しあわせな小さな女の子
---- みなさん。みなさんは、わたしがこれまでに であった中で、一ばんしあわせな子が、どんな子だったか しりたいとおもいますか? よくきいていてください。いまから、そのことについて おはなししましょう。
わたしが いままでみた中で、一ばんしあわせな子どもは、わたしが てつどう[むかしの でんしゃ]の きゃくしゃ にのって たびをしているときに であった、小さな女の子でした。わたしたちは、ふたりとも、ロンドンまで りょこうするとちゅうで、とてもながいあいだ、いっしょに すごしました。その子は8さいにしかなっておらず、目がぜんぜんみえませんでした。その子は、それまで一ども、ものをみたことがありませんでした。たいようも、ほしも、そらも、くさも、はなも、き も、とりたちも、あるいは、みなさんがいっしょうのあいだ、まいにち みるような、よろこばしいものを なに一つみたことがありませんでした。しかしそれでも、その子はたいへんにしあわせだったのです。
かわいそうに、その子は ひとりきりでした。りょこうのあいだ、その子のせわをしたり、めんどうをみてくれるような、ともだちや、しんるいの人は、だれもついていませんでした。しかし、その子は たいへんにしあわせで、まんぞくしていました。その子は、きゃくしゃの中に はいると、こういいました。「このきゃくしゃには、なんにんのかたがいらっしゃるの? あたしは、ぜんぜん目がみえないので、わからないの」。
ひとりの しんしが、こわくないかい、とたずねました。
「いいえ」、とその子はこたえました。「こわくないわ。あたし、たびなら、まえにもしたことはあるし、かみさまにおたよりしているんですもの。それに、いつも ほかの人たちは、あたしに とてもしんせつにしてくれるわ」。
けれども、わたしはすぐに、なぜその子が それほどしあわせにしているのかがわかりました。みなさんは、どうしてだとおもいますか? その子はイエス・キリストをあいしていて、イエス・キリストは その子をあいしておられたのです。その子は、イエス・キリストをさがして、イエスさまをみつけていたのです。
わたしは、その子に、せいしょのおはなしをしはじめました。でも、すぐに、その子がせいしょについて、とてもたくさんしっていることがわかりました。その子がかよっていたがっこうでは、女のせんせいがいつも、その子にせいしょをよんできかせていたのです。そして、その子はよい女の子でしたので、せんせいのよんでくれたことを、ぜんぶ おぼえていたのです。
みなさん。みなさんは、このかわいそうな、小さな、目のみえない女の子が、せいしょにかいてあることを、どれだけたくさんしっていたか、とうてい おもいつけないでしょう。わたしは、えいこく[イギリス]じゅうのおとなが、ぜんいん、その子と おなじくらい せいしょのことをしっていたら どんなにいいかと、ねがわずにはいられません。しかし、わたしは、その子が なにをしっていたか、すこし おなはししてみたいとおもいます。
その子は、わたしに つみのことをはなしてくれました。つみが、さいしょに どのようにして せかいにはいりこんだか、アダムとエバが、どのように たべてはいけない きのみ をたべたか、また、いまでは つみが、どれほど そこらじゅうに みられるようになっているか、を はなしてくれました。その子は、いいました。「おお、ほんとうに、よい人はひとりもいないのよ。せかいじゅうで、一ばん よい人たちも、まいにち、たくさんの つみをおかしているの。そして、あたしたちはみんな、たとえ なにもわるいことをしていなくとも、とても たくさんのじかんをむだにしているんだわ。おお、わたしたちはみんな、とてもつみびとなの! だれでもみんな、とても たくさんのつみをおかしているんだもの」。
それから その子は、イエス・キリストについて はなしてくれました。イエスさまが ゲツセマネのそので あじわったくるしみについて、イエスさまが ながした ち のあせのつぶについて、へいたいたちが イエスさまをじゅうじかに くぎづけにしたことについて、やりが イエスさまのわきばらを つきさしたことについて、ち と みずがでてきたことについて、はなしてくれました。その子は、いいました。「おお、わたしたちのために しんでくださるなんて、それも、こんなに ざんこくな しにかたをしてくださるなんて、なんとイエスさまは おやさしいことでしょう。わたしたちのつみのために、これほど くるしんでくださるなんて、なんてしんせつなことでしょう!」
それからその子は、こころのねじまがった人々について はなしてくれました。その子はわたしに、ざんねんだけれども、よの中には、そうした人が とてもたくさんいる、といい、じぶんと おなじくみの子たちや しりあいの人が、どういういきかたを しているかをおもうと、とてもかなしくなる、といいました。「でも」、とその子は いいました。「わたしには、どうしてその人たちが、そんなに まがったこころをしてるか、りゆうがわかっているの。それは、じぶんで よくなろうとしないからなんだわ。よくなりたいと おもっていないの。イエスさまに、よい人にしてください、と おねがいしないからなの」。
わたしはその子に、せいしょの中で、一ばんすきなのはどこか、たずねてみました。その子はわたしに、じぶんがすきなのは、イエス・キリストのものがたりぜんぶだけれど、一ばんすきなしょうは、もくしろくのさいごの三つのしょうだ といいました。わたしはそのときせいしょを もっていたので、それをとりだし、たびのあいだ、そのしょうを その子によんでやりました。
わたしがよみおわったとき、その子は てんごくについて はなしはじめました。その子は、いいました。「かんがえてみて。てんごくに いったら、そこは なんてすてきなところでしょう。そこには、もう かなしみも、さけびも、なみだもないのよ。そしてそのとき、イエス・キリストは そこにいらっしゃるのよ。だって、『こひつじが みやこの あかりだ』、と かかれているのですもの。そして、わたしたちは いつもイエスさまといっしょにいることになるの。それだけでなく、そこには、もう よるがないのよ。その人たちには、ともしびのひかりも、たいようのひかりもいらないの」。
みなさん。このかわいそうな、小さな、目のみえない女の子のことを、かんがえてもごらんなさい。その子が、イエス・キリストについて おはなしすることを、どんなによろこばしくおもっているか、かんがえてごらんなさい。その子が、なんのかなしみも、よるもない、てんごくのようすを どれほどよろこんでいるか、かんがえてもごらんなさい。
わたしは、それから もう二どと、その子にあったことは ありません。その子は、ロンドンにある その子のおうちに いきました。わたしは、その子が いま いきているのか、いないのかも わかりません。でも、わたしは その子が いきていてほしいとおもいます。そして、イエス・キリストは、その子のことを だいじに せわしてくださっているにちがいない、とおもいます。
みなさん。あなたは、この子と おなじくらい、しあわせで、ほがらかでしょうか? あなたは、目のみえない子ではありません。――あなたには目があるし、かけまわって、なんでもみることができ、すきなところにいくことができ、すきなものを なんでもよむことができます。でも、あなたは、このかわいそうな小さな目のみえない女の子とおなじくらい、しあわせでしょうか?
おお、もしあなたが、このよの中で しあわせになりたい とおもうのなら、きょう、わたしのちゅうこくを おぼえておいてください。――この小さな、目のみえない女の子がしていたようにすることです。「イエス・キリストを あいしなさい。そうすれば、キリストは あなたを あいしてくださいます。ねっしんにイエスさまをさがしなさい。そうすれば、あなたはイエスさまをみつけます!」
しあわせな小さな女の子[了]
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