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初版への序文 今読者が手にとっておられる本には、少々の説明が必要であろう。本書の内容をなしている十九編の論考は、今日、英国国教徒の間で論争の種となっている種々の問題点を主題としている。目次をさっと眺めただけで、今の時代に取り沙汰されている神学論争のうち、1つとして、これらの論考の中で、多少とも詳しく論じられていないものはないことがわかると思う。
本書に見いだされる教理的な基調は、明確に、また、あからさまに、「福音主義的」なものであるはずである。私はそれを、何のためらいもなく、初めから明言しておく。こうした論点について表明され、擁護されている意見は、福音主義的国教徒たちの意見である。《それ》が何を意味するかは、少しでももののよくわかった英国人なら、だれでも知っているはずであって、よほどかまととぶった人でない限り、どういうことかわからない、などと云えないはずである。そうした意見が人受けのいいものでないことは、私も重々承知しているし、ことによると、そうした意見をいだいているのは、英国の教職者層の少数派かもしれない。しかし、こうした意見だけが、私の見るところ、聖書と、《祈祷書》と、《三十九信仰箇条》を公正に解釈するとき、あるいは、宗教改革者たちの著作や、チャールズ一世以前の時代の著作に目を向けるとき、唯一見いだされるものなのである。こうした意見を信ずる信仰によって私は三十五年間生きてきたし、それらがいかに激しい攻撃を受けてきたにせよ、それらを恥とすべき理由を何1つ見てとったことがない。
本書を出版する目的は、種々の神学的な問題が、「福音主義的な」立場から詳細に論じられ、吟味されるのを見たいと願いつつも、それが行なわれている書物を見つけられないと嘆いているであろう人々の必要に答えるためである。英国の国教徒の中には、小冊子には決して目もくれないのに(もっとも聖パウロの書簡が最初に世に出たとき、それらは小冊子にすぎなかったのだが)、書物なら喜んで読もうとする多くの人々がいる。そういう人々に私は本書を差し出し、本書の内容に注意を向けてくれるように謹んで願うものである。望むらくは、たとえ本書が他の何の役にも立たなくとも、少なくとも何人かの読者の方々には、今日の種々の論争において、道理や論拠が一方の側にのみ偏しているのではないことを確信してほしいと思う。
神の助けによって私が三十五年にわたって書かせていただいた幾多の小冊子を読んできた好意的な読者の方々は、本書の中に、見覚えのある多くのことを見いだすであろう。そうした人々は、古なじみの話題が、改変され、装いを新たにされ、書き直され、部分的には、元々の直接的な、親しみやすい文体を取り除かれた形で提示されていることに気づくであろう。しかし、そうした方々は、同じ議論と、同じ内容と、同じ実質を見いだすであろう。それらは単に形式を新しくして、別の種類の精神をした人々の好みに合わされているだけにすぎない。そうした方々は、あらゆる手段を用いて善を施そうとすること、また、可能であれば、あらゆる種別の読者層の必要を満たそうとすることが良いことであると私に同意してくださるに違いない。
本書が何らかの善を施すことになるかどうかは、まだわからない。ともかくこれは、いくつかの神学的な結び目を解きほぐそうとする誠実な努力であり、福音主義的国教徒の立場から真理を明確に言明しようとするものである。神がその努力を祝福してくださり、これをキリストの御国の進展と、英国国教会のために有益なものとしてくださることを、私は心から祈るものである。
J・C・ライル
ストラッドブロークの牧師館にて
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