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良い行ないをしていれば天国へ行けるのではないでしょうか?

 もし何の落ち度も欠点もなく、生まれたときから死ぬときまで一度も神の律法を破ったことがないとしたら、また、神の求めるすべてのことを行ない、神を喜ばせるすべてのことを行なっているとしたら、良い行ないによって天国へ行くことはできるでしょう。

 しかし、それができた人は、イエス・キリストのほかには、だれひとりいません。「何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ」ないのです(ロマ3:22、23)。一度でも神の律法を破ったなら、もはや決して良い行ないによって天国へ入ることはできません。律法は完全な従順を要求しています(ガラ3:10)。神の律法に完全に従うのでない限り、人は決して永遠のいのちも天国も受ける資格がないのです。ですから、良い行ないに頼っている限り、私たちには何の望みもありません。

 そこで、一度でも罪を犯したことのある人の唯一の望みは、イエス・キリストにあって値なしに義と認められる神の恵みだけです。しかし、価なしの恵みによる義認は、イエス・キリストを受け入れるすべての人に差し出されています。信じる者はだれでも、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに(つまり、価なしの賜物として)義と認められるのです(ロマ3:24)。神は、キリスト・イエスを、その血に対する信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました(ロマ3:25 <英改定訳>)。ローマ人への手紙3章9節から4章8節までの箇所を注意深く学んでみましょう。そうすれば、良い行ないによって天国へ行くなどということがどれほど不可能なことか、また神がどのようにして人を義と認めてくださるかがわかるでしょう。

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