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クリスマス


 I. 1. クリスマスを祝うことは、命令されていない。従ってこれは義務ではない。真のプロテスタントの原則は、命じられていないことを強制してはならないというところにある。この原則が重要なのは、私たちは人間の権威によって重荷を負わさないようにしなくてはならないからである。タルムードとカトリック教会の伝承とは、この原則を退けたために生じた二大金字塔である。しかしこの原則は、命じられないことは決して行なってはならないという原則と混同されるべきでもない。これに対しては次の2点を挙げることができよう。(1)私たちは良心の自由を尊重しなくてはならない。禁止するのも強制するのも、権威の押しつけであることに変わりはない。(2)クリスマスは全世界の教会で祝われている習慣であり、私たちも国民の祝日としてこれを毎年励行している。この事実を軽く見るべきではない。

 2. クリスマスを祝う価値があるかということに関しては、賛否いずれの立場に立っても多くのことが云えるであろう。賛成論。(a)自然の法則。(b)旧約からの類比。(c)クリスチャンならみな自然に起こる感情。(d)思い出を新たにし、知識を増すための機会。反対論。(a)行き過ぎの可能性がある。この季節が聖なるものであるとか、神の権威によって立てられたものだと思う者が出るかもしれない。(b)しだいに日曜日の方が軽視されるようになる。(c)祝い方が世俗的なものとなりがちである。こうした事柄は警戒しなくてはならない。私たちはこれらのことを考えて、クリスマスの祝いを信仰者としてふさわしいものとしていこう。

 3. クリスマスの歴史。
 クリスマスが祝われはじめたのは、4世紀になってからである。オリゲネスが教会の祝日として挙げているのは、受難日、イースター、ペンテコステの3つだけであった。アウグスティヌスは、クリスマスを一段劣った祭日としている。クリュソストモスによれば、彼の時代クリスマスはまだ新しい慣習であった。これは、ここ十年の間に発明されたものだ、と彼は云う。

 4. クリスマスの日取り。たいして重要ではない。はじめははっきり定まっていなかった。

 II. キリストの御降誕にかかわる真理、またはその適用。

 1. イエスの誕生は、奇跡的な出来事である。そのようなものとして預言され、そのようなものとして記録されている。重要なのは、ここで私たち人間の性質が罪に汚されないままキリストに伝えられたということである。

 2. イエスの誕生は、事の性質から最も素晴らしい出来事である。ことばが人となったのである。神の御子が女からお生まれになったのである。神のかたちであられたお方が、人間のかたちで現われたのである。御父の栄光の輝きであられた方が、血肉をお取りになったのである。

 3. これはへりくだりと愛との最も素晴らしい現われである。神は、そのひとり子を遣わすほどに世を愛された。神は御自分の子をも惜しまれなかった。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされた。ここに愛があるのである。

 4. これは神の栄光にとっても、人の幸福にとっても、最も豊かな実を結ぶ出来事である。

 a. 神の栄光にとって。御使いたちは喜びの余り声を限りに賛美した。彼らは、いと高き所には神に栄光あれと叫んだ。あらゆる目がベツレヘムのかいばおけに向けられた。コレッジョ描くところの後光を帯びた赤子の名画も、全宇宙を射し通して光を発するキリストの貧弱な心象にすぎない。ここに顕示されているのは、(a.) キリストの愛とへりくだりであり、(b.) キリストの知恵と御力である。

 b. 人の幸福にとって。
 1. 神との和解、平和、交わりの手段、また神のご性質にあずかる手段である。
 2. 贖われた者たち全家族の一致における平和の手段。また人間性を称揚し、神-人なるお方(Theanthropos)をかしらとする御国を確立する手段である。
 3. サタンに対する神の勝利の手段である。

 このようなことから、クリスマスにあたっては、私たちは次の4つのことを心がけるようにしよう。
 1. 神に感謝すること。 2. 神の恵みと祝福を喜ぶこと。 3. 神に服従すること。 4. 神に献身すること。


クリスマス[了]

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