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もし聖霊が聖書の言葉1つ1つの著者であるなら、文体や表現法の違いをどう説明しますか? たとえば、パウロがいつもパウロ独特の言葉づかいをし、ヨハネがヨハネ独特の言葉づかいをしているのは、どういうことでしょうか?

 万が一、この事実の説明が全くつかなかったとしても、神のみことばの明白な言明をゆるがすことはできません。真にへりくだった、真に賢い人なら、世の中には、本当は簡単に説明がつくはずなのに、ほんの少し事情に通じていないために、全く理解不可能のように見えることが非常に多いと認めるものです。そうした人は、このように一見困難な問題にも決して動揺しません。しかし実は、この文体の違いという問題はごく簡単に説明できます。単純なことです。聖霊は、真理を啓示するにあたり、知恵も力も十分すぎるほどお持ちでした。聖霊は、ある特定の個人に真理を啓示し、その真理を他の人々へ伝えさせるにあたって、その人が持っていた語彙と、その人が使いなれた思考形式の中の言葉や、云い回しや、表現法を用いるようにされたのです。そして、あらゆる点において、その人独特の個性をお用いになったのです。聖書には数多くの神的知恵が示されていますが、間違いなくその1つは、同じ神の真理が、絶対的な正確さを保ちながら、これほど多種多様な形式によって表現されているということです。

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