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インマヌエル

 古代において、そして特に神の民の間において、人の名前には深い意義があった。親から与えられた名前の場合、それは親たちが象徴しようとした、あるいは記念しようとした何かを表わしていた。神から与えられた名前の場合、それは啓示の1つの形式であった。神が処女から生まれた御子にインマヌエルという名前をお与えになったのは、神が私たちとともにおられるという事実の啓示だったのである。

 I. 神は、いかなる意味において、その民と、あるいは人と、ともにおられると云われるか。1. それがまず表現しているのは、一般的に近くにあるという意味である。もちろん神はどこにでもおられるが、特別にご自分を顕現なさる場所におられるとも云われる。神は私たちのだれからも遠く離れてはおられない。私たちは神の中に生き、動き、また存在しているからである[使17:28]。こうした種類の近さは、あらゆる被造物に共通のものであり、特にすべての知的被造物にあてはまる。

 2. それが次に表現しているのは、一般的にいつくしみと助けを与えてくださるという意味である。私たちが、「主があなたとともにおられますように」、と云うとき、私たちが願っているのは、そう語りかけた相手を、神が助け、支えてくださることである。詩篇作者は主についてこう語っている。「主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない」(詩16:8)。それゆえ、メシヤのこの名前は、神がそのいつくしみを私たちに示してくださるという意味において私たちとともにおられるという約束であった。やがて御使いたちが告知したこと----「地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」----は、この預言的な命名において予告されていたのである。

 神がキリストのゆえに、いかにして、またいかなる意味において、私たちとともにおられ、私たちに対していつくしみ深くあられるかを1つ残らず数え上げることは不可能であろう。a. 神は御子の死によって私たちと和解してくださった。キリストが私たちを神のもとに連れて行ってくださった。b. 私たちは、神の義が関わる部分において和解させられただけでなく、神の愛の対象となっている。c. 神はその御霊によって、いかなる場所にも臨在なされ、助けと、助言と、慰めを与えてくださる。d. 神の摂理は常に私たちの上にあり、私たちを見守っている。主は私たちとともにあり、私たちの右におり、私たちを取り囲み、光のように間近にいて、私たちの守りとなり、力となり、慰めとなり、魂の無限の分け前となっておられる。

 3. さらに、神が私たちとともにおられるということは、受肉によってもたらされた、かの結合のことをも表現している。というのも、この幼子の奇跡的誕生によってこそ、----その誕生については、処女マリヤに対する御使いの告知によって、より詳細に説明されているが----、彼女から生まれる者が聖なる者、神の御子でありえたのである[ルカ1:35]。人間性と神性とが、その子のうちで一人格に結び合わされたからこそ、彼はインマヌエルと呼ばれるべきだったのである。

 その結合によって神と人とは、キリストのご人格の内側で最も親密な交わりへと至らされた。しかし、それで終わりではなかった。それによって神は、他のいかなる被造物との間にも存在していないような関係を人間に対して有するようになった。a. それは、神性を有するお方が、私たちは1つである、すなわち、同じ性質をしている、と云えるような関係である。b. それは、彼が私たちを兄弟たちと呼べるような関係である。c. それは、彼が私たちに同情できるような関係である。d. それは私たちに対してなされることが彼に対してなされることとなるような関係である。e. それは、彼が私たちの性質を御使いたちの性質よりも高く引き上げなさるような関係である。f. それは、彼が永遠に御民とのこの関係にとどまるような関係、子として、兄弟として、そして夫婦としての関係である。

 4. 神が私たちとともにおられるということで表現されているのは、神が私たちとともに住み、私たちのうちにおられる、ということである。par umin menei kai en umin estai(ヨハ14:17)。キリストは、あらかじめ受肉という段階をお踏みになったおかげで、また御霊の内住のおかげで、御民のうちに住んでおられる。すなわちキリストは、彼らの霊的生命の源泉となっておられる。その生命から出ている考えや、感情や、行動は、彼と私たちとの間にある、この独特な関係に由来しているのである。彼は私たちと親密に、絶え間なく、永遠にともにおられる。これは、他のいかなる関係にもまして、近しく、永続的な関係である。

 したがって私たちにとって大きな義務となるのは、1. 私たちの方でも、この結合にふさわしい生き方をすること。2. 他の人々もこの祝福にあずかることができるように努力することである。

 以下の箇所を調べて、それらについて瞑想してみるがいい。----

 「万軍の主はわれらとともにおられる」(詩46:7)。
 「わたしの真実とわたしの恵みとは彼とともにあ……る」(詩89:24)。
 「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう」(ヨシ1:5)。
 「恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである」(ヨシ1:9)。
 「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにお(る)」(イザ43:2)。


インマヌエル[了]

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