HOME | TOP | 目次 | BACK | NEXT

----

第10章 「書籍基金」の創設

 スポルジョン夫人は、自分から新しい働きを全く何も組織しなかったとしても、大説教家の妻として常に記憶されたであろう。夫人は、その夫に対してかけがえのない助けと励ましを与え、C・H・スポルジョン自身の言葉を繰り返せば、実際、この説教者にとって「神の御使い」のような存在だったからである。しかし、そうした関わり合いや、夫の七光を全く抜きにしても、スポルジョン夫人の名前はキリスト教会の年代記の中に永遠に刻まれておかれるべき値打ちがある。それは、貧困のあまり神学書を買うことのできない教職者や教役者に無償で書籍を支給するという、夫人の始めた基金との関連においてである。

 キリスト者が力を尽くしてきた一分野として、この働きは、かつても今も、きわめて独特なものであり、それが牧会伝道活動に、また《教会》全体に及ぼした広大な重要性と必要性は、どれほど高く評価しても十分とは言えない。タバナクルの牧師[スポルジョン]は、スポルジョン夫人の著書『書籍基金のために働いた私の十年』に寄せた序言の中で、自分の確信をこのように言い表わしている。「この働きは、痛ましいほど必要とされていたもので、これまで殊の外すぐれて用いられてきており、今なお喫緊の需要がある」。「わが国の教役者たちの多くが、いかにして本を買えるだろうか?」とこの牧師は尋ねる。「そもそも村々に在住する牧師たちが、いかにして本を手に入れられるだろうか? だが、その知性が飢えている場合、この人々の伝道牧会活動はいかなるものとならざるをえないだろうか? 多くの牧師館で猛威を振るっているこの飢饉を和らげることは一個の義務ではないだろうか? わが国の講壇に立っている説教者たちに、思索する材料を潤沢に供し続けることは、分別にかなった手立てであり、大衆にキリスト教の影響を及ぼしたいと願っている者すべての注意を引くに値するではないだろうか?」

 信じがたいと思われるかもしれないが、《書籍基金》が活動を始めた頃の多くの教役者たちは、新しい本を十年間で一冊も買えずにいるほど劣悪な状況にあった。「それでは説教者たちの話が時として退屈なものとなっても何の不思議があるだろうか?」とC・H・スポルジョンはこうした事実について述べている。他の重要な働きのほとんどと同じく、《書籍基金》は、ごく単純な始まりから大きく育ったものであり、この運動がどれほど素晴らしい形で展開していくようになるか最初は誰ひとり考えもしていなかった。1875年の夏、スポルジョン氏は、その著書『牧会入門』の第一巻を脱稿し、その校正刷を妻に手渡した後で、この本についてどう思うか尋ねてみた。「この本を英国中の教役者の手に渡せたら、どんなに良いでしょう」という言葉がその答えであった。そこで、この説教者は直ちに言い返した。「それじゃ自分でそうしたら? 何冊そうする?」 これは夫人にとって痛烈な一言であった。スポルジョン夫人は、そのような切り返しに全く不意を突かれたが、家計や個人口座をやりくりして、その費用を捻出できないだろうかと考え始めた。必然的にどこかにしわ寄せが行くことになるのを夫人は知っていた。そのときでさえ、お金に有り余っていたわけではなかったからである。突如として、ある記憶が閃いて、前途のすべてを明るく照らし出した。「二階の小さな箪笥の中に、ちびちび蓄え続けていたクラウン銀貨がありました。何かくだらない気まぐれのために、何年もかけてクラウン銀貨を手にするたびに集めてきたものです。その枚数を数えてみたところ、この本をちょうど百冊買えるだけの金額になっていることが分かりました。たとい、自分が大事にしてきた、けれども扱いにくいお気に入りのものと別れなくてはならない後悔の念に胸が一瞬痛んだとしても、それはたちまち消え去り、その銀貨すべては惜しみなく、感謝をもって主にささげられました。そして、私には知るよしもありませんでしたが、その瞬間に《書籍基金》は創始されたのです」。次の号の『剣とこて』誌(1875年7月号)には、スポルジョン夫人のこうした計画の広告と、困窮するバプテスト派の教役者はこの本の支給にお申し込みくださいという呼びかけが掲載された。予想をはるかに越える多数の応募があり、夫人がそのすべての希望に答えることはできなかったが、気前良く援助資金を供与してくれた人のおかげで、当初提案していた百冊ではなく二百冊を配送できた。8月号の『剣とこて』でもC・H・スポルジョンはこの件に言及し、このように語った。「これほど多くの、貧困な主のしもべたちに本を送ることができたのは、愛する妻にとって非常な喜びであった。だが、こうした贈り物を必要としている人々がこれほど多くいることは悲しい事実である。教役者たちに書籍を供するために何かができないだろうか。たといこの人々を金銭に富ませることができないとしても、信徒たちのためには、魂において飢えさせておいてはならない」。この訴えは相当な反響を引き起こし、善意ある人々が送金を始めた。そこで翌月(9月)になる頃には、教役者宛の書籍小包が毎日送られつつあり、この働きは正式に「スポルジョン夫人の書籍基金」と称されることとなった。ひとりの紳士が、貧しい教役者に配布してほしいと複数の良書を寄贈してくれたし、金銭を贈ることのできない他の人々もこの人物の模範にならって、自分たちの書斎から書籍を送ってくれるようになった。もちろん、こうした寄贈本を受け入れ、感謝を表わすことによって、必然的に大量の半端本がスポルジョン夫人のもとに送られてくることになり、夫人は、屑屋にしかふさわしくないような無価値な本が、《書籍基金》に「寄贈」されることについて何度か物柔らかに抗議せざるをえなかった。ある報告書の中ではこのように書いている。「本当に心配なのは、本の形をしたものなら何でも教役者にとって役に立つのだと考えている方々がいるのではないかということです。さもなければ、『母親たちのための助言』だの『我が息子に対する手紙』を講壇のための準備の助けとして送ってくるような人はほとんどないでしょうから」。

 別の折に夫人はこう書いている。「私たちが暮らす、この現在の世界の中には、多くの親切で優しい心をした人々がおり、私の《書籍基金》の報告書を精読すると、たちまち本箱の所に駆けだして、善意にかられては、山ほどの古本を引っ張り出し、私の貧しい牧師たちのためにと送りつけて来ます。それで、当《基金》と、当《基金の管理人》と,当《基金の管理人》の困窮する人々のために、考えうる限り最もためになることをしたものと本気で確信しているのです。私は、親切心から出た熱意に少しでも水を差したり、進んでささげる同情心の発露への感謝を忘れたりしたいとは全く思っていませんが、できうる限り穏やかにこう指摘せざるをえないと感じております。善意ある、けれども思い違いをしておられる皆さん。そのような贈り物は、私にとって全くの役立たず以下のものです。私は途方に暮れることが少なくありません。祝福になるだろうと思って送られてくる場所ふさぎの山を一体どう処分したらよいのかと! 通常、こうした善良な人々が自分の本箱という埃だらけの安息所をかき乱した結果やって来るのは、次のような代物です。――時としてカビ臭い、そして決まって不揃いな、何十冊もの『福音主義』誌や『バプテスト派記録』誌。自分たちが半世紀も前に『謦咳に接した』というお偉い牧師による大昔の『説教集』。『どこの馬の骨とも知れない』誰かによる『詩集』二、三冊。何らかの小難しい思想に関する古い著作数冊。『フランス語文法と問題集』。マングノールの『子女の嗜み知識集』。『新婚の二人への助言』。そして、『料理入門』すらやって来かねないと言いたいところです。そこまで言うと言いすぎになるかもしれませんが、それ以外については全くありのままの真剣な事実です。さて、どうして私の可哀相な牧師たちがこのようなゴミクズを必要とするようなことがありえましょうか?」

 C・H・スポルジョン自身、その月刊誌の中で、上で言及した紳士から最初に贈られた貴重な書物に感謝しつつ、こう述べている。「これまで何度か私たちは、山ほどの古雑誌だの書斎の掃きだめのようなものを詰めた小包を受け取ってきたため、こうした贈り主たちからバタ屋を営業していると考えられているのだろうと結論するに至った。だが、この友人が贈ってくれたのは本当に立派な書物であり、必ずや幾人かの貧しい説教者の重宝する物となるであろう」。

 その年の秋スポルジョン夫人は重病にかかり、書籍の配布を延期せざるをえなかったが、11月になる頃にはこの働きを再開できるまで快復していた。そして、それからは、ほとんど一日とおかずに、どこかの貧しい教役者が、自分の乏しい蓄えでは決して購入できなかったような書物の贈り物を受け取って喜ばされることになった。教派による分け隔ては全くなされなかった。確かにバプテスト派の教役者たちの貧しさは、ことによると他の教派を圧して突出していたかもしれないが、《教会》全体の中には、自分の働きのために不可欠な書籍を全く買うことのできない説教者が何百人もいたのである。ほどなくして、貴重な全三巻の『ダビデの宝庫』が『牧会入門』に加えられ、次第にそれ以外の本も配布されるようになった。そのほとんどはC・H・スポルジョン自身の書いた本や説教集であった。通常貧しい教役者たちが要望するのはスポルジョンの著作だったからである。

 1876年1月までには、何の懇願もしなくとも心ある人々が贈ってくれた金額が182ポンドに上っており、《基金》創設一周年を迎えた8月には500ポンドを優に超えていた。これは3,058冊の書籍を配布したことを表わしている。C・H・スポルジョンの著作を刊行している出版者たちの寛大な取り決めにより、《基金》用の書籍はごく低価格で提供されたため、500ポンドの資金で800ポンド分の価値がある書物を購入できた。この重要な新事業は、今や堅固で恒久的な土台の上に確立されており、貧しい教役者たちの書庫に本を供給しようというこの運動に対する関心は日増しに高まっていった。こうした書籍を受け取った人々から寄せられた、大きな喜びと感謝の念を表わす数々の手紙を引用してスポルジョン夫人は、最初の十二箇月の働きの後で『剣とこて』誌にこう書いている。「今やこれは非常に美しく見事な働きとなっています。ですが、神の《教会》に対して、きわめて悲しい事実を指し示してもいないでしょうか。確かにこうした『キリストのしもべたち』、こうした『神のための大使たち』は、私たちの手からもっとましな扱いを受けなくてはなりません。この人々に、その聖なる召しにおいて死活に関わるほど必要とされる助けを与えないまま、これほど長いこと思い焦がれさせておいてはなりません。書物は、大工の作業台にとって鉋や金槌や鋸が必要な付属品であるのと同じくらい、教役者にとって真に入用な道具なのです。不慮の事故によって自分の工具一式を失ってしまった機械工のことを私たちは可哀相に思います。その人が直ちにその工具を取り戻せるように寄付に立ち上がり、その工具を欠いている間は、ほんの一打ちさえ作業をするよう期待などしないことでしょう。それでは、どうして私たちは同じ常識を働かせてわが国の貧しい教役者たちを助けようとしないのでしょうか。欠くべからざる重要な書物を調達する手段を気前よく供さないのでしょうか。この方々が年々歳々携わっている苦闘を思えば不憫ではないでしょうか。その年収は100ポンド、あるいは80ポンド、あるいは60ポンド、あるいは(書くのも恥ずかしく思われますが)50ポンドに達さない人々さえいるのです。その多くは大家族をかかえ、さらに多くは病身の夫人をかかえ、その中には、あゝ、その両方をかかえている方々もいます! 医者の請求書は積み重なり続け、子どもたちの教育費はかさみ続け、聴衆から愛想をつかされないだけの体面も保たなくてはなりません。そして、こうしたやりくり算段をしながら、どうして借金まみれにならずにいられるかは(そして、この方々の誉れと名誉のために言っておかなくてはなりませんが、大半の方は立派にそうしおおせています)、この方々とその常に真実な神だけがご存知です! 私はこの方々から一度も不平の声を聞いたことがありません。ただ時折このように痛ましい一文か二文が書いて寄こされるだけです。『十六年になんなんとする「《主人》の葡萄畑」での奉仕の後で、こう申し上げるのは残念なことながら、薄給の身で妻と五人の娘を養わなくてはならない自分は、殊のほか僅かな蔵書しか持っておらず、書籍を買ってその規模を大きくするような立場にはありません』。あるいは、このような一文です。『私の月給は乏しく(60ポンド)、とある慈悲深い協会から多少の助けを得ていないとしたら、狼を戸口から遠ざけ続けておくのに非常に大きな困難があるはずです』。このような人たちを、これほど深い貧困の中にとどめておくべきでしょうか。新しい本を買おうとしたら、その小さな子どもたちを裸足にしておくしかないほどの貧困なのです。『立派に働く者が報酬を受けるのは、当然です』*[ルカ10:7]。ですが、この福音の畑で働く可哀相な人々は、働き人と働きの内容の双方に全くそぐわない、雀の涙ほどの報酬しか得ていません。ですから、この人々の下にいる信徒たちが(当然自分たちの牧師をもっと助けてしかるべきですが)そのようにする力あるいは意志を持ち合わせていない以上、愛する方々。少なくとも私たちは行動しましょう。この人たちの心を励まし、そのうなだれた思いを活気づけるために、自分にできる限りのことをいたしましょう。これは、私がここに書き記すよう権威を与えられた主題からいささか逸脱しているかもしれません。ですが、いま述べたことは述べなくてなりませんでした。私の心は私のうちで熱くなり[詩39:3]、この貧しい兄弟たちに良いことをしてあげたいと切に願っているからです」。

 スポルジョン夫人は、夫が『ジョン・プラウマン談話』に登場する浪費家に言わせた、「使えば、神様が送ってくださる」という言葉を座右の銘としていた。。そして《基金》が生まれてから九箇月もしないうちに、自分の信念の正しさを示す尋常ならざる証拠を手に入れた。ひとりの紳士が、《基金》のために50ポンドを送ってくれたのである。それは、その時点までで最大額の寄付であり、たちまち書籍の形で配布されることとなった。半年後に同じ紳士が夫人を訪問し(その強い願いにより夫人以外の何者にも匿名のまま)、北ウェールズの五百名にのぼるカルヴァン主義的メソジスト派の教役者、説教者、神学生のひとり残らず全員に、《書籍基金》を通じて『牧会入門』を贈りたいという意図を明らかにし、それと同時にその費用に充ててほしいと、もう50ポンドの寄付を手渡した。北ウェールズにおける配布が完了する前に、同じこの太っ腹な篤志家は、続けて南ウェールズの教役者や説教者にも、自分持ちで同書を配布する権威を夫人に与えた。

  



HOME | TOP | 目次 | BACK | NEXT