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小さくても かしこ

「このちじょうには小さいものが四つある。しかし、それは ちえしゃちゅうの ちえしゃだ。ありは ちからのない しゅぞくだが、なつのうちに しょくりょうをかくほする。いわだぬきは つよくない しゅぞくだが、その す を いわまに もうける。いなごには おうはないが、みな たい をくんででていく。くも は じぶんのてで つかまって、おう の きゅうでんにいる」*。 しんげん30:24-28

 みなさん。わたしは、みなさんがぜんいん、とてもかしこくなってほしいとおもいます。かしこい人になるほうが、おかねや、きれいなふくや、りっぱなおうちや、うまや、ばしゃをもつ人になるよりも、ずっとずっとよいことです。かしこくない人のすることは、めったに うまくいきません。そういう人は、めったに しあわせになれません。わたしが、あいするみなさんに、一ばんのぞんでいるのは、みなさんが、とてもかしこい男の子や女の子になることです。

 「でも、どうやったらかしこくなれるのですか?」、と しつもんする子がいるかもしれません。「かしこくなるのは とてもよいことだ、とおっしゃいますが、どうしたら、そのようにかしこくなれるのですか?」、と。

 みなさん。もし かしこくなりたいとおもうなら、かみさまに、かしこくしてください、とおいのりしなくてはなりません。どうか、わたしのこころに、みたまさまを いれてくださり、かしこくなれるようにしてください、とおねがいしなくてはなりません。これが、一つのことです。

 それだけでなく、あなたは、かみさまの きよいごほん、せいしょをよまなくてはなりません。その中であなたは、ほんとうのかしこさとは、どういうものかがわかるでしょう。その中であなたは、かしこい人々が、どんなしゅるいのことをするかを、目にするでしょう。これが、もう一つのことです。

 さて、わたしはいま、さっきよんだ、せいしょのおことばについて、みなさんにおはなししましょう。これは、かしこさのことをおしえているおことばです。わたしはこれが、あなたのためになるものであってほしいとおもいます。

 このおことばをよむとわかるように、かみさまは、四つの小さないきもの――あり、いわだぬき、いなご、くも――を、みならいなさいとおしえておられます。つまり、それらは、かしこさの もはんだ、といっておられるかのようです。それらはみな、つまらなくて、小さくて、よわいものです。ありが、小さくて、じめんをはいまわる こんちゅう であることは、だれでもしっています。いわだぬきは(あなぐま、とよぶ人もいますが)、うさぎによくにている、小さないきものです。いなごは、大きな ばった のようなものです。くもは、どんなに小さな子どもでも、こわがることはありません。しかし、かみさまは、ありも、いわだぬきも、いなごも、くもも、とてもかしこい、とおしえておられます。それでは、みなさん。わたしは、いまからそれらについておはなししますから、よくきいていてください。みなさんの中には、まだ小さい子もいますが、このおことばをよむとわかるように、小さくてもかしこくなることはできるのです。

 1. まずはじめに、ありから なにをおしえられるでしょうか? あなたが、小さなありから おしえられなくてはならないのは、やがてやってくるときのことをよくかんがえる、ということです。

 せいしょは、いっています。「ありは……なつのうちに しょくりょうをかくほする」[たべものを とっておく]。ありたちは、かみさまから、かしこく、かんがえぶかい いきものにつくられたので、とりいれのころに、たべものを あつめてまわります。たいようがてっている、すごしやすくて、日のながいころに、ありたちは、なまけてはいません。みつけられるだけの、こくもつのつぶをあつめて、じぶんたちの す の中に、たくわえておきます[ためておきます]。それで、つめたい しもがおりたり、ゆきがふるときにも、おなかをすかせることはありません。じぶんの す の中で、いごこちよくよこになり、いくらでも、たべものがあります。

 ちょうちょは、ありよりも ずっときれいなすがたをしています。ちょうちょには、うつくしいはねがあり、みた目でいえば、ありよりも、ずっと上です。しかし、ちょうちょは、かわいそうに、ありほどかしこくありません。なつのあいだじゅう、はなのあいだをとびまわり、たのしいことばかりします。ふゆにそなえて、たべものをあつめておくことなど、かんがえもしません。でも、ふゆがくると、どうなるでしょうか? かわいそうなちょうちょたちは、みんなしんでしまいます。ありたちは、いきつづけるというのに。

 さて、みなさん。いま、わたしは、みなさんひとりひとりが、ありから かしこさをおそわってほしい、とおもいます。わたしはあなたが、ありのように、やがてやってくるときのことを、かんがえてほしいのです。

 みなさんひとりひとりには、たましいがあります。たましいは、えいえんに[いつまでも]いきつづけるものです。あなたのからだは、いつかは しぬでしょう。でも、あなたのたましいは、けっして しにません。また、たましいには、からだとおなじように、きをくばり、だいじにしてあげなくてはなりません。たましいは、そのつみをゆるされることが、ひつようです。かみさまを よろこばせるための、めぐみがひつようです。よくなるための、ちからがひつようです。しあわせになるために、かみさまを一ばんのおともだちにすることがひつようです。

 そして、みなさん。ゆるしや、めぐみをてにいれ、かみさまと おともだちになろうとするのに一ばんよいのは、わかいときです。わかいときや子どものころが、あなたのなつです。いま、あなたはつよくて、げんきです。いまは、たっぷりじかんがあります。いまは、あなたのこころをみだす、しんぱいごとや、なやみごとは、ほとんどありません。いまこそ、あなたのたましいのための たべものをたくわえるのに、一ばんよいときです。

 ああ、あいするみなさん。やがてふゆがくることを、わすれてはなりません! としよりになるときが、あなたのふゆです。あなたはまだ、しもや、ゆきや、あめや、あらしに あったことがありません。かなしみや、いたみや、びょうきや、しや、ばつは、みんな、としよりになってからやってきます。さいわいなのは、はやいうちから、そのためのじゅんびをする人です。さいわいなのは、ありのように、やがてやってくるはずのことを、かんがえておく人です!

 かしこい男の子や女の子は、せいしょをよんで、そのおことばを たくさんあんしょうします。かしこい男の子や女の子は、まいにち、かみさまにおいのりして、せいれいさまを あたえてください、とおねがいします。かしこい男の子や女の子は、おとうさんや、おかあさんや、せんせいたちのいうことをよくきいて、いっしょうけんめい、よい子になろうとします。かしこい子は、どんなわるいことも、どんなわるいことばも大きらいで、いつでも、ほんとうのことしか いいません。こうした男の子や女の子は、小さいありたちとおなじです。この子たちは、やがてやってくるときのために、たいせつなものをたくわえているのです。

 みなさん。もし、あなたが まだそうしていないなら、どうか、いまから そうしはじめてください。もう、もうそうしているというなら、どうか、ますます そうしてください。あのおばかさんな、ちょうちょのようであってはなりません。ありのようになりましょう。やがてやってくるときのことをかんがえて、かしこくしていましょう。

 2. では、つぎにすすんで、いわだぬきから、なにをおしえられるか、みてみましょう。あなたが、小さないわだぬきから おしえられなくてはならないのは、あぶないときに にげこむことのできる、あんぜんなばしょをもっている、ということです。

 せいしょは、いっています。「いわだぬきは……その す を いわまに[いわのあいだに]もうける」。いわだぬきは、じぶんをつかまえて ころそうとする、きつねや、いぬや、ざんこくなにんげんのことを こわがります。いわだぬきは、つまらない、よわいいきものです。たたかって、じぶんをまもれるほど つよくありません。では、いわだぬきたちは、どうするのでしょうか? できるかぎり、いしや、いわのあいだに、じぶんの あな をつくるのです。にんげんが、ほりだせないようなところに、すむのです。いぬや、きつねが、おいかけてこられないようなところに、すむのです。そして、にんげんや、いぬや、きつねがやってくるのをみると、いちもくさんに、そうしたあなの中に にげこんで、あんぜんになるのです。

 のうさぎは、いわだぬきよりも、ずっとはやくはしることができます。ずっとながいあしをもっているからです。おじか[おすの しか]は、いわだぬきよりも、ずっと大きくて、りっぱな つの をもっています。でも、のうさぎや、おじかは、にげこむ あな をもっていません。のうさぎや、おじかは、むきだしの のはらでねむるので、にんげんたちが かりをしに、いぬをつれ、てっぽうをもって やってくると、すぐにつかまり、ころされてしまいます。しかし、小さないわだぬきには、にげこめる かくればしょがあるので、そのようにして、きけんから のがれることがおおいのです。

 さて、みなさん。いま、わたしは、あなたが、小さないわだぬきから、かしこさをおそわってほしい、とおもいます。わたしはあなたが、じぶんのたましいのための、あんぜんなばしょを もっていてほしいのです。

 あなたのたましいには、おおくの てき がいます。あなたは、おおくのものたちから、たましいをきずつけられる きけんがあります。みなさんひとりひとりのうちがわには、ねじまがったこころがあります。あなたは、よい子にしているのは、なんとむずかしいんだろう、と なんどもおもったことはありませんか? また、みなさんひとりひとりには、おそろしいてきがいます。そのてきは、あなたをえいえんにほろぼし、じごくにつれていこうとして、やっきになっています。そのてきとは、あくまです。あなたにはみえませんが、あくまは けっして とおく はなれてはいません。また、みなさんひとりひとりが くらしているよの中には、わるい人がたくさんいて、よい人がほとんどいません。みなさん。こうしたすべてのことは、あなたのためにならないことです。

 あなたは、あなたをあんぜんにまもってくださるおかたのたすけがひつようです。じぶんのたいせつなたましいのための、かくればしょがひつようです。じぶんのわるいこころと、あくまと、ねじまがった人々のわるいもはんから、あなたをすくうことのできる、しんせつなおともだちがひつようです。では、よくきいてください。そのおかたのことをおはなししましょう。

 あなたのたましいを、かんぜんに あんぜんに まもることのできるおかたが、ひとりおられます。そのおかたのなまえは、イエス・キリストです。イエスさまは、あなたをすくうことのできる、つよいおかたです。というのも、イエスさまは、かみごじしんのみ子だからです。イエスさまは、よろこんであなたをすくいたい、とおもっておられます。というのも、イエスさまが、てんからちじょうにおくだりになり、じゅうじかの上でしんだのは、あなたのためだからです。また、イエスさまは、すべての子どもたちをあいしておられます。イエスさまは、ちじょうにおられたころ、子どもたちがおそばにいることが、大すきでした。子どもたちをみうででだきかかえ、しゅくふくしてくださいました。

 みなさん。イエス・キリストをたのみとして、どうか じぶんのたましいをまもってください、とおねがいする男の子や女の子は、かしこい子です。そうした男の子や女の子は、あんぜんにまもられます。イエス・キリストは、その子たちをあいしてくださいます。その子たちが きずつけられないようにしてくださいます。イエスさまは、あくまや、わるい人たちが、その子たちのたましいをほろぼすのを おゆるしにはなりません。イエスさまは、子どもたちがにげこむことのできる、まことの《いわ》です。イエスさまをたのみとする男の子や女の子は、いきているあいだには まもられ、しんだときには てんごくにいくでしょう。イエスさまは、まことのかくればしょです。イエスさまをあいする男の子や女の子は、あんぜんで、しあわせなのです。

 みなさん。わたしがみなさんにねがっているのは、みなさんぜんいんが、じぶんのたましいを、あんぜんにまもっておくことです。このたましいをまもってください、としゅイエス・キリストにおねがいするのを、おくらせてはいけません。こんなふうに かんがえてはいけません。「でも、わたしたちには、まだまだたくさんじかんがあるよ」。まもなくなにがおこるか、だれにわかるでしょう? もしかすると、あなたは、びょうきになって、からだをこわすかもしれません。しんせつなともだちをぜんぶなくして、ひとりぼっちになるかもしれません。おお、いますぐイエスさまのところにいって、いのることです! かしこい、小さないわだぬきのようになりましょう。じぶんのたましいのために、あんぜんなかくればしょを てにいれましょう。

 3. では ここで、いなごから、なにをおしえられるか、みてみましょう。あなたが、いなごから おしえられなくてはならないのは、たがいに あいしあい、いっしょにあつまり、たすけあう、ということです。

 せいしょは、いっています。「いなごには おうはないが、みな たい をくんででていく」。いなごには、上にたって、なにをすればいいか さしずするものは、だれもいません。いなごは、ひとりきりでは、つまらない、小さな、よわいむしです。一ぴきのいなごだけでは、たいしたことはできません。どんなに小さな男の子や女の子でも、あしでふみつけたりしたら、いなごをころせるでしょう。それは、たちまちしんでしまいます。

 しかし、この小さないなごたちは、とてもかしこく、いつもいっしょにいます。かぞえきれないほどのかずで、とびまわります。とおくからみると、くろいくもかしら、とおもうでしょう。いなごたちは、なかまげんかをせず、たがいにたすけあいます。そして、このようにしていなごは、ものすごいことをします。いなごたちがとんでくるのをみると、おひゃくしょうさんや、かだんのていれをする人たちは、とてもこわがります。いなごは、くさや、こくもつを、なにもかも たべつくしてしまうからです。いなごは、き についている、はっぱというはっぱをたべつくしてしまいます。なぜなら、いなごたちは、たがいにたすけあうからです。

 みなさん。わたしはあなたが、この小さないなごから、いつもあいしあい、けっして けんかしないことをおそわってほしいとおもいます。あなたは、ほかの男の子や女の子にたいして、しんせつで、おもいやりある子になるべきです。ぜったいに わがままにならず、いじわるにならず、かっとならず、なかまげんかしないようにするべきです。そんなことをしている男の子や女の子は、かしこくありません。そんな子は、いなごよりもおばかさんです。

 みなさん。けんかは、とてもわるいことです。それは、あくまをよろこばせます。あくまはいつも、人々を じぶんのようにわるくしようとしているからです。けんかは、かみさまをよろこばせません。かみさまは あい だからです。わがままをいったり、けんかすることは、イエスさまをしんじる子どもにとって、一ばんふさわしくないことです。そうした子たちは、キリストのようになろうとすべきです。キリストは、一ども わがままになったことがありません。キリストは、ごじぶんをよろこばせようとなさいませんでした。

 かんがえてもごらんなさい。もしも男の子や女の子が、いなごたちのようになって、たがいにあいしあうとしたら、どれほどおおくのよいことができるでしょう。かんがえてもごらんなさい。そうした子たちが、おとうさんやおかあさんにとって、どれほどやくにたつ子になることでしょう。そうした子たちは、おとうさんやおかあさんに、ほとんどめいわくをかけることがなく、たくさんの小さなことで てだすけができます。かんがえてもごらんなさい。かみさまをしらない、かわいそうなくにの人々のところにいく、せんきょうし のせんせいたちをたすけるために、そうした子たちが、どれほどたくさんのおかねをあつめられることでしょう。もしも、えいこく[イギリス]の子どもたちぜんいんが、せんきょうし のせんせいたちをたすけるために、1ファージング[四ぶんの一ペンス]のぼきんをよびかけて、ひとりが一ねんに6ペンスあつめるとしたら、そのごうけいは、どれほどのたいきんになることでしょう。なににもまして、かんがえてもごらんなさい。もしも、男の子や女の子たちが、こころをあわせて、たがいのために いのりあうようになるとしたら、どれほどよいことでしょう。そうした子たちは、たちまち、どれほどしあわせになることでしょう! そうしたおいのりは、きっときかれます。

 みなさん。いきているかぎり、いつも、たがいにあいしあってください。たがいに、こころをあわせるようにしましょう。けんかしたり、あらそったり、といったことには、ぜったいに かかわらないようにしましょう。――そうしたことをにくみ、それを大きなつみであるとかんがえましょう。みなさんは、あの小さないなごたちよりも、ずっとずっと、なかよくしているべきです。いなごたちには、なにをすればいいか おしえてくれる おうさまはいません。あなたには、ひとりの《おうさま》がいます。あなたに なにをすればいいかおしえてくれる みたまさまをあたえる やくそくをしてくださった、おうさまがいます。その《おうさま》とは、キリストです。おお、いなごのようにかしこくなって、たがいにあいしあいましょう。

 4. さてそれでは、さいごのさいごに、くもから なにをおしえられるか、みてみましょう。あなたが、くもから おしえられなくてはならないのは、ちょっとぐらい たいへんなことがあるからといって、よい子になるのをあきらめない、ということです。

 せいしょはいっています。「くもは、じぶんのてで つかまって、おう の きゅうでんにいる」。くもは、みなさんもしってのとおり、つまらない、小さな、よわいいきものです。でも、くもは、じぶんの す をつくるのに、たいへんな てまひまをかけます。くもは、りっぱなおうちの中にもぐりこみ、一ばんよいへやの てんじょうにのぼります。そして、そこに す をかけるのです。くもは、そのばしょから、てこでも うごかないようにみえます。たとえ、めしつかいがやってきて、くものすを ほうきではらっても、くもは、たちまち はたらきだし、もう一ど はじめからつくりなおすのです。くもほど、しんぼうづよい むしは ありません。このむしは、なんどもなんども じぶんのしごとをくりかえすのです。このむしは、あきらめることをしません。

 わたしは、くもを おてほんにして、じぶんのくにを とりもどした、えらいおうさまのはなしをおぼえています。このかわいそうな人は、ダビデのように、わるい はんぎゃくしゃたちによって、じぶんのくにから、おいだされていました。その人は、じぶんのくにをとりもどそうと なんどもなんども ためしてみました。たくさんのたたかいを いどみましたが、まけてばかりでした。しまいには、いくら がんばっても、むだだ、という きもちがしてきました。あきらめて、もうたたかうのはやめよう、とおもいました。ところが、そのころ、たまたま その人が、ある なつの日のあさはやくから めをさまして、ねどこに よこになっていると、一ぴきの くもが はたらいているすがたが目にとまりました。そのくもは、へやの はしから、むこうがわの はしまで、いとを はろうとしていました。12かいも、くもは しっぱいしました。12かいも、いとは きれて、くもは下におちました。12かいも、くもは おき上がって、やりなおさなくてはなりませんでした。でも、くもは あきらめませんでした。くもは、しんぼうづよく がんばって、13かいめに せいこうしたのです。さて、それをみた おうさまは、こころの中で いいました。「わたしも、しんぼうづよく、じぶんのくにを とりもどそうと、がんばりとおすべきではないだろうか? いままでに なんども しっぱいしているからといって、どうして さいごまで せいこうしない などとわかるのだろうか?」。その人は、もう一ど、やってみました。そして、せいこうしたのです。その人は、ざんこくなてきたちに うちかって、じぶんのくにを とりもどしました。みなさん。このおうさまのなまえを、ロバート・ブルース[1274-1329]といいます。その人は、くもを みならって、スコットランドにある、じぶんのくにを とりもどしたのです。

 さて、わたしは、あなたが、くもを おてほんにして、じぶんのたましいのためになることを してほしい、とおもいます。あなたが、くものように、しんぼうづよく、よいことを やりとおしてほしい、とおもいます。ぜったいに あきらめない けっしんをしてほしい、とおもいます。わるいことはしないようにし、いつも よいことと、かみさまを およろこばせすることをしようとするように しつづけてほしい、とおもいます。

 ああ、みなさん。ざんねんながら、このせかいは わるいせかいです。そして、あなたが大きくなるにつれて、たくさんの人たちが、あなたをも わるくしようとして、いっしょうけんめいになります! あくまは、あなたに かみさまをわすれさせようとして、いっしょうけんめいになります。わるい男の人や女の人たちは、そんなによい人になることなどないよ、と あなたにいうでしょう。

 どうか、くじけないでください。おねがいですから、しんぼうづよく やりとおしてください。まいにち、おいのりすることをつづけてください。きちんと せいしょを よみつづけてください。にちようびには、きちんと きょうかいに かよいつづけてください。かなしいことに、たくさんの男の子や女の子たちが、がっこうをそつぎょうすると すぐに、よいことを ぜんぶ やめてしまいます! がっこうにいるあいだは、せいしょをよみ、さんびかをうたい、おいのりのほんで おいのりします。でも、がっこうにいくのをやめると、そうしたごほんを てにとることも やめてしまうのです。おおくの人たちは、わるいなかまと つきあうようになります。わるいいきかたを するようになります。にちようびになると、一にちじゅう、ぶらぶらしてすごします。まるで、小さいころにおそわったことを、ぜんぶ わすれてしまったようにみえます。かなしいことですが、これは、しんぼうづよく やりとおすことではありません! あの小さな くもよりも、おばかさんなことです。ねじくれた、かしこくないことです。

 みなさん。てんごくには、ひかりかがやく おうちがあります。わたしは、そこで みなさんと あいたいとおもいます。そこには、イエス・キリストのものである きゅうでんがあります。ちじょうの どんな きゅうでんよりも、ずっとりっぱな きゅうでんです。そこでは、イエス・キリストのものである人々が、ぜんいん、いつまでもいつまでも、しあわせにくらすことになるのです。みなさん。わたしは、そこで、みなさんのうち、なるべくおおくの人たちと あいたいとおもいます。

 でも、わすれないようにしてください。あなたと わたしが、そのひかりかがやくきゅうでんで あうためには、あなたは、じぶんのたましいのためになることを、しんぼうづよくやりとおし、てまひまを かけなくてはいけません。こころから いのらなくてはなりません。せいしょを、きちんと よまなくてはなりません。まいにち、つみと たたかわなくてはなりません。わるい人たちから、わるいことをしよう、とさそわれても、こう いわなくてはなりません。「わたしは、イエスさまのおしえを すてようとはおもいません。いつもキリストさまを およろこばせしたいのです」、と。おお、いっしょうのあいだ、あの小さな くもを あなたのおてほんにしましょう! しんぼうづよくやりとおして、かしこいものになりましょう。

 さて、みなさん。おはなしの しめくくりに、わたしは、ここまで おはなしてきたことを、よくかんがえてくれるように おねがいしたいとおもいます。わたしは、あなたに、四つの とても かしこい 小さないきものについて おはなししてきました。――-あり、いわだぬき、いなご、くも です。ありは、かしこい おてほんでした。やがて やってくるときのことを よくかんがえているからです。いわだぬきは、かしこい おてほんでした。じぶんの おうちを、あんぜんなばしょに つくるからです。いなごは、かしこい おてほんでした。おたがいに たすけあっているからです。くもは、かしこい おてほんでした。しんぼうづよく やりとおすからです。みなさん。わたしはみなさんが、こうした いきものようになってほしい、とおもいます。みなさんの中には、おとなになるまえに、しんでいく子がいるかもしれません。しかし、いまからでも、一つのものにだけは、なることができます。かしこくなることができます。

 ありのように かしこくなりましょう。せいしょの、この二つのおことばを よくかんがえて、あんしょうしてください。「あなたのわかい日に、あなたの そうぞうしゃ[つくりぬし]をおぼえよ」(でんどうしゃのしょ12しょう1せつ)。「あなたのかみに あう そなえ[じゅんび]をせよ」(アモス4しょう12せつ)。

 いわだぬきのように かしこくなりましょう。せいしょの、この二つのおことばを よくかんがえて、あんしょうしてください。「しゅイエス・キリストをしんじなさい。そうすれば、あなたも……すくわれます。」(しとのはたらき16しょう31せつ)。「あなたは わたくしのかくれば。あなたは くるしみから わたくしをまもり……ます」(しへん32へん7せつ)。

 いなごのように かしこくなりましょう。せいしょの、この二つのおことばを よくかんがえて、あんしょうしてください。「もしあなたの たがいのあいだに あいがあるなら、それによって、あなたが わたしのでしであることを、すべての人が みとめるのです」(ヨハネ13しょう35せつ)。「目にみえる きょうだいを あいしていないものに、目にみえない かみを あいすることはできません」(だいいちヨハネ4しょう20せつ)。

 くものように かしこくなりましょう。せいしょの、この二つのおことばを よくかんがえて、あんしょうしてください。「もとめなさい。そうすれば あたえられます。さがしなさい。そうすれば みつかります」(マタイ7しょう7せつ)。「わたくしたちも、いっさいの おもにと まつわりつく つみとを すてて、わたくしたちのまえに おかれている きょうそうを にんたいをもって、はしり つづけようではありませんか。……イエスから目をはなさないで」(ヘブル12しょう1-2せつ)。

 みなさん。こうしたことを かんがえてごらんなさい。これこそ、しあわせで、かしこくなるためのみちです。かみさまが、せいしょの中で、いっておられることを けっして わすれてはなりません。「まずしくても ちえのある子どもは、としとった おろかな おう にまさる」(でんどうしゃのしょ4しょう13せつ)。「ちえのあるものは ほまれ[よいひょうばん]を うけつ」ぐ(しんげん3しょう35せつ)。

小さくても かしこい[了]


* 28せつは、しんかいやく せいしょでは、「やもりは てでつかまえることができるが、おうの きゅうでんにいる」、とやくされていますが、ここでは えいごのせいしょどおりに、「くも は じぶんのてで つかまって、おう の きゅうでんにいる」、とやくしました。[ほんぶんに もどる]



本章の翻訳にあたっては、東京聖書教会の S・N 兄がすでに翻訳しておられた訳文を参考にさせていただきました。S・N 兄に感謝いたします。

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