Qustions about the Lord's Supper      目次 | BACK

21. 「王たちのために」


 「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
 「それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです」----Iテモ2:1、2

 このページに冠した言葉の出所は、本日私たちがともに集まって祝おうとしている厳粛な祭典、すなわち、私たちの仁慈深き君主、ヴィクトリア女王の在位五十周年にとって、ことのほか適切な聖書箇所である。国王が在位五十年を数えることは歴史的にもごくまれな出来事であり、人間的に考えれば、この場に集うだれしも、英国においては、二度と生きて目にすることはありえないであろう出来事にほかならない。本日の祈りと賛美の礼拝においては、このことを真剣に心に銘記しておこう。*1

 この聖句の言葉が出てくるのは、聖パウロが、聖霊の霊感によって、若き友人テモテに与えた、公の礼拝の持ち方に関する最初の指示の中である。「まず初めに」、と彼は強調して云う。----「まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです」。

 ここで多少とも語ってよいと思われるのは、儀式律法のもとにあった旧約時代の教会における細密で詳細にわたる儀式と、新しい経綸の教会のため規定された儀式の単純さと簡潔さとの、強烈に対照的な違いについてである。その違いは容易に説明できよう。旧約の礼拝はユダヤ人だけ----人類の他の国民から実質的に孤立した唯一の国民だけ----のためのものであり、後に来る素晴らしいものの予型や象徴で満ちていた。新約の礼拝は、全世界のためのものであって、《三十九信仰箇条》が賢明にも述べているように、----「種々の儀式は、国々、時代、人々の風俗の違いに応じて変わっていてよい」。

 しかしながら、1つのことは非常に確かである。聖パウロによって、エペソにいたテモテを指導するために規定された規則、あるいは典礼法規は、世界が続く限りは、また主が来られるまでは、永続的な義務として果たすべき規則である。キリスト者たちが公の礼拝のために集まる所はどこででも、そこには、受けたあわれみに対する「感謝」だけでなく、「すべての人のための祈りととりなし」、特に「王たちのため」のそれらがあるべきである。この第一の規則こそ、本日あなたがたが実行するべく招かれているものである。

 I. 他の人々のために祈るべき一般的な義務に関して、多少語っておくことは有益であると思う。しかし、長々と語ることにはなるまい。

 一部の人々には、こうした考えがよぎっていることと思う。----「私のとりなしなど何の役に立つのか? 私は、キリストのあわれみと恵みに対する負い目を持つ者以外の何であろう? このように貧しい罪人の祈りが、他の人々にとって何の役に立とうか? 自分のために祈るというならわかるが、他の人のために祈るというのは理解できない」。

 このような考えのすべてに対する答えは、短く、単純なものである。これは神の命令であって、それに従うことは明白な義務である。この件で、定命の人間にとってふさわしい態度は、他の多くの事がらにおいてと同じく、最後の審判の日の光がすべてを明らかにすると信ずることである。それまでの間は、「いかにして」や、「なぜ」や、「なにゆえに」は、放っておくがいい。今は私たちにはわからないことも、あとでわかるようになる。聖書でその生涯が詳述されている、ほとんどあらゆる聖徒のふるまいは、いかなる反論をも沈黙させるべきである。族長たちや、預言者たちや、王たちや、使徒たちは、私たちにとりなしの模範を残している。私たちは、彼らよりもよくものを知っているのだろうか? 私たちは、彼らが他の人々の名前をあげて神の前に祈っていたとき、時間を無駄にしていたと考えるべきだろうか?

 私の堅く確信するところ、この件において神は、私たちの信仰と私たちの愛を試しておられる。私たちは、永遠の神は誤りを犯さないほど賢明であられると信じているだろうか? ならば、神が、「他の人々のために祈れ」、と云われるとき、私たちは手をこまねいて、理屈や文句を云うのではなく、神が私たちに云われる通りに行なおう。私たちの主イエス・キリストが、愛のきわみを示す最良の証明として、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタ5:44)、と云われるとき、私たちは信じて従おう。私が常に神に感謝するのは、私たちの由緒ある《祈祷書》が、素晴らしいとりなしの見本を《連祷》として含んでいる、ということである。私の信ずるところ、最後の審判の日だけが、神に選ばれた人々の祈りがいかにこの世の歴史に影響を与えたか、また、国々の興亡に影響したかを示すであろう。スコットランドの不幸なメアリー女王のこの言葉には深い真実がある。----「私は、ジョン・ノックスの祈りの方が二万人の軍勢よりも恐ろしい」。それゆえ、私たちが膝まづいて自分のために祈るときには、決して他の人々のために祈ることも忘れないようにしよう。

 II. 王とすべての高い地位にある人たちのために祈るという特別な義務に関しては、何事も省くわけにはいかない。しかし、やはり長々と語ることにはならないはずである。

 ほんの一瞬でも思い巡らしてみれば、聖パウロの「王たちのために祈れ」という命令が、非常に異様なもの、尋常ならざるものであることはわかるであろう。というのも、テモテへの手紙が書かれた当時、世界がだれの手によって支配されていたか考えてみるがいい。いかに邪悪な怪物がローマ帝国の皇帝であったかを思うがいい。----ネロ----その名前そのものが語りぐさとなっている人物である。ペリクスや、フェストや、ヘロデ・アグリッパや、ガリオといった、属州の支配者たちのことを思うがいい。ユダヤ教会の上位聖職者たち----アンナスやカヤパ----のことを思うがいい。だが、こうした者のためにこそ、聖パウロはキリスト者たちに祈るように云っているのである! 彼らの個人的な性格は悪逆であったかもしれない。しかし彼らは、罪の重みにのしかかられたこの世界に、何らかの外的な秩序を保つために、神によって任命された人々であった。そのような者らとして、その職務のゆえに、彼らのためには祈りが捧げられるべきであった。

 結局において、私たちが決して忘れてはならないのは、この世の王たちほど真に憐れまれるべき者はないということ、----彼らほど霊的危険のうちにある者はないということ、----彼らほど未来永劫にわたる難船をこうむる見込みの高い者はないということ、----彼らほど私たちの祈りを必要としている者はないということである。彼らのふるまいを批判する多くの人々のうち、相手の途方もない困難の数々を真剣に考慮する人はほとんどいない。

 彼らを取り巻く種々の誘惑を思ってみるがいい。めったに忠告されず、めったに反駁されず、めったに警告されない彼は、私たちと同じような肉体をまとい、私たちと同じような情動を有し、他のいかなる人とも全く同じように、世と、肉と、悪魔とによって打ち負かされやすい者らである。一時はジェームズ一世の傅育係を務めていたビュキャナンが、その臨終の床についたとき、かつての教え子に向かって、この最後の言葉をことづてたというが、私はそれを何の不思議とも思わない。「私が今向かおうとしている場所には、国王や君主たちはほとんど来ることがありませぬ」。もしそれが真実だとしたら、----むろんそれは、私たちの主が、「金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです」、と云っておられる以上、真実に違いないが、----国王が天国に入るのは、いかにいやまさって困難なことか!

 国王が解かなくてはならない無数の結び目を、また彼がしばしば決定しなくてはならない種々の厄介な問題を思ってみるがいい。他の国々との紛争をいかに調停すべきか、----社会の全階級の幸福をいかに増進すべきか、----統治の手綱を引き締めるべき時期と、緩めるべき時期とをいかに決定すべきか、----空席になった官職にいかに正しい人間を選別すべきか、----あらゆる身分、集団、状態の人々を、いかに公平かつ公正に、いかなる人にも留意しつつ、いかなる者をもないがしろにすることなく取り扱うべきか、----こうしたことはみな、王位を占めるあわれな過ちがちな者が、一生の間、毎週直面しなくてはならない困難なのである。わが国の詩人[シェイクスピア]がこう云うのも無理はない。----「王冠を戴く頭上に不安あり」[『ヘンリー四世』]

 国王の職務に伴う膨大な責任と、その決断によって左右される途方もない結果について思ってみるがいい。何らかの交渉の進め方において1つ判断の誤りを犯しただけで、あるいは、外国の大使を取り扱うのに少し短気を起こしただけで、あるいは、偽りの情報を僅かでも軽率に信じただけで、----こうしたことを国王が1つ行なっただけで、臣下は戦争に巻き込まれ、恐るべき流血と、海外の権益喪失と、国内の不満と、重税と、ことによると最終的には、革命や自らの王座剥奪に至りかねないのである。そして、すべてはひとりの人間の誤りから生じうるのである。

 しかり! 私たちは「王たちのために祈る」ように勧められて当然である。もし私たちにそれが信じられさえするなら、アダムのあらゆる子孫の中で、彼らほど私たちの日ごとのとりなしを受ける資格のある人々はいない。その立場によって、同胞たちよりも高く上げられている彼らは、マッターホルンによじ登るアルプス登山家のように、恐るべき孤独を感じる。事の性質上、彼らには心を打ち明け合い、共感し合える同輩を持てない。彼らを取り巻くのは、追従屋や、おべっか使いになりたがる者たちで、王の耳障りにならないことしか告げない。彼らは私たちと同じような人間でしかなく、同じキリストを、----同じ聖霊を必要としている。だが、彼らは決して間違いを犯さないことを期待され、もし間違うと非難されるのである。

 しかり! 私たちは「王たちのために祈る」のが当然である。彼らのふるまいを批判し、あら探しをし、彼らを非難する激越な記事を新聞に書くか、演壇の上で彼らを舌鋒鋭く非難するのは、たやすいことである。どんな馬鹿でも高価な衣裳を破ったり裂いたりすることはできるが、それを裁断し、縫製するのはだれにでもできることではない。王たちや、首相たちや、何らかの種類の支配者たちに完璧を期待するのは、無分別で、筋の通らないことである。私たちは、もし彼らのためにより祈るようになるなら、知恵深い者であることを示し、批判することが少なくなるであろう。

 III. さてここで、あなたがたの注意を、本日私たちが集まっている理由である特別の主題、すなわち、英国君主の在位五十年の祝典へと向けさせてほしい。きょうのこの日、私たちの仁慈深きヴィクトリア女王は、その御統治の五十年目を終えられた。私とともに、いま閉じられたばかりの半世紀を振り返ってみてほしいと思う。私が目指したいのは、できるだけ手短に、この日、私たちが非常に感謝すべきである理由を示すことにある。私たちの世界のように堕落した世界にあっては、いかなる方面においても、常に矯正されざる多くの悪があり、種々の不平やつぶやきが見いだされるであろう。だが私について云えば、ただこう云うほかはない。すなわち、過去五十年を平静に回顧すると、国家的に感謝すべき事がらはあまりにも多く、何を選び、どこから始めるべきか選択に迷うほどである、と。しかしながら、多少ともそれを列挙してみたい。

 (a) まず第一に感謝すべき理由として言及したいのは、私たちの仁慈深き《君主》が、その御統治を続けた過去五十年の間、身に帯びてこられた、けがれなく、非の打ち所のない個人的な御性格である。母として妻としてのあらゆる人間関係において、----その《宮廷》やご家庭においてお保ちになった高潔な道徳的基準において、----その高位の職務に日々伴う無数の義務を綿密に、また勤勉にお果たしになったことにおいて、----いかに卑しき臣民にも限りない思いやりをお示しになったことにおいて、----英国の君主たちの長い一覧の中でも、私たちの善良なるヴィクトリア女王に比肩しうる者がひとりでもいるだろうか?

 私の信ずるところ、今日において、《君主》の個人的性格がいかに途方もない重要性を有しているか、私たちは十分に認識していない。支配者の性格は、私たちの体表面のあらゆる部分にそれ と気づかず加わっている大気圧と同じように、常に静かな、また穏やかな影響を、その臣民のふるまいに及ぼしている。君主たちの生活は、だれにでも読める開かれた本であり、王冠を戴いた者の模範は法律の制定以上に力を持っている。疑いもなく、十七世紀におけるフランス宮廷の甚だしい不道徳ぶりこそ、フランス第一革命および恐怖政治の真の原因であった。過去五十年の間に、世界の少なからぬ政府の土台が激しく揺るがされ、あるものなどは完全に転覆してしまった。私が思うに、英国の王座の安定に何にもまして大きく貢献してきたのは、その座を占めておられた王家の女性の高潔なご性格であった。私たちがみな知るように、革命精神はしばしば過去五十年の間にも肌に感じられることがあり、あらゆる既成制度を引きずり下ろそう、そして新型の統治組織で置き換えよう、という気分は何度となく姿を現わした。チャーティスト運動および社会主義の勃興と進展は、しばしば多くの人々を恐れさせてきた。私の堅く信ずるところ、英国という国家の平穏を何にもまして保ってきたのは、私たちの愛する女王の内的生活であった。もしもその内的生活が、かのプランタジネット朝や、チューダー朝や、スチュアート朝の何人かのようなものであったとしたら、王家の旗が今週もウィンザー宮に翻っていたかどうか、私は強く疑うものである。

 (b) 次のこととして私たちが感謝したいのは、神によって私たちの仁慈深き《君主》が、その先祖たちの王座に着くことを許された異様なほど長きにわたる期間である。エルサレムで治めたユダの王たちのうち、ウジヤとマナセのふたりしか、五十年以上も王笏を握っていた者はなく、ダビデとソロモンの治世でさえ、それぞれ四十年でしかなかった。わが国の国王たちのうち、ヘンリ三世と、エドワード三世と、ジョージ三世の知性は、それぞれ五十年以上に及んだ。しかし、世界が始まって以来、歴史的に知られる限りにおいては、地球上のいかなる女性君主も、私たちの善良なるヴィクトリア女王ほど長く王冠を戴いてはいなかった。確かに私たちは、この事実を十分ありがたく思ってはいない。わが国のような立憲君主政のもとにあってさえ、----すなわち、絶大な権力を有する独裁君主の気まぐれにすべてが左右されてはいない国にあってさえ、----王座における頻繁な交代は、不穏の種となり、新しい君主が自分の権力と義務についていだく見解は、必ずしもその先代のそれと一致してはいないかもしれない。ソロモンの言葉には深い含蓄がある。----「国にそむきがあるときは、多くの首長たちがいる」(箴28:2)。英国の初期の歴史においては、血みどろのバラ戦争がわが国の貴族階級の精華を払拭し去り、敵対し合うヨーク家とランカスター家がしばしば王座を揺るがし、国土を荒廃させた。後代になると、不幸な《共和国》戦争が一時の間、長く確立されていたわが国の種々の制度を打ち倒してしまった。幸いなことよ、王座の上にほとんど変化のない国は。「私たちの《君主》に長命を与えたまえ」、および、「神よ女王を救いたまえ」、こそ、あらゆる英国の愛国者の日ごとの祈りたるべきである。

 (c) 次のこととして神に感謝したいのは、ヴィクトリア女王が治めた半世紀における、めざましい国家の富と繁栄との途方もない増進である。これまでの英国史上に先立ったいかなる時代にも、これほどの五十年はなかった。それは、純然たる事実である。平たく云えば、国家の資本、あるいは収入は、「うなぎ上りに」増加したのである。時たま悪い時期や不況はあり、----クリミヤ戦争やインド暴動のような血みどろの、莫大な戦費を伴う戦争はあり、----コレラや、アイルランドの馬鈴薯飢饉といった、摂理的な災禍はありはしたものの、----国家の進展と、富の増加は驚愕すべきものである。浜辺に打ち寄せるは行きつ戻りつし、寄せては返すように思われているが、全体としての潮流は毎年堅実に上っていった。1837年、各種の《貯蓄銀行》に預金されていた金額の総計は、1400万ポンドであった。それが今は9000万ポンドである。----1843年、所得税が最初に賦課されたときには、1ポンドにつき1ペニーが国庫に集められたが、それは772,000ポンドであった。1885年、その1ペニーは1,992,000ポンドになっている。----1843年、土地および保有財産の課税価格は、9500万ポンドでしかなかった。1885年、それは1億8000万ポンドであった。1843年の手職業および専門職業の課税対象収入は、7100万ポンドでしかなかった。1885年、それは2億8200万ポンドであった。----連合王国の人口は、1837年には2500万人でしかなかった。今ではそれは、アイルランド飢饉や、絶え間ない移出者にもかかわらず、3700万人である。わがリヴァプール市においては、1837年の人口は246,000人でしかなかった。今ではそれは、郊外部も含めて、700,000人になっている。----リヴァプール港の船舶総トン数は、1837年にはたった1,953,894トンでしかなかった。今ではそれは7,546,623トンである。----入港する船舶数は、15,038隻であった。今ではそれは、21,529隻である。----1837年、リヴァプールには9つの埠頭があり、その接河面積は2.5マイルであった。今ではそれは、50の埠頭および船だまりとなり、6マイルにも及んでいる。----1837年、リヴァプールのドック料は173,853ポンドであった。それは今では694,316ポンドである。----確かに私たちは感謝すべきである。これは神の指である。「人を富ませる主の祝福」*である。----「富と誉れは御前から出ます」(箴10:22; I歴29:12)。*2

 (d) 次のこととして、私たちが感謝したいのは、私たちの仁慈深き《君主》が統治なさった半世紀の間において、科学が遂げた異常な進展である。私たちは、私たちの汽船で大西洋に橋を架け、英語を話す従兄弟たち[米国人たち]を一週間以内に英国沿岸に連れてくる。----私はよく覚えているが、ラードナー博士はそんなことは不可能であると断言したものである。私たちは国内に鉄道網を張り巡らし、かつては数日もかかった旅行を数時間で行なえるようにしている。私たちは電信機により、世界のあらゆる地域との通信を可能にし、かつては何箇月もかかって伝えていた使信を、数時間で届けられるようになっている。

 こうした事がらが、また他の事がらのすべてが、芽生え、花をつけ、開花したのは、ヴィクトリア女王がその王座に登って以来のことなのである。それらは現代生活の快適さ、安楽さを大いに増進させている。それらは実質的に、時間と空間の意味をなくし、寿命を延ばしている。それらによって、私たちが二十四時間以内に行なえるようになった仕事の量は、私たちの祖父たちであれば、ドンキホーテ的な、空想的な、ばかげた、不可能なことと考えたような量である。しかし、これらは純然たる事実にすぎない。確かに私たちは感謝してしかるべきである。

 (e) 最後に、そして何にもまして、私たちが最も感謝したいのは、ヴィクトリア女王が王座に着いて以来の全国内で遂げられた、キリスト教信仰と、教育と、道徳の面における途方もない進歩である。疑いもなく、人間の性質は変わっていない。千年期はまだ始まっておらず、多くの悪がはびこっている。しかしそれでも、よほど盲目で、依怙地な偏見をもった人でもない限り、過去半世紀の間に、全国的に、神に対する義務と、私たちの隣人たちに対する義務との双方が、途方もなく良い方向へ変わっていったことを見てとれないことはないはずである。疑いもなく、教会の建物だけがすべてではないし、煉瓦や漆喰でキリスト教信仰が成り立っているわけではない。だが、非国教徒の会堂はさておくとしても、過去五十年の間に、英国とウェールズにおいて、英国国教会の教会が二千も自発的な努力によって新築され、古い礼拝所を修復し、改築するために、ほぼ三千万ポンドもの資金が費やされたということだけとっても、雄弁な事実である。ここリヴァプールとその郊外においてすら、1837年には36の教会と、90人ほどの聖職者しかいなかった。いま現在は、90の教会と、185人の聖職者がいる。----1837年、《教会宣教協会》の収入は71,000ポンドであった。それが今では232,000ポンドである。《牧師支援協会》が受け取っていたのは7363ポンドでしかなかった。それが今では50,122ポンドである。----1837年、英国およびウェールズの全土で、《国立学校協会》や、《英国学校協会》や、《外国学校協会》の全学校で教育を受けていた子どもたちは、58,000人でしかなかった。1885年、ほぼ4,000,000人の子どもたちが教育と視察を受けている。驚くべき事実だが、ヴィクトリア女王の治世の半世紀の間に、彼女の政府は千五百万ポンドを教育のために支出してきたのである。

 事前事業や、道徳向上のための努力については、それらを詳述する時間はないと思う。シャフツベリ卿その他の人々の労苦により、労働者階級の状況は、例外なしに向上してきた。《十時間工場法》、鉱山で働く婦人や子どもたちに関する法律制定、貧民学校や教護院の創設、禁酒運動の勃興、労働者階級の状態改善のための教育や、公衆衛生施設や、公園や、遊園地設置といった数々の努力、----こうした事がらはみな、過去五十年の間の産物である。私はそれらを、私たちの国家としての状態の健全な徴候と呼びたい。へりくだりつつ告白するが、私たちはまだ非常に不完全である。国内にはまだ、膨大な量の浪費や、自発的な貧困や、泥酔や、性的不潔行為や、安息日破りが非常に嘆かわしいほど横行している。しかし、こうした悪は人口比の割合で見ると、かつてよりも減少している。そして、いずれにせよ、私たちはそれらを見ており、知っており、それらを防ぐための手段を正直に講じつつある。確かに私たちの心は、1837年と1887年とを比較するとき、深い感謝に満ちてしかるべきである。

 本日のような日には、神を賛美するのがふさわしく、正しく、また私たちの本分である。本日私が語りかけているすべての方々に、真剣に願わさせてほしい。ぜひ、自分の地平線に見える黒雲から目を転じて、青空を見上げて感謝していただきたい。大英国ほど過去の半世紀について神に感謝すべき理由を有する国家が、地球上のどこにあるだろうか? また、その期間における数多くの祝福を数え上げてみるとき、私たちの女王の賢明にして情け深い統治について、神に感謝すべき理由があることを、だれが否定できるだろうか? 英国国王の長い一覧の中には、いかなる英国人も恥じることなしには考えられないような名前がいくつかある。ウィリアムや、ヘンリや、エドワードや、ジェームズや、チャールズや、ジョージといった王たちの追憶は、決してすべてが芳しいものではない。しかし、将来の歴史家たちが、臣下にこれほど感謝すべき理由をもたらした君主として、ヴィクトリア女王に並ぶような人物の名前を、果たして記録できるかどうか、私は疑わしく思う。

 さて、こうした賛美と感謝に加えて私たちは、熱心な祈りを捧げるようにしよう。願わくは、私たちの愛する《君主》の御齢が、私たちのためにさらに数多く重ねられ、その歳月が、最後に至るまで、いやまさる幸福と、用いられることの多い歳月であるように。私たちがみな知るように、陛下は多くの悲しむべき時期を経てこなくてはならなかった。夫君の死、アリス王女の死、オールバニー公の死は、決して忘れられないであろう、心張り裂けんばかりの試練であった。私たちは祈りを捧げよう。願わくは陛下が、この種の試練にもはや遭うことがなく、富み栄え、心を合わせ、満ち足りた民衆の敬慕のうちに長命を重ね、そして、いざこの悲しみの世から取り去られるときには、あらゆる目から涙がぬぐい取られるかの御国にはいる恵みを豊かに加えられ、決してしぼむことのない栄光の冠を与えられるように、と。

「王たちのために」[了]

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*1 いま読者の手にある論考に含まれている内容は、1887年6月20日、ヴィクトリア女王の在位五十周年祝典に際し、リヴァプール大聖堂で、リヴァプールの市長ならび主要市民を前に説教されたものである。[本文に戻る]

*2 この段落の数字について私は、友人である有名な統計学の大家、リヴァプールのジェームズ・ピクトン卿から主たる恩義を受けている。[本文に戻る]

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