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第4章 求婚時代

 水晶宮での出来事から二箇月もしないうちに、C・H・スポルジョンは正式にスザンナ・トンプソンに求婚した。そのとき彼らは、この少女の祖父の、小さな昔風の庭園の中にいた。それは高い煉瓦塀と、伝統的な一直線の砂利道と、小さな芝生のある場所で、――「愛の告白を行なうには、うら寂しげな、情緒に乏しい場所でした」、とスポルジョン夫人は書き記している。「けれども人は、こうしたときには、さほど周囲の環境をえり好みしたり、自分たちの心に撮られる永遠の写真の背景を、ことさら魅力的なものにするよう苦労したりはしないものです。私は、きょうのこの日まで、あの古い庭園を聖なる場所、幸福の楽園と考えています。そこで私の愛する人が、私を自分の妻にしたいと云い、私をどれほど愛しているか告げてくれたのですから。そのことは、すでに知っていると思っていましたが、彼がそう云うのを聞くのは非常に異なったことでした。私はおののきながら、喜びと嬉しさのために何も云えませんでした」。この恋人たちがいかなる言葉を用いたかは告げられていない。だが、スポルジョン夫人は、言葉によるその告白が「素晴らしい」ものであったとはっきり云っており、四十年も後になってからでさえ、こう問うことができた。「これほどの至福が、一度でも地上にあった試しがあるでしょうか?」 彼らは心と、魂と、思いの向かうところとを1つにしており、この段階においてすら、すでにこの大説教者は自分の婚約者に、彼自身の霊性と真摯さの多くを伝えていた。互いに対する彼らの愛のうちにあったのは、単なる地上的な愛情以上のものであった。そして、ふたりとも、まさに神の指が、自分たちのため1つに結び合わされた道筋を選別してくださったのだと感じていた。「私にとって」、とスポルジョン夫人は云っている。「それは甘やかであるばかりでなく、厳粛な時でした。そして、私の心には大きな畏怖の念がありました。私は、愛する人から離れて、急いで家へ戻り、二階の部屋へ行くと、神の御前に膝まずき、幸いな涙とともに神をたたえ、感謝しました。神は、その大きなあわれみによって、これほど立派な人の愛を私に与えてくださったからです。もしもそのとき私が、彼がいかに立派な人であったか、また、いかに偉大な人となるかを知っていたとしたら、圧倒されてしまっていたことでしょう。そのような人の妻となる幸福によってではなく、そのような立場に伴う責任を思って」。

 この若い少女がつけていた日記によると、彼女はこの記憶されるべき日――1854年8月2日――の記録をこのように記している。「今朝起こったことをすべて書き記すことは不可能です。私はただ沈黙のうちに、私の神のあわれみをたたえ、そのすべての恵みのゆえに神を賛美することしかできません」。トンプソン嬢は、今や全く定期的にニューパーク街会堂に出席しており、ほどなくして教会員になることを申し出て、バプテスマ志願者となった。説教者は、彼女に、自分の信仰告白を書くよう求めた。それはおそらく彼自身が個人的に精読するためであったであろう。そして、彼女があまりにも満足の行くしかたでこのことを行なったため、彼は次のような手紙を書かずにはいられなかった。その中で彼は、彼女の魂における恵みのみわざに対して、ほとんど言葉に尽くせないほどの喜びを表わしている。「おゝ、ぼくは喜びのあまり泣きたいほどです(そして確かに今そうしています)」、と彼は書いている。「ぼくの愛する人が、自分の魂における恵みのみわざを、これほど見事に証しすることができるとは何と嬉しいことでしょう。君が本当に神の子どもであることはわかっていました。でも、君がこのような通り道を導かれてきたとは思ってもいませんでした。今ではわかります。ぼくの《主人》は、深いあぜを作られ、そこに深く蒔かれた種こそ、土塊と苦闘してきた後で、いま君の胸を苦悩で高まらせているのです。もしぼくが霊的な症状について少しでも知っているとしたら、ぼくには君の治療方法がわかると思います。君はキリストのために熱心に労苦するような立場に身を置いていません。君は、自分にできることを、いくつものしかたで行なってきましたが、現実に聖徒たちと触れ合うことも、自分の奉仕をささげることのできるような、罪深く、病んだ、みじめな人々と触れ合うこともありませんでした。実際の奉仕を行なうことによって、魂には暖かみがもたらされ、疑いが取り除かれるのです。ぼくたちの行ないは、このようなしかたでぼくたちが召されたことと選びとの証拠となるからです。

 「ぼくは、だれにもへつらいませんが、正直にこう云わせてください。これまでぼくの目にとまってきた数多くの事例の中でも、君の場合ほど満足が行くものはざらにはありません。よく聞いてください。今ぼくは君を崇拝する友としてではなく、君の《牧師》として公正に書いているのです。もし主が君の破滅を意図しておられたとしたら、決してこのような事がらを君に告げたり、ご自分の忠実な約束に君があれほど無条件に身を投げかけられるようにしたりすることは、なさらなかったでしょう。神の法廷で、あらゆる人々の血の責任から免れて立ちたいと希望するぼくであれば、おべっかを云うのはふさわしくありません。そして、君をこの上もなく深く、純粋な愛情で愛しているぼくであれば、君の不滅の益をいいかげんに扱うつもりは毛頭ありません。ですが、もう一度云いましょう。ぼくは神に大きく感謝してしかるべきです。君のためだけでなく、ぼくのためにも。心の数々の教訓において、君がこれほど深い訓練を受けてきたこと、また、これほどしばしば、君自身の腐敗という納骨堂をのぞき込んできたことを思えばそうです。これからも、君が十分に整えられた者となるためには、いくつもの教訓がやって来るでしょう。ですが、おゝ! 愛しい人よ。最初の教訓をしっかり学ぶとは何と素晴らしいことでしょう! ぼくは、かつて君を愛していましたが、君が《天》の世継ぎではないかもしれないことを恐れていました。――神はそのあわれみによって、君が本当に選民であることを示してくださいました。それでぼくは、罪を犯すことなしに自分の愛情を君に打ち明けることができると思いました。――ですが、君の覚え書きを見るまで、君がこれほど偉大な光景を見てきたとは、また、これほど魂の知識に通暁しているとは思いもよりませんでした。神はいつくしみ深いお方です。非常にいつくしみ深く、無限にいつくしみ深いお方です。おゝ、いかにぼくがこの最新の贈り物を尊んでいることでしょう。なぜなら、今ぼくは、これまでにまして、《贈り主》がこの贈り物を愛しておられることを知っているからです。また、それで、ぼくもそれを愛することができるからです。むろん、主を第一とする中でのみそうなのですが。《救い主》の血によって買い取られた愛しい人よ。君はぼくにとって《救い主》の贈り物であり、ぼくの心は、これほど途切れなく与えられたいつくしみ深さに対して、あふれんばかりの思いで満たされています。ぼくは主のいつくしみ深さには驚いていません。これはまさに主がなさるにふさわしいことだからです。ですが、主の多岐にわたるあわれみには、喜びの声をあげずにはいられません。たといぼくたちに何が降りかかろうと、――たとい困難や逆境、病や死があろうと、――ぼくたちが互いに、あるいは、ぼくたちの神から、最終的に引き離されることは全く恐れることがないのです。ぼくは、この瞬間に君がここにいないことを喜んでします。ぼくは感極まって、君を抱きしめて泣くしかできないような気がしているからです。願わくは、最上の恩顧が君のものとなりますように。契約の御使いが君に伴いますように。君の嘆願がかなえられますように。そして、君の生活が《天》にいますイエスとともなるものとなりますように! それでは、ぼくの神、また、ぼくの父親の神に、君を託します。地上的な愛とともに、きよく聖なる愛情をこめて。C・H・スポルジョン」

 確かに、これは尋常ならざる恋文であり、その筆者と受取人の双方の人格について、雄弁に物語るものである。C・H・スポルジョンは、彼女が十分に整えられた者となるために、これからもいくつもの教訓がやって来るだろうと云っているが、これは、彼女の魂の経験において真実であったばかりでなく、教役者夫人の立場を占めるための備えと修練においても真実であった。スポルジョン夫人自身が私たちに告げているが、こうした教訓のいくつかは、全くもって喜ばしいものではなかった。だが彼女はそれらをよく学び、その教えによってより強くなり、より熱心になった。時としてこの説教者は、まもなく説教しようとする折など、自分の重大な使命に没頭するあまり、婚約者が牧師室に入ってきても彼女を見分けられず、まるでただの知り合いか訪問者ででもあるかのように、素っ気なく握手して迎えることもあった。一度など、それよりもずっとつらい経験があった。C・H・スポルジョンは、ケニングトンの大公会堂で説教することになっており、トンプソン嬢はそこまで辻馬車で彼に同行した。建物の周囲の歩道には群衆が密集しており、講堂に続く玄関広間や階段も同様であった。この乙女は、この人だかりの中を通り抜け、自分の求婚者から離れないようにするのにたいそう難渋した。突然、彼は、登り切ったところで、横にあった扉の中に入り込み、トンプソン嬢を置き去りにしてしまった。彼女は、公会堂の中に入ろうと熱心に押し寄せる群衆の中で、自分ひとりで身を処するしかなかった。この説教者には、魂のための責任が重くのしかかっており、これから自分の語ろうとしている使信の重大きわまりなさを思うとき、その可哀想な婚約者のことはすっかり失念してしまったのである。

 トンプソン嬢が許しがたい無礼と考えたものに対する彼女の感情は、察して余りあるであろう。彼女はこう云っている。「最初、私は全く驚き呆れ、それから――こう告白せざるをえないのは残念なことですが――怒ってしまいました」。彼女は、それ以上席に着こうとする努力などせず、すぐさま自宅へ取って返した。彼女の憤りと嘆きはつのるばかりであった。しかし、この若き少女には、最上の賜物があった。賢明な、愛に満ちた母親である。彼女は、この上もなく巧みに事を分けて、娘のいきりたった心をなだめようとした。スポルジョン夫人は云う。「母は道理を説き聞かせてくれました。私が夫として選んだ人は、ただの凡人ではなく、彼の全生涯は絶対的に神に、また神への奉仕に献げられたものであり、私は決して決して自分を彼の心の中で一番にしようとすることによって彼を妨げてはならないのだ、と。このように筋の通った、また愛に満ちた助言をしばらく聞かされるうちに、私の心は柔らかくなり、自分が非常に愚かで、片意地を張っていたことが悟られてきました。そこへ、辻馬車が玄関の前に止まり、スポルジョン氏が家の中に走り込んできました。彼は非常に興奮した様子で、『スージーはどこですか? どこを探しても見つからないのです。彼女はひとりで帰ってきたのですか?』 私の愛する母は彼のもとに行き、彼を脇へ連れだして、真相をすべて告げました。そして、私が思うに、彼が事の次第を悟ったとき、彼女は彼をもなだめなくてはなりませんでした。というのも彼は、いかなるしかたであれ、私を怒らせるつもりなど微塵もなかったのであり、そのように疑われることによって、私から不当に扱われたと感じたに違いないからです。とうとう、母が私を彼のもとに連れにやって来て、私は階下に降りました。彼は穏やかに、私がどれほど憤りを感じたかを私に告げさせ、それから母の小さな教訓を繰り返しました。彼が私を深く愛していることは断言しましたが、こう注意したのです。すなわち、彼はあらゆるものにまして神のしもべであり、私は、神の求めの前では、自分の求めを明け渡す覚悟をしていなくてはならない、と。私はその日の教えを決して忘れず、この困難な教訓を心に刻み込みました。というのも、私は二度と、何らかの奉仕が彼の時間と注意を要求するとき、自分の権利を申し立てようとした覚えがないからです」。この事件は、彼女の母親の家で和気藹々としたお茶の時間を持つことでしめくくられた。そして、スポルジョン夫人によれば、その日の午後の波乱の後で、全員の心が甘やかな安らぎで満たされたのであった。

 数週間後に、この説教者がウィンザーで説教奉仕を果たすことになったとき、彼は婚約者に手紙を書いて、自分に同行してくれないかと頼み、こうつけ加えた。「もしかすると、君が来てくれても、ぼくはまた君をかまいつけなくなるかもしれません。ですが、これは、ぼくたち双方にとってよいことでしょう。――チャールズは、改善のための余地があるでしょうし、『スージー』は、彼の欠点を我慢強く辛抱することによって、彼の性格を学ぶ点において自分がどれだけ成長したかを示すこともできるでしょうから」。

 1855年4月に、トンプソン嬢は彼女の婚約者と連れ立って、一週間、コルチェスターに滞在した。彼の両親家族に紹介されるためである。それは、非常に幸いな休暇であった。恋人同士が一日中ともに過ごすことができ、ジョン・スポルジョン師とその妻が、未来の嫁を「歓迎し、可愛がった」という事実が、その主たる原因であった。若き教役者は、ロンドンにいるときには、ほとんど求愛のための時間が持てず、いざブリクストン地区にある婚約者の家を訪問しても、説教の校正刷を携えてきて、印刷に回すための校正をするのが常であった。「私は、この大切な働きがなされている間は、静かにしていて、口出しをしないでいることを学びました」、とスポルジョン夫人は云う。「牧師夫人になろうとしている者にとって、それは良い訓練でした」。こうした初期の時代においてさえ、C・H・スポルジョンには新聞で悪口雑言が浴びせかけられており、彼は自分の婚約者に手紙を書くことで何がしかの慰藉を見いだした。彼女は彼を慰め、支える上で大きな力となったからである。「ぼくは谷底にいます」、と彼は1855年5月の手紙で云っている。「その理由の一部は、『シェフィールド独立』紙と『帝国』紙のすさまじい攻撃のためであり、その一部は、説教の主題を見つけられずにいるためです。ですが信仰は弱りません。ぼくは約束を知り、信じていますし、それにより頼むことを恐れてはいません。ぼくが受けるあらゆる傷跡は名誉の傷跡です。ならば、衰えた心よ、戦いに突撃するがいい! 愛する人よ。もし君がここにいてくれたなら、どれほど君は、ぼくを励ましてくれることでしょう。ですが、君がいないので、ぼくはそれよりもなお良いことをしましょう。二階にひとりで上がり、ぼくの《救い主》の耳にぼくの嘆きを注ぎ出すのです」。

 ちょうどこの頃、トンプソン嬢の両親はブリクストンからロンドン市中のファルコン広場に引っ越した。そのため恋人たちは、それまでよりも頻繁に会えるようになった。この若き乙女は、未来の夫を、その著述の働きにおいて助けることを始め、初めはその責任に圧倒されそうになりながらも、そこにこめられた栄誉と信頼とを誇らしく思った。説教者としての彼の素晴らしい人気と成功は、自然と、この内気な乙女を喜ばせもし、恐懼させもしたが、その喜びには何がしかの懸念と苦悩も伴われていた。というのも、エクセター公会堂に集まった大人数の会衆に語りかける際、この説教者の体力には度を越した、途方もない負担がかかり、この公会堂の人波の中に座って彼を見ているその婚約者は、しばしば、彼の援助に駆けつけなくてはならない思いに駆られたからである。彼女はこう云っている。「彼が前にしていた説教壇の下の棚には、常に辣油酢の瓶が用意してありました。そして私は、彼がそれを用いるときには常にどう考えるべきかを知っていました。おゝ、いかに私の心は彼のために痛んだことでしょう! 平静で落ち着き払った様子を装い、上部の小さな脇桟敷の座席で静かにしているためには、いかなる自制心を振るわなくてはならなかったことでしょう! その礼拝が終わったとき、いかに私は彼のもとに行って、彼を慰め、元気づける権利があったならと切望したことでしょう! けれども私は、他の人々と同じように、歩き去らなくてはなりませんでした。私は彼のものであり、他のだれよりも彼の心に近しい者であったのに! それは若くて、恋をしている心にとって過酷な訓練でした」。1855年7月、この説教者がスコットランドに出かけたとき、それは彼が列車で出かけた初めての長旅であったが、彼は多くの手紙を婚約者にあてて書き、自分が執り行なった礼拝式や、彼の話を聞きに群がった群衆の話を彼女に伝えては、自分が支えられ、助けられるように、また自分の説教が人々の魂にとって祝されたものとなるように祈ってくれるよう彼女に求めた。彼は、ある短い手紙でこう云っている。「もし君がぼくのために熱心に祈ってくれるとしたら、ぼくは君に深い恩義をこうむったと感じることでしょう。ぼくは、自分が以前ほどには神への愛に満ちていないのではないかと恐れています。霊的な事がらにおける自分の悲しい衰えを嘆いています。君も他の人たちも、それに気づいていませんが、ぼくは今それを自覚しているのです。そして、その意識が、ぼくの喜びの杯の中に苦味を垂らしているのです。おゝ! 人気があるとか、成功しているとか、大群衆を集めているとか、君ほどの人の愛を得ていることさえも――もしぼくが神に見放され、神の道から落ちて離れてしまうとしたら? ぼくは、自分が立っている目のくらむような高みに震えおののきます。そして、無名の者であればいいのにとさえ願うほどです。というのも、実際、ぼくは自分の栄誉や名声のすべてに値しない者だからです。ぼくは今、自分が新しく始め、もう二度と交ぜ織りの衣は着ないだろうと思います。ですが、君には切に願います。心からの君の祈りを、ぼくの祈りに混ぜ合わせてください。ぼくたちふたりが、一致できるように。そして、そのようにして君が、君の愛している者をより用いられる者、より聖い者、より幸福な者としてくれるように」。

 自分の選んだ乙女に対する彼の愛情は、この不在によって――もしそのようなことが可能だったとしたら――より深まっていった。「ぼくは馬車を走らせている間、君のことを白昼夢に見ました」、と彼はある手紙で書いている。「君が間近にいるように思いました。だれよりも愛しい人よ。神の摂理がお許しになるなら、まもなくぼくは、また君との甘やかな交わりを喜べるようになるでしょう。ぼくは、以前にも君のことをとても愛していると知っていましたが、今ぼくが感じているのは、どれほど君がぼくにとって必要かということです。そして、ぼくが留守をすることも、もし戻ってきたときのぼくが、ずっと愛情を増しているだけでなく、ずっと君への思いやりを増しているとしたら、君にとって大きな損にはならないでしょう。ぼくはいま君の涙に完全に共感できます。なぜなら、ロンドンにいるときには、ひっきりなしに説教奉仕があったため気づかなかったのですが、愛する人がそばにいない痛みがどれほどのものかを今は身にしみて感じているからです。ならば、はるかに手すきの時間がある君は、いかにぼくが君のそばにいないことを――ぼくとしては余儀ないことであると承知していても――痛切に感ずることでしょう! 愛する人よ。この上もなく深く、きよらかな種類の愛を受けとってください。誇張しがちな者の愛ではなく、ここには誇張法の入る余地が全くないと感じている者の愛を」。チャールズ・ハッドン・スポルジョンが、このような手紙を何通も書かずにはいられなかったような婦人は、普通の種類の婦人ではなかったに違いない。



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