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第39通

世のはかなさ

奥様、

 これは何と貧しく、不確かで、死に行く世界でしょう! この世そのものが何という荒野でありましょう! イエスの福音と知識の光がなければ、いかに暗黒で、いかにわびしい場所でありましょう! むろん生まれながらの状態にあるときの私たちには、そうとは思えません。そのとき私たちは魔術をかけられており、魔法のランタンの見せる素晴らしい幻で目をくらまされているからです。

かくて砂漠の寂しき荒野に
魔力のたちまち現われ出だすは
  古き草子の語るがごとき
天射す城郭、緑の果樹園、甘き楽の音。
道行く旅人 目を欺かれ
  しばしの間その歩をとどむる。
されども凝視めるその目の前で
解けいく魔法、消え去る幻。
  そは魔術の版図に他ならず。
かくて、主われらが魂にふれなば
世は、その大なる約束ありとも
  荒れし野なるを明らかにせん。

 おりよく真実に目を開かされるのは大きなあわれみです。確かに私たちの陽気な夢は終わりを告げ、目覚めてみれば何もかもがいとわしく、幻滅させられるでしょうが、私たちは荒野を貫く一本の王道を目にし、私たちを案内してくれる力強い護衛者、過つことのない導き手がともにいてくれることに気づくのです。そして私たちは、その荒野を越えたところに、はるかに美しい国があることを悟り、そこで安らぎと休息を得られると知るのです。だとしたら、道の途中で出会う困難など何だというのでしょう? やがてそうしたものの記憶は、私たちの救い主にして導き手なるお方の愛と配慮と力をいやまさって感じさせるものとしてしか残りますまい。おゝ、そのとき私たちはどれほど彼を賞賛し、あがめ、たたえることでしょう! そのとき彼はわざわざ私たちの前で、私たちに対する彼のおとりはからいのすべてがいかに一貫して美しく、時にかない、調和したものであったかを明らかにしてくださり、私たちの巡礼の旅路のあらゆる道のり、あらゆる曲がり角についてはっきりと思い起こさせてくださるのです。

 それまでの間、私たちが自分の信仰告白を飾り、魂のうちにある平安を楽しむ最上の方法は、単純に彼に信頼し、自分と自分のすべてとを、彼のお取り扱いに絶対的にゆだねることです。私たちの重荷を彼に投げかけることによって、私たちの霊は軽やかにされ、朗らかにされます。私たちの思いを憂うつにする、一千もの不安や恐れまどいから解放されます。そうしたものは、事の成りゆきということからすれば、不必要なもの、否、無益なものですらあるのです。しかし、こうした信頼は、語るのは簡単かもしれませんし、分別にとっても完璧に正しく理にかなったものと思われますが、実践に移すのは一大事業です。特に難しいのは、時たま思い出したように主に信頼するのでも、今日ゆだねたかと思うと明日は前言撤回するのでもなく、おゆだねすると決めたらその決意を守り通し、四囲の状況がどのように変化しようと、主の愛と目的と約束は変わらないことを覚えて、頼り抜くことです。ことによると、多少の気おくれはだれしも免れえないかもしれません。しかし私の信ずるところ、いついかなるときも大いに主を頼ることのできる力や、みつばさのかげで穏やかに生きることのできる力は、熱心に祈りつつ求める者なら必ず得られると約束されています。即座に自分のものにできなくとも、それは次第次第に増し加えていけます。願わくは奥様も私も、身をもってそれを知ることができますように!

敬具

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