HOME | TOP | 目次 | BACK | NEXT


信仰を失った人にどう接すればいいでしょうか? そんな人にも望みはありますか?

 どこへ行っても、昔はキリスト者だったが今はこの世に舞い戻ったという人がたくさんいます。そういう人たちの多くは、もともと本当には決して救われていなかったのだと私は確信しています。そうした人は、伝道集会で前に出たり、教会員になったり、教会の集会に出席したりしていても、完全な意味では、決してイエス・キリストを自分の救い主としても、主としても受け入れていなかったのです。このような人は、一度ためしてみて失敗したので、もう一度やってみることをためらうものです。

 これは筋の通らない考えです。何かを初めてしたとき、そのやり方が間違っていたからといって、それを二度としてはいけないなどという法はありません。もし人が正しくキリスト者生活を始めたなら、そう簡単には後戻りしないでしょうし、もし間違った仕方で始めたなら、もう一度正しくやり直すべきです。

 その正しい始め方は、神ご自身のみことばに示されています。

 第一に、イエス・キリストを救い主として受け入れることです。すなわち、彼に関する神のあかしを信ずることです。キリストが、十字架の上で、あなたの罪をすべてその身に負ってくださったと信じることです。そして神があなたを赦してくださると信頼することです。あなたが行なった何かのためにではなく、十字架にかけられたキリストが、自らの肉体において、あなたをあらゆる罪から完全に贖い出してくださったがために、神は赦してくださるのだと信頼することです(Iペテ2:24; ガラ3:13)。

 第二に、イエス・キリストを自分の主、王として受け入れることです(使徒2:36)。これは、自分の思いを明け渡し、すべてをキリストから教えていただくこと、自分の人生を明け渡し、すべてをキリストから支配していただくことがふくまれます。あなたは、全くキリストのおっしゃる通りに生きていくことにしなくてはなりません。「すべてを捨てて従いまつらん」、と口で歌うだけでなく、それを自分の人生において現実のこととしなくてはなりません。キリスト者生活の初めにおいて、この絶対的な服従が欠けていると、それがやがて信仰から離れる大きな原因となります。

第三に、キリストを、復活された神の御子とし、天においても地においてもいっさいの権威が与えられているお方として受け入れることです。そしてこの方が、日々私たちが堕落しないように見守り、あらゆる罪の力、誘惑の力から守ってくださると信頼することです(マタ28:18; ヘブ7:25; ユダ24)。

 初めの一歩が正しければ、戦いのなかばは勝ったも同然です。しかし、キリストへの従順においても、あなたは引き続き正しい道からそれないようにしなくてはなりません。キリスト者生活を続けていくことは、決してあなたの力の問題ではなく、キリストの力の問題だということです。

 もしあなたが、かつてキリスト者生活をやりかけて失敗したことがあるなら、もう一度、一からやり直して、正しい道に進むべきです。今日、信仰の巨人と云われる人々の多くも、かつては信仰から離れたことがありました。使徒ペテロそのひとも、一度は信仰の挫折を味わった人でした。しかし彼は、ペンテコステの後、歴史上最も力強いキリストのしもべとなりました。あなたもペンテコステを経験することができるのです。

 信仰から離れた人ほどみじめな存在はありません。信仰から離れつつあるイスラエルに向かってエレミヤが述べた言葉は確かに正しいものでした。「知り、見きわめよ。あなたが、あなたの神、主を捨て……たのは、どんなに悪く、苦々しいことかを」。キリストを捨てるような人は、湧き水の泉を捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分のために掘ったのと同じです(エレ2:13)。そのような人は、この世のこわれた水ためから離れ去り、生ける水の泉であるキリストへ立ち帰るべきです。

HOME | TOP | 目次 | BACK | NEXT