あなたの御守りのもとに置き、無事に家路を辿らせてください。そして、家に帰ったときには、その夕食を与えてください。しかし、祈りをささげるまでは一口も食べさせないでください。祈りの後でものを食べさせ、満ち足らせ、食べ終えたときにはあなたに感謝をささげさせてください。それから、床に就く前に膝をつかせ、祈りをささげさせてください。いずれにせよ一度は祈らせてください。それから、朝までお守りになってください」。
グリムショーの伝道牧会活動は、ほぼ全く貧者や中流の下層で行なわれていたが、この人物は、どのような人々とともにいても全く落ち着き払って、賢く分別のある言葉を語ることができた。ある折にグリムショーは、ひとりの貴族と会見するように招かれた。この貴族は、無信仰の原理を受け入れており、それが誤りであると説得させようとした二人の傑出した聖職者の努力にも抵抗したことがあった。この人物は、すぐさまグリムショーを、ある議論へと引き込みたいと思ったが、グリムショーは断固としてそのような会話を行なうことを断った。「閣下。私が議論をお断りするのは、語るべきことが何もないからでも、自分の信じる道のために恐れを感じるからでもありません。議論では、閣下に何の益ももたらされないからです。もしも閣下が本当に何らかの情報を必要としておられるなら、私も喜んで閣下をお助けしましょう。しかし、誤りは閣下の頭ではなく心にあるのです。心に触れることができるのは、天来の力によってのみです。ですから私は閣下のために祈りはおささげしますが、閣下と議論を交わすことはいたしません」。後にこの貴族は語っている。それまで聴いたことのあるどのような議論よりも自分に感銘を与えたのは、このように正直に、きっぱり語られた素朴な言葉であったと。
ハーディによると、「グリムショーは、あるとき自分と会話していたひとりの奥方に、驚くべき叱責を与えたことがある。この奥方は、恵みの美質よりも、才気や才知の方を多く持ち合わせているある教役者を褒めそやしていた。そこでグリムショーは言った。『奥様。私は奥様が、一度も悪魔をご覧になったことがないのが嬉しくてなりません。悪魔は世界中のどのような教役者よりも、ずっと大きな才気や才知を持っておりますから。恐れながら、もしも奥様が悪魔を見られたなら、悪魔に恋してしまうことでしょう。奥様は神聖さを抜きにした才気や才知を大いに重んじておられるからです。どうか、才気や才知といった言葉の響きで道を踏み外さないでください』」。
このような逸話は、見落とされるべきではない一個の物語を告げている。それらの主人公は、確かに決して普通の人間ではなかったに違いない。その言葉や行ないの数々がこれほど注意深く何世代にもわたって大切に保存され、言い伝えられているとき、その中心となっている人物は決して凡俗な人格ではなかった。この伝記の最初に表現した意見をもう一度言いたい。百年前の英国において、ウィリアム・グリムショー以上に偉大な霊的英雄は三人とはいなかったと。
さて本稿のしめくくりとして、前世紀の、人も知る三人の人格者たちの語った言葉から短く抜粋することにしよう。それはグリムショーが同時代人たちからどれほど高い評価を得ていたかを示す役に立つものである。
ロウメインは、グリムショーの死後ほどなくして、西部の聖ダンスタン教会で語った説教の中で公にこう述べた。――
「グリムショー氏は、これまで私が見たキリストに仕える教役者たちの中でも、最も勤勉で、最も疲れを知らぬ人物のひとりであった。魂に善を施すためにこの人物は、裕福な資産を得る望みをことごとく退け、キリストへの愛ゆえに幾多の困難と危険と患難を朗らかに引き受けた。氏はキリストを、キリストだけを宣べ伝えた。そして神は、氏の伝道牧会活動に非常におびただしい数の証印を押してくださった。本人から聞いたことだが、1200人を下らない人々が氏の教会には属しており、愛をもって判断すれば、そのほとんどがキリストと1つになっていると信じざるをえないという。何人かの友人が、その健康を慮って、どうかからだを労ってくださいと願うとき、氏はこう答えるのだった。――『どうか今は働かせてください。やがて私は十分な休息を得るのです。キリストのために行なうわざに十分ということはありません。あれほどのことを主は私のために行なってくださったのですから』。私が出会った中でも、グリムショー氏ほど謙遜な、神とともに歩む人はいない。氏の謙遜さは、自分がどれほど用いられているか、また自分にどのような才能があるかについて人が口にする誉め言葉を決して聞いていられないほどであった。その臨終の床でこの人はこう述べた。『いま役に立たないしもべが参ります』と」。
グリムショーの告別説教を行なったヘンリー・ヴェンは、多くのことを語る中で特にこう言っている。――「果たして、私たちの世界から氏が取り去られたことをより多く嘆くべきなのか、神が氏をあれほど豊かな天来の知識で富ませてくださったことをより多く喜ぶべきなのかは、定めがたいものがある。神は氏が、御手の中で、あれほどの長きにわたって、罪人たちを回心させる傑出した器となり、非難されるところのない人格を保ちながら、走るべき走路を喜びをもって走り終えることができるようにしてくださった。いま世を去った、あなたがたの非常に愛されていた牧師ほど、キリストへの奉仕を見るからに熱烈に愛していた人はほとんどいない。
「どれほど金銭への愛に取りつかれ、どれほど富を積み上げようとして夢中に働いている、この世の浅ましい子らにもまして、いま世を去ったあなたがたの牧師は、無我夢中で神の国の教えと主イエス・キリストのみこころのことを語り、宣べ伝えてきた」。
ジョン・ニュートンは言う。――「私はグリムショー氏を知っていたし、四年か五年にわたって何度となく氏と会話を交わしてきた。私が自分の人生において受けてきた多くの大きなあわれみの1つとしているのは、氏に目をとめていただき、その教えと模範によって(多少なりとも)徳を建て上げていただき、私自身も教役者になりたいという願いをいだくようになった重大な時期に、氏の助言によって励ましと指図を与えていただいたことである。私は、書物や講義によっては悟り知ることができなかっただろうほど明晰な形で、福音の忠実で模範的な教役者とはどのようなものかを氏の中に見てとった。そして氏を思い出すときしばしばへりくだらされるとともに、元気づけられるのだった」。
これらの証言は、重みのある力強いものである。しかし、それらは単なるお世辞ではない。語るに値する、真実な言葉である。
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*1 この契約を読者の方々に示す当たって私は、このような契約を常に結ばなくてはならないとか、あらゆるキリスト者に強制すべきだと言うことを注意深く差し控えたい。それどころか、一部の人々にとってこのような契約は害を及ぼしかねないものだと思う。どのような人も自分の自由を用いるべきである。契約を結ぶのが益になると感じる人は結べば良い。しかし、何の契約も結んでいない隣人を罪に定めてはならない。[本文に戻る]
*2 注目に値することに、別の折に記された手紙の1つでグリムショーは次のような言葉を述べている。「私の完全は、私自身の不完全を見てとることです。私の慰めは、御霊により、私の愛する《救い主》の功績によって、世と肉と悪魔を打倒すべきであると感じることです。そして私の願いと望みは、私の心と思いと魂と力を尽くして、命の尽き果てるまで神を愛することです。それが私の完全です。他には何も知りません。私のいのちと私の剣を、ともに投げ出すときを待ち望むばかりです」。[本文に戻る]
*3 ハーディによると、ホーワースには、そのようにする折にグリムショーが棍棒か乗馬鞭を使うこともあったとか、時たま詩篇119篇を歌うように指定してから、教会を抜け出し、不届きな者らを探して回る時間を長く取れるようにしたとの言い伝えがある。しかしながら、そのような話はおそらく後代の作り話であろう。[本文に戻る]
*4 ハーディは、その伝記の中で、ホーワース教区教会を興味深い形で描写している。同教会は、この伝記作者によると、グリムショーの死去以来、ごく小さなものに造作を切り詰められてしまっているという。他の事がらと合わせてハーディは言う。「この教会の様々な部分に、しかるべく刻まれている銘は、礼拝者たちにその義務を思い浮かばせている。講壇の反響盤の下には、金文字で次のような文字が記されていた。『私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心した』。グリムショーのお気に入りの聖句、『私にとっては、生きることはキリスト』は、講壇にも、真鍮の吊り下げ照明にも、教会役員の名前を記した標札にも記されていた。洗礼盤には、『私は水でバプテスマを授けるが、その方は聖霊のバプテスマをお授けになる』という一文が刻まれている」。[本文に戻る]
*5 『メソジスト・マガジン(Methodist Magazine)』1811年版、p. 521。[本文に戻る]
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