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自分の愛する者が地獄にいると知りながら、人は天国で幸せになれるでしょうか?

 なれます。もしその人が真のキリスト者なら、確実になれます。真のキリスト者にとって、最高の喜びはイエス・キリストにあります。地上で最も大切に思う人への愛でさえ、イエス・キリストへの愛にくらべれば無にひとしく、イエス・キリストは天国におられるのです。キリストは、キリストを真に知る者にとっては、心のあらゆるあこがれを満たすお方です。

 さらに、もし私たちの愛する人々が地獄に行くとしたら、それは単に彼らが、私たちの至高の愛の対象であるお方を、かたくなに拒み、足で踏みにじったからにほかなりません。彼らが悪魔とその使いたちとともにいるようになるのは、悪魔らとともに歩くことを自ら進んで選び取ったためであり、そのさばきの公正さと必要性を否定することはできないでしょう。多くの人々は、友人や愛する人々がまだ悔い改めていないという理由で、永遠の刑罰を信じようとしません。しかし、たとえどれほど気にくわなくとも事実は事実として認め、愛する人々を、その確実に突き進んでいる滅びから救い出す努力をすることの方が、事実になんくせをつけ、自分の目を閉ざしてその事実をなくしてしまおうとすることよりも、はるかにすぐれています。もし私たちがイエス・キリストをかけがえのない方として、くもりない心で愛し、くもりない心でその栄光を認め、人々に対するその支配権を認めるなら、私たちはこう云うはずです。地上における私の最愛の友が、キリストを足で踏みにじることをかたくなに続けるのであれば、彼は永遠に苦しみを受けても当然である、と。もしも、罪を犯し、神の御怒りを受けて当然の者となった人間のために、なおも神があわれみを差し出し、彼らを救うためにご自分の御子という途方もない犠牲を払ったならば、そしてもし、これらすべての後で彼らがなおもそのあわれみをさげすみ、神の御子を足で踏みにじり、永遠の苦しみに引き渡されるとしたならば、事をくもりない目で見る人は誰でも云うでしょう。

 「アーメン。おお主よ、あなたのさばきは真実な、正しいさばきです!」、と。

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