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大いなる戦い

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読者の方々、

 すべての人は平和を愛するべきである。戦争は、すさまじく巨大な悪である。時としてそれが必要な悪であるとしても関係ない。戦うということは、すさまじい流血と惨禍を伴う出来事である。むろん時として国々が、その権利を守るためには戦わざるをえないこともある。しかし、あらゆる人は平和を愛するべきである。すべての人は、平穏な暮らしのために祈るべきである。

 こうしたことはみな、まさしく正しい。だがしかし、1つの戦争だけは、私たちが携わるべき、はっきりとした義務である。1つの戦いだけは、私たちが常に手がけていなくてはならない。私が語っている戦いとは、この世と、肉と、悪魔に対する戦いである。この軍務からは、いかなる人も、生きている限りは除隊することを求めるべきではない。

 読者の方々。ほんの数分ほど、注意を傾けていただきたい。私はあなたに、この大いなる戦いについて、何がしかのことを語りたいと思う。

 信仰を告白するキリスト者はみなキリストの兵士である。彼には、そのバプテスマによって、罪と世と悪魔に対するキリストの戦いを戦う義務がある。これを行なわない者は、その誓いを破っているのである。霊的な破約者である。自分の債務を履行していないのである。これを行なわない者は実質上キリスト教を捨てているのである。その人が教会に属しているという事実、キリスト教会の礼拝所に出席し、キリスト者と名乗っている事実そのものが、自分はイエス・キリストの兵士とみなされたいという願いの公然たる表明にほかならない。

 使う気さえあるなら、信仰を告白するキリスト者には武具が支給されている。パウロはエペソ人たちに云う。「神のすべての武具をとりなさい」。「しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け」、「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい」。「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい」(エペ6:13-17)。そして、決して小さくないこととして、信仰を告白するキリスト者には、最高の指揮官、――救いの指導者たるイエスそのひとがあり、この方によって圧倒的な勝利者となることができる。また最高の糧食、――いのちのパンといのちの水がある。そして最高の俸給、――重い永遠の栄光が約束されている。

 これらはみな云い古されたことである。私は、今はこれらについて詳しく述べようとは思わない。

 私があなたの魂に今まさに銘記させたい唯一の点は、このことである。――あなたは、救われたいと思うなら、単に兵士であるだけでなく、勝利を得る兵士でなくてはならない。あなたは、単にキリストの側に立って罪と世と悪魔と戦うと告白するだけでなく、実際に戦って勝利を得るのでなくてはならない。

 さてこれは、真のキリスト者をはっきり区別する著しいしるしである。ことによると、それ以外の者らもキリストの軍隊の兵卒として数えられたいと思うかもしれない。他の人々も栄光の冠を手に入れたいという怠惰な願い、だらけた希望を持つかもしれない。しかし、兵士の働きをするのは真のキリスト者だけである。真のキリスト者だけが自分の魂の敵に真っ向から立ち向かい、現実に交戦し、その戦いによって敵を打ち負かすのである。

 読者の方々。私が今日、あなたに学んでほしい1つの偉大な教訓は、このことである。――もし自分が新しく生まれたこと、天国へ向かっていることを証明したければ、あなたはキリストの兵士として勝利をおさめなくてはならない、ということである。もしあなたがキリストの尊い約束にあずかる資格のあることをはっきりさせたければ、あなたはキリストのために勇敢に戦わなくてはならない。そして、その戦いにおいて勝利者とならなくてはならない。

 勝利こそ、あなたが救いに至るキリスト教信仰を有している証拠として唯一満足のいくものである。ことによると、あなたは良い説教を好んでいるかもしれない。聖書を尊び、折にふれて聖書を読むことがあるかもしれない。朝晩祈っているかもしれない。家庭礼拝を開き、信仰的な諸団体に献金しているかもしれない。それは感謝なことである。それはみな非常に良いことである。しかし戦いはどうなっているか? そうしたすべての間、この大いなる争闘はどうなっているか? あなたはこの世への愛、人々への恐れに対して勝利を得つつあるだろうか? 自分の心の情動や気質や情欲に対して勝利を得つつあるだろうか? 悪魔に立ち向かい、かれを逃げ去らせつつあるだろうか? この件はどうなっているだろうか? 愛する兄弟姉妹。あなたが罪と悪魔と世に支配者として臨むか、奴隷として仕えるかは2つに1つである。中間の道はない。征服するか滅びるかである。

 あなたの戦わなくてはならない戦いが厳しいものであることはよく承知している。あなたにもそう承知してほしいと思う。永遠のいのちを手に入れたければ、信仰の戦いを勇敢に戦い、艱難に耐えなくてはならない。天国にたどり着きたければ、日々闘争する覚悟を決めなくてはならない。人間は天国への近道を発明するかもしれないが、古のキリスト教――古き良き通り道――は、十字架の道、争闘の道である。罪と世と悪魔は、実際に抑制され、立ち向かわれ、打ち負かされなくてはならない。

 これこそ古の聖徒たちが踏みしめて行った道であり、その記録を天に残した道である。

 モーセがエジプトで罪の楽しみを拒み、神の民とともに苦しむことを選び取ったとき、――これは勝利であった。彼は快楽への愛に対して勝利を得たのである。

 ミカが、真実を語れば迫害されると知っていながら、アハブ王に耳障りの良いことを預言するのを拒んだとき、――これは勝利であった。彼は安逸への愛に対して勝利を得たのである。

 ダニエルが、自分のために獅子の穴が用意されているのを知りつつ、祈るのをやめることを拒んだとき、――これは勝利であった。彼は死への恐れに対して勝利を得たのである。

 マタイが、私たちの主に命ぜられた通りに収税所から立ち上がり、すべてを捨てて主に従って行ったとき、――これは勝利であった。彼は金銭への愛に対して勝利を得たのである。

 ペテロとヨハネが議会の前に大胆に立ち、「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません」、と語ったとき、――これは勝利であった。彼らは人への恐れに対して勝利を得たのである。

 パリサイ人のサウロが、ユダヤ人の間における立身出世の見込みをことごとく捨てて、かつては先頭きって迫害していたイエスを宣べ伝えるようになったとき、――これは勝利であった。彼は人の賞賛への愛に対して勝利を得たのである。

 読者の方々。もしあなたが救われたければ、こうした人々が行なったのと同じ種類のことを行なわなくてはならない。彼らは、あなたと同じような人々であったが、勝利した。彼らは、あなたがおそらく受けるのと同じくらい多くの試練を受けてきたが、それでも勝利した。彼らは戦った。格闘した。争った。あなたも同じようにしなくてはならない。

 彼らの勝利の秘訣は何だったのか?――彼らの信仰である。彼らはイエスを信じ、信じる中で強くされた。彼らはイエスを信じ、信じる中で支えられた。そのすべての戦いにおいて、彼らはその目をイエスにひたと向けており、イエスは決して彼らを見捨ても、置き去りにしもしなかった。彼らは、《小羊》の血と、彼のあかしのことばのゆえに打ち勝った[黙12:11]。あなたもそうできるであろう。

 読者の方々。私はこの言葉をあなたの前に指し示した。これを心に銘記してほしい。神の恵みによって、《勝利を得る》キリスト者となる決意を固めるがいい。

 私は、信仰を告白するキリスト者の多くが心配でならない。彼らには、勝利を得ているようすどころか、戦っているようすすら全く見えない。彼らは一度もキリストの側に立って太刀をふるったことがない。彼らはキリストの敵と仲むつまじく暮らしている。彼らと罪には何の反目もない。読者の方々。私は警告する。これはキリスト教ではない。天国へ向かう道ではない。

 私は、福音を定期的に聞いている人々のことがしばしば心配でならない。私が恐れるのは、あなたが福音の教理を耳にたこができるほど聞きすぎて、知らぬ間に、福音の力に無感覚になりはしないかということである。私が恐れるのは、あなたのキリスト教信仰が、自分の弱さや腐敗についての薄ぼんやりとした愚痴りあいや、キリストについての感傷的な云い回しを多少口にするだけといったものに成り下がり、キリストの側に立って現実に実際に戦うことが全くないがしろにされはしないか、ということである。おゝ、そのような心持ちに用心するがいい。「みことばを実行する人になりなさい。……ただ聞くだけの者であってはいけません」[ヤコ1:22]。勝利なくして栄冠はない! 戦って勝利を得るがいい!

 私はうら若い青年男女、特に、キリスト者の家庭で育った方々のことが非常に心配でならない。私が恐れるのは、あなたが誘惑という誘惑に屈する習慣を身につけはしないかということである。私が恐れるのは、世と悪魔に対して「否!」と云うのを恐れるようになりはしないか、――罪人たちから誘いをかけられたときに別段同意しても問題ないだろうなどと思いはしないか、ということである。私はあなたに願う。譲歩には用心していただきたい。1つ妥協をするたびに、その分あなたは弱くなる。キリストの戦いを戦い抜く決意を持って社会に出て行くがいい。――そして血路を切り開くがいい。

 あらゆる教会のあらゆる境遇にある、主イエスを信ずる人々に私は云いたい。私はあなたの気持ちが分かる。あなたの道が厳しいことを私は知っている。あなたが戦わなくてはならない戦闘がはなはだしいものであることを知っている。あなたがしばしば、「しょうがない」と云って、全面降伏したくなる気持ちを知っている。

 愛する兄弟姉妹。勇気を出すがいい。元気を出すがいい。あなたの立場の明るい面に目を向けることである。勇躍して戦い続けることである。時は縮まっている。主は近い。夜はふけた。あなたと同じくらい弱かった何千万もの人々が、同じ戦いを戦ってきた。その何千万ものうちただの一人といえども、最終的にサタンの捕虜となって引かれていったものはない。あなたの敵は強大だが、あなたの救いの指揮官はそれよりさらに強大である。彼の御腕、彼の恵み、彼の御霊があなたを支える。勇気を出すがいい。打ちひしがれてはならない。

 1つや2つ戦いに負けたからといって、それが何か? あなたがすべてを失うことはない。時々気を失うからといってそれが何か? あなたが完全に打ち倒されることはない。七たび倒れたからといってそれが何か? あなたが滅ぼされることはない。罪に用心するがいい。そうすれば、罪があなたを支配することはない。悪魔に立ち向かうがいい。そうすれば、彼はあなたから逃げ去るであろう。あなたは最後には、自分が圧倒的な勝利者となったことに気づく。あなたは勝利を得るのである。

 読者の方々。この主題全体から、いくつか適用の言葉を引き出させてほしい。それで、しめくくりたいと思う。

 まず最初のこととして、形式的で、自分を義とするすべての人々に対して警告させていただきたい。自分をあざむかないよう用心するがいい。あなたは、自分が毎週教会に行っているから天国へ行けるものと思い込んでいる。欠かさず主の晩餐に集い、礼拝に欠席したことがないから永遠のいのちを受けられると決め込んでいる。しかし、あなたの悔い改めはどこにあるのか? あなたの信仰はどこにあるのか? あなたが新しい心を持っている証拠はどこにあるのか? 御霊のみわざはどこにあるのか? あなたがこの大いなる戦いを戦っているという証拠はどこにあるのか? おゝ、形式的なキリスト者よ。こうした問いをとくと考えてみるがいい! 震えるがいい。おののくがいい。そして、悔い改めるがいい。

 もう1つのこととして、いいかげんな生き方を続けるすべての教会員に対して警告させていただきたい。自分の魂をもてあそび、地獄へ陥らないように気をつけるがいい。あなたは年々歳々、あたかも罪や世や悪魔とは何の戦いもしなくてもいいかのように暮らし続けている。あなたは人生を、微笑み笑いかわしながら、紳士らしく、あるいは淑女らしく過ごしており、まるで悪魔も天国も地獄もないかのようにふるまっている。おゝ、いいかげんな国教徒よ。いいかげんな非国教徒よ。いいかげんな監督派、いいかげんな長老派、いいかげんな独立派、いいかげんなバプテストよ。目を覚まし、真実の光のもとで永遠の現実を直視するがいい! 目を覚まし、神の武具を身につけるがいい! 目を覚まし、いのちがけで戦うがいい! 震えるがいい。おののくがいい。そして、悔い改めるがいい。

 読者の方々。この大いなる戦いには、救われたいと願うすべての人が携わらなくてはならない。そして、それ以上に、それには勝利を得なくてはならない

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