8. 偶像礼拝
「偶像礼拝を避けなさい」(Iコリ10:14)このページの冒頭に冠した聖句は、一見すると英国ではほとんど必要ないもののように見えるであろう。このような教育と知性の時代には、英国人に向かって「偶像礼拝を避けなさい」と告げるのは時間の無駄であると思いそうになるかもしれない。
はっきり云うが、それはたいへんな間違いである。私の信ずるところ、私たちは、偶像礼拝という主題を徹底して、また綿密に取り調べる必要のある時期に立ち至っている。私の信ずるところ、偶像礼拝は、すさまじいほど私たちの身近にあり、私たちの回りにあり、私たちのただ中にある。一言で云えば、十戒の第二戒が危険にさらされているのである。「疫病がすでに始まったからです」[民16:46 <口語訳>]。
これ以上の序言は述べずに私は、この論考の中で以下の4つの点を考察したいと思う。----
I. 偶像礼拝の定義。《それは、いかなることか?》
II. 偶像礼拝の原因。《それは、どこから来るのか?》
III. 偶像礼拝が、目に見える教会の中でとっている形。《それは、どこにあるのか?》
IV. 偶像礼拝の最終的な廃滅。《それは、何によって終わらされるのか?》この主題は多くの困難に取り巻かれているように感ずる。私たちの生まれ合わせた時代は、誤って寛容や愛や平和と呼ばれているもののために、絶えず真理が犠牲にされる危険にさらされている。それにもかかわらず、教職者として私が忘れることができないのは、英国国教会は偶像礼拝という主題について、「はっきりしない音」を出してこなかった教会である、ということである。そして、私が大きく思い違いをしていない限り、偶像礼拝に関する真理は、最も高い意味において、今の時代のための真理なのである。
I. まず第一に、偶像礼拝の定義を述べさせていただきたい。《それはいかなることか》を示させてほしい。
これを理解することは、この上もなく重要である。これを明確にしない限り私は、この主題について何もできないであろう。キリスト教信仰におけるほとんどの主題と同じく、この点についてもあいまいさと、不明確さがはびこっている。自分の霊的航海において絶え間なく座礁していたくないと願うキリスト者は、自分の航路にはっきりとした浮標を置いておき、思いのうちに種々の明確な定義をしっかりおさめておかなくてはならない。
では私は云う。偶像礼拝とは、三位一体の神に捧げられるべき、また神にのみふさわしい栄誉が、神の被造物である何物かに、あるいは神の被造物が作り出した何物かに与えられているような礼拝である、と。その種類は非常に多岐にわたるであろう。それは、捧げる側の無知か知識に応じて、----文明に浴しているか未開の状態のままかに応じて----、千差万別の形態をとるであろう。それは、途方もなくばかげた、笑うべきものとなることもあれば、真理に酷似したもの、至極まことしやかに弁護されうるものとなることもある。しかし、インド神話のクリシュナ神像への崇拝であろうと、聖ペテロ大聖堂における聖体への崇拝であろうと、実質としての偶像礼拝の原理は変わらない。いずれの場合においても、神に捧げられるべき栄誉がわきへやられ、神ならざるものに授けられている。そして、このことがなされている時には、それが異教の神殿においてであろうと、キリスト教会と自称している建物においてであろうと、そこには偶像礼拝の行為があるのである。
人は表立って神とキリストを否定しなくとも、偶像礼拝者になることはできる。そのようなことをする必要はさらさらない。聖書の神に対する崇敬を告白することと、実際には偶像礼拝をしていることとは、完璧に両立しうるものである。それらはしばしば相伴ってきたし、今も相伴っている。イスラエル人たちは決して神と縁を切るつもりで、アロンを説き伏せて金の子牛を造らせたのではなかった。彼らは云った。「これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神(あなたのエロヒム)だ」。そして、その子牛をたたえるための祭礼は、「主(エホバ)への祭り」として行なわれた(出32:4、5)。ヤロブアムもやはり、決して十部族がダビデとソロモンの神に対する忠誠を打ち捨てることを願ったわけではなかった。ダンとベテルに金の子牛を造ったとき、単に彼はこう云っただけだった。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々(あなたのエロヒム)がおられる」(I列12:28)。私たちが注目すべきなのは、どちらの場合においても、偶像は神への対抗相手として造られたのではなく、助けとなるもの----神礼拝の踏み台----という名目で造られたということである。しかし、どちらの場合においても、大きな罪が犯された。神に捧げられるべき栄誉が、目に見える神の表象に対して与えられた。エホバの威光は損なわれた。第二戒は破られた。神の御目にとっては、はなはだしい偶像礼拝の行為がなされた。
このことをよく注意しておこう。いいかげんに私たちは、現在よく見受けられるような、偶像礼拝に関するこうした締まりのない考え方を、思いの中から払拭していい時である。私たちは、多くの人がしているように、偶像礼拝にはたった二種類のもの----自分の妻子や金銭を神よりも愛するという霊的な偶像礼拝と、真の神を知らないがために木や金属や石でできた像の前に拝礼するという公然たる、露骨な偶像礼拝----しかないなどと考えてはならない。請け合ってもいいが、偶像礼拝はそれよりはるかに広大な範囲にわたる罪である。それは、私たちが宣教大会で耳にして憐れみの念を催すような、ヒンドスタンで行なわれているようなものだけではない。あるいは、私たち自身の心の中だけにしかなく、私たちが膝まずいて「贖いのふた」の前で告白できるようなものだけでもない。それは、多くの人々が思っているよりも、はるかに広範囲にキリストの教会の中を歩き回っている疫病である。不法の人のように、「神の宮の中に座を設け」ている悪である(IIテサ2:4)。これは私たちがみな、それに対抗すべく目を覚まして祈っていなくてならない罪である。これは、私たちのキリスト教礼拝の中に知らぬ間にもぐりこみ、私たちが気づくより前に私たちにのしかかっている。これはイザヤが、形式的なユダヤ人に向かって語りかけた、恐るべき言葉である。----これが、バアルの礼拝者ではなく、現に神殿に詣でている人に向かって語られた言葉であることを忘れてはならない。「牛をほふる者は、人を打ち殺す者。羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。穀物のささげ物をささげる者は、豚の血をささげる者。乳香をささげる者は、偶像をほめたたえる者」(イザ66:3)。
これこそ神がそのみことばにおいて特に糾弾しておられる罪である。十の戒めのうち1つが、これを禁ずるために振り向けられている。十の戒めのうち、これほど神のご性格と、違背する者に対する神の審きを厳粛に宣言しているものはない。----「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼ……す」(出20:5)。ことによると、十戒の中でもこれほど後々、特に申命記4章において、激しい調子で繰り返され、敷衍されているものは他にないかもしれない。
この罪こそ、他のいかなる罪にもまして、ソロモン神殿の破壊以前のユダヤ人が最も陥りがちだったものであるように思える。士師や王たちに治められていた頃のイスラエルの歴史とは、度重なる偶像礼拝への転落でつづられた陰鬱な記録でなくて何であろうか? 幾度となくそこには、「高き所」や偽りの神々について記されている。幾度となくそこには、偶像礼拝ゆえの隷属や懲らしめについて記されている。あたかも彼らにとって偶像への愛好は、生まれながらに骨の骨、肉の肉であったかのように見える。旧約時代の教会にからみつく罪とは、一言で云うと、偶像礼拝であった。神がかつて御民に与えた中でも最も入念な儀式的典礼を前にしていながらイスラエルは、絶え間なく道をはずれて偶像へ向かい、人間の手で造った物を拝み続けていた。
この罪こそ、他のいかなる罪にもまして、目に見える教会に最も重い審きをもたらしてきたものである。それはイスラエルの上にエジプトとアッシリヤとバビロンの軍勢を招き寄せた。それは十部族を四散させ、ユダとベニヤミンを捕囚に陥らせた。それは後代の東方教会に怒濤のごときサラセン人による侵略を招き、多くの霊的な庭園を荒野に変じさせた。かつてはキュプリアーヌスやアウグスティヌスが説教していた地域をいま支配している荒廃や、小アジアやシリアが埋没している生きながらの死は、みなこの罪に起因している。すべてはこの、主がイザヤによって宣告なさった偉大な真理を証言している。「わたしは……わたしの栄光を他の者に……与えはしない」(イザ42:8)。
私たちは、こうした事がらに思いを馳せ、それらについて熟考しよう。偶像礼拝という主題は、自らをきよく保ちたいと願うキリストのあらゆる教会において徹底的に吟味され、理解され、知られるべき主題である。聖パウロはあだやおろそかにこの断固たる命令を規定しているのではない。「偶像礼拝を避けなさい」。
II. 第二のこととして示したいのは、 偶像礼拝の原因である。《それは、どこから来るのか?》
人間の知性と理性を埒もなく評価し称揚する見方をとる人にとって、偶像礼拝などばかげたことに見えるであろう。その人は、偶像礼拝などという非理性的なものに取り込まれるのは、頭の弱い人だけだと思い込んでいる。
キリスト教について浅薄な考え方しかしていない人にとっても、偶像礼拝の危険は非常に小さく見えるであろう。そうした人は私たちに告げるであろう。たとえいかなる戒めが破られようと、信仰を告白するキリスト者が第二戒に違背するようなことはまずありえない、と。
だがこの両者は、人間性に関するはなはだしい無知をさらけだしている。彼らは、私たち全員の中に偶像礼拝への隠れた根があることを見てとっていない。あらゆる時代の異教徒の間で偶像礼拝がはびこっていたことは、一方の人を困惑させずにはおかないはずである。----プロテスタントの教役者たちが教会内における偶像礼拝に対して度重なる警告を発してきたことは、もう一方の人にはまるで筋違いのように思えるはずである。両者とも、その原因には盲目なのである。
すべての偶像礼拝の原因は、人間の心の生来の腐敗にある。アダムのすべての子どもたちが誕生した瞬間から感染している、この家伝の業病は、このことにおいても、他の一千ものしかたでと同様、姿を現わしているのである。「悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き」、その他のものが出てくるのと同じ源泉から(マコ7:21、22)、----それと同じ源泉から、神に関する偽りの見方や、神に捧げられるべき礼拝に関する偽りの見方が出てくるのである。それゆえ、使徒パウロは、ガラテヤ人に何が「肉の行ない」かを告げているとき、そこに目立った形で「偶像礼拝」を置いているのである(ガラ5:20)。
人は自然と何らかの種類の宗教をいだくものである。神は、私たちがいかに堕落してはいても、いかなる人間の内側にも、ご自分について証しするものをお残しにならなかったわけではない。塵芥に埋もれた太古の碑文のように、----パリンプセスト写本のほとんど抹消された下書きのように*1、----それと全く同じように、いかにかすかで半分消えかかっているにせよ、人間の心の底には、ぼんやりとした何かが彫り刻まれているのである。----人間に、自分には何か宗教が、何らかの種類の礼拝がなくてはならないと感じさせる何かである。このことの証拠は、地球上のあらゆる地域の航海記や旅行記の中に見いだされる。この原則に対する例外は、たとえあるにしても、あまりにもわずかしかないため、その正しさを確証する役にしか立たない。地上のどこか暗い片隅にいる人々が行なっている礼拝は、何らかの悪い霊に対する漠然とした恐れと、それをなだめたいという願望以上のものには高まっていないかもしれない。それでも、何らかの種類の礼拝を人は持つものである。
しかし、そこに堕落の影響が加わる。神への無知、神の性質と属性に対する肉的で低俗な概念、神に受け入れられる礼拝についての地上的で官能的な観念、こうしたすべてによって特徴づけられているのが生まれながらの人の宗教である。彼の思いには、その神学の中に、自分が見て、感じて、触れることのできるものがあってほしいという渇仰がある。彼は、自分の宗教を感覚と視覚に基づいたものにしたがる。彼は、心と信仰と霊による宗教などということに思い及びもしない。つまり彼は、神が造った地上で生きていたいという願いはあっても、恵みによって更新されるまでは、堕落した卑俗な生き方しかできないのと同じように、彼は何らかのしかたで礼拝を行なうことに全く異存はないが、聖霊によって更新されるまで、それは常に堕落した礼拝であろう。一言で云えば、偶像礼拝は人間の心が自然に生み出すものなのである。それは、耕されていない地面のように、心が常に生じさせてやまない雑草にほかならない。
それでは私たちは、旧約時代の教会で絶え間なく偶像礼拝が繰り返されていることについて、----ペオルや、バアルや、モレクや、ケモシュや、アシュタロテについて、----高き所や丘々の上の祭壇、アシェラ像や香の台について、----しかもそれがモーセ儀式の完全な光のもとで行なわれていることについて、驚かされるだろうか? 驚くのはやめようではないか。それは説明のつくことなのである。そこには原因があるのである。
私たちは、キリストの教会にいかに偶像礼拝が徐々に忍び込んできたかを歴史で読むとき驚かされるだろうか?----いかに少しずつそれが福音の真理を押し出して行き、ついにはカンタベリにあるトマス・ア・ベケットの聖堂に、かつて処女マリヤの聖堂に捧げられていた以上の、そしてキリストの聖堂において捧げられる以上の敬意が捧げられるようになったことに驚かされるだろうか? 驚くのはやめようではないか。それは理解できることである。そこには原因があるのである。
私たちは現代、プロテスタント教会からローマ教会へと転向する人々のことを聞くとき、驚かされるだろうか? 私たちはそれを全くわけのわからないことだと考えるだろうか? 自分たち自身は、きよい礼拝形式を捨てて、教皇の礼拝へと寝返ることなどありえないかのように感じているだろうか? 驚くのはやめようではないか。その問題には解決がつくのである。そこには原因があるのである。
その原因とは、人間の心の腐敗にほかならない。私たち全員のうちには、生まれながらに、神のことばで命ぜられているような礼拝ではなく、官能的で肉的な礼拝を神に捧げようとする志向と傾向があるのである。私たちは常に、自分の怠惰さと不信仰をもとにして、神に近づくための目に見える助けや踏み台を考案しようとしがちであり、究極的には、自分で発明したこうしたものに、神に捧げられるべき栄誉を捧げるようになりがちなのである。事実、偶像礼拝はみな、あの広い道のように、自然で、下り坂で、容易なものである。霊的な礼拝はみな恵みから出ており、みな上り坂で、みな私たちの性分に合わないものである。ありとあらゆる礼拝の中で、生まれながらの心にとって最も不快な礼拝とは、私たちの主キリストが、「霊とまことによって」なされる礼拝と述べたものにほかならない(ヨハ4:23)。
私について云うなら、世の中と、目に見える教会の中との双方に存在している偶像礼拝の量に、私は驚きはしない。私の信ずるところ、一部の人々が夢にも見たことのないほど多くの偶像礼拝を今後さらに見ることになるとしても、それは完璧にありうることである。もしもこれから、人間の形をとった強力な----知性においても、統治の賜物においても、しかり、ことによると奇蹟を行なう賜物においても強力な----反キリストが何人となく終わりの前に出現するとしても、私は決して驚くものではない。そうした者のひとりがキリストに逆らって立ち上がり、福音に対抗する不信仰者による陰謀と連合を形成しようと、決して私は驚きはしない。私の信ずるところ、現在大威張りで、「このキリストに、私たちの王にはなってもらいたくありません」、と云っているような多くの者たちは、喜んで彼に栄誉を与えるであろう。私の信ずるところ、多くの者たちは彼を神とし、真理の体現者として崇敬し、自分たちの英雄崇拝心を彼ひとりに集中させるであろう。私はこのことを1つの可能性として提示しており、それ以上のことを云うものではない。しかし、少なくともこのことだけは確信している。----すなわち、いかなる人にもまして偶像礼拝の危険に対して無防備なのは、今キリスト教信仰のいかなる形式をも鼻で笑っている人だということである。不信心から軽信へ、無神論から最悪の偶像礼拝への隔たりはほんの一歩しかない。いかなることがあろうと私たちは、偶像礼拝など古くさい罪で、自分たちが決して陥りそうもない罪だなどとは考えないようにしよう。「立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」。私たちは自分の心の中をのぞき込んでみる方がよい。偶像礼拝の種はそこにそろっている。私たちは聖パウロのこの言葉を覚えているべきである。「偶像礼拝を避けなさい」。
III. 第三のこととして示したいのは、偶像礼拝が、目に見える教会の中でこれまでとってきた、また今とっている形である。《それは、どこにあるのか?》
私は、いま多くの人々の支持を受けている1つの説ほど基盤のもろい構造物はあったためしがないと思う。----すなわち、目に見えるキリストの教会には、それが永続し、背教から守られるという約束が与えられている、という説である。そうした説は、聖書によっても種々の事実によっても支持されていない。「ハデスの門もそれには打ち勝てない」教会とは、目に見える教会のことではなく、神に選ばれた人々、あらゆる国と民族から集められた真の信仰者たちの一団のことである。目に見える教会の大部分は、これまでしばしば著しい異端を保持してきた。教会の中には、信仰においても行為においても、致命的な過誤から完全に守られているような部分はない。----目に見える教会のある部分が信仰から逸脱し、----転落し、----その初めの愛を失ってしまったとしても、新約聖書を注意深く読んでいる人は決して驚かされないであろう。
偶像礼拝が生ずるであろうことを、使徒たちは、新約聖書の正典が完結する以前からさえ、予想していたように思われる。聖パウロが、コリント人への手紙において、この主題をいかに詳細に論じているかは注目すべきである。もしも兄弟と呼ばれるコリント人が偶像礼拝者であったなら、そのような者と教会の会員たちは「いっしょに食事をしてもいけな」かった(Iコリ5:11)。「あなたがたは、彼らの中のある人たちにならって、偶像崇拝者となってはいけません」(Iコリ10:7)。さらに彼は、この論考に冠した聖句でこう云っている。「私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい」(Iコリ10:14)。コロサイ人への手紙で彼は、「御使い礼拝をしようとする者」に警戒せよと書いている。(コロ2:18)。また聖ヨハネは、その第一の手紙を厳粛な訓令で閉じている。「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい」(Iヨハ5:21)。こうしたすべての箇所を読むとき、使徒たちは、信仰を告白するキリスト者たちの間で偶像礼拝が生ずるだろう、それもすぐに生ずるだろうと予想していた、と感じずにいるのは不可能である。
テモテへの第一の手紙4章の有名な預言には、この点をさらに直接的に扱っている箇所が含まれている。「御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります」(Iテモ4:1)。私は、「悪霊の教え」という尋常ならざる云い回しについての議論を長々と始めて、読者を煩わせようとは思わない。とりあえず云っておけば十分と思われるのは、わが国の卓越した聖書翻訳者たちは、英欽定訳で「悪霊たち」と翻訳された言葉の訳し方において、この場合だけは、使徒が意図していた十分な意味を伝えきれなかったと考えられているということ、また、この云い回しの真の意味は、「死んだ霊たちについての教え」だということである。こうした見方は、こうした問題に関して私たちが耳を傾けるべき最上の権利を有するあらゆる人々によって主張されていると云ってもよいものだが、そのように見られるとき、この箇所は、最もまことしやかな形の偶像礼拝の勃興を直接予言しているものとなる。すなわち、死せる聖徒たちに対する礼拝である(ミードの著作集を参照されたい)。
私が注意を引きたい最後の箇所は、黙示録9章の結びの部分である。その20節にはこう記されている。「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊ども(注目すべきことに、これは、いま引用したテモテへの手紙で用いられていたのと同じ言葉である)や、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け……た」。さて私は、この節の出現している章について何の注釈をするつもりもない。ここで予言されている災害の真の解釈について意見の相違があることは私も承知している。私があえて主張したいことはただ1つ、こうした災害について最もありうべき考え方は、それが目に見えるキリストの教会に降りかかるものであるということであり、最もありうべからざる考え方は、聖ヨハネがここで福音を一度も聞いたことのない異教徒たちについて預言しているということである。そして、いったんそのことを認めてしまうと、偶像礼拝とは目に見える教会が犯すと予言されている罪であるという事実は、この上もなく決定的に、また永久に確立したように思える。
さて、もし聖書から種々の事実に目を転ずると、私たちには何が見てとれるだろうか? 私はためらうことなく答える。聖書の警告と予言はゆえもなく語られたのではなく、偶像礼拝は現実に目に見える教会の中で生じてきたし、今もまだ存在しているとの、取り違えようもない証拠がある、と。
過去の時代におけるこの悪の生起と発展については、英国国教会の『公定説教集』の、《偶像礼拝の危険》についての説教で見事に要約されている。その『公定説教集』を私はすべての国教徒に参照してほしいと願うものである。はっきり思い出してほしいが、三十九信仰箇条の判断によれば、『公定説教の書』には「敬虔で健全な、この時代にとって必要な教えが含まれている」のである。----そこに記されているところ、《四世紀》においてすら、ヒエローニュムスがこう不平を鳴らしているのである。「聖画像という過誤がやって来て、異邦人からキリスト者へと渡された」、と。またエウセビオスはこう云っている。「私たちは、ペテロやパウロの、そして私たちの救い主ご自身の画像が造られ、卓子に絵が描かれているのを見ている。私の考えるところ、それは、異教徒から考えなしに得られた習俗が、そのまま保たれているものである」。----そこに記されているところ、「ノラの司教ポンティウス・パウリーヌスは、五世紀に、教会堂の壁を旧約聖書からとられた物語で描かせた。それは、こうした絵を見て考える人々に、暴飲暴食や放縦を控えさせるためであった。しかし描かれた絵から学ぶことに始まって、それは少しずつ偶像礼拝へと変容していった」。----そこに記されているところ、ローマの司教グレゴリウス一世は七世紀の初頭に、教会内に聖画像を置くことは自由であると許可した。----そこに記されているところ、コンスタンティーノス六世の母イレーネー[摂政]は、八世紀に、ニカイヤ総会議を招集して、ギリシャの全教会には聖画像を設置すべきであり、前記の聖画像に栄誉と礼拝が捧げられるべきであるとの教令を獲得した」。そして、そこには、『公定説教集』がその歴史的要約をしめくくっている結論が記されている。----「平信徒も教職者も、学のある者もない者も、キリスト教国のあらゆる年齢、職種、階級の男女と子どもたちが、たちまち忌まわしい偶像礼拝、この、他のいかなる悪徳にまして最も神の忌み嫌う悪徳へと埋没してしまい、それが八百年以上もの間続いた」。
これは痛ましい記述であるが、赤裸々な真実でしかない。この悪が、『公定説教集』の著者たちによって、いま言及された時代よりも早くからさえ始まっていたことはほとんど疑うことができない。原始教会に偶像礼拝が生じたことについて云えば、そもそもの最初から原始教会が、いかにキリスト教信仰の目に見える部分に過度の崇敬を払っていたかを平静に考えてみさえすれば、何1つ驚くようなことはないと思う。私の信ずるところ、ほとんどすべての教父たちが、いかなる言葉遣いによって教会や、司教や、聖職者の務めや、バプテスマや、主の晩餐や、殉教者たちや、死せる聖徒たち一般について語っていたか、偏りのない目で読むことのできる人であればだれでも、----そうした主題に関する彼らの言葉遣いと、聖書の言葉遣いとの間にある大きな差異に打たれずにいることはできない。そこでは、突然全く新しい雰囲気の中にいるように思える。あなたは、もはや自分が聖なる地を踏みしめているのではないことを感ずる。そこでは、聖書の中では如実に二義的に重要でしかなかった事がらが、第一義的に重要なものとされている。感覚と視覚に基づく事がらが、聖霊によって語っていたパウロやペテロやヤコブやヨハネによっては決して一瞬たりとも置かれなかったような地位に称揚されていることに気づく。ここで嘆かなくてはならないのは、単に霊感を受けていない著作につきものの欠陥ではない。それよりもさらに悪いことである。これは新たな信仰体系なのである。だが、何がこれらすべてを説明するのだろうか? それは、一言で云うと、あなたは、偶像礼拝というマラリヤが生じ始めた地域に足を踏み入れた、ということである。あなたは、不法の秘密の最初の働きを感知しているのである。あなたがそこで認めたのは、偶像礼拝の萌芽なのである。そしてそれこそ、『公定説教集』が叙述するように、後には正式に認可され、あげくの果てにはキリスト教国のあらゆる地域で巨大な体系として華麗に花開いたものであった。
しかし、いま私たちは過去から現在に目を転じてみよう。私たちに最も関わりのある問題を吟味してみよう。偶像礼拝は、現代の目に見える教会の罪としては、いかなる形をとって私たちの前に姿を現わしているのかを考えてみよう。
私はこの問いに答えるのに何の困難も覚えない。私は何のためらいもなく主張するものである。いまだかつて偶像礼拝が、今日のローマ教会におけるそれほど、どぎつい形をとったことはなかった、と。
ここで私は、自分たちの生きている時代のゆえに、口にしにくい主題に差しかかっている。しかし、キリストの教役者は、時勢や偏見をはばかることなく、すべての真理を語るべきである。また私は、偶像礼拝に関する著述をする際に、自分のうちにある厳粛な確信を宣言せずにすませたとしたら、心安らかに眠ることができないであろう。すなわち、偶像礼拝こそローマ教会に陥っているはなはだしい罪の1つである、と。私はこれを心底からの悲しみとともに口にしている。私はこう語るときに、プロテスタント教会の私たちにもまた、数々の過ちがあること----そして、実際のところ、ことによると、ある方面においては、少なからぬ偶像礼拝があること----を十分に認めているものである。しかし、正規の、認可された、体系的な偶像礼拝については、私たちはほとんど完全に免れていると私は信ずる。逆に、ローマ教会については、もしその礼拝の中に膨大な量の体系的、組織的な偶像礼拝がないというのなら、私は、自分には偶像礼拝がいかなるものかわかっていないのだと率直に告白するしかないであろう。
(a) 私の見るところ、教会堂の中に諸聖人の像や画像を置いて、それらに向かって、聖書には何の裏づけも前例もないような崇敬を捧げるのは、偶像礼拝である。そしてもしそうだとすれば、私は云う。ローマ教会には偶像礼拝がある、と。
(b) 私の見るところ、処女マリヤや栄光のうちにある諸聖人に加護を祈り、彼らに向かって、聖書では聖三位一体に対する以外決して用いられていないような言葉遣いで語りかけるのは、偶像礼拝である。そしてもしそうだとすれば、私は云う。ローマ教会には偶像礼拝がある、と。
(c) 私の見るところ、単なる物質に向かって拝礼し、それらに、旧約の経綸において契約の箱か祭壇に結びついていたものをはるかに越えるような力と神聖さ----神のことばに何の根拠も持たないような力と神聖さ----があるとするのは、偶像礼拝である。そしてもし、私の思い起こすトレーヴの聖衣や、キリストの十字架の驚嘆すべき数の木片や、その他のおびただしい数の聖遺物についてそう云えるとすれば、私は云う。ローマ教会には偶像礼拝がある、と。
(d) 私の見るところ、人間の手で造った物を礼拝すること----それを神と呼び、それが目の前に掲げ上げられたときに崇拝すること----は、偶像礼拝である。そしてもし、悪名高い実体変化説や、私の記憶する聖体の奉挙についてそう云えるとすれば、私は云う。ローマ教会には偶像礼拝がある、と。
(e) 私の見るところ、叙任された人々を私たちと神との間の仲保者とし、いわば私たちの主キリストからその職務を盗み、そうした人々に、聖書では使徒たちや御使いたちすら断固として拒否したような栄誉を捧げるのは、偶像礼拝である。そしてもし、私の前における教皇たちや司祭たちに払われている栄誉についてそう云えるとすれば、私は云う。ローマ教会には偶像礼拝がある、と。
このような言葉遣いが、多くの人々の思いを激しく揺さぶるであろうことは百も承知である。人々は、認めるのが不愉快な悪には目を閉ざすのを好むものである。彼らは、嬉しくない結果を伴うような事がらを見ようとはしない。彼らも、ローマ教会が過ちを犯している教会であることは認めるであろう。だが、それが偶像礼拝の教会であることは否定するであろう。
彼らが私たちに告げるところ、ローマ教会が諸聖人や画像に捧げている崇敬は、偶像礼拝にまでは達していない。彼らが私たちの教えるところ、「ラトリア(神のみにささげる最高の礼拝)」と「ドゥリア(聖人に対する礼拝)」の間には区別があり、救済の仲立ちととりなしの仲立ちの間には区別があり、それによってローマ教会は偶像礼拝の非難を免れるのだという。だが私は答える。聖書ではそのような区別について何も知られていない。無数のローマカトリック教徒たちの実際の行為においては、そうした区別は全く存在していない、と*2。
彼らが私たちに告げるところ、ローマカトリック教徒が聖像や画像の前で崇拝の行為を行なっているとしても、それらを本当に礼拝していると考えては間違いである。彼らは、単にそれらを個人的礼拝の補助手段として用いているにすぎず、現実にはそれらをはるかに越えたものを仰ぎ見ているのだという。だが私は答える。多くの異教徒も自分たちの偶像礼拝について全く同じことが云えるだろう、と。----過去の時代に異教徒たちがそう云っていたことは有名な話であり、----現在のヒンドスタンにおいても多くの偶像礼拝者たちが現実にそう云っているのだ、と。しかし、そうした云い逃れは通用しはしない。第二戒で用いられている言葉はきわめて厳重なものである。それらは、礼拝することだけでなく、拝むことをも禁じている。そして、ローマ教会がこれまでたびたび、その教理問答の中から躍起になって第二戒を取り除こうとしてきたということそのものが、公平な観察者にとっては非常に雄弁な事実にほかならない。
彼らが私たちに告げるところ、この主題に関する私たちの主張には何の証拠もない。私たちは、ローマ教会の無知な会員たちの間にはびこっている数々の悪弊に、私たちの非難の種を見いだしているのである。これほど賢明で学識ある人々を擁しているような教会が、偶像礼拝の罪を犯しているなどと云うのはばかげているという。だが私は答える。ローマカトリック教徒の間で広く一般に用いられている礼拝書が、私たちに動かぬ証拠を与えてくれている、と。もしだれか私の主張を疑う人がいるなら、その人はかの有名な『魂の庭園』という本を吟味し、そこで処女マリヤに対して語りかけられている言葉遣いを読んでみるがいい。その人は忘れてはならない。こうした言葉遣いが、たとえ大いなる恵みを受けた、私たちの主の母であるとはいえ、それでもやはり私たちと同じ罪人のひとりである女に対するものであることを。----実際に自分が救い主を必要としていることを告白している女に対するものであることを。彼女は云っている。「わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます」(ルカ1:47)。その人は、その言葉遣いを新約聖書の光に照らして吟味するがいい。そして公平な意見として告げてみるがいい。果たして偶像礼拝という非難が十分に証明されなかったかどうかを。----しかし私は、こうしたことに加えてこう答える。私たちには、ローマ市そのものの中で得られる証拠さえあれば、それ以上何も必要ない、と。教皇自身のお膝元で人々は何をしているだろうか? 聖ペテロ大聖堂の周辺で、またヴァチカン市壁の内側ではびこっているのは、いかなるキリスト教信仰だろうか? ローマにおいて、自由に、何の束縛もなく、完全に伸び伸びと発展していくにまかせられたローマカトリック教とはいかなるものだろうか? 正直にこうした問いに答えてみるがいい。私はそれ以上何も求めない。セイモアの『ローマへの巡礼』や、『オールフォード書簡集』といった書物を読んで、ローマを訪れたことのある人に、そこで描かれている光景に何か誇張があるかどうか尋ねてみるがいい。私は云う。私の信ずるところ、そうしてみる人は、この結論を避けることはできない。ローマカトリック教が完全に発展した姿は、巨大に体系化された教会礼拝、礼典礼拝、マリヤ礼拝、聖人礼拝、聖像礼拝、聖遺物礼拝、司祭礼拝である、と。
私は、こうした事がらが多くの人の耳にいかに痛く響くかを重々承知している。私にとっても、キリスト者であると自称している人々の短所に長々とかかずらうことは何の楽しみでもない。真実な思いをもって云うが、これまで語ってきたことを私は痛みと悲しみとともに語ってきたのである。
私はローマ教会の公認の教義と、その多くの教会員の個人的見解とをきっぱり区別している。私の信じ希望しているところ、多くのローマカトリック教徒は、その心においては、自分の信仰告白とは首尾一貫しておらず、自分の属している教会よりもまともである。私はヤンセン派や、ケネルや、マルティーン・ボースのことを忘れることができない。私の信ずるところ、現代の多くのあわれなイタリヤ人が偶像崇拝的な礼拝式によって礼拝しているのは、単にその人がそれ以上に良いものを知らないからである。その人は、自分を教え導く何の聖書も知ってはいない。その人を教える何の忠実な教役者もいない。あえて自分の考えを持つには、自分の目の前にいる司祭を恐れすぎている。たとえ自分を押さえつける桎梏から逃げ出したいと願っても、それを可能にしてくれるような金銭はない。私はこうしたことをみな覚えている。そして私は云う。そのイタリヤ人は、私たちの同情とあわれみを大きく受けるに値する、と。しかし、こうしたことすべてにもかかわらず私は、ローマ教会は偶像礼拝的な教会である、と云わずにおくことはできない。
それ以下のことしか云わなければ、私は忠実な者ではなくなるであろう。私が教役者として属している教会[英国国教会]は、この主題に関してこの上もなく強く主張してきた教会である。《偶像礼拝の危険に関する公定説教》、また私たちの《祈祷書》の聖餐礼拝の末尾にある、《典礼法規》に続く厳粛な抗議が、礼典のパンと葡萄酒に対する崇拝を「すべての真実なキリスト者によって忌みきらわれるべき偶像礼拝」として糾弾していることは、私が語ってきたことが、私自身の教会の精神でしかないという明白な証拠である。そして、このような時代、----教会内のある人々が、分離してローマ教会に転向する心構えを固めつつあり、多くの人々が、ローマ教会の真の性格に対して目をつぶり、ローマへの再合同を求めているという時代----、このような時代にあって、もし私が人々に、ローマ教会は偶像礼拝的な教会であるとの、また、もし彼らがローマ教会に加わるならば、彼らは「偶像にくみすることになるのだ」との平明な警告を与えなければ、私自身の良心が私を叱責するであろう。
しかし私は、自分の主題のこの部分にこれ以上長々とかかずらうことはできない。私が人々の思いにはっきり印象づけておきたい主たる点はこのことである。----偶像礼拝は、目に見えるキリストの教会のうちに如実に姿を現わしており、それがどこよりもはっきりと立ち現われているのは、ローマ教会である。
IV. さて最後のこととして示したいのは、すべての偶像礼拝の最終的な廃滅である。《それは、何によって終わらされるのか?》
偶像礼拝が消えてなくなる時を切望しないような人の魂は、不健全な状態にあるに違いないと思う。異教主義に埋没した何億もの人々の魂のことを考え、にせ預言マホメットが受けている栄誉や、処女マリヤに対して日々捧げられている祈りのことを考えても、「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。いつまでですか。主よ。いつまでですか」、と叫ばないような心は、到底神と正しい関係にあるとはいえない。
ここで私たちの助けとなるのが、他の種々の主題の場合と同じく、確かな預言のみことばである。あらゆる偶像礼拝が最後を迎える時が、いつの日か訪れる。その滅びは定まっている。その滅亡は確実である。異教の神殿においてであれ、いわゆるキリスト教会においてであれ、偶像礼拝は私たちの主イエス・キリストの再臨のときに破壊されることになる。
そのときこそイザヤの預言が成就するであろう。「偽りの神々は消えうせる」(イザ2:18)。----そのときこそミカの言葉が成就するであろう。「わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち滅ぼす。あなたはもう、自分の手の造った物を拝まない」(ミカ5:13)。----そのときこそゼパニヤの預言が成就するであろう。「主は彼らを脅かし、地のすべての神々を消し去る。そのとき、人々はみな、自分のいる所で主を礼拝し、国々のすべての島々も主を礼拝する」(ゼパ2:11)。----そのときこそゼカリヤの預言が成就するであろう。「その日、----万軍の主の御告げ。----わたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない」(ゼカ13:2)。---- 一言で云うと、詩篇97篇がそのとき完全に実現することになるのである。「主は、王だ。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。雲と暗やみが主を取り囲み、義とさばきが御座の基である。火は御前に先立って行き主を取り囲む敵を焼き尽くす。主のいなずまは世界を照らし、地は見て、おののく。山々は主の御前に、ろうのように溶けた。全地の主の御前に。天は主の義を告げ、すべての国々の民は主の栄光を見る。偶像に仕える者、むなしいものを誇りとする者は、みな恥を見よう。すべての神々よ。主にひれ伏せ」。
私たちの主イエス・キリストの再臨こそ、現在の経綸のもとで、神の子どもたちを常に励ますべき、祝福された望みである。これは、私たちが旅のしるべとしなくてはならない北極星である。私たちのあらゆる期待を収束させるべき一点である。「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない」(ヘブ10:37)。もはや私たちのダビデは、世間に見下される少数の者を引き連れて、世の大半から退けられた、アドラムに住むあぶれ者ではなくなる。彼は偉大な力を身に帯びた支配者となり、すべての膝が彼の前でかがめられることになる。
そのときまで、私たちは自分の贖いを完全に享受することはない。パウロがエペソ人に告げているように、「私たちは、贖いの日のために……証印を押されているのです」*(エペ4:30)。そのときまで、私たちの救いが完成することはない。ペテロが云うように、「私たちは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです」*(Iペテ1:5)。そのときまで、私たちの知識にはまだ欠けがある。パウロがコリント人に告げているように、「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります」(Iコリ13:12)。つまり、私たちの最上のものは、まだ来ていないのである。
しかし、私たちの主がお戻りになる日に、あらゆる願望は完全に実現されることになる。私たちもはや、絶えざる失敗や、弱さや、失望を感ずることによって落胆したり、打ちひしがれたりすることはない。私たちは、他のどこになくとも主の御前には、喜びが満ちているのを見いだすであろう。私たちは、目ざめるとき、主の御姿に満ち足りるであろう(詩16:11; 17:15)。
目に見える教会の中には、今は多くの忌みきらうべきことがある。それらについて私たちはただ、エゼキエルの時代の真実な者たちのように、嘆き、悲しむしかない(エゼ9:4)。私たちにそれらを取り除くことはできない。麦と毒麦は、収穫まで、両方とも育つままにしておかれる。しかし、主イエスがもう一度ご自分の宮をきよめ、汚れた物をことごとく投げ捨てる日がやって来る。主がなさるみわざは、昔日のヒゼキヤやヨシアが行なったことが、かすかな予表でしかないほどのものである。主は種々の像を投げ捨て、いかなる形の偶像礼拝をも一掃する。
今ここに異教世界の回心を切望する人がいるだろうか? あなたがそれを完全な形で見るには、主の現われを待たなくてはならない。そのとき、そのときになって初めて、あのしばしば誤って適用されてきた聖句が成就するであろう。「その日、人は、拝むために造った銀の偽りの神々と金の偽りの神々を、もぐらや、こうもりに投げやる」(イザ2:20)。
今ここにイスラエルの贖いを切望する人がいるだろうか? あなたがそれを完全な形で見るには、贖い主がシオンに来るのを待たなくてはならない。信仰を告白するキリスト教会における偶像礼拝は、ユダヤ人の前にある最大のつまづきの石の1つである。それが転がり出すときに、イスラエルの心にかかった顔おおいは取り除かれ出すであろう(詩102:16)。
今ここに反キリストの失墜とローマ教会のきよめを切望する人がいるだろうか? 私の信ずるところ、それが起こるには、現在の経綸が終結するのを待たなくてはならない。偶像礼拝の巨大な体系は、主の御口の御霊によってやつれさせられ、衰えさせられるではあろうが、それが滅ぼされるのは、来臨の輝きによるしかない(IIテサ2:8 <英欽定訳>)。
今ここに完璧な教会----偶像礼拝が跡形もない教会----を切望する人がいるだろうか? あなたは、主の来臨を待たなくてはならない。そのとき、そのときになって初めて、私たちは完璧な教会を見るであろう。----しみや、しわや、そのようなものの何一つない栄光の教会(エペ5:27)----そのすべての教会員が新しく生まれた者、あらゆる者が神の子どもとなっている教会を見るであろう。
もし事がこのように起こるとするなら、私たちが人々に預言の学びを強く勧めるのも無理はないであろう。私たちが人々に、何にもましてキリストの再臨と御国という栄光ある教えを堅く握るよう命ずるのも当然であろう。これこそ、私たちが目を留めておいて損はない、「暗い所を照らすともしび」にほかならない。他の人々は、そうしたければ想像上の「未来の教会」に関する幻を勝手に思い描いているがいい。この世の子らは、あらゆることを理解し、あらゆることを正す、どこかの「来たるべき人」について夢見ているがいい。彼らは苦い失望の種を蒔いているにすぎない。彼らはやがて、自分たちの夢想が根拠のない、夢のようにうつろなものであったことに、はたと気づくであろう。このような者たちにこそ、この預言者の言葉はまさしくあてはまる。「見よ。あなたがたはみな、火をともし、燃えさしを身に帯びている。あなたがたは自分たちの火のあかりを持ち、火をつけた燃えさしを持って歩くがよい。このことはわたしの手によってあなたがたに起こり、あなたがたは、苦しみのうちに伏し倒れる」(イザ50:11)。
しかしあなたは、キリストの再臨の日をひたと見据えているがいい。その日こそ、あらゆる悪弊が除かれ、あらゆる腐敗と悲しみの源泉が除去される唯一の日である。私たちは、その日を待ち望みつつ働き続け、自分の世代に仕えていよう。何をもってしても悪を抑制することはできないかのように怠惰に構えることなく、しかし、万物がまだ私たちの主に従わせられていないのを見て落胆することもしないようにしよう。結局のところ、夜はふけて、昼が近づいているのである。私は云う。主を待ち望もうではないか。
もし事がこのように起こるとするなら、私たちが人々に、ローマ教会に向かうすべての教えに用心するよう警告するのも無理はないであろう。確かに偶像礼拝に関する神のみ思いが、みことばにおいてこれほど平易に啓示されている以上、ローマ教会ほど種々の偶像礼拝に埋没した教会に加わるなどということは、いかなる者にとっても乱酔の極みであると思われる。神が、「この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないため」、と云っているときに(黙18:4)、この女との交わりに入ること、----主が彼女から離れるよう警告しておられるときに、彼女を求めること、----主の御声が、「いのちがけで逃げなさい。必ず来る御怒りを逃れなさい」、と叫んでいるときに、彼女に臣従すること、これらはみな、まことにはなはだしい精神の盲目さである。----前もって警告されているのに沈没しつつある船に乗り込むのと同然の盲目さ、----この目で絶え間なくその実例を見てこなかったとしたら、ほとんど信じがたいほどの盲目さである。
私たちはみな用心を固めなくてはならない。何事も自明のことと思ってはならない。自分は罠にかかるほど愚かではないと決めてかかったり、ハザエルのように、「しもべは犬にすぎないのに、どうして、そんなことができましょう」*、と云ってはならない。説教をする者たちは声を大にして、腹蔵なく語り、偽りの優しさから、時代の種々の異端について沈黙を守ったりしないようにしなくてはならない。説教を聞く者たちは腰に真理の帯を締め、自分の思いに、すべての偶像礼拝者たちが迎えなくてはならない最期に関する明確な、預言に従った見方をおさめていなくてはならない。私たちはみな悟るようにしよう。この世の終焉は迫りつつあり、あらゆる偶像礼拝の消滅は急速に訪れつつある、と。今はローマに近づくべき時だろうか? むしろ、さらに後ずさりして、彼女の没落に巻き込まれないように、十分身を離しているべき時ではなかろうか? 今はローマの数多の腐敗を酌量し、云いつくろい、彼女のもろもろの罪が現実に存在することに目をつぶるべき時だろうか? むしろ私たちは、キリスト教信仰においてローマ的な傾向を有するあらゆるものには、確かに倍増しで執拗に目を光らせるべきである。----私たちの主キリストに対するいかなる反逆をも黙認しないよう、倍増しで注意を払うべきである。----そして、いかなる様式のものであれ、非聖書的な礼拝に対しては、倍増しですみやかに抗議するべきである。では私はもう一度云う。私たちはあらゆる偶像礼拝の破滅が確実であることを覚え、それを覚えつつ、ローマ教会に用心しよう。
いま私が触れている主題は、非常に深く、緊急に重要なものであって、あらゆるプロテスタントのキリスト信徒が真剣な注意を払うに値するものである。否定するも無駄なことだが、現代の英国では、教職と平信徒からなる大勢力が、英国国教会と偶像礼拝的なローマ教会を再合同させようとして地を駆けめぐっている。『アイレニコン(平和提議)』と題する、ピュージ博士の奇怪な書物の刊行、また「キリスト教国合同促進協会」の発足は、私の意味するところのあからさまな証拠であり、これは三歳の童子にすら明らかである。
このような運動が存在していることは、過去四十年にわたる英国国教会の歴史を丹念に見守ってきた者には何の驚きでもない。オックスフォード運動や儀式尊重主義に伴う傾向は、着実にローマの方向を目指している。多くの人々が正々堂々と私たちとは袂を分かち、正真正銘のローマカトリック教徒となった。しかし、それよりもさらに多くの人々はその背後に留まりながらも、私たちの教派の枠の中で名目のみの国教徒であり続けている。多くの教会に導入された半ローマ的な大仰な典礼儀式は、人々の思いを変化へと備えさせてきた。主の晩餐を過度に劇的に、また偶像礼拝的な様式で祝うやりかたは、実体変化説への道を開いてきた。非プロテスタント化への堅実な過程は、長きにわたり首尾良く働き続けてきた。あわれな老いた英国国教会は、おぼつかなく斜面に立っている。プロテスタント教会としてのその存立は、危険にさらされている。
私としては、このローマ的な運動にはひるむことなく断固として抵抗すべきであると主張する。その一部の主唱者たちの高い地位や学識や献身的熱意にもかかわらず、私はそれを最も有害な、魂を滅ぼす、非聖書的な運動であるとみなすものである。ローマとの再合同は、わが国で殉教を遂げた改革者たちへの侮辱である、と云うことなど非常に軽いことである。これはそれをはるかに越えたことである。それは罪となり、神を怒らせることとなるであろう! 偶像礼拝的なローマ教会と再合同するくらいなら、私は愛する自分の教会が滅亡し、粉々になるのを見ることを喜ぶ。もう一度ローマカトリックになるくらいなら、英国国教会は死んだ方がましである!
抽象的に云えば、一致は疑いもなくすぐれたことである。だが真理なき一致は無価値である。平和と統一は美しく、価値あることである。だが福音なき平和----共通の信仰にではなく、共通した監督制に基づく平和----は、その名に値しない、無益な平和である。ローマがトリエント公会議の教令や、《使徒信条》に対するその数々の付加を無効とするとき、----ローマがその偽りの非聖書的な数々の教理を撤回するとき、----ローマが正式に聖像礼拝、マリヤ礼拝、実体変化説と縁を切るとき、----そのとき、そのときになって初めて、ローマとの再合同を語るべき時が来るであろう。そのときまで私たちの間には、正直な人間には橋渡しのできない深淵が口を開いているのである。そのときまで私は、すべてに国教徒に向かって、ローマとの再合同などという考えには死ぬまで抵抗せよと呼びかけるものである。そのときまで、私たちの標語は、「ローマとの平和なし! 偶像礼拝者との交わりなし!」、としていよう。尊敬すべきジューエル主教は、いみじくもその『弁明』の中でこう云っている。「私たちは人々との和合や平和を拒否するものではない。だが私たちは、人々との平和を得るために、神との戦争状態を継続するつもりはない!----教皇は、もし本当に私たちが彼と和解することを願っているなら、まず最初に自分が神と和解すべきである」。この証しは真実である! 英国国教会のすべての主教たちがジューエルのようであったならば、英国国教会にとって何とよかったことか!
私はこうした事がらを悲しみとともに記している。しかし、時代の情勢からして、忌憚なく語ることが絶対に必要なのである。地平線のいずかたに目を向けても私は、深刻に懸念すべき理由を見てとらざるをえない。キリストの真の教会については、私は何の心配もしていない。しかし英国国教会について、また英国内のすべてのプロテスタント教会について、私には非常に深刻な心配を感じている。形勢は激しくプロテスタント主義にとって不利であり、ローマにとって有利であるように思える。あたかも神は、国家としての私たちを、私たちの罪のために罰そうとして、私たちと云い争っておられるかのように見える。
私は何の預言者でもない。私たちがどこへ吹き寄せられつつあるか私は知らない。しかし、いずれにせよ私たちは動きつつある。ほんの数年のうちに英国国教会がローマ教会と再合同することも、可能性としては決してありえないことではないと思う。英国の国王冠が、今一度、ローマカトリック教徒の頭に戴かれることもありえる。プロテスタント主義が正式に否定されることもありえる。ローマカトリック教徒の大主教が、今一度、ランベス宮に居を構えることもありえる。ミサが、今一度、ウェストミンスター寺院や 聖ポール大寺院で唱えられることもありえる。そしてその結果の1つは、聖書を読むキリスト者全員が英国国教会を離れるか、偶像礼拝を認めて偶像礼拝者となることを余儀なくされるであろう! 願わくは神が、決してそのような事態に立ち至ることのないようにしてくださるように! しかし、いずれにせよ私たちは動きつつあり、これはきわめて可能性のあることだと私には思われる。
さて最後に私は、これまで述べてきたことの結論として、この論考を読むすべての方々の魂に役立つ、いくつかの防護策について言及したい。私たちの生きている時代は、ローマ教会が再び力を盛り返して私たちの間を歩き回り、かつての失地をすぐに回復してみせると豪語している時代である。ありとあらゆる種類の偽りの教えが、絶え間なく私たちの前に、この上もなく油断のならない、まことしやかな形で立ち現われている。ここに、偶像礼拝に対するいくつかの実際的な防護策を提示するのも、時宜を得ないものとは思えないであろう。偶像礼拝とは、いかなるものか、どこから来るのか、どこにあるのか、何によって終わらされるのか、----これらをみな私たちは考察してきた。では、最後の最後に、私たちがいかにすればそれから無事に守られるのかを指摘させてほしい。
(1) では1つのこととして、私たちは、神のことばの徹底的な知識で自分を武装しよう。私たちは自分の聖書を、今までにまして勤勉に読み、そのあらゆる部分に親しむようにしよう。みことばを私たちのうちに豊かに住まわせよう。この聖なる一頁一頁を精読するための時間を削り、心をそらさせるようないかなるものにも用心しよう。聖書は御霊の与える剣である。----決してそれをしまい込んだりしないようにしよう。聖書は暗く曇った時のための真の角灯である。----決してその灯火なしに旅をするようなことがないように用心しよう。私は強く疑うものである。----もし私たちが、英国教会から分離してローマ教会へと転向していった、嘆かわしいほど無数の人々の隠された遍歴を知るとしたら、----私が強く疑うところ、ほとんどすべての場合において、その下り坂の道に向かった最も重大な段階の1つは、聖書をないがしろにしたことにあったとわかるのではないか、----形式や、礼典や、日々の勤行や、原始的キリスト教といったものにより多くの注意を払い、書かれた神のことばに対する注意を減じさせていったことにあるのではないか、と。聖書は王の道である。いったん私たちがそれを離れて脇道に逸れるなら、その脇道がいかに美しく、いかに古く、いかに足繁く通われたもののように見えるとしても、私たちは、自分が最後には聖画像や聖遺物を礼拝し、定期的に告解場に通うことになるとしても決して驚いてはならない。
(2) 第二のこととして私たちは、福音のいかに小さな部分をも守ろうとする敬虔な執拗さで自分を武装しよう。いかに些細なものであっても、福音の一点一画をも押し隠そうとしたり、福音の何らかの部分の影を薄くしてキリスト教信仰における二義的なものを称揚したりしようとするような試みに対して、それを是認したりしないように用心しよう。ペテロが異邦人と食事をすることから身を引いたとき、それは小さな事のように思われた。だがパウロはガラテヤ人にこう告げている。「彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました」(ガラ2:11)。私たちは、自分の魂に関わるいかなることをも小さなこととみなしたりしないようにしよう。私たちは、自分がある特定の礼拝において、だれの話を聞くか、どこへ行くか、何をするかについて、きわめて厳格に考え、他人から神経質すぎるだの几帳面もほどほどにしろだのと非難されても意に介さないことにしよう。私たちの生きている時代は、種々の小さな行為に種々の大原則がからみ合っている時代であり、五十年前には全くどうでもよかったようなキリスト教信仰上の事がらが、情勢の変化により、もはや今では決してどうでもよいことではなくなっている時代である。私たちはローマ化傾向があるようないかなるものをも、もて遊ばないように用心しよう。火遊びをするのは愚かなことである。私の信ずるところ、私たちの教会から改宗し、分離した者の多くは、ある種の外的な事がらに、今までは付随していなかったような重要性を、ほんの少しつけ足しても大した害はないと考えることから始めたのである。しかし、ひとたび下り坂の行路へ足を踏み入れたが最後、彼らは1つのことから次のことへと次々に走っていくことになった。彼らは神を怒らせ、神は彼らを放っておかれた! 彼らは惑わす力に引き渡されて、偽りを信じるようにさせられた(IIテサ2:11)。彼らは悪魔を試みたので、悪魔が彼らのところにやって来た! 彼らは、多くの者が愚かにも、取るに足りぬこと、と呼ぶところのものから始めた。彼らの終わりはまぎれもない偶像礼拝となった。
(3) 最後のこととして、私たちは、主イエス・キリストについての明確で健全な見方、およびキリストのうちにある救いについての明確で健全な見方によって自分を武装しよう。キリストは、「見えない神のかたち」である。----「神の本質の完全な現われ」である。----そして、真に知られるときには、あらゆる偶像礼拝に対する真の予防薬である。私たちは、キリストの十字架上で完成されたみわざという強固な土台に自分を深く根ざして建て上げられるようにしよう。私たちは心に堅く銘記しておこう。キリスト・イエスは、神の御前で私たちをしみのない者として立たせるため必要なことはすべて行なってくださったのであり、そのキリストのみわざの恩恵に完全にあずかるために私たちの側に求められているのは、ただ単純な、子どものような信仰のほかにないのだ、と。私たちは疑わないようにしよう。この信仰を有する限り、私たちは神の御目にとって完全に義と認められており、----たとえメトシェラのような長命に達し、使徒パウロのような行ないを積んだとしても、今以上に義と認められることは決してなく、----自分自身から出たいかなる行為や、行ないや、言葉や、業績や、断食や、祈りや、施しや、典礼への出席その他のことによっても、その完成された義認には、何1つつけ足すことが《不可能》なのだ、ということを。
何にもまして私たちは、主イエスとの人格的な交わりを絶えず保っていよう! 日々主のうちにとどまり、日々主を糧とし、日々主を見上げ、日々主により頼み、日々主によって生き、日々主の満ち満ちた豊かさから恵みを引き出そう。このことを悟っていさえすれば、他の仲保者や、他の慰め主や、他のとりなし手があるなどという考えは、全くばかげたものに思えてくるであろう。私たちは答えるであろう。「そのような必要がどこにあるのか? 私にはキリストがいる。そしてキリストにあって私はすべてを得ている。私は偶像と何の関わりがあろうか? 私はイエスを自分の心の中に有しており、聖書の中に有しており、天国で有している。それ以上私には何の必要もない!」、と。
いったん主キリストに、私たちの心の中でその正当な地位についていただいたならば、私たちがキリスト教信仰において関わり合う他の事がらはみな、たちまちその正しい場所に落ちつくことであろう。----教会も、教役者も、礼典も、典礼も、すべてが下へと落ちてきて、二義的な立場を占めることであろう。
キリストが私たちの心の王座に《祭司》かつ《王》として着座されない限り、この内なる小王国には不断の混乱が引き続くであろう。しかし、キリストにそこで「すべてのすべて」となっていただきさえすれば、すべては良い状態となるであろう。主の前にはあらゆる偶像、あらゆるダゴンが倒れ伏す。《正しく知られたキリスト、真に信じられたキリスト、心から愛されているキリストこそ、儀式尊重主義や、ローマカトリック教や、あらゆる形態の偶像礼拝に対する真の予防薬にほかならない》。
「偶像礼拝」[了]
注 記 私はこの論考を読むあらゆる方に、以下の声明の言葉遣いに注意し、それを学び、拳拳服膺していただきたいと思う。それは、「王位継承法」のもとで、英国法により、わが国のあらゆる君主が、彼の、あるいは彼女の戴冠式において、「宣言し、承諾し、聞こえるように復唱」しなくてはならないものである。忘れてはならないが、これこそ仁慈深いヴィクトリア女王陛下によって宣言され、承諾され、聞こえるように復唱された宣言にほかならない。
「われ、ヴィクトリアは、厳粛に、かつ真摯に、神の御前にて、かく信ずると告白し、証しし、宣言するものである。すなわち、主の晩餐の礼典において、パンと葡萄酒との物素が、キリストの肉体と血になるとの実体変化は、それらの聖別の時にも、その後にも、いかなる者によってそれが行なわれようとも、全く起こらない、と。また、現在ローマ教会にて用いられているがごとき、処女マリヤないし他のいかなる聖人への祈願や崇拝も、またミサによる犠牲も、迷信的なものであり、偶像礼拝的なものである、と。また、われは、厳粛に、神の御前にて告白し、証しし、宣言するものである。この声明をわれがなすは、そのいかなる部分においても、われに読み上げられた言葉の、平易にして、通常の、英国のプロテスタント教徒が普通に理解する通りの意味においてである、と。また、ここには、いかなる云い紛らわしもなく、いかなる両義性もなく、いかなる意中留保もなく、それらを目的とするいかなる特免も、いまだわれには教皇その他のいかなる権威あるいは人物からも与えられてはおらず、われにはそうした特免を、いかなる人物あるいは権威から受けようとの望みもない、と。また、われには自らが、神と人との前において、この声明の、あるいはそのいかなる部分の言葉からも免除され、放免されている、あるいは、免除され、放免されうるとのいかなる考えもなく、たとえ教皇や、他のいかなる人物ないし人物たちないし権力が特免を与えるか、上記声明を無効にするか、それが当初より効力なき無効なものであると宣言しようとも、そのような考えをいだくことはない、と」。
願わくは、英国の君主が上記の声明を宣言することをやめるような日が決して来ないように!
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*1 「パリンプセスト」とは、二度書かれた古代の羊皮紙写本を指す名前である。すなわち、比較的新しい時代の著者の作品を、古い時代の著者の作品の上に書き写した羊皮紙のことをいう。安価な紙の発明以前には、古写本に上書きすることは、まれではなかった。そのようにする目的は、もちろん出費を抑えることにあった。その不幸は、二度目に書かれたものが、しばしば元々書かれたものよりも価値が劣るものだったということである。[本文に戻る]
*2 「ラトリア」と「ドゥリア」という2つのギリシャ語は、どちらも「礼拝」あるいは「奉仕」を意味しているが、前者の方が後者よりもずっと強い言葉である。ローマカトリック教徒は、「ラトリア」の礼拝は諸聖人には捧げられてはならないと認めるが、「ドゥリア」は捧げられてもよいと主張する。[本文に戻る]
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