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キリスト者が家庭で静かに花札をすることに何か害があるでしょうか?

 あります。もしキリスト・イエスにある満ち満ちた祝福を、余すところなく受けとりたいと思うなら、私たちは、どんな疑わしいことからも完全に遠ざかっていなくてはなりません。そして確かに花札には疑わしいところがあります。カードは賭博師が最も得意とするものです。カード遊びほど多くの人を賭博にのめり込ませるものはありません。ばくち打ちになることなど夢にも思わずカード遊びをはじめた多くの青年が、カード狂いが嵩ずるにつれ、この恐るべき大渦巻きに巻き込まれて行くのです。カード遊びは飲酒と似ています。適度にたしなむ人もいまずが、現代この国の圧倒的多数の人々は、少しでも酒を口にすると、必ず度を過ごすことになります。カード遊びをはじめる人も、まず間違いなく、すぐに度を越すようになるのです。これは単に魅惑的なゲームというだけでなく、人の心を奪いつくす、危険きわまりない娯楽です。

 それに加えて、たとえ自分にとっては無害なカード遊びをしていたとしても、それが他の人々に害をもたらすことになります。キリスト者がカード遊びをしているの見た青年たちは、自分もカード遊びをしていいのだと思うでしょう。そして、そのキリスト者自身は一生節度をもってカード遊びをしていたとしても、その「お手本」によって力づけられた者の中には、過度にのめり込み、結局は賭博者人生に足を踏み入れる者が出るに違いありません。このようなことがらにおいては、使徒パウロの言葉に従うことが非常に重要です。「肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのてす」(ロマ14:21)。「もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです」(Iコリ8:13)。

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