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第3章 愛の始まり

 C・H・スポルジョンがトンプソン嬢に愛を打ち明けたしかたと状況は、いかにもこの人物らしいものであった。1854年6月10日、シデナムの水晶宮の落成式には、ニューパーク街会堂に関係する非常に多くの友人たちが出席したが、その中にはこの説教者と、彼があれほど価値ある霊的助けを与えた少女がいた。「私たちは、一段高い座席を占めていました」、とスポルジョン夫人は語っている。「それは水晶宮の端の、今は大時計が据え付けられている場所です。私たちはそこに座って話をしたり、笑ったり、思い切り楽しみながら、行列が行進するのを待っていました。そのときスポルジョン氏は、私に一冊の本を渡してくれました。それは、それまで彼がちらちらと目を落としては読んでいた本で、ある特定の行を指さしながら、彼は云いました。『この詩を書いた人は何を云おうとしたのだろうね』」。その本は、マーティン・タッパーの『箴言の哲学』であった。その頃出版されたばかりのこの本は、すでに批評家たちの逆風のそよぎを感じ出しており、それが後にはすさまじい非難と痛烈な皮肉の嵐になっていくことになる。「私は、著者たちや、彼らの災難については、そのとき何も考えませんでした。私の目は、その指によって示されていた箇所に釘づけになったからです。それは、『結婚について』という章で、次のような文章から始まっていました。『よき妻を神に願い求めよ、彼女こそ神の摂理のいともよき贈り物。されど無謀な確信にては求むるな、神の約束せざるものを。神のみこころ知り得ぬ時は、祈りによりて御旨に従え。神の御あわれみに汝が願いを委ねよ、神はよきこと成したまわんと確信しつつ。若き日に妻をめとる者ならば、今しも彼女は地上に生きおらん。それゆえ彼女を思い、彼女のためによく祈るべし!』

 「『君は未来の夫のためにお祈りしていますか?』、と優しく低い声が私の耳元で囁きました。――あまりにも優しかったので、他のだれにもその囁きは聞こえませんでした。私は、その問いへの答えを口で返したかどうか覚えていません。ただ、私の心臓のときめきが私の頬を真っ赤に染めて内なる真実を明かしていたことと、たちまち明け初めたきらめきを見られるのを恐れて伏せられた目とが、愛には理解できる言葉を語っていたかもしれません。その瞬間から、物静かで内気な乙女はこの若き牧師の隣に座り、目もあやな行進が水晶宮の回りを巡っている間も、自分の前を進む華麗な行列よりも、その心の中で新たに呼び覚まされて、震えおののいている感情の大波の方に注意を払っていたと私は思います。その本も、その理論も、二度とほのめかされることはありませんでしたが、落成式の式典が終わり、来訪者たちが席を立つことを許されたとき、同じ低い声が再び囁きました。『ご一緒にこの建物を一巡りしませんか?』 私たちが、一行の他の人たちからどのようにして暇乞いをしたのか、私にはわかりません。ですが、私たちは長い間一緒にあちこち歩き回りました。その素晴らしい建物だけでなく、庭園の中を巡り、絶滅した怪物たちの巨大な姿をたくみに再現した模型が立ち並ぶ側の泉水までも行きました」。スポルジョン夫人は、その死の数年前にこう書いている。「私が思うに、その記憶すべき6月の日の散策の間に、神ご自身が私たちの心を真の愛情という分かちがたい絆で結び合わせてくださり、――私たちはそれを知りませんでしたが――互いをそれぞれのものとして永遠に与えてくださったのです。

 「その時から私たちの友情は急速に深まり、たちまち深い愛情へと成長しました。――その愛は、今でも私の心に真のものとして息づいています。そうです、そうした初めの頃よりもずっと厳かで、強いものとして生きています。というのも、神は私の愛する人をみもとに引き上げ、より高い奉仕へ召すことをよしと見たまいましたが、私はなおも心の底から彼を愛していますし、愛が永遠に至高のものとして支配する、かのほむべき国において、私たちの愛が完成されるのだと信ずる慰めが残されているからです」。チャールズ・ハッドン・スポルジョン以外のいかなる人物が、群衆のただ中で愛を打ち明けようなどとしただろうか? また、自分の選んだ女性に、彼女の未来の夫のために祈るよう求めることによって、それを知らせようなどとしただろうか?



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