I. 18世紀初頭における英国の宗教的・道徳的状況
18世紀の歴史の重要性----当時の英国の政治的、経済的情勢----国教会、非国教会の低迷----この点に関する数々の証言----主教や聖職者層の欠陥----信仰書の貧弱さ----教育、モラル、大衆文学における国民的惨状----「古き良き時代」は作り話
これから私が取り上げる主題は、一部は歴史、一部は伝記である。もし上にあげた題名から、何か架空の、空想的な物語を期待した読者がいたとしたら、残念ながらその期待には添えないと思う。私はそうした分野の書き手ではないし、たとえそうだとしても、そのようなことに費やす時間はない。私は、著作のため割ける時間はすべて事実を扱うために用いたい。ありのままの真実、人生の冷徹な現実を扱うために用いたいと思う。
しかし、ほとんどの読者には、なぜ私がこの主題を選んだか釈明する必要は特にないと思う。自国の歴史や、自国の伝記文学に何の関心も持たない人は、たいした愛国者でなく、哲学者としては三流以下であるに違いない。
そうした人を「愛国者」とはいえない。真に母国を愛する英国人なら、英国にかかわるすべての物事を好むであろう。真に国を愛する思いがあれぱ、英国の歴史に影響を及ぼし、刻印を残したあらゆる人物について----それこそ尊者ベーダからヒュー・ストウウェル、またアルフレッド大王から貧民学校の創設者パウンズに至るあらゆる人物について----喜んで知りたいと思うはずである。
またそうした人は確かに「哲学者」ではありえない。哲学とは、実例による歴史の教えでなくて何であろう。英国が今日の状態に至るまでにたどった足取りを知ることは、わが国が現在享受している特権と、直面している危険を正しく理解する上で欠かせないものである。かつて神がそのみわざを行なわせるため起こされた人々について知ることは、この現代、そして将来において、どのような人々が真理の唱導者であるかを見きわめる助けとなるであろう。
あえて云うが、英国史上、前世紀の中葉ほどキリスト者にとって示唆に富む時代はないと思う。それは、今日に至るまで生き生きとした影響を残している時代である。私たちの祖父が、また曾祖父が、じかにかかわりあった時代である。とりわけそれは、今日のために最も有益な教訓を引き出せる時代である。
そこでまず、百年前の英国が、実際どのような状況にあったか述べることから始めさせていただきたい。いくつかの単純な事実をあげるだけで十分だと思う。
読者は、私が政治的な状況について語ろうとしているとは思わないでいただきたい。もちろん、ロバート・ウォルポール卿[英国の初代首相 1715-17,1721-42]や、ニューキャッスル公[英国首相 1754-56,1757-62]や、大ピット[英国の政治家 1708-78]の時代の英国の地位が、現在とは非常に異なっていたと述べることはたやすいであろう。当時も大政治家や大雄弁家がいたことは疑いない。しかし英国の国際的地位は、比較的低く、劣弱であった。他の諸国に比してわが国の発言力は、それ以後増大したものとくらべると、はるかに軽かった。わが国のインド帝国は、その礎石すら置かれていなかった。わが国のオーストラリア領土は、発見されたばかりの大陸の一部にすぎず、植民地化は始まっていなかった。国内には、スチュアート家の復位をはかる残党の勢力が根強く残っていた。1745年には、小王位請求者[名誉革命で英国を追われたジェームズ二世の孫]とスコットランド高地軍が、スコットランドからイングランドに侵入し、ダービーまで進撃した。汚職、贈賄、公金横領は日常茶飯事であり、清廉潔白な行ないは、まれにしか見られなかった。公職につくことも、聖職につくことも、まだ自由にはなっていなかった。審査律[公職就任の際、国王への忠誠と国教信奉の宣誓をさせた法律。1673年に制定、1828年に廃止]、地方自治体法[地方自治体の全官吏に、国王への忠誠を誓わせ、英国国教会で聖餐を受けることを命じたもの。制定1661年、廃止1828年]はまだ廃止されていなかった。非国教徒となることは、火つけ強盗や、謀反人になることと紙一重であるとみなされていた。自治都市は至るところで腐敗していた。賄賂はあらゆる階級にはびこり、臆面もなく公然とやりとりされていた。これが、百年前の英国の政治的状況であった。
また読者は、私が当時の英国の状況を財政的、経済的見地から述べようとしているとは思わないでいただきたい。当時は、現在のような、おびただしい数の紡績業、絹織業、亜麻布業はまだ全然存在していなかった。わが国の莫大な鉱物資源は、ほとんど手つかずのままであった。当時は汽船も蒸気機関もなかった。鉄道も、ガスも、電信も、1ペニー郵便制も、科学農法も、衛生施設も、警察らしい警察も、何もなかった。できるものなら、今述べたようなすべてのものがなかった頃の英国を思い描いてみていただきたい。そのとき私たちは、百年前の英国が経済的に、財政的にどのような状況にあったか、おぼろげに想像することができるであろう。
しかしこうしたことは、世の政治経済学者や歴史家にまかせておこう。確かに興味深い問題ではあるが、私がこれから詳しく語りたいと願っている主題とは何のかかわりもない。私は、キリストの福音のしもべとしての問題を取り扱いたいと思う。私は、百年前の英国の宗教的・道徳的状況だけに限って注目するつもりである。この点に読者の注意を向けたいと思う。
宗教的、道徳的な見地から見たとき、前世紀中葉のこの国の状態は、痛ましいばかりに不満足なものであった。それは適切な概念を伝えるのに困るほどである。この問題について一度も調べたことのない今日の英国人には、到底思いおよばないような暗黒が、当時の社会をおおっていた。1700年からフランス革命[1789-94]の頃に至るまで、英国には 真に善と呼ぶに値するものが全く欠けていたように見える。聖書を自由に読むことが許され、プロテスタント主義を標榜している国が、一体なぜこのような事態に立ち至ったか、ほとんど理解しがたいものがある。キリスト教界は死んだように沈滞し、「教会は死んだ」と云う者がいてもおかしくなかった。道徳は、説教壇の上ではさかんに称揚されていたが、一歩教会から出れば完全に踏みにじられていた。上流階級も下流階級も、暗黒がおおっていた。宮廷も、軍隊も、議会も、居酒屋も、郊外も、都市部も、財産家の間でも、貧民の間でも、暗黒がおおっていた。どす黒く、濃密な、手でふれればさわれるほどの、宗教的道徳的暗黒が至るところにあった。
しかし百年前の教会は何をしていたのか、と問う人があるかもしれない。答えよう。当時も英国国教会は存在していた。その卓越した信仰箇条も、その由緒ただしい典礼も、その教区制度も、その日曜礼拝も、その一万人の聖職者も存在していた。非国教徒の集会も、苦難の末にかちとった自由によって、講壇から説教することが許されていた。しかし不幸にして、双方について同じ1つのことが云える。彼らは存在はしていた。しかし、とうてい生きていたとはいいがたい状態にあった。彼らは何もしていなかった。彼らは正体もなく眠り込んでいた。英国国教会には、教式統一令[礼拝で全教会が統一的に祈祷書を使用すべきことを定めた法令]の呪いがかかっているようだった。非国教徒の陣営には、安逸と迫害からの自由とから来る悪影響がおおいかぶさっているようだった。何ひとつキリスト教独自の教理を持たぬ自然神学、無味乾燥な道徳、不毛の正統主義が、国教徒の会堂でも非国教徒の会堂でも主要な教えをなしていた。どこで聞かされる説教も、つまらない道徳的講話に毛がはえたようなもので、魂を覚醒させ、回心させ、救うものを全く欠いていた。とどのつまりは両陣営とも、ある一点で一致していたように思える。それは、彼らが悪魔を野放しにし、人々の心と魂のためには何もしなかったという点である。フーパーやラティマーが焼き殺されても守り抜いた重大な真理の数々、バクスターを初めとする幾多のピューリタンたちが獄に投ぜられても捨てなかった真理の数々は、きれいさっぱり忘れ去られ、たなざらし同然となっていた。
国中の教会がこのような状態にあるとき、全国的に不信心と懐疑主義が蔓延していたことも何の不思議もないであろう。この世の神は、この機会を徹底的に利用した。かれの代理となって働く者らが精力的に活動し、ありとあらゆる種類の異説や冒涜的な見解をはびこらせようとしていた。コリンズやティンダルは、キリスト教は坊主連中の策謀による欺瞞であると指弾した。ホウィストンは、聖書の中に記された奇蹟は完全なペテンであると云い切った。ウルストンは、それを寓話であると断じた。アリウス主義、ソッツィーニ主義は、クラークやプリーストリによって公然と教えられ、知識階級の間で流行するようになった。教会の講壇が、こうした悪の氾濫をくいとめるにあたって全く無能無力であったことは、1つの事実から多少とも感じ取れるであろう。ジョージ三世の治世[1760-1820]の初期に、かの高名なブラックストン弁護士は好奇心を起こして、ロンドン中の著名な聖職者全員の説教を聴こうと、教会から教会へと巡り歩いたという。その結果彼はこう云っている。自分の聴いた説教の中で、キケロの著作以上にキリスト教をふくんでいたものは1つもなかった。聴いたことから判断する限り、説教者の信奉する教えが孔子のものか、マホメットのものか、キリストのものかは、全く見わけもつかなかった、と!
不幸にも、この痛ましい主題に関する証拠は、ありあまるほどある。私が困るのは証言を見つけることよりも、それを取捨選択することである。この時代はセッカー大主教が訓示の1つで、次のように述べた時代であった。「いくつかの不幸な原因が重なった結果、キリスト教への軽視が、この時代の顕著な特徴となってしまったことは否定できない事実である。上流社会の自堕落と徳義の軽視、また下層階級の不品行、放縦、大胆不敵な犯罪にはすさまじいものがある。もしこの不敬虔の奔流をせきとめなければ、致命的な事態を招くことは火を見るよりも明らかである。キリスト教は、ほとんど遠慮会釈もなく嘲弄され、キリスト教の教師らについては、何の遠慮もなく嘲弄されている」。またこの時代は、バトラー主教が著書「類比」の序文で、次のような驚くべき言葉を述べた時代であった。「昨今では、キリスト教はもはや探求の対象ではない、今やキリスト教は虚構であることが発見された、などとということが、当然の見解としてまかりとおっている。それに伴いキリスト教は、こうした見解が分別ある人間の統一見解ででもあるかのような扱われ方をしている。キリスト教は、もはや主として嘲弄とあざけりの的としての意味しかないかのように扱われているのである」。こうした愚痴をもらしていたのは、国教徒だけではなかった。ウォッツ博士は、彼の時代は、「一般に人々の心と生活の中から、生き生きとした力強い宗教が衰えはて、悲しむべきことに、それは神のために生きるすべての人々によって観察された一般的な事態であった」と云い切っている。これまた最も尊敬すべき非国教徒のギーズ博士は、こう云う。「自然宗教は、時代の寵児としてもてはやされている。イエスの教えた宗教は、ただ自然宗教のゆえにのみ重んじられ、自然の光と調和している限りにおいて尊重され、そうした種類の光をただ昇華させただけのものとされている。キリスト教独自のもの、キリスト独特のもの、またキリストに関して自然の光の明らかな基礎に基づかないもの、自然の法則を超越したものはみな放棄され、拒否され、軽蔑されている」。このような証言は、十も二十も簡単に集めることができる。しかし、読者を煩わすのはよそう。ただ私が、前世紀初頭の英国では道徳的、宗教的状態が痛ましいほど不満足な状態にあった、というとき、それが誇張ではないとだけ述べれば十分であろう。
では当時の主教たちはどのような人々であったのだろうか。疑いもなく、その中には明徹な知性と豊かな学識を備え、非の打ちどころのない生活を送っていた者らもいた。しかし、セッカーやバトラー、ギブスン、ラウス、ホーンなどのような最上の人々でさえ、周囲の社会悪の存在を嘆くばかりで、それをいやすすべについては皆目見当もつかなかったように思える。他の、レイントンやウォーバトンのような人々は、熱狂主義や狂信的信仰に対して激しい非難を浴びせかけ、まるで英国があまりにも宗教的になることを恐れているようであった! しかし真実を云えば、主教たちの大多数は、ただの世俗的人間であった。彼らはその地位にふさわしい者ではなかった。監督派の大部分にいきわたっていた気風をうかがわせる挿話だが、カンタベリ大主教コーンウォリスは、公邸ランベス宮で夜な夜な舞踏会や夜会を催したために、ついには国王自身が書状を差し向けて、それをやめるよう要請したという。またこういう話もある。ホイットフィールドの影響力が急速に伸展し、国教徒の主教たちをいらだたせるほどになったとき、高位聖職者の間では、ホイットフィールドの影響力をくいとめる最上の策は彼を主教にすることではないかと真剣に討議されたのであった。
当時の教区牧師たちはどのような人々であったか。彼らのうち大多数は、世俗性にどっぷりと浸りきり、自分の職務について知りも、気をつかいもしていなかった。彼らは自分で善を行なうことも、彼らの代わりに善を行なう人々に好感を持つこともしなかった。彼らは狐狩りに興じ、鳥撃ち猟に夢中になり、農業を営み、酒に酔い、賭博を行なっていた。彼らは、イエス・キリストすなわち十字架につけられた方のほかは、何でも知ろうと決心していたかのようであった。彼らがともに集まるとき、それは通常、「教会と国王」の繁栄を祈って乾杯するためであり、互いに互いの世俗性、偏見、無知、形式ぱった堅苦しさを凝り固めるのであった。自分の町に帰れば帰ったで、彼らはなるべく仕事をせず、なるべく説教をしないようにしていた。そして実際に説教するとき、その説教のお粗末さ加減は何とも云いようもないほどひどいもので、彼らが語りかけていた会堂の座席が、普通は空っぽであったことが、せめてもの慰めとなるほどである。
百年前の信仰書や神学書にはどのようなものが残っているか。英国文学の中でも最低の出来の、貧弱で、虚弱な文学である。それは「人間のなすべきすべての義務」などといった神学書や、ティロットスンやブレアらの説教書が書かれた時代であった。どんな古書店を調べてみても、前世紀の中葉から後半に発行された説教集ほど売れ行きの悪い神学書はないことがわかるであろう。
それでは百年前の下層階級では、どのような種類の教育が行なわれていただろうか。大部分の教区管区、特に田舎の教区では、何の教育も行なわれていなかった。英国の村落学校はすべて1800年以後に建てられたものである。民間に広がっていた無知はすさまじいばかりで、サマセット州では、あるメソジスト説教者が説教中に、「信じた者はさばかれない(He that believeth shall not be damned)」という聖句を引用したとき、冒涜的な悪態だという理由で治安判事に告発する者がいた!* ヨークシアもサマセット州にひけはとらなかった。この地方では、ある巡査がチャールズ・ウェスレーを治安判事の前に突き出した。彼が公の祈りで、主が「追放された者を引き戻してくださるように」と唱えたのは、王位請求者のシンパである証拠だというのだ! きわめつけは、六名の学生を退学させたオックスフォードの副学長である。その理由は、これらの学生が「メソジストの教義を抱き、こともあろうに個人の家で祈ったり、聖書を読んだり解き明かしたりした」ためであった。ある人々はこれを評して云った。オックスフォードの学生が、思いのまま自由に悪態をつくことはかまわない、しかし思いのまま自由に祈ることは、許しがたい不法行為なのだ!、と。
百年前の社会のモラルはどのようなものであったろうか。決闘、不倫、不貞、賭博、冒涜的な悪態、聖日軽視、泥酔などがほとんど悪徳とみなされていなかった、と述べれば十分であろう。そうしたことが上流社会で流行していた態度であり、それらにふけっているからといって、眉をひそめたりする者はいなかった。この点について何よりの証拠は、ホガースの風刺画である。
百年前の大衆文学はどのようなものであったろうか。ボーリングブルック、ギボン、歴史家ヒュームらが徹底した懐疑主義者であった事実は云うまい。私が語りたいのは、当時大いに流行していた軽い読み物のことである。フィールディングやスモレット、スウィフト、スターンなどの著作をめくってみるならば、答えは明らかである。作者たちの才能は否定できない。しかし彼らの著書の多くは、あまりにもどぎつく、卑猥で、今どき彼らの著書を客間に飾っておきたいというような人はほとんどいないであろう。
ここに描き出したような状況は、非常に暗く陰鬱なものである。もし私にできることなら、もう少し明るい状況を示せたらよいのにと思う。しかし事実は動かすことができない。特に文学に関する事実は、厳然と動かせないものである。百年前の最上の文学は、アディソンやジョンソン、スティールらの道徳的著作のうちに見ることができる。しかし、そうした文学が一般大衆に及ぼした影響は、まことに微々たるものでしかなかったのではないか。実際、ジョンソンや他の随筆家が大衆の信仰生活やモラルに及ぼした影響は、「焼け石に水」以上のものではなかったと思う。
最後に、私の主題のこの部分をしめくくるにあたって、ひとつ読者に思い出していただきたいことがある。それは、今日だれでも身近に知っているような福祉事業や公共事業は、百年前には存在していなかったということである。ウィルバフォースはまだ奴隷制度を排撃していなかった。ハワードはまだ監獄改革に着手していなかった。レイクスはまだ日曜学校を設立していなかった。当時は聖書協会も、貧民学校も、都市伝道団も、牧会者支援協会も、外国伝道団もなかった。まどろみの霊が全国をおおっていた。宗教的、道徳的見地から見たとき、英国は正体もなく眠り込んでいた。
しめくくりの前に、もう1つだけ云っておきたいことがある。私たちは自分が今の時代に生きていることに感謝すべきである。私たちは、あまりにも自分の周囲にある悪を見つめすぎるきらいがありはすまいか。百年前の状況がどれほどひどいものであったか忘れてはいないか。私個人としては、一部の人々が好んで語りたがる、あの「古き良き時代」などというものを信じていない。このことは、はっきり云っておく。それは単なる作り話であり、神話にすぎない。現代は、英国史上、最も良い時代であると思う。私は、鼻高々にこう云っているのではない。この時代にも、嘆かわしいものが多々あることは知っている。しかし、これより悪い状況もありえたであろう。私たちは、百年前には、はるかに悪い状況にあった。宗教の、そして道徳一般の基準は、疑いもなく、はるかに高くなっている。とにもかくにも、この1868年、私たちは目覚めている。私たちは周囲の悪を目にし、感じているが、百年前には人々はこれらのものに全く無感覚であった。私たちは、こうした悪から解放されようと苦闘している。私たちは改善を心がけている。これは、非常に大きな進歩である。私たちのあらゆる過誤にもかかわらず、私たちは眠り込んではいない。あらゆる方面で動揺があり、活動があり、動きがあり、進歩がある。沈滞はしていない。私たちは良くない状態にあるとしても、その悪さを告白している。弱い状態にあるとしても、その欠陥を自認している。私たちの努力はまことに微々たるものであるが、私たちはそれをなんとか改善しようと戦っている。キリストのため、まことに小さなことしかできないが、何かをしようとはしている。そのことを神に感謝しようではないか! 状況はこれより悪いこともありえたのだ。現代を前世紀の半ばとくらべるとき、私たちは神に感謝し、励ましを受けてよいであろう。英国は、百年前よりも向上しているのだ。
*訳注 damnedは英語では涜神的な悪罵となる。[本文に戻る]
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