HOME | TOP | 目次 | BACK | NEXT


もし聖書が逐語的に霊感されているのなら、なぜ福音書記者たちはイエスや他の人物の言葉を正確に同じように書かなかったのでしょうか? 物語の部分の書き方が異なるのはわかりますが、ガラテヤ3:16の解釈(「子孫たち」と「子孫」)に用いられているような言語霊感説が正しいとしたら、イエスのことばがマタイの記録とルカの記録で大幅に異なるということはありえないはずです。

 福音書記者たちは、「登場人物の言葉」を正確に伝えていると主張しているところでは、それを一字一句正確に伝えています。語られたおおよその内容しか伝えていないと主張しているところでは、語られた通りの言葉は伝えられていないことがあります。しかしイエスのことばを正確に伝えているところでも、必ずしもイエスの語ったすべてのことばを伝えているとは云っていません。イエスのことばの一部をマタイが伝え、一部をルカが伝えている場合もあります。こうしたとき、イエスのことば全体を知るには、マタイとルカの両方の記事が必要です。マタイは自分の執筆目的にかなった部分を記し、ルカは自分の執筆目的にかなった部分を記しています。福音書がこのように書かれているのはよいことです。なぜならそれは、福音書が互いに独立して書かれたものであり、著者たちが共謀してつくりあげた文書ではないということを、意図せずして示す多くの証拠の1つとなっているからです。

 さらに頭に入れておかなくてはならないのは、マタイとルカによって伝えられたイエスのことばは、アラム語で語られたものをマタイとルカがギリシャ語に翻訳したものだということです。マタイ、マルコ、ルカによって記録された発言の大部分は、イエスがアラム語で語ったものであり、ヨハネによって記録された発言の大部分は、イエスがギリシャ語で語ったものと考えて良い根拠があります。というのも、忘れてならないことですが、イエスの時代、パレスチナの人々は日常2つの言語を自由に使っていたからです。

HOME | TOP | 目次 | BACK | NEXT