HOME | TOP | 目次 | BACK | NEXT

----

第2章 C・H・スポルジョンとの最初の出会い

 1853年12月18日の日曜日の朝、当時は19歳の野暮な田舎青年であったチャールズ・ハッドン・スポルジョンは、ニューパーク街会堂の講壇でその最初の説教を行なった。スザンナ・トンプソンは、老オルニー夫妻宅に滞在していたが、その礼拝には行かなかった。ただし、他の多くの人々と同じように、どこかの農村の少年を呼んできて、ベンジャミン・キーチや、ギル博士や、リッポン博士の歴史的講壇に立たせるという、大いに取り沙汰された試みについては、彼女も関心をいだいていた。オルニー家の家族は、午前中の礼拝から戻ってきたときには、その説教者を称賛してやまず、明らかにこの若き教役者を落胆させ、困惑させたであろう会堂内の多くの空席を、夕拝の時には人々で埋め尽くそうと決意していた。会衆の他の人々も同じ気持ちであった。そこで友人知人に集合がかけられ、ニューパーク街会堂に行くよう促された結果、その晩に教会は満席となった。

 スザンナ・トンプソンもそこにいたが、それは彼女自身のためというより、友人たちを喜ばせるためであった。というのも、講壇の作法について厳密な観念をいだいていた彼女は、そうした作法を横紙破りにするような人物――しかも、ほんの青二才――に対して、いかなる好意的な先入観も全くいだかなかったからである。会堂は満杯となっており、群衆はしんと静まりかえった。すべての目は、この若き乙女の目も含めて、講壇に注がれていた。そしてついに、壁の扉が開き、説教者がきびきびと登壇した。トンプソン嬢は呆然とした。これは、彼女の考えていた説教者の理想像とは全く正反対であった。若きチャールズ・ハッドン・スポルジョンは、まぎれもなく田舎者であった。それと知らされていなかったとしても、彼女にはたちどころに見分けがついたであろう。彼の服装のあらゆる部分には、村の仕立屋のしるしがしみついていた。彼はその首に黒繻子織りの襟巻を巻きつけ、その手に白い水玉模様の青い手巾を握っていた! このような若僧が、ギル博士やリッポン博士の講壇と何の関わりがあるだろうか? こうした考えを、その偏見に傾いた心の中でいだきながら、スザンナ・トンプソンは、腰を落ち着けて彼の話を聞くこととなった。スポルジョン夫人は後年こう書いている。「あゝ! そのときの私には、自分が生涯愛することになるであろう人をこの目で見つめているとは、何と思いもよらなかったことでしょう。近い将来に神が私に備えておられた誉れについて、何と夢にも思われなかったことでしょう! あわれみ深いことに、私たちの人生は、私たちの計画通りにされるのではなく、御父が私たちのために選んでくださるのです。さもなければ、時として私たちは、自分の最上の祝福に背を向け、御父の摂理によって、特別に選ばれた、また最も素晴らしい賜物を遠のけてしまうでしょう。というのも、正直云って私は、この若き講演者の雄弁には全く魅了されることがなかったからです。彼の田舎じみた様子や話しぶりには、敬意をいだくよりも、がっかりさせられたのです。あゝ、私が何と下らない愚かな心をしていたことでしょう! 私は彼の熱心な福音の提示と、その罪人たちに対する力強い訴えを理解するほど霊的な心をしていなかったです。――むしろ、馬鹿でかい黒繻子の襟巻きと、ざんばらの長髪と、彼自身がありありと描写した白水玉の青い手巾――これらが私の注意を最も引きつけたものであり、残念なことに、いくらか面白がる感情さえ呼び覚ましたのです。全説教の中で私が持ち帰ったものは、次のようなたった1つの文章で、それも、ただ、その奇抜さのためだけでした。それは私にとっては、まともな説教者なら語らないようなことと思われたからです。『《天の神殿》にある生ける石たちは、キリストの血という朱色の接着剤で、完璧に結び合わされているのである』」。

 C・H・スポルジョンが最終的にニューパーク街会堂の牧師職を受け入れると、トンプソン嬢はしばしばオルニー夫妻の家で彼と会うようになった。もっとも、説教者もその妻も、ふたりが初めて互いに紹介されたときのことを覚えてはいなかったが。この若い乙女は、すぐに彼女の偏見を克服したらしく、しばしばこの新しい教役者の話を聞くようになった。ほどなくして、彼の熱心な訴えかけによって彼女は目を覚まさせられ、自分の無関心な、また何の奉仕も伴わない生き方が、しかるべきあり方からはるかに隔たったものであることを悟った。

 「次第に私は、信仰が後退しつつある自分の状態が心配になってきました。そこで、勇気をふりしぼって、ウィリアム・オルニー氏(『父』オルニーの次男で、私の義理の従兄弟にあたります)の霊的助けと導きを求めました。彼はニューパーク街の《日曜学校》で積極的に働いている真の大勇氏であり、若い巡礼者たちの慰め手でした。もしかすると、彼がこの新牧師に私のことを告げたのかもしれません――確かなことはわかりませんが――。けれども非常に驚いたことに、ある日、私は、スポルジョン氏から挿絵つきの『天路歴程』を受け取ったのです。その中に彼はこう書いていました。『トンプソン嬢へ。祝福された巡礼の旅における、あなたの前進を願いつつ、1854年4月20日、C・H・スポルジョン』。そのとき私の愛する主人が、苦闘しつつある魂を《天へ》引き上げる助けを差し出す以上の気持ちを、私に対していだいていたとは思いません」、とスポルジョン夫人は続けている。「ですが、私は自分に対する彼の関心にとても心を打たれ、その本は有益なものであるばかりでなく、非常に大切なものとなりました。次第次第に私は、大いに恐れおののきながらではありましたが、神の御前における自分の状態を彼に告げるようになり、彼は、その説教によって、またその会話によって、優しく私を、『聖霊の力によってキリストの十字架へと』導き、私の倦み疲れた魂の切望していた平安と赦罪へと至らせてくれました」。

 この時から、若いふたりの親密さと友情は深まっていった。ただし、少なくともトンプソン嬢の方では、恋愛ということは全く考えていなかった。しかしながら彼女は、後に語るところ、最初にキリストの足元に連れて行かれた、あのポールトリー会堂時代よりもずっと幸せになったし、ロンドンを席巻したこの説教者が、この物静かな少女にとって真の霊的祝福となったことは確かであった。彼女は今や、全く定期的に彼の会衆の間に席を占めるようになっていた。



HOME | TOP | 目次 | BACK | NEXT