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序言

 ひとりの偉人の妻、特に偉大な教役者の妻としての立場は、ただ単に、まれに見る困難なものであるばかりでなく、人間性の自然な本能とは全く正反対に、自分を殺し、人目に立たないようにすることが求められるものである。人気を博する説教者であり、神に任命された牧師である人物の配偶者として、その真の助け手となろうとする婦人は、非常に大きな程度において、自分自身の個性と主張を押し隠し、夫の個性と主張の中に埋没させなくてはならない。彼女は、地上で最も愛する人が、家庭内の不平という制約を受けることなく、その厳粛な奉仕を果たしに出かけられるように、しばしば彼と離れ離れになる覚悟をしなくてはならない。彼女は、自分に可能な限りのあらゆる助けを与えなくてはならないが、人々から当然受けてよいはずの賞賛を獲得することは期待できない。彼女は、いかなるキリスト教運動の新計画を創設し、遂行しても、それが、彼女の夫の伝道活動のしかるべき一部分にすぎないとみなされることに満足しなくてはならない。また彼女は、たいていの妻が全く知ることのないような責任を、その双肩に担わなくてはならない。それは、これほど多くの義務を行ないながら果たすときには、いかに強壮で力強い男性をも圧倒しかねないような責任である。もし、「良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく」[箴18:22]ことが一般的な意味において真実であるとしたら、自分の伴侶からの励ましと助けを得られる教役者の場合、それはいかにいやまさって真実なことであろう。キリスト教会の教会員たちは、自分たちが、いかに多くを牧師の妻に負っているかほとんど知らない。そして、なけなしの賛辞を呈する時も、彼らはしばしば、牧師館の夫人も、「できる限りのことはしてきましたね」、と突き放すような云い方をする。たいていの場合、この云い回しには、もっとちゃんとやれば、その働きがより大きな、より良いものとなりえただろうに、という留保がほのめかされているのである。このように多かれ少なかれ見下したような目で、牧師夫人の働きを眺めている人々のうち、いかに多くが、彼女の名誉に帰すべき、世における善に、十分一税を納めているだろうか?

 説教者の妻という立場が何をなしえるかを、牧師館に住まう姉妹たちに対して、あるいは世間全般に対して、この上もなく素晴らしいしかたで指し示す実例として、C・H・スポルジョン夫人にまさるものはない。1903年10月22日の彼女の死によって、《教会》は、それが悟っている以上に貧しいものとされたのである。若年のうちから、めったにない困難な立場へと召されていた彼女の夫は、すでに、ほとんどいかなる者であれ「高慢になって」[Iテモ3:6]しまって不思議はないような、目もくらむほどの人気の高みにあり、このように目立った場所に突如として押し出されることは、この内気な少女にとって非常に苦しい試練であった。その後、愛する人の頭に誹謗中傷の嵐が浴びせかけられたときも彼女は、押しつぶされ、打ち砕かれて当然であったにもかかわらず、くじけずに耐え抜き、彼女の言葉と慰めによって、また、その強い愛情と敬虔と信仰とによって、彼を助け、その大風を乗り切らせたのである。彼の働きのあらゆる分野において、彼女はその心と魂を傾け、骨身を削って、種々の運動に経済的な支援を与え、ごく細かな点に至るまで、彼女の夫とともに、自分の信頼する神の忠実な管理人として行動した。これほど結婚の誓いを忠実に果たした女性はいなかった。病めるときも健やかなときも、好評を得るときも悪評を得るときも、彼女は常に彼の支えとなり、逆境や不遇にあっても、病気や虚弱にあっても、スザンナ・スポルジョンほど、神と人のために不朽の働きを行なった婦人を見つけることはいずこにおいても困難であろう。彼女の人生は、長い自己犠牲の人生であった。彼女は、自分にとって必要きわまりない力を使い尽くす義理はなかった。寝たきりの病人が安息の中に憩いを求めたとしても、だれも咎める者はいなかったであろう。だが、彼女の行なったことを、彼女は意志をもって、また、「主に従うように」[エペ5:22]行なった。彼女の人生は、ひとりの病弱な女性が、この《主人》への奉仕に献身するとき何ができるかを輝かしく示す模範である。そしてスポルジョン夫人は、単にチャールズ・ハッドン・スポルジョンの妻として、あらゆる真のキリスト者の記憶の中にいつまでもとどまり続けるばかりでなく、彼女自ら、他の人々の必要に貢献することを通して、苦しみの中に慰めを見いだした女性として、不朽の光彩を放ち続けるであろう。



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