HOME | TOP

清教徒の教理問答

(引照聖句付き)

--C・H・スポルジョン編--

----

1864年刊行

-----


序言

 私の確信するところ、すぐれた《教理問答》が私たちの全家庭で用いられるとしたら、それは、この時代に増大しつつある誤謬に対する大きな防衛手段となるであろう。それゆえ私は、『ウェストミンスター小教理問答』と『バプテスト教理問答』をもとに、この小さな手引きを編集し、私たちの教会および会衆の利用に供させようとするものである。これを自分の家庭あるいは学級で用いる人は、その意味を説明しようと苦心せざるをえないであろう。だが、この言葉は注意深く暗記されるべきである。というのも、それらは年数が経つに連れて、より良く理解されるであろうからである。

 願わくは主が、愛する方々とその家庭を、永遠に祝福してくださるように。かく祈る、愛する牧師、

   C・H・スポルジョン

「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい」。――IIテモ2:15

-----


-----

問1 人のおもな目的は、何ですか。
 人のおもな目的は、神の栄光をあらわし(Iコリ10:31)、永遠に神を喜ぶ(詩73:25-26)ことです。

問2 神は、私たちに神の栄光をあらわすため、どんな基準を授けていてくださいますか。
 旧新約聖書にある神のことば(エペ2:20; IIテモ3:16)だけが、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教える、ただ1つの基準です(Iヨハ1:3)。

問3 聖書は、おもに何を教えていますか。
 聖書がおもに教えていることは、人が神について何を信じなければならないか、また神は人にどんな義務を求めておられるか、ということです(IIテモ1:13; 伝12:13)。

問4 神とは、どんなかたですか。
 神は霊であられ(ヨハ4:24)、その存在(出3:14)、知恵、力(詩147:5)、聖(黙4:8)、義、善、真実(出34:6, 7)において、無限(ヨブ11:7)、永遠(詩90:2; Iテモ1:17)、不変(ヤコ1:17)のかたです。

問5 ひとりより多くの神々がいますか。
 ただひとりしかおられません(申6:4)。生きた、まことの神です(エレ10:10)。

問6 その神には、いくつの位格がありますか。
 神には、3つの位格があります。御父と、御子と、聖霊です。この三位は、本質が同じで力と栄光において等しい、ひとりの神です(Iヨハ5:7; マタ28:19)。

問7 神の聖定とは、何ですか。
 神の聖定とは、神のみこころのご計画による永遠の目的です。これによって神は、ご自身の栄光のために、すべての出来事をあらかじめ定めておられるのです(エペ1:11-12)。

問8 神はその聖定を、どのように実行されますか。
 神が聖定を実行されるのは、創造(黙4:11)と摂理(ダニ4:35)のみわざにおいてです。

問9 創造のみわざとは、何ですか。
 創造のみわざとは、神がすべてのものを(創1:1)無から、力あるみことばにより(ヘブ11:3)、普通に続く六日間にわたって(出20:11)すべて非常によく造られたことです(創1:31)。

問10 神は人を、どのように創造されましたか。
 神は人を、男と女とに、知識と義と聖において(コロ3:10; エペ4:24)ご自身のかたちにしたがって創造し(創1:27)、被造物の支配を託されました(創1:28)。

問11 神の摂理のみわざとは、何ですか。
 神の摂理のみわざとは、神が、最もきよく(詩145:17)、賢く(イザ28:29)、力強く(ヘブ1:3)、すべての被造物とそのあらゆる動きを保ち、治めておられることです(詩103:19; マタ10:29)。

問12 神は、創造された状態の人に、どのような特別の摂理の行為をとられましたか。
 人を創造された時、神は人に、完全な服従を条件としていのちを契約されました(ガラ3:12)。しかし、善悪を知る木の実を食べることは、死を刑罰として禁じられました(創2:17)。

問13 私たちの最初の先祖たちは、創造された状態で続きましたか。
 自分の意志の自由にまかされていた私たちの最初の先祖たちは、禁じられていた木の実を食べて(創3:6-8)神に罪を犯すことによって(伝7:29)、創造された状態から堕落しました。

問14 罪とは、何ですか。
 罪とは、神の律法への一致に少しでも欠けること、あるいは、神の律法にそむくことです(Iヨハ3:4)。

問15 アダムの最初の違反で、全人類が堕落したのですか。
 あの契約がアダムと結ばれたのは、彼自身のためだけでなく、子孫のためでもありました。それで、普通の生まれかたでアダムから出る全人類は、彼の最初の違反において、彼にあって罪を犯し、彼とともに堕落したのです(Iコリ15:22; ロマ5:12)。

問16 堕落は、人類をどんな状態に落としましたか。
 堕落は人類を、罪と悲惨の状態に落としました(ロマ5:18)。

問17 人が堕落した状態の罪性は、どの点にありますか。
 人が堕落した状態の罪性は、次の点にあります。すなわち、アダムの最初の罪のとがを負っていること(ロマ5:19)、原義を失っていること(ロマ3:10)、人の性質全体の腐敗つまりいわゆる原罪があること(エペ2:1; 詩51:5)、また、これによって生じるあらゆる実際の罪(マタ15:19)です。

問18 人が堕落した状態の悲惨とは、何ですか。
 全人類は、堕落によって神との交わりを失いました(創3:8、24)。今は神の怒りとのろいの下にあり(エペ2:3; ガラ3:10)、そのため、この世であらゆる悲惨と死そのものと永遠の地獄の刑罰との責めを負わされています(ロマ6:23; マタ25:41)。

問19 神は全人類を、罪と悲惨の状態のうちに滅びるままにされましたか。
 神は、そのみこころによって、永遠の昔から、ある人々を永遠のいのちに選んでおられたので(IIテサ2:13)、恵みの契約を結ばれました。それは、ひとりのあがない主によって、彼らを罪と悲惨の状態から救い出し、救いの状態に入れるためです(ロマ5:21)。

問20 神によって選ばれた人々のあがない主とは、どなたですか。
 神によって選ばれた人々の唯一のあがない主は、主イエス・キリストです(Iテモ2:5)。この方は、神の永遠の御子でありつつ人となられました(ヨハ1:14)。それで、当時も今もいつまでも、2つの区別された性質、1つの人格をもつ、神また人であり続けておられます(Iテモ3:16; コロ2:9)。

問21 キリストは、神の御子でありつつ、どのように人になられたのですか。
 神の子キリストが人になられたのは、聖霊の力によって処女マリヤに宿り、彼女から生まれながらも(ルカ1:31、35)、罪はないというしかたで(ヘブ7:26)、真実のからだ(ヘブ2:14)と通常の魂(マタ26:38; ヘブ4:15)をおとりになることによってでした。

問22 キリストは、私たちのあがない主として、どのような職務を果たされますか。
 キリストは、私たちのあがない主として、預言者(使3:22)、祭司(ヘブ5:6)、王(詩2:6)の職務を、その謙卑と高挙とのどちらの状態においても果たされます。

問23 キリストは、どのようにして預言者の職務を果たされますか。
 キリストが預言者の職務を果たされるのは、ご自身のみことば(ヨハ20:31)と御霊(ヨハ14:26)によって、私たちの救いのために神のみこころを私たちに啓示してくださる(ヨハ1:18)ことにおいてです。

問24 キリストは、どのようにして祭司の職務を果たされますか。
 キリストが祭司の職務を果たされるのは、神の正義を満足させて私たちを神に和解させるために(ヘブ2:17)、ご自身をいけにえとしてただ一度ささげられたこと(ヘブ9:28)、また私たちのために絶えずとりなし続けてくださること(ヘブ7:25)においてです。

問25 キリストは、どのようにして王の職務を果たされますか。
 キリストが王の職務を果たされるのは、私たちをご自身に従わせ(詩110:3)、治め、守ってくださる(マタ2:6; Iコリ15:25)こと、またご自身と私たちとのあらゆる敵を抑えて征服してくださることにおいてです。

問26 キリストの謙卑は、どの点にありましたか。
 キリストの謙卑は、次の点にありました。キリストがお生まれになったこと、それも低い状態であられたこと(ルカ2:7)、律法のもとに置かれたこと(ガラ4:4)、この世の悲惨(イザ53:3)と神の怒り(マタ27:46)と十字架ののろいの死(ピリ2:8)とを忍ばれたこと、葬られたこと、しばらく死の力のもとに留まられたこと(マタ12:40)です。

問27 キリストの高挙は、どの点にありますか。
 キリストの高挙は、次の点にあります。キリストが三日目に死人の中からよみがえられたこと(Iコリ15:4)、天に昇られたこと、父なる神の右に座しておられること(マコ16:19)、終わりの日に世をさばくために来られること(使17:31)です。

問28 私たちはどのようにして、キリストが手に入れたあがないにあずかる者とされるのですか。
 キリストの手に入れたあがないに、私たちがあずかる者とされるのは、キリストの聖霊が(テト3:5-6)それを私たちに有効に当てはめてくださる(ヨハ1:12)ことによってです。

問29 御霊は、キリストが手に入れたあがないを、どのようにして私たちに当てはめてくださるのですか。
 御霊が、キリストの手に入れたあがないを私たちに当てはめてくださるのは、私たちの中に信仰を働かせ(エペ2:8)、それによって私たちを有効召命においてキリストに結びつける(エペ3:17)ことによってです。

問30 有効召命とは、何ですか。
 有効召命とは、神の御霊のみわざです(IIテモ1:9)。これによって御霊は、私たちに自分の罪と悲惨を自覚させ(使2:37)、私たちの心をキリストを知る知識に明るくし(使26:18)、私たちの意志を新しくする(エゼ36:26)というしかたで、福音において価なく提供されているイエス・キリストを私たちが受け入れるように説得し、受け入れさせてくださるのです(ヨハ6:44-45)。

問31 有効召命を受けた者は、この世でどんな祝福にあずかりますか。
 有効召命を受けた者は、この世で、義認(ロマ8:30)、子とされること(エペ1:5)、聖化、そして、この世でそれらに伴うか、それらから流れ出るいくつもの祝福にあずかります(Iコリ1:30)。

問32 義認とは、何ですか。
 義認とは、神が価なしに行なう恵みの行為です。それによって神は、私たちのすべての罪をゆるし(ロマ3:24; エペ1:7)、私たちを御前に正しいと受け入れてくださいます(IIコリ5:21)。それはただ、私たちに転嫁され(ロマ5:19)信仰によってだけ受けとるキリストの義のゆえです(ガラ2:16; ピリ3:9)。

問33 子とされることとは、何ですか。
 子とされることは、神が価なしに行なう恵みの行為です(Iヨハ3:1)。それによって私たちは、神の子らの数に入れられ、神の子らのあらゆる特権にあずかる権利を持つのです(ヨハ1:12; ロマ8:17)。

問34 聖化とは、何ですか。
 聖化とは、神の御霊のみわざです(IIテサ2:13)。それによって私たちは、神のかたちにしたがって全人が新たにされ(エペ4:24)、ますます罪に死に、義に生きることができるものとされるのです(ロマ6:11)。

問35 この世で、義認、子とされること、聖化に伴うか、それらから流れ出る祝福とは、何ですか。
 この世で、義認などに伴うか、それらから流れ出る祝福とは、神の愛の確信、良心の平和(ロマ5:1、2、5)、聖霊における喜び(ロマ14:17)、恵みの増加、終わりまで恵みのうちに堅く保たれることです(箴4:18; Iヨハ5:13; Iペテ1:5)。

問36 信者は、その死の時、キリストからどんな祝福を受けますか。
 信者の魂は、死の時、全くきよくされ(ヘブ12:23)、ただちに栄光にはいります(ピリ1:23; IIコリ5:8; ルカ23:43)。信者のからだは、なおもキリストに結びつけられたまま(Iテサ4:14)復活まで(ヨブ19:26)墓の中で休みます(イザ57:2)。

問37 信者は、復活の時、キリストからどんな祝福を受けますか。
 信者は、復活の時、栄光あるものによみがえらされ(Iコリ15:43)、審判の日に、公に受け入れられ、無罪と宣告され(マタ10:32)、永遠に(Iテサ4:17)全く神を喜ぶことにおいて、魂もからだもともに完全に祝福された状態にされます(Iヨハ3:2)

問38 悪人は、その死の時、どうなりますか。
 悪人の魂は、死の時、地獄の苦痛に投げ入れられ(ルカ16:22-24)、悪人のからだは、復活と大いなる審判の日まで墓の中に横たわっています(詩49:14)。

問39 悪人は、審判の日にどうなりますか。
 悪人のからだは、審判の日に、その墓からよみがえらされ、その魂とともに、悪魔とその使いたちと同じく永遠に恐るべき苦痛を受けることを宣告されます(ダニ12:2; ヨハ5:28-29; IIテサ1:9; マタ25:41)。

問40 神は、人の服従の基準として、何を啓示されましたか。
 神が人の服従のために最初に啓示された基準は、道徳律法であり(申10:4; マタ19:17)、十戒の中に要約されています。

問41 十戒の要約は何ですか。
 十戒の要約は、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、私たちの神である主を愛すること、また私たちの隣人を私たち自身のように愛することです(マタ22:37-40)。

問42 第一戒は何ですか。
 第一戒はこれです。「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」。

問43 第一戒では、何が求められていますか。
 第一戒が私たちに求めていることは、神を唯一のまことの神、また私たちの神(申26:17)として知り(I歴28:9)、認めること、またそれにふさわしく神を礼拝し、神の栄光をあらわすことです(マタ4:10)。

問44 第二戒は何ですか。
 第二戒はこれです。「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」。

問45 第二戒では、何が求められていますか。
 第二戒が求めていることは、神がみことばのうちに定めたとおりの宗教的礼拝と規定のすべてを受け入れ、守り(申32:46; マタ28:20)、純粋で完全に保つことです(申12:32)。

問46 第二戒では、何が禁じられていますか。
 第二戒が禁じていることは、像による神礼拝(申4:15-16)、または神のみことばに定められていないあらゆる他の方法による神礼拝です(コロ2:18)。

問47 第三戒は何ですか。
 第三戒はこれです。「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない」。

問48 第三戒では、何が求められていますか。
 第三戒が求めていることは、神の御名(詩29:2)、称号、属性(黙15:3-4)、規定(伝5:1)、みことば(詩138:2)、みわざ(ヨブ36:24; 申28:58-59)を、きよく敬虔に用いることです

問49 第四戒は何ですか。
 第四戒はこれです。「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された」。

問50 第四戒では、何が求められていますか。
 第四戒が求めていることは、神がみことばにおいて、七日のうち丸一日をご自身のための聖なる安息日にするとはっきり定められたとおりに、一定の時を神に対してきよく守ることです(レビ19:30; 申5:12)。

問51 安息日は、どのように聖別すべきですか。
 安息日は、次のようにして聖別すべきです。その日は一日をきよく休むこと。他の日なら正当なこの世の務めや娯楽さえもやめること(レビ23:3)。すべての時間を公私の神礼拝を行なうのに費やすこと(詩92:1-2; イザ58:13-14)。ただし、必要やむをえないわざとあわれみのわざにとられる時間は別です(マタ12:11-12)。

問52 第五戒は何ですか。
 第五戒はこれです。「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである」。

問53 第五戒では、何が求められていますか。
 第五戒が求めていることは、あらゆる人が目上や(エペ5:21-22; 6:1、5; ロマ13:1)、目下や(エペ6:9)、対等(ロマ12:10)といったさまざまな立場や関係において持つ名誉を守り、義務を果たすことです。

問54 第五戒が加えられている理由は、何ですか。
 第五戒が加えられている理由は、この戒めを守るすべての人が――神の栄光とその人自身の益になるかぎり――長生きし、栄えるという約束です(エペ6:2-3)。

問55 第六戒は何ですか。
 第六戒はこれです。「殺してはならない」。

問56 第六戒では、何が禁じられていますか。
 第六戒が禁じていることは、私たち自身の命を奪うこと(使16:28)、あるいは隣人の命を不当に奪うこと(創9:6)、またその恐れのあるようなすべてのことです(箴24:11-12)。

問57 第七戒は何ですか。
 第七戒はこれです。「姦淫してはならない」。

問58 第七戒では、何が禁じられていますか。
 第七戒が禁じていることは、すべてのみだらな思い(マタ5:28)、言葉(コロ4:6; エペ5:4; IIテモ2:22)、行動(エペ5:3)です。

問59 第八戒は何ですか。
 第八戒はこれです。「盗んではならない」。

問60 第八戒では、何が禁じられていますか。
 第八戒が禁じていることは、何事であれ私たち自身(Iテモ5:8; 箴28:19; 21:6)または隣人の富や生活状態(エペ4:28)を不当に妨げること、あるいはその恐れのあることです。

問61 第九戒は何ですか。
 第九戒はこれです。「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」。

問62 第九戒では、何が求められていますか。
 第九戒が求めていることは、人と人との間の真実と(ゼカ8:16)、また私たち自身(Iペテ3:16; 使25:10)と隣人の名声(IIIヨハ12)とを保ち、高めること、特に証言する時にそうすることです(箴14:5、25)。

問63 第十戒は何ですか。
 第十戒はこれです。「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない」。

問64 第十戒では、何が禁じられていますか。
 第十戒が禁じていることは、私たち自身の状態についてのすべての不満(Iコリ10:10)、隣人の幸せをねたんだり恨んだりすること(ガラ5:26)、またすべて、隣人の所有するどのようなものにでも不法な感情や愛着を寄せることです(コロ3:5)

問65 神の戒めを完全に守れる人が、だれかいますか。
 ただの人は、堕落以来、この世では、だれも神の戒めを完全には守れず(伝7:20)、思いと(創8:21)言葉と(ヤコ3:8)行ないにおいて(ヤコ3:2)日ごとにこれを破っています。

問66 律法にそむく罪は、みな同じ重さですか。
 ある罪は、それ自体で、また、それを一層悪いものとするさまざまな理由によって、他の罪よりも神の目には重い罪です(ヨハ19:11; Iヨハ5:16)。

問67 すべての罪は、何に値しますか。
 すべての罪は、この世でも来たるべき世でも、神の怒りとのろいに値します(エペ5:6; 詩11:6)。

問68 罪のため私たちに当然な神の怒りとのろいとを免れるには、どのようにすればよいのですか。
 罪のため私たちに当然な神の怒りとのろいとを免れるには、主イエス・キリストを信じ(ヨハ3:16)、イエス・キリストの血と義だけに信頼しなければなりません。この信仰は、それ以前への悔い改めを伴い(使20:21)、それ以後の聖潔へと導くものです。

問69 イエス・キリストへの信仰とは、何ですか。
 イエス・キリストへの信仰とは、救いの恵みです(ヘブ10:39)。それによって私たちは、救いのために、福音において示されているままに(イザ33:22)キリストのみを受け入れ(ヨハ1:12)、彼にのみより頼むのです(ピリ3:9)。

問70 いのちに至る悔い改めとは、何ですか。
 いのちに至る悔い改めとは、救いの恵みです(使11:18)。それによって罪人は、自分の罪を本当に自覚し(使2:37)、キリストにある神のあわれみを理解して(ヨエ2:13)、自分の罪を嘆き憎みつつ、罪から神へと立ち返り(エレ31:18-19)、新しい服従をはっきりと目指して努力するようになるのです(詩119:59)。

問71 聖霊があがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な手段とは、何ですか。
 聖霊がキリストのあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な普通の手段とは、魂を霊的いのちへと生かすみことば、バプテスマ、主の晩餐、祈り、黙想です。このすべてによって、信者は自分たちの最も聖い信仰においてさらに徳を高められるのです(使2:41-42; ヤコ1:18)。

問72 みことばは、どのようにして救いに有効にされますか。
 神の御霊は、みことばを読むこと、特に説教を有効な手段として、罪人に罪を自覚させて回心させ(詩19:7)、信仰を通して救いに至るように(ロマ1:16)、きよさと慰めのうちに建て上げます(Iテサ1:6)。

問73 みことばが救いに有効となるには、みことばをどのように読み、また聞かなければなりませんか。
 みことばが救いに有効となるには、私たちは勤勉さと(箴8:34)、備えと(Iペテ2:1-2)、祈りをもって(詩119:18)これに耳を傾け、信仰と(ヘブ4:2)愛をもって(IIテサ2:10)これを受け入れ、心にたくわえ(詩119:11)、私たちの生活の中で実践しなければなりません(ヤコ1:25)。

問74 バプテスマと主の晩餐は、どのようにして霊的な助けとなるのですか。
 バプテスマと主の晩餐が霊的な助けとなるのは、それ自体や、それを施す者の中にあるどのような力によるのでもありません(Iコリ3:7; Iペテ3:21)。ただ、キリストが祝福してくださることと(Iコリ3:6)、信仰によってそれを受ける人々に御霊が働いてくださることとによるのです(Iコリ12:13)。

問75 バプテスマとは、何ですか。
 バプテスマとは、イエス・キリストが制定された新約の規定です(マタ28:19)。それは、バプテスマを受けた者が、キリストの死、葬り、復活においてキリストとの交わりに入れられたこと(ロマ6:3; コロ2:12)、キリストにつぎ木されたこと(ガラ3:27)、罪がゆるされたこと(マコ1:4; 使22:16)、さらにイエス・キリストを通して神に自分をささげ、新しいいのちに生き、また、歩むことを表わします(ロマ6:4-5)。

問76 バプテスマは、だれに施されるのですか。
 バプテスマは、神に対する悔い改めと、私たちの主イエス・キリストに対する信仰を実際に告白する者すべてに施すべきであり(使2:38; マタ3:6; マコ16:16; 使8:12, 36-37; 10:47-48)、これ以外にだれにも施すべきではありません。

問77 信仰告白をした信者を親にもつ幼児には、バプテスマを施すべきですか。
 信仰告白をした信者を親にもつ幼児には、聖書にそのバプテスマについての命令も実例もないので、バプテスマを施すべきではありません(出23:13; 箴30:6)。

問78 バプテスマは、どのようにして正しく施されるべきですか。
 バプテスマは、父と子と聖霊の御名により、キリストの制定と使徒たちの実例(マタ28:19-20)にしたがった浸礼、すなわち、全身を水中に沈めることによって正しく施されます(マタ3:16; ヨハ3:23)。人の伝承にしたがって水を滴らせたり、注いだり、からだの一部を水に浸したりすることによってではありません(ヨハ4:1-2; 使8:38-39)。

問79 バプテスマを正しく施された者の義務は何ですか。
 バプテスマを正しく施された者の義務は、ある特定の、秩序ある、イエス・キリストの教会に自分をゆだねて(使2:47; 9:26; Iペテ2:5)、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なうことです(ルカ1:6)。

問80 主の晩餐とは、何ですか。
 主の晩餐とは、イエス・キリストが制定された新約の規定です。そこでは、キリストの定めにしたがって、パンと葡萄酒を与え、また受けることによって、キリストの死が示されます(Iコリ11:23-26)。また、ふさわしく受ける者は、身体的、肉的なしかたでではなく信仰によって、キリストのからだと血に、また、それとともにキリストのあらゆる祝福にあずかる者とされ、霊的に養われ、恵みのうちに成長するのです(Iコリ10:16)。

問81 主の晩餐をふさわしく受けるには、何が求められていますか。
 主の晩餐にふさわしくあずかりたい人には、次のことが求められています。すなわち、主のみからだをわきまえる自分の知識と(Iコリ11:28-29)、キリストを糧とする自分の信仰と(IIコリ13:5)、自分の悔い改めと(Iコリ11:31)、愛と(Iコリ11:18-20)、新しい服従と(Iコリ5:8)について、自分を吟味することです。それは、ふさわしくないままで来て、その飲み食いによって自分にさばきを招くといけないからです(Iコリ11:27-29)。

問82 主の晩餐について、使徒パウロが用いた「主が来られるまで」という言葉は、何を表わしていますか。
 この言葉は、私たちの主イエス・キリストが再臨することを、明白に教えています。これは、すべての信者の喜びであり希望です(使1:11; Iテサ4:16)。

 


清教徒の教理問答[了]
----

HOME | TOP