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第2章1―12 東方の博士たち

 この博士たちがどのような人物であったかは定かでない。彼らの名前も住まいも私たちには知らされていない。ただ彼らは「東方」からやって来たというだけである。彼らがカルデヤ人であったかアラビヤ人であったかはわからない。彼らがキリストを待ち望むようになったのが、捕囚となった十部族から聞いたためか、ダニエルの預言によるものか私たちは知らない。しかし彼らの素性はさほど重要ではない。私たちにとって最も重要なのは、彼らの物語が豊かに伝えている教えの数々である。

 これらの節からまず教えられるのは、神の真のしもべは、私たちの思いもよらぬ場所にいることがあるということである。主イエスには、この博士たちのような、多くの「かくまわれる者たち」がある。彼らの地上における物語は、メルキゼデクやエテロやヨブのそれと同じくほとんど知られていない。しかし彼らの名前はいのちの書に記されており、再臨のとき彼らはキリストとともに現われるのである。これは覚えておいてよいことである。私たちは地上を見渡して、性急に「どこもかしこも不毛だ」と云ってはならない。神の恵みは場所や家柄に縛りつけられてはいない。聖霊は何の外的な手段がなくとも魂をキリストのもとへ導くことができる。人は、この博士たちのように暗黒の土地に生まれても、「救いについては賢い」者とされることができる。今この瞬間も、教会にも世にも知られずに、天国へ向かっている旅人がいる。彼らは「いばらの中のゆりの花」のように秘められた場所で栄え、「その芳香をあだに砂漠の熱気に散らしている」かに見える。しかしキリストは彼らを愛し、彼らはキリストを愛しているのである。

 これらの節から第二に学べるのは、必ずしも宗教的特権を最も享受する者らが、最もキリストに栄光を帰しているわけではないということである。私たちは、律法学者やパリサイ人こそ、救い主誕生との噂を耳にするやいなや、それがどのようにあやふやなものであっても、真っ先にベツレヘムへ駆けつけたはずだと思うかもしれない。しかし、そうではなかった。ルカが言及している羊飼いらをのぞけば、救い主の誕生を最初に喜んだのは遠国から来た無名の外国人らであった。「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」(ヨハ1:11)。これは何と悲しむべき人間性の姿であろう。何としばしば同じようなことが私たちの間でも見られることであろう。何としばしば恵みの手段[教会、聖書、祈り]に最も身近な者たちが、それを最もないがしろにすることであろう。「教会に近づけば近づくほど神から遠ざかる」という古い格言は、あまりにも正鵠を射ている。聖なる物事に慣れ親しむとき、人はそれらをさげすむようになるという恐るべき傾向がある。住居の近さや便利さから云って、誰よりも熱心に神を礼拝すべきなのに、常に誰よりも不熱心な多くの人々がいる。誰よりも劣ってしかるべきなのに、常に誰よりもまさっている多くの人々がいる。

 これらの節から第三に学べるのは、頭の聖書知識は豊かでも、心には何の恵みもないことがありうるということである。ここでヘロデ王は祭司や長老に使者を遣わし、「キリストが生まれるのはどこか」と尋ねさせている。そして彼らは、あっという間に答えをはじき出して、聖書の文言に対する正確な知識のほどを示している。しかし彼らは決してベツレヘムへ行って、来たるべき救い主を尋ね求めようとはしなかった。彼らは、彼が彼らの間で活動されたとき彼を信じようとしなかった。彼らの心は、彼らの頭よりも劣っていた。私たちは、頭だけの知識に満足して安住してしまわぬよう警戒しようではないか。知識は、正しく用いられるならば素晴らしいものである。しかし、あふれるほどの知識を持ちながら、永遠の滅びに落ちることもありうる。私たちの心はどのような状態にあるか。これが最も重要な問いである。ほんの少しの恵みの方が多くの賜物にまさっている。人は賜物だけでは救われない。しかし恵みは人を栄光に導くのである。

 ここから第四に学べるのは、素晴らしい霊的勤勉さの模範である。この博士たちにとって、自分の家を離れ、イエスがお生まれになった家へ旅することは、どれほどの困難をしいたであろう。どれほど心倦む道のりを踏み越えなくてはならなかったであろう。東方の旅人が味わう疲労は、私たち英国に住む者の想像もつかないほど大きい。その旅に要した日数は途方もなく多かったに違いない。道中の危険は少なくも小さくもなかったに違いない。しかし彼らは決してひるまなかった。彼らは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」に拝謁することだけを考えていた。そして彼を目にするまで決して休まなかった。彼らは「意志あれば道あり」という古い格言の正しさを証明してくれている。

 信仰を告白するキリスト者がみな、この善良な博士らにならおうという思いをもっと持てばよいと思う。私たちは克己しているか。教会に通い、聖書を読み、祈るために、どれだけ苦労しているか。キリストに従うことにどれだけ勤勉か。信仰のためどれだけ犠牲を払っているか。これらは重大な問いである。沈思黙考に値する問いである。残念だが真に「賢い」者はごく少ないのではないか。

 ここから最後に学べるのは、驚くべき信仰の模範である。この博士たちは、見もしないうちからキリストを信じていた。それだけではない。彼らは、律法学者やパリサイ人が信じないときも信じた。しかし、それがすべてでもない。彼らは、キリストがマリヤのひざの上の赤子でしかないのを見たときでさえ彼を信じた。そして彼を王として礼拝した。これこそ彼らの信仰の絶頂であった。彼らはキリストの奇蹟を見て確信したわけではなかった。キリストの説き明かす教えを聞いて得心したわけではなかった。人を畏怖させる神性のあかしや偉大さを何1つ目にしてはいなかった。彼らが見たのは、無力で、かよわい、生まれたばかりの幼子でしかなかった。母親の世話がなければ何もできない、何のへんてつもない赤子でしかなかった。にもかかわらず、その幼子を見たとき彼らは、世を救う神聖な救い主を見ていると信じた! 彼らは「ひれ伏して拝んだ」。

 聖書全巻を通じて、これほど大きな信仰を見ることはできない。これは、あの十字架上で悔い改めた盗人の信仰に匹敵する信仰である。あの盗人は、極悪人と同じ刑を受けて死のうとしている男を見て、その男に祈りを捧げ「彼を主と呼んだ」。この博士たちは、貧しい母親の膝の上の乳児を見て、なおかつ彼を礼拝し、キリストと告白した。このような信仰を持つ人はまことに幸いである!

 こうした信仰こそ、神がほまれをお与えになる信仰である。その証拠は今日も目にすることができる。聖書の読まれる所ならどこでも、この博士らの行ないは知られており、その記念となっている。私たちも、彼らの信仰の歩みにならおうではないか。周囲がみな、むとんちゃくで不信仰な生き方を続けていても、私たちはキリストを信じ、キリストを告白して恥じないようにしよう。今の私たちには、イエスがキリストであるという証拠が、あの博士たちの何千倍もあるはずではないか。では私たちの信仰はどこにあるのか。


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第2章13―23 エジプト逃亡とナザレでの生活

 ここで私たちは、世の支配者はキリスト教に対して滅多に好意的でないことに注目しよう。主イエスが罪人を救うために天から下られるやいなや、ヘロデ王が彼を「捜し出して殺そうとしている」と語られるのである。

 権力と富は魂にとって危険な持ち物である。それをほしがる人は自分が何を求めているかわかっていない。それは人を多くの誘惑に陥れる。しばしば心を高慢で満たし、地上の物に執着させる。「あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の……権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません」。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう」(Iコリ1:26、マコ10:23)。

 私たちは富者や権力者をうらやんでいるだろうか? 「ああ、あんな地位や身分や財産があれば」、と時々思わないだろうか。このような感情に身をゆだねないよう警戒しよう。私たちのあがめる富そのものが、持ち主をしだいに地獄へ引きずりこみかねない。今よりほんの少し金持ちになっただけで、私たちは破滅するかもしれない。ヘロデのように極悪非道な人間になるかもしれない。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい」。「いま持っているもので満足しなさい」(ルカ12:15、ヘブ13:5)。

 キリスト教が君主たちの権力と保護に依存していると思っていたら間違いである。ほとんどの君主たちは、真の信仰の伸展のためには大したことをしたことがない。むしろはるかに真理の敵となることの方が多かった。「君主たちにたよってはならない」(詩146:3)。ヘロデのごとき者は多いが、ヨシヤや英国のエドワード6世のごとき者はほとんどいない。

 さらに私たちは、幼児期からさえ主イエスがいかに「悲しみの人」であったかに注目しよう。世に生まれ出るや、困難が待ち構えている。ヘロデの憎しみから命が危険にさらされる。母とヨセフは夜の間に彼を連れて「エジプトへ逃げ」ていかなくてはならない。これは彼が地上でなめる経験すべての予型であり象徴にすぎなかった。ほんの乳児のうちから、彼には屈辱の波が打ち寄せはじめたのである。

 主イエスこそは、苦しみと悲しみに沈む人々に必要な救い主である。彼は、私たちが祈りの中で訴える困難がどのようなものかよく知っておられる。私たちが残酷な迫害のもとで叫ぶとき、私たちに同情することがおできになる。私たちは、彼には何も包み隠さず打ち明けよう。彼を心の親友としよう。御前に心を注ぎ出そう。彼は大きな患難を経てこられた方なのである。

 さらに私たちは、死は世の王たちをも庶民と同じく取り去ることに注目しよう。万民を治める君主も、いざ死の際に来れば、いのちを引き留めることはできない。いたいけな幼児の殺害者ヘロデも、やはり死ななくてはならない。ヨセフとマリヤは「ヘロデが死んだ」と聞き、すぐに無事故国へ帰った。

 真のキリスト者は、決して人間の迫害にひどく動揺すべきではない。敵は強大で、自分は非力かもしれない。だが、それでも恐れてはならない。「悪者の喜びは短」いことを思い出すべきである(ヨブ20:5)。神の民を一時は猛烈に迫害したパロやネロやデオクレティアヌスはどうなったか。フランスのシャルル九世や、英国の流血女王メアリーの敵意は今どこにあるのか。彼らは渾身の力で真理を叩きつぶそうとした。しかし真理は再び立ち上がり、今なおいのちを保っている。当の彼らは死んで墓の中で朽ち果てている。信者はいかなるときも意気阻喪しないようにしよう。死は無敵の土地ならしである。キリストの教会の前にたちはだかるいかなる山も取り除くことができる。「主は生きておられる」。とこしえに生きておられる。主の敵どもはただの人間にすぎない。真理は常に勝つ。

 最後に、神の御子が地上で住まわれた場所が何というへりくだりを教えているかに注目しよう。彼は、両親とともに「ナザレという町に」住んだ。

 ナザレはガリラヤ地方の小さな町であった。一度も旧約聖書に出てこない、ひなびた、辺鄙な町であった。ヘブロンやギブオン、ラマ、ベテルの方がはるかに重要な場所であった。しかし主イエスはこれらの町に目もくれず、ナザレを選ばれた。これがへりくだりである!

 ナザレで主イエスは30年間暮らされた。そこで赤子から幼児となり、幼児から少年となり、少年から青年となり、青年から成人となられた。この30年間がどのように費やされたかはほとんどわからない。彼が「両親に仕えられた」とは、はっきり記されている(ルカ2:41)。大工の仕事場でヨセフと働かれたことも、まず間違いない。しかしそれ以外で私たちにわかるのは、世の救い主は、地上におられた期間のほぼ6分の5を、世の貧民の間に完全に埋もれて過ごされたということだけである。実に、これこそへりくだりである!

 この救い主の模範から知恵を学ぼうではないか。概して私たちは、あまりにもこの世で「自分のために大きなことを求め」がちである。求めないようにしようではないか(エレ45:5)。身分や名誉や地位は、人の思うほど重要なものではない。貪欲、世俗化、高慢は大きな罪である。しかし貧乏は罪ではない。自分の財産や住居は、神の御前ではたいした問題でない。死後私たちはどこへ行くのか? 永遠に天国で生きられるのか? これこそ私たちが気を配るべき第一のことである。

 何よりも私たちは、日々この救い主のへりくだりをまねるようにしよう。高慢は最も古くからある、最も世にはびこっている罪である。へりくだりは最も見ることまれな、最も麗しい美徳である。私たちは、へりくだりを求めて努力しよう。へりくだりを求めて祈ろう。私たちの知識は少なく、信仰は弱く、力は足りないかもしれない。しかし「ナザレという町に行って住んだ」お方の弟子である以上、少なくとも、へりくだっていようではないか。

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