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信仰者になったばかりの人への勧め

ジョナサン・エドワーズ

あるときジョナサン・エドワーズ博士は、コネチカット州のS市に住む、最近信仰告白をしたばかりの若い女性から、どのようにしたら最上の信仰生活を続けていけるか助言してほしいという手紙を受け取った。そこで彼は次のような手紙を彼女に書き送ったが、これはキリスト者生活に入ってまもない人々すべてにとって非常に有益なものである。

「若き友よ、あなたがどのようにキリスト者生活をしていけばよいのか指針をいくつか与えてほしいと願われたので、ここに私の考えを書き送ります。

 1. まず私は、あなたが今まで同様の熱意と努力を持って信仰に励むことをお勧めします。あたかも、自分がまだ生まれながらの状態にあり、必死になって救いを求めているかのようにです。私たちは、罪を自覚した人々に、熱心になってひたすら神の国を求めなさい、と勧めるのですが、救いを受け入れてしまえばもう気をゆるめてよい、というわけではありません。いえ、前にもまして注意深く、怠らず、ひたむきに、信仰生活上のあらゆるわざに励むべきです。今やそうすべき何千倍も大きな義務があるのですから。このことをしなかったために、多くの人々が救われてから何箇月もしないうちに、霊的な事柄に関して心楽しく生き生きとした感情を失ってしまい、冷たく陰鬱になり、「非常な苦痛をもって自分を刺し通しました」。もしも使徒パウロのように一心に励んでいたら(ピリ3:12-14)、彼らの道は、「あけぼのの光のように、いよいよ輝きをまして真昼と」なっていたでしょうに。

 2. 未信者の人々が努力して得るようにと勧められる事がらの幾分かは、あなたもすでに救われた際に自分のものとしました。しかし、それでよしとしないで、引き続きそれらを得るため努力し、祈り求めなさい。あなたの目が開かれ、見えるようになり、あなたが自分自身を知り、神の足元にひれ伏すことができるように祈りなさい。また神とキリストの栄光を見ることができるように、死者の中からのよみがえりに達することができるように、心の中にキリストの愛が満ちあふれるように祈りなさい。こうした点は、たとえどれほど信仰に進んでいる人であっても、さらに祈り求めていく必要があるのです。というのは、そのような人でさえも、自分のうちにとどまる盲目さとかたくなさ、高ぶり、死すべき性質から逃れることはできず、神のみわざの働きかけによって、さらに光といのちを注がれる必要があるからです。このみわざは暗やみの中に陥った私たちを再び神の光の中へ引き出してくれるという点で、いわば新たなる回心、あるいは死よりの復活とも云えるものです。
 悔い改めていない人に求められることはごくわずかですが、悔い改めた者に求められることは、ある意味で少なくありません。

 3. 説教は自分のために聴きなさい。たとえ特に未信者に向けて語られたものであっても、また別の点であなたとは違った立場にある人に向けて語られたものであっても、まず次のようなことを考えるのです。「この説教はどの点で自分にあてはまるだろうか。自分の魂の益のためには、この説教のどこが役に立つだろうか」、と。

 4. 神はあなたの過去の罪をお赦しになり忘れてくださいました。しかし、あなたが自分の罪を忘れてはなりません。自分がかつてエジプトの地でどんなに惨めな奴隷であったかをたびたび思い出しなさい。使徒パウロが、恵みを受けた後も、過去の自分の神を汚す行ないや迫害の念、信者に暴力をふるったことを何度も口にしたように。彼は心へりくだっており、自分が「使徒の中で最も小さな者」、「使徒と呼ばれる価値のない者」、「すべての聖徒たちのうちで一番小さい者」、「罪人のかしら」であることを認めていました。あなたの以前の罪をしばしば神に告白し、次の聖句をいつも心の中にとどめておきなさい。「わたしが、あなたの行なったすべての事についてあなたを赦すとき、あなたがこれを思い出して恥を見、自分の恥のためにもう口出ししないように、と神である主は言われる」(エゼ16:63)。

 5. あなたは自分が回心後に犯した罪のために、以前にくらべて何千倍も悲しみ、へりくだるべき理由があることを覚えていなさい。なぜならあなたは今やキリストの真実から目を離さず、神のために生きるべきはるかに大きな義務を負っているからです。キリストは、あなたが回心後に示してきたふがいなさにもかかわらず、変わらぬいつくしみを与え続けてくださるのです。

 6. 絶えず自分のうちにとどまっている罪を思い、大いにへりくだりなさい。これで十分身を低くしたなどと思ってはいけません。けれども、そのために失望落胆したり、意気消沈したりしないようにしなさい。なぜなら、確かに私たちは非常に罪深い者ですが、私たちには御父の前で私たちを弁護してくださる方、義なるイエス・キリストがおられるのですから。この方の尊い血潮、義のいさおし、そして大いなる愛と真実は、私たちの罪の高嶺をも悠々と覆い尽くしてしまうものです。

 7. あなたが祈りの務めに携わるとき、また聖餐式やその他の聖い礼拝式に集う際には、マグダラのマリヤのようにキリストのもとに来なさい(ルカ7:37-38)。キリストの足元に身を投げ、御足に口づけし、彼女が石膏のつぼを砕いて高価な香油を注いだように、あなたも、きよい、砕かれた心からの、聖らかな愛という、甘やかで、かぐわしい香油をキリストに注ぎ出しなさい。

 8. 高ぶりは、心のうちにある最も油断ならない悪徳であり、魂の平和とキリストとの甘美な交わりとをこの上もなく乱すものであることを覚えていなさい。これは最初に犯された罪であり、サタンの建造物の基礎中の基礎です。これを根絶やしにするのは非常に困難であり、すべての悪徳のうちでも、これほど心のうちに秘め隠されており、かつ欺きに満ちたものは他にありません。高ぶりは、しばしば知らないうちに信仰生活の真々中に忍び込んでくるもので、時には謙遜という見せかけさえ身につけてやってきます。

 9. ですから自分については正しい評価を下すようにしなさい。また、次のような2つの効果を自分に及ぼすものを見いだしたときには、常にそれを尊び、慰めとしなさい。その第一は、あなたをへりくだらせて、最も取るに足らぬ卑しいもの、ほとんど子どものようにしてしまうものであり、その第二は、あなたの心に働きかけて、神のために自分の欲望を全く否定し、神のために自分を用い、用いられるようにと心を定めさせるものです。

 10. あなたの心が暗く物憂い気分になり、自分の魂の状態が疑わしくなるようなときには、過去の経験を思い起こしてみるのがよいでしょう。しかし、あまりにも以前の経験の追憶にふけるようなことはしないようにしなさい。むしろ、あらゆる力をふりしぼって、新たなる体験、新しい光を求め、新たなる信仰と愛のわざに生き生きと励むようにしなさい。魂をおおう暗雲をぬぐいさろうというのであれば、過去のことを思い起こして、あのときはああだった、このときはこうだった、と一年中過ごすよりも、主のもとに出て、その御顔の輝きに浴する方がはるかにまさっています。

 11. 徳の実行がおろそかになり、あなたのうちで腐敗した性質が力をふるうようになって、恐れにとらわれることもあるでしょう。そんなときは、心のうちに愛をよみがえらせ、心を愛で満たすことによって恐れを打ち払いなさい。その以外の方法を求めてはなりません。こうすることによって、恐れは全く追い散らされてしまうでしょう。それは暖かな日差しが射し込んでくると、部屋の中の暗やみが消え失せてしまうのに似ています。

 12. 人に忠告したり注意したりするときには、熱心にかつ優しさを込めて、しかも徹底的にやりなさい。また自分と同格の人を注意する際には、自分もまた足りない者であり、ただ至高の恵みによって他の人々と違っているのだと感じていることを相手に分からせるようにしなさい。

 13. もしも、あなたが出席しておられる種々の集会の他に、若い婦人たちが時たま集うための集会を自分たちで作ろうというのであれば、それは非常に有益な、良いことだと思います。

 14. ことに激しい試練の時、また特に神の恵みを必要とするとき、あるいは何か特別な恵みを乞い求めるときには、あなたひとりの隠れた祈りと断食のために、ある一日を取り分けなさい。そしてその日には、望む恵みを願うだけで終始するのではなく、あなたの心を探り、あなたが送ってきた生活を吟味して、あなたの罪を神に告白しなさい。それも、いつも公の祈りでしているようにではなく、子どものころから始まって今に至るまでの、あなたが過去犯してきた罪を、回心前のことも回心後のことも細大漏らさず、神の前に申し上げなさい。また、その罪を犯したときの状況や、その罪を一層悪いものとした事ごとを、こと細かに申し述べ、あなたの心の襞に隠された忌まわしい思いを可能な限りすべて神の前に引き出しなさい。

 15. あなたのせいで十字架の敵どもに信仰を非難する口実を与えるようなことがあってはなりません。神のひとり子に愛され、贖われた神の子らは、いかに聖く歩まねばならないことでしょう。ですから、「光の子どもらしく、また昼間らしい、正しい生き方をしなさい」。「私たちの救い主である神の教えを飾りなさい」。そして特に、キリスト教徒の徳と呼ばれるものを豊かに身につけ、神の子羊のようになりなさい。柔和で、へりくだった心を持ち、すべての人を、きよく、へりくだった愛をもって愛しなさい。他の人々への愛によって行動し、他の人々のために自分の欲望を抑えなさい。また他の人々をあなたよりもすぐれた者と思うようにしなさい。

 16. あなたのすべての道において、神とともに歩み、キリストに従いなさい。無力で弱く小さな子どものようになって、キリストの手をにぎり、その御手とわきの傷あとから目を離さないようにしなさい。そこから、あなたを罪からきよめる血が流されたのであり、あなたの裸はキリストの義という白く輝く衣のすそによっておおわれたのです。

 17. 神の教会、そして牧師たちのために祈ってください。特に、神がいま始められたばかりの栄えあるみわざを続けてくださり、世界が神の栄光で満たされるように、と。

[了]

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