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3. 聖書が神のことばであるという外的証拠。教会の証言。

 神は、異教徒たちには被造物による啓示しかお与えにならなかった。何の確かな説明もなく、御手のわざのうちにご自分を示すだけで、その不信仰の責任を問うておられる。同じように神は、私たちにも、みことばによる啓示を与えるだけですますこともおできになったはずである。しかし神はそうなさらなかった。みことばに強力な外的証拠をそえて、これをさらに確かなものとしてくださったのである。したがって私たちには何の弁解の余地もない。

 教会の証言そのものが、キリスト教の真実を証しする反論しえない議論である。といっても、何か特別な階級の人のことばが無謬であるというわけではない。単に無数の人々が、妄想だの欺瞞など入り込む余地もないような状況で、一致した証言をしているというだけである。例として、ある特定のキリスト教会の一派をとりあげよう。たとえばルーテル派である。ヨーロッパとアメリカに多数の信者をかかえるこの教派は、どんなところでも同じ翻訳の聖書を使い、同じ信仰告白をかかげている。この教派の証言によれば、組織としてのこの教派を創始したのはルターである。彼らの聖書を翻訳したのも、アウグスブルグ信仰告白の起草に承認を与えたのもルターである。さてこれらの文書が、今世紀中に捏造されて、世界中のルーテル派の間で普及したなどということは明らかにありえない。全世界のルーテル派が、これらの文書は今ある通りの形で父祖たちから受け継いだものだと証言している。この点に関して妄想や欺瞞があると考えることはできない。18世紀も、ルーテル派にはほぼ現在と変わらない人数がいた。そしてその当時もこの教派は、今と同じ証言をしていた。彼らは口をそろえて、自分たちの父祖たちも、自分たちと同じ信仰信条を持っていたと宣言していた。こうした証言は17世紀にも16世紀にも繰り返され、ついにはルターの時代にまで至るのである。この証言は、それ自体動かしがたいものであるが、それに加え、あらゆる種類の証拠によって確証される。文体から教理から歴史的背景に至るまで、ルーテル教会の信仰信条は、ことごとくそれが生み出されたとされる時代に符合している。また、この間の歴史には、そうした教理を信じていた1つの集団が及ぼしたさまざまな影響の跡がしるされている。その間の戦争、条約、文学、もろもろの宗教団体は、多かれ少なかれこの集団の影響をこうむっている。したがって、どれほどルターの性格や、彼のとった行動の賢明さや、教理の正しさに異をとなえる人であっても、正気の人間の中で、いまだかつてルターが生きていたこと、彼が聖書を翻訳したこと、新しい教会を組織したこと、従う者たちにアウグスブルグ信仰告白を与えたことを疑った者はいない。

 同じようなことはみな、英国国教会についても云える。この広範な勢力をもつ強力な組織には、その39箇条の信仰信条があり、典礼があり、説教集がある。国教会は、これらを英国の宗教改革者たちから受け継いだと証言する。この証言を疑うことはできない。国教会は、その全歴史を通し、この点に関しては人をあざむいたり、あざむかれたりすることがなかった。さらにこの証言は、あらゆる状況証拠によって確証される。その典礼も信条も説教集も、ごく些細な点に至るまで、それらが生み出されたとされる時代や状況に合致している。またその間の英国史は、ことごとくこの教会の歴史とわかちがたく織り合わされている。その結果、英国の宗教改革者たちがかつて生きていたこと、また彼らが現在あまねく彼らの作と認められている教理と礼拝の基準をつくりあげたことはだれしも疑わないのである。

 この議論はキリスト教会全体にも全くそのままあてはまる。キリスト教会は現在世界中に存在し、信徒の数は何千何百万を数える。いかなる土地の教会も、同じ信仰の記録を持っている。いかなる土地の教会も、組織された集団として聖職者と礼典を持っている。そしていかなる土地の教会も、これらの記録と規定をキリストとその使徒たちから受けたと証言している。さてこの巨大な集団が今世紀中に出現したのでないことは、世界が造られたばかりでないのと同様に明白である。またそれが誕生したのが18世紀や17世紀や16世紀ではなく、紀元1世紀以外のいかなる時代でもありえないことも明白である。紀元1世紀以後のあらゆる世紀において、何千何百万もの人々、何万何千もの教会や教役者たちが口をそろえて証ししているのは、教会の聖なる書物と定めは、彼らがその先達たちから受け継いできたものだという事実である。そしてこの証言をたどっていくと、キリストご自身へと至る。もしも教会の起源が今まで認められてきた歴史以前にさかのぼるようなことがあるならば、またもしこれまで創始者とされてきた人物と本当の創始者との間に空白があるようなことがあるならば、これまでの議論は崩壊する。肝心かなめの部分が欠け落ちているなら、いくら途切れることなく続いてきた連環も無に帰すのである。しかし事実はそうではない。教会の発祥についての歴史的事実を証言する声は、英国国教会の信仰箇条や典礼の発祥に関する証言と同じくらい強力である。キリスト教会の歴史は、キリストの時代までさかのぼる。それを示す大量の証拠がある。キリストが生きておられたこと、その弟子たちから教会が聖書を授かったことを否定するのは、疑う理由もない何百何千万もの人々の証言を拒否することになるばかりか、それ以後の世界史を、また現在の世界の状態を説明するため不可欠な事実を否定するにひとしい。それは、木の葉は信ずるが、枝や幹は信じないというようなものである。

 教会のこの証言は、キリスト教の土台をなす事実について証しするものであるが、やはりあらゆる種類の不随的証拠によって確証されている。新約聖書の書かれた言語は、まさしくその起源とされた時代と土地に属している。それはギリシャ語を話すユダヤ人の言葉であり、ささいな特徴に至るまで、他のどのような時代にも民族にもあてはまらない。また新約聖書中のそれとない歴史的言及も、あらゆる点で当時の世界のようすと一致している。キリスト降誕以後の世界史は、新約聖書に記録されている事実を抜きにしては説明がつかない。ユダヤの下層民数人の説いた宗教が、世界の大部分の状態を塗りかえたことは疑いえない事実である。ギリシャ・ローマ・東方の神々を奉ずる異教主義は姿を消し、新しい宗教が世にもたらされた。法、道徳、良き社会制度や礼儀作法が世に行き渡るようになった。そしてこれらはみな、教会の証しするもろもろの事実に基づいているのである。

 何よりも聖書のうちには、神のことばと云われるにふさわしい性質がある。その性質なくして、なぜ聖書があれほどの変革をなしとげたかを十分説明することはできない。神が、「光よ。あれ」、と仰せられたとき、光はできた。そしてイエス・キリストが、「わたしは、世の光です」、と云われたとき、光は輝いたのである。それが光であることを疑うことはできない。それがいつ輝き出したかを疑うこともできない。それ以前はすべてが暗黒だったからである。

 このように、内的証拠によっても外的証拠によっても確証された教会のこの証言は、キリストがかつて生を送り、死を経験し、キリスト教会を創設したという事実、またその直弟子たちが教会に新約聖書を授けたという事実をはっきり証明している。しかしそれが事実であるなら、福音の真理は神からの啓示ということになる。キリストとその使徒たちがわざわざ人をだましたとでも仮定しない限り、そう考えざるをえない。そしてキリストと使徒たちが人をだましたなどということは到底ありえないことである。そのことについては、太陽の存在を示す証拠にも負けないほど動かしがたい証拠がある。太陽などないと云い張れるのは、ただ盲人だけであろう。同じように、新約聖書の道徳的な気高さ、その著者たちの知的健全さを示す証拠を否定できるのは、霊的な盲人たちだけである。聖書の著者たちが信頼できる人々であり、真実を語っていたと信じざるをえない以上、彼らは、自ら述べているような奇跡を行なう力を実際に持っており、実際に奇跡を行なっていたのである。キリストとその使徒たちは、自分たちが神からの使者である決定的な証拠として、こうした奇蹟の力に訴えた。彼らの誠実さを疑うのでない限り、その証言を拒否することはできない。



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