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第9章 中年期

 説教者とその妻が、ナイチンゲール小路のヘレンズバラ荘に移り住んでからほぼ十二年も経つと、この建物は全く手狭で不便なものと感じられてきた。この人物の働きのためには広々とした書斎がなくてはならず、ひいては、さらに大きな書庫が必要だったからである。なつかしい思い出にいろどられた旧居を夫妻はともに愛していたが、より広くて便利な住まいが必要であると悟られたために、考えを重ねた上で、今ある建物を取り壊してから新たなヘレンズバラ荘を建て直し、この歳月の間に変化し、いや増し加わった、説教者とその妻の必要に答えられるようにすることが決められた。取り壊し工事は1869年に行なわれ、同じ敷地に立派な構えの邸宅が建てられた。その持ち主である二人のあらゆる要求を満たすだけ広大な部屋のある家である。スポルジョン氏もその夫人も、それまで常に金離れが良く、自分たちの自由になる金銭は常に、自分たちの大切に思っている、御国のためのいずれかの事業につぎ込んできた。それゆえ、より裕福な友人たちの何人かは、夫妻が新居の建築費を背負い込むのは不公平であるとの結論に達した。新しい家が必要になったのは、ひとえにこの牧師がその無私の働きと途方もない精力をもって、良い働きを常に増し加えつつあるためだったからである。そこで、この友人たちは、その敬意と感謝の念を示す贈り物として、費用の大部分を肩代わりすることに決めた。メトロポリタン・タバナクルの建築業者であるウィリアム・ヒッグズ氏がヘレンズバラ新荘を建てることになり、献身的な教役者とその病弱な夫人に対する立派な贈り物とし、ふさわしい住居とするためにあらゆる努力が払われた。

 その建物が居住に適したものとなる少し前に、この説教者は支援者たちと会談し、スポルジョン夫人も、旧居の取り壊し以来滞在していたブライトンから、その集まりに同席するためロンドンに上京した。C・H・スポルジョンは優美な小演説を行なって、親切な友人たちの贈り物を感謝し、この人々の寛大さに賛辞を呈し、しめくくりにこう語った。「妻と私は、いかなることのためであろうと決して借金はすまいと決意していました。ですが、皆さんもある程度ご承知の通り、主のわざに関して様々な要望がひっきりなしに寄せられてきました」。それからこの説教者は、自分が裕福でないのは富を獲得できる多くの機会を利用せずにきたからだと説明した。例えば、米国で講演旅行を行なえば、教役者として何年も働いて得るものにまさる金額を、ほんの数週間で手にできたはずである。「私は新しい家を手に入れたからには一息つこうなどというつもりは毛頭ありません。可能であれば、以前にまして勤勉に働き、以前にまして良い説教を行ないたいと思います」。そして、いま自分について語ったことは、妻も全く同じように口にしていることであると宣言した。

 こうした興味深い集会の後、この時期たいへんな苦しみを覚えていたスポルジョン夫人はブライトンに戻り、エジンバラのジェームズ・Y・シンプソン卿の手により難しい手術を受けた。これにより多少は苦痛が軽減し、心持ち良好な健康状態を取り戻すこととなった。その間、夫人の夫は、新居を住めるようにするための家具選びや内装などの準備を一手に引き受けた。この人物が、この働きをいかに愛をこめて行なったか、また、自分の行なう一切においていかに妻を喜ばせようと心を砕いていたかは、スポルジョン夫人が受け取った次の手紙から見てとれよう。――「苦しみの中にある愛する君へ。――T……が親切にも送ってくれた手紙によって、君がまだそれほど痛ましい状態にあると知り、心を切り裂かれる思いだ。おゝ、常にあわれみ深い神が君に安らぎを与えてくださるように! 「ぼくの方では、きょうは特に長いひとめぐりだった。――「ひとめぐり」が「長い」ものになりえるとしたらだが。まずフィンズベリーに行って衣装箪笥を買った。――美品だ。君には長生きしてもらって、自分の服をその中にかけてほしいと思う。愛する君のために、繊維の一本一本さえぼくにとっては大切な服を。次に、食堂に吊す多光灯を求めにヒューレットの店に行く。ぼくと君の好みにぴったりのものを見つけた。それからネグレテ・アンド・ザンブラ商会に行って、ぼく自身の道楽のために晴雨計を買う。長いこと買いたいと思っていたものだ。その途中で、プレスバーグ・ビスケットを手に入れたので、その箱に入れてこの手紙を送ろう。望むらくはその方が早く届くかもしれない。ビスケットはぼくの愛と祈りで甘くなっているはずだ。衣装箪笥を入れた寝室は、きっと見栄えがするだろう。少なくとも、それがぼくの願いだ。この箪笥は見事な作りをしていて、ぼくに判断のつく限り、まさに君が望んでいるものだと思う。ジョーは――ジョウゼフ・パスモア氏がこの箪笥を贈り物としてくれたのだ――とても親切な人だ。愛する君がものを書いても疲れなくなったら、一言お礼状を書くべきだろう。でも、まだそれはしなくていい。それから、君が寝ていなくてはならない場合に備えて、卓子も1つ買った。ねじを回せば天板が上下するのだ。横に張り出させることもでき、その場合、本や書類を置ける折り蓋を開けるようになっている。そうすれば愛する君は、横になっていても楽にものを読んだり書いたりできるはずだ。苦しんでいるぼくの可哀想な奥さんに、この小さな贈り物をできる嬉しさに、ぼくは抵抗できなかった。そう頻繁には必要にならないでほしいと思うが、いざというときには助けになるだろう。苦しみの中にある可哀想な奥さんに、この小さな贈り物をできると思うと、ぼくはその嬉しさに抵抗できなかった。そう頻繁には必要にならないでほしいと思うが、いざというときには助けになるだろう。忘れないでほしいが、こうした買い物はみな、ぼくが自分で支払っている。自分の筆で稼ぎ、必要な折に恵み深く送られてくる稿料で一切合財の支払いをしているのだ。君を心配させるようなことは何1つ残しておきたくないというのが、ぼくの切なる願いだからね。窓帷その他の代金もじきに手に入るはずだ。そうしたら、君はお好みの色柄を注文して楽しめるだろう。「これ以上手紙を長くしてはいけないね。それに実際、もう書くこともほとんどない。ただし、昔ながらの愛の物語だけは別だ。この愛は君のことを悲しみ、できれば奇蹟を行なってでも君を完璧な健康へと引き上げたいと願っている。熱が君の具合を悪くさせないと良いのだが。パトモスにいたヨハネが、神の御座の前に立つ人々について、あの長老から告げられた言葉はまことに真実だ。『太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません』[黙7:16]。生きるにしても死ぬにしても永遠に君を愛するC・H・Sより」。

 一切の準備が整ったときも、スポルジョン夫人は健康を害したままで、しばらくブライトンから戻って来ることができなかった。それで夫はその家にひとり住まいを余儀なくされた。しかし、とうとう再びナイチンゲール小路に居を定めることができるようになったとき夫人は、ほとんど四六時中長椅子に横たわっていなくてはならない病身の妻の慰めとなるだろうものを、自分の夫が、その愛する心遣いによって細大漏らさず整えていたことに気づいた。「私は決して忘れないでしょう」と夫人は書いている。「夫はどれほど大はしゃぎで私を家に迎え入れ、どれほど誇らしげな笑顔をもって、寝たきりの妻を少しでも喜ばせ、楽にさせようとして整えた手筈を1つ1つ指さしたことでしょう。部屋の片隅には精巧な造りの戸棚が置いてあり、その中には妻への優しい思いやりを示すあらゆるものが集められていました。何枚か扉を開くと、瀟洒な水洗機が姿を現わし、そこに引かれた水道管からは温水と冷水が出てきます。そのため、難儀な階段の昇り降りをしなくてもすむのです。そこには、私の名前を刺繍したタオルさえ何枚もかけられていました。夫は何もかも考え抜いており、その小さな部屋を取り巻くあらゆる部分には、その献身的な愛のこまやかな心遣いがあふれていたため、それを初めて目にしたとき、また、後に実際の経験によってその格段の便利さとありがたさを味わい知ったときに私が覚えた感情は、どんな言葉でも言い表わすことができません」。

 この時期の悲しい病気の間にスポルジョン夫人は、ある願いが《天来の》介入としか思えないものによってかなえられるという、きわめて尋常ならざる経験をすることになった。夫人は折に触れ、何か持って来てほしいものはないかねと夫から尋ねられていた。それに対して普通は、何もありませんわと答えるのが常であった。しかしある日、半ば冗談混じりに夫人は言った。「蛋白石(オパール)の指輪と、赤鷽(あかうそ)が欲しいわ!」 夫は驚いて答えた。「ええっ、そんなもの持って来られないって知ってるくせに!」 何日間かこの奇妙な要求は夫婦の笑いの種となり、それから二人の記憶からは抜け落ちてしまった。その物語の続きはスポルジョン夫人に語ってもらうことにしよう。「ある木曜の晩、タバナクルから帰って来て私の部屋にやって来た主人(この説教者)は満面の笑みを浮かべ、目をきらきら輝かせていたので、何か途方もなく嬉しいことが起こったのだと分かりました。その手に載せた一個の小箱から、小さな美しい指輪を取り出して私の指にはめてくれたときの主人は、きっと私以上に喜びを感じていたに違いありません。そして、『さあ、愛する君のための蛋白石(オパール)の指輪だよ』と言うと、それが手に入った不思議ないきさつを話してくれました。以前主人が病床訪問したことのある老婦人がタバナクル宛てに書きつけを寄こし、スポルジョン夫人に小さな贈り物をしたいのだが、その受け取りに人を寄こしてくれないかと頼んできたというのです。そこで求めに応じてスポルジョン氏の個人秘書が出かけて行き、小さな包みを持ち帰ったところ、中にはこの蛋白石の指輪が入っていたのです。主が、いかに病に伏せっているわが子に対して優しく愛を注いでくださったか、また、いかにご自分の愛するしもべの家族が病んでいるとき、これほどまでも身をへりくだらせて、不必要なほどの喜びを与えくださったかについて、私たちがどのように語り合ったかは、ご想像にお任せしなくてはなりません。ですが私は、主が本当に身近におられると感じたことを覚えています。

 「それからほどなくして私はブライトンに移動し、生涯の重大局面を迎えることになりました。今よりも回復し、具合が良くなるか、死を迎えるかの2つに1つです。ある晩、ロンドンからやって来た愛する夫は、大きな包みをかかえていました。開いてみると、かごが入っており、中にはヒヨヒヨさえずっている愛らしい赤鷽(あかうそ)がいたのです! 私は驚きのあまり息もつけず、無上の喜びを感じました。そして、そうした感情をいやがうえにも高めることに、夫はこの念願の宝物を所有するようになった次第を次のように物語ってくれました。少し前に夫は、私たちが親しくしているある婦人の訪問に出かけました。T__夫人は、そのご主人が病のため危篤に陥っていましたが、その病状を祈って神にゆだねた後で、主人にこう言ったというのです。『私の可愛いこの小鳥を奥様にお持ちいただけませんか。この子は奥様だけに差し上げたいのです。その鳴き声は、この病状では可哀想な主人の障りになりすぎますし、先生の長いお留守の間、「ブリー」はきっと奥様の寂しさを慰め、面白がらせてくれますわ』。そこで主人は私がそうしたおともをほしがっていたことを夫人に告げ、二人は、天の御父の愛にあふれるご配慮を喜び合いました。御父は、わが子が切に望んでいたまさにその贈り物を、これほど素晴らしい方法で与えてくださったのです。鳥かごを隣に置いたブライトンまでの旅は、あっという間のことのように思えました。そして、『ブリー』がその可愛い歌をさえずり、ご褒美に自分の新しい女主人が口にくわえた麻の種子を受け取ったとき、二人の目には喜びの涙が浮かび、その夜、海に面したその小部屋では神への賛美が心に満ちあふれました。愛する牧師が述べた注釈はこうです。『君は、天の御父から甘やかされている子どもだと思うよ。願いさえすれば何でもかなえられるのだもの』」。スポルジョン夫人は尋ねる。「この鳥が、憐れみ深い御父から直々に与えられた愛の贈り物であることを疑うような人がいるでしょうか。誰かこのように言う人はいるでしょうか。『おゝ! そうした偶然の一致をもたらしたのは、みな「たまたま」のことなのですよ』。あゝ、愛する方々。同じように御父から甘やかされたことのある人なら確実にそうではないとご存知のはずです。御手のわざをことごとく気に掛けておられるお方は、無限の優しさをもってご自分の愛する子どもたちを気に掛けてくださり、子どもたちの心に浮かぶ何事をも、ご自分が注意を払うのに小さすぎるとか、些細すぎるとはお考えになりません。もし私たちの信仰がより強く、私たちの愛がより欠けのないものだとしたら、私たちは日常生活の中でずっと驚異に満ちた事がらを目にするようになるでしょう」。

 肉体的にはきわめて弱く、病に苦しみ、はなはだ長期にわたって寝室に閉じ込められてはいたが、スポルジョン夫人はキリスト教の教理について双子の息子たちを忠実に訓練し、その二人がどちらも年若くして主に導かれるのを目にする喜びを味わった。現在のトマス・スポルジョン牧師はこう書いている。「私が小さな頃に回心したのは、全く母の熱心な懇願と輝かしい模範のおかげである。母は日曜日の夕拝に出席するという楽しみを諦めても、《いのちのことば》を家族にとりついでくれた。母は私に賛美歌を教えてくれたが、まず、その言葉を本当に心から口にすることを教えてくれた。――『われ信ず、まことに信ず。イェスはわがため死に給いぬ。十字架の血は、われを罪よりすくうため』。「兄がキリストに導かれたのは、ある宣教師の適切な言葉を通してだったが、兄もまた母の影響と教えがその件でしかるべき役割を果たしていたと喜んで認めている。そうした影響と教えによって、やがて蒔かれる種のためふさわしい土地が備えられたのだ」。1874年9月21日、この息子らは、メトロポリタン・タバナクルの大群衆の前で、父親からバプテスマを授けられた。スポルジョン夫人は、自分の男の子たちが公に信仰を告白する姿をその目で見ることができた。その折に夫人は、《教会》から素晴らしい演説を贈られ、その中では、このような感謝が表現されていた。「《全能の神》に感謝します。神は私たちの敬愛する牧師のご子息二人を、人生のこれほど若い時に、聖徒の交わりへと招いてくださったのですから」。また、「私たちの恵み深い主を賛美いたします。主は、私たちの愛する姉妹、スポルジョン夫人の敬虔な教えと模範をこれほど大きく用いて、その双子の子息たちの心に《天来のいのち》を生かし、培ってくださったのですから」。そして、この演説は次のようにしめくくられた。「私たちは熱心に祈ります。その長く引き続く苦しみの最中にあっても、夫人があらゆる霊的な慰めを通して、また、今このように主にあって二度目に与えられた者たちの日々増し加わる敬虔さによって、常に慰藉を受けることができますようにと」。

  



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