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第8章 夫と妻 スポルジョン夫人は、結婚してから十年ほどは休暇中、夫が英国や大陸を旅行するのに付き添うのを常にしていたが、1868年、夫人の告げるところ、その旅する日々は終わりを告げた。「それから何年もの間、私は病室の虜囚となり、愛する人は、その多くの労苦と責任の緊張から、自宅から遠く離れた場所で休息を求めざるをえなくなるとき、私を置いて出かけなくてはならなくなりました。こうした別離は、私たちのような愛情で心を結びつけられた者にとってきわめて痛ましいものでしたが、二人とも自分の悲しみをできる限り雄々しく耐えて、絶えず手紙をやりとりすることで可能な限り和らげました」。そして、そのやりとりの何と喜ばしいものであったことか。――それは最良にしてこれ以上ない種類の愛の手紙であった。ある折に夫はこう書いている。「神が君を祝福し、ぼくの留守を忍ばせてくださるように。家から離れて健康になる方が、家にとどまって苦しんでいるよりも良いことなのだ――君の愛する心にとっては――と、ぼくには分かっている。一緒にいられないからといって、相手を思う二人の心が冷たくなるなどとは一瞬たりとも考えてはいけない。二人の愛情は今や永遠に分かちがたい完璧な一体となっているのだ。初めは深く熱い愛情だけしかなかったところに、今や君のかけがえのない思いやりと長年の心配りをありがたく感じる思いが結びついているからだ。年ごとにぼくは君に錨をおろしては、ますます固くつなぎとめられつつある。最初からそんな錨は必要なかったにせよだ。願わくは、その懲らしめの御手によって、このような留守を必要としてくださったぼく自身の主が、君の魂に隠れた内なる報いを与えてくださるように。また、からだの癒しという別の癒しをも与えてくださるように! 君に心をいつまでも残している夫より」。
別の機会にスポルジョンはこう書いている。「君の健康の回復こそ僕の一番の望みであり、その次に望むのは君と一緒にいたいということだ」。その一日か二日後の手紙にはこうある。「先ほど愛する君からの手紙を受け取った。その中に記された、星の瞬きのような良い知らせについてさえ神に感謝したい」。ローマから投函した手紙には、このような一節がある。「今朝、君からの手紙を二通受け取った。ぼくにとってそれは、古代の、あるいは現代の、いかに贅美な宝石類をもはるかに越える価値がある。その尊さの大部分は手紙の内容によるものだが、それを記す巧みな筆遣いも、決してどうでもよいものではない。この二通は雪花石膏のように汚れなく、クジャク石や縞瑪瑙などはもとより、斑岩や緑柱石よりも尊い。愛はそうした一切にまさるのだ」。
チャールズ・ハッドン・スポルジョンは、このような手紙を書くことを、妻に対する愛に満ちた義務以上のものと見なしていた。夫が、返信を必要とする膨大な数の手紙や山のような文章の締め切りに迫られているのを知っていたスポルジョン夫人は、自分への手紙の数をもっと少なくしてほしいと再三頼んだが、スポルジョンは耳を貸さなかった。何日も鉄道の旅をする場合を除き、妻のもとから離れている際には、妻への手紙を毎日したためるのが常であった。ある便りの中ではこう語っている。「ここに書き記す一言一言は、君が喜びと感じてくれるだろうのと同じくらい、ぼくにとって喜びなのだ。愚にもつかない寄せ集めでしかないが、思いつくままに書き記しているのだから、何の負担にもならず、ただの楽しい走り書きだということは分かるだろう。君への手紙が多すぎるといって心配しないでくれ給え。ぼくは自分が嬉しく思ったことを残らず君に伝えるのが楽しくてたまらないのだ」。
別の折にスポルジョンは、イタリアの女性たちの髪型を洋筆で素描したものを何枚か送る際にこう記している。「さて、愛する君にはこうした下手な絵を楽しんでほしいと思う。それで君が一時でも微笑んでくれるなら、これはぼくにとって聖なる働きだというものだ」。その一年か二年後にスポルジョン夫人は、そうした素描と、それらに添えられていた手紙に触れてこう語っている。「そのときの私はその絵を見て微笑みましたが、今はその絵を思うと涙が出ます。それも当然です。今の私たちは、神のみこころによってずっと遠く引き離されてしまったのですから。――いま主人は栄光の国に住んでいます。――私は地上の影の中にまだ留まっています。――ですが、心から私は信じています。やがて主人と、『微笑みも涙も越えた』ところで一緒になるときには、二人が一緒に暮らしていたときに蓄えた、こうした地上の愛と豊かな祝福1つ1つをすべて優しく思い出すことになるだろうと。私たちは、熱をこめた『礼拝と喜ばしい奉仕』の合間合間に、こうした事がらを語り合うはずです。この下界で愛し合い、苦しみと奉仕をともにしてきた者らは、きっと天国で甘やかに会話することでしょう。《王》の麗しさを仰ぎ見ること、ご自分の血で私たちを贖い、神のものとしてくださったお方の御顔を目の当たりにすることに次ぐ幸いは、かの祝福の場所で聖徒たちがあずかる交わりの幸せに違いありません。神はご自分を愛する者たちのために、人の思いにまさる、そうした祝福の場所を備えておられるのです」。
こうした夫婦の別離は、スポルジョン夫人にとって、自分が病身となった後では、心を引き裂かれるように悲痛なものであったに違いない。だが、結婚前に、そして結婚式で胸に誓った決意に従って、夫人は決してたじろぐことなく、喜んで愛する者を奉仕の場へと、あるいは、健康上必要とされた大陸における保養へと送り出した。「私は神に感謝します」と、その晩年に夫人は語っている。「神は私がこの決意を貫き通せるようにしてくださったからです。そして私は、主人の聖別された生涯の足手まといになったとして自分を責めるようないわれが、いま何1つないことを喜んでいます。それは私の手柄では全くありません。主は私のためのみこころによって、私に必要な訓練を授けて、来たるべき年月に、選ばれたそのしもべを喜んでおささげできるようにしてくださったのです。主人は、その伝道牧会活動や、その文筆活動や、その、たぐいまれなほど多忙な生涯の様々な働きのために、果たすべき義務が年々増えていったのですから」。この言葉が決して空威張りでなかったことは、1871年にC・H・スポルジョンが書いた次の手紙から、まぎれもなく明らかである。「ぼくが君のことでどれほど神に感謝しているかは、地上の誰にも分からないだろう。これまでぼくが神のために行なってきた一切の働きにおいて、その大半は君のおかげでできたのだ。というのも、ぼくを何不自由なく過ごさせてくれる君がいるからこそ、そうした奉仕にぼくは耐えることができているのだ。御国のために働くぼくの力が、そのひとかけらでも君のせいで削がれたことは一度もない。愛する君と一緒にいたからこそ、これ以上ないほど精一杯ぼくは主にお仕えすることができたのだ」。
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