8. 信仰者の模範モーセ
「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです」(ヘブ11:24-26)。聖書の中でも、聖書中に描写された、すぐれて卓越した神の聖徒たちの肖像ほど有益な部分はない。抽象的な教理や原理や訓戒もみな、それなりに素晴らしい価値がある。しかし結局のところ、実例や模範ほど役立つものはない。実践的な聖潔がいかなるものか知りたければ、腰をすえて、卓越して聖い人物の姿をじっくり研究してみよう。私がこの小論で読者に提示しようとしているのは、信仰によって生き、信仰がいかに人格の聖潔を深めうるかという模範を、その生涯によって残してくれた、ひとりの人物である。「信仰によって生きる」とはどういうことか知りたいというすべての人に対して、私はモーセを模範としてあげたい。
主題聖句がとられたヘブル人への手紙11章は偉大な章である。これは黄金の文字で印刷されてしかるべき価値がある。キリスト教に回心したユダヤ人にとって、これは最も心を鼓舞し励ましてくれた章に違いないと思える。初代教会の構成員の中でも、ヘブル人ほどキリスト教信仰の告白によって身に困難を招いた人々はなかったであろう。もちろんその道はどんな人にとっても狭い。しかし、ヘブル人にとっては、ことさらにそうであった。十字架はどんな人にとっても重い。しかし確かに彼らは二倍の重みを担わなくてはならなかった。そんな彼らの心を、この章は強心剤のように元気づけ、「心の痛んでいる者へのぶどう酒」となったであろう。この章の言葉は「たましいに甘く、骨を健やかにする蜂蜜」であったろう(箴31:6; 16:24)。
これから説き明かそうとしている3つの節は、その章の中でも最も興味深い部分の1つである。実際、これらほど私たちの注意を向けるべき強い理由を持つ箇所はまずないとさえ思う。なぜかというと、次のような理由があるからである。
モーセの物語に描かれている信仰の働きは、他の実例となった人々よりもずっとよく私たち自身にあてはまると思われる。この章の、これ以前の箇所に名を挙げられている神の聖徒たちは、疑いもなくみな私たちの模範である。しかし私たちは、どれほど彼らの精神をくみとることができたとしても、彼らの行なったことを文字通り行なうことはまずできない。私たちはアベルのささげたようないけにえを文字通りささげるように求められてはいないし、ノアのように文字通り箱舟を建造したり、アブラハムのように文字通り故国を離れ、天幕に住まい、イサクをささげることを求められてはいない。しかしモーセの信仰は私たちに近いものがある。モーセの場合、信仰は私たち自身の経験と似た形で働いているように思える。信仰によって彼は、今日における私たちも首尾一貫したキリスト者であり続けるため時として各自の人生行路の中でとらざるをえないような行動をとることとなった。だからこそ私は、この3節には通り一遍以上の注意を払う価値があると思うのである。
さてこれから語るのは、全く単純なことである。すなわち、モーセの行動のどこにその偉大さがあったか、また彼がどのような原則に立ってそのような行動をとったかということにほかならない。それらがわかって初めて私たちは、心を開く者すべてに対してこれらの節が提示していると思える実際的な適用に対する心がまえができるであろう。
1. モーセは何を捨て、何を拒んだか
ではまず第一に、モーセが何を捨て、何を拒んだかについて語っていこう。
モーセが自分の魂のために捨てたものは3つある。彼は、もしそれらを手元にとどめておいたなら、自分の魂は救われないと感じた。それで彼はそれらを捨てたのである。あえて云うが、そうすることによって彼は、人間の心になしうる最大の犠牲の3つを払ったのである。それは何か。
1. 彼は地位と身分を捨てた。
「モーセは…パロの娘の子と呼ばれることを拒み」。私たちはみな彼の生い立ちをよく知っている。パロの娘は、幼児だった彼の命を救った。彼女はそれ以上のことまでした。彼を養子にし、わが子であるかのように教育を授けた。
もしも一部の歴史家を信用してよければ、彼女はパロのひとり娘であった。人によっては、通例からしてモーセは、将来エジプト王となるはずだったとすら云う者がいる*1。そうだったとも、そうでなかったとも云える。はっきりしたことはわからない。わかっていればよいのは、パロの娘との関係からモーセは、望もうと思えば、いくらでも高い身分になれたということである。もし彼がエジプト宮廷の中で幼少のころから与えられていた地位に甘んじていたら、エジプト全土で(最高位とまではいかなくとも)五本の指に入る人物に簡単になれたに違いない。
この誘惑がいかに大きなものであったか、しばし考えてみよう。
彼は私たちと同じような人間であった。地上の与えうるどのような顕職も自分のものとすることができた。地位も権力も、身分も栄誉も、称号も尊厳も、すべてを手に入れることができた。これらは多くの人々が獲得しようとして絶えず血道をあげているものである。これらを得ようとして、世間では絶え間なく競争が行なわれている。ひとかどの者になること、人の上に立つこと、上流階級にのし上がること、名前に立派な肩書をつけること、これらはみな、多くの人々が時間や思索や健康を、否、いのちそのものを犠牲にしても手に入れようとするものである。しかしモーセは、それらをただでもほしがらなかった。彼はそれらに背を向けた。それらを拒み、それらを捨てた!
2. それだけでなく、彼は快楽を拒んだ。
疑いもなく彼の周囲には、好きなだけ味わい放題の、あらゆる種類の快楽があった。官能の楽しみ、知性の楽しみ、社会的な楽しみなど、気が向けば何でも手に入れることができた。エジプトは芸術家の国であり、学者の住む地、あらゆる技芸に秀で、ありとあらゆる科学に通じた者らの集まる場所であった。モーセのような立場にあれば、「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」を満たす、どのようなものでも簡単に手に入れ、わがものとすることができたはずであった(Iヨハ2:16)。
この誘惑もまたどれほど大きなものであったか、もう一度考えてみよう。
思い出してほしいのは、快楽こそ、何千何万もの人々が人生の目的としている唯一のものだということである。真の快楽とは何かということでは、種々の考え方があるだろうが、何にもまして第一に快楽を追求するという点においては、どのような人も一致している。休暇中の楽しみと娯楽こそ学童たちが待ちこがれる大きな目当てである。生活に困らない財産をたくわえて味わう満足と快楽こそ、若い職業青年たちが目を離さない目標である。小金をためて隠居する快楽と安楽こそ、商人たちが定めている目的である。自宅での楽しみと肉体の慰安こそ、貧しい人々の望むささやかな願いである。政治・旅行・娯楽・交友・書物における楽しみと新鮮な興奮こそ、富める人々が日々追求している到達点である。快楽こそは、身分の高低、貧富、老若にかかわらず、すべての人々が捜し求めている影である。おそらく各自が、そんな追求をしている隣人を軽蔑するふりをしながら、自分では自分なりのしかたでそれを追求し、各自とも心ひそかになぜそれを見いだせないのだろうと思い、必ずどこかにあるはずだと堅く心に定めているのである。これこそモーセが自分のくちびるの前にしていた杯であった。彼は地上の快楽を好きなだけ飲みほすことができた。しかし彼はそうしようとはしなかった。彼はそれに背を向けた。それを拒み、それを捨てた!
3. それだけでなく、彼は富を拒んだ。
「エジプトの宝」という表現は、パロの娘のもとにとどまることに甘んじていた場合、モーセが享受できたあろう無尽蔵の富のことを語っていると思われる。この「宝」は莫大な財産であったと考えてよいであろう。現在のエジプトにも、どれほどの財宝が王の意のままになっていたかをしのばせるよすががまだ残っている。その証人となるピラミッド、オベリスク、神殿、彫像などがそこにはまだ立っている。カルナック、ルクソル、デンデラその他多くの場所にある遺跡は、今なお世界有数の豪壮な建造物であり続けている。これらが今日に至るまで証言しているのは、エジプトの富をなげうった男は、私たちイギリス人ですらはかり知れず、思いもおよばぬものを投げ捨てたのだということである。
この誘惑がどれほど大きなものであったか、もうひとたび考えてみよう。
金銭の力、「金銭を愛すること」が人々の思いに対してふるう巨大な影響力のことを、しばしの間考えてみよう。周囲を見回し、いかに人々が富をむさぼり求めるものか、それを得るためならいかに驚くべき痛みと困難をも耐え忍ぼうとするものか観察してみよう。彼らに、何千マイルものかなたにある小島のことを話してみよう。その島の産物には、輸入すれば利潤の上がるようなものがあると話してみよう。するとたちまち、それを獲得するために大船団が送られる。彼らの所得を1パーセントでも増加させる方法を示す人がいれば、彼らは賢者中の賢者でもあるかのような扱いをし、ほとんど膝まずいて礼拝せんばかりになる。金持ちでありさえすれば、欠点も隠され、あらも覆われ、美徳で身がつつまれるようである。人が金持ちをちやほやする仕方には驚くべきものがある。しかしここに、大富豪になれたのになろうとしなかった人物がある。彼はエジプトの宝を所有しようとしなかった。彼はそれに背を向けた。それを拒み、それを捨てた!
これらがモーセの拒んだものであった。身分、快楽、富、これらを3つとも一度に彼は拒んだのである。
これらすべてに加えて、彼が意図的にそうしたことを考えてみよう。彼がこれらを拒んだのは、若気の至りの性急な衝動によるものではなかった。彼は40歳であった。人生の盛りにあった。自分が何をしようとしているかよくわきまえていた。彼は最高の教育を受けており、「エジプト人のあらゆる学問を教え込まれ」ていた(使7:22)。彼は問題の両面をはかりにかけることができた$B(I!
�梹��吏ぢ徐ぢ それに加えて、彼がこれらを拒んだのは、しいられたためではなかったことを考えてみよう。彼は、臨終を迎えて「自分はこの世ではもう何も望まない」と云う人のようではなかった。なぜか。そうした人は世を去ろうとしており、何も手元に残すことができないからである。彼は、必要なものがありさえすればいい、「金なんかほしくない」、と云う乞食のようではなかった。なぜか。そうした人は金を手に入れられないからそう云うのである。また彼は、「俗世の快楽は、もううっちゃりましたよ」、と自慢気に云う老人のようではなかった。なぜか。そうした人は老衰のため、もう快楽を楽しむことができないからそう云うのである。否、モーセは自分が楽しむことのできたものを拒んだのである。身分、快楽、富は、彼から離れていったのではない、彼がこれらから離れたのである。
こうしたことを念頭において、彼の払った犠牲は、定命の人間がかつてなした中で最も大きな犠牲の1つであったという私の言葉が誤ったものかどうか判断していただきたい。他の人々も多くのものを拒んだが、モーセほど多くを拒んだ者はなかったと思う。他の人々も自己犠牲や自己否定の道においてよくやってきたが、モーセはそのすべてにまさっている。
2. モーセは何を選んだか
さてここで先に進んで、第二に考察すべきことを語らせていただきたい。モーセが何を選びとったかということである。
彼の選択は彼の拒否と同じくらい驚くべきものであったと思う。彼は自分の魂のために3つのことを選びとった。救いの道はその3つをたどって通っており、彼はその道に従ったのである。そしてそうすることによって、彼は人間が手にすることを最もいとう3つのものを選んだのである。
1. まず第一に、彼は苦難と患難を選んだ
彼はパロの宮廷の安逸と慰安を捨てて、公然とイスラエル人の肩をもった。彼らは奴隷とされ、迫害されていた民であった。疑惑と猜疑と憎悪の対象であった。そして彼らと友人づきあいする者は確実に、彼らが日々飲みつつある苦い杯の何がしかを味わうことになった。
常識的に考えて、彼らがエジプトでの隷属から解放される機会など、長期にわたる不確かな闘争なしには到底ありそうもなかった。彼らが定住でき、故郷となるべき国など、どれほど望んでも決して手に入るものとは思えなかったに違いない。実際、いまだかつて、正気のまま苦痛、試練、貧困、欠乏、苦悩、不安、そして死すらをもあえて選んだ人がいたとしたなら、それはモーセであった。
この選択がいかに驚嘆すべきものであったか考えてみよう。
血肉は自然と痛みからしりごみするものである。私たち全員がそうである。私たちは、ある種の本能によって苦しみからは身を引き、できるものならそれを避けようとする。もし両方とも正しく見える2つの道があるとすれば、たいていの人は血肉にとって不快でない方を選ぶ。私たちは、苦難が近づいてくるときには恐れと不安に身をやつし、なんとかそれから逃れようとじたばたする。そしていざ苦難が訪れると、その重みにいらだち、つぶやく。そしてそれをじっと耐え忍べでもすれば、これはたいしたことだと考える。
しかし見よ! ここにいるのは私たちと同じような感情を持った人物であるのに、実際に患難を選び取っているのである。モーセは、パロの宮廷を去れば受けなくてはならない苦しみの杯を見た。そしてそれを選んだ。それを好み、それを手に取ったのである。
2. しかし彼はそれよりも大へんなことを行なった。すなわち、彼は蔑まれている民への仲間入りを選んだ。
彼は、自分が育った環境にある偉人、賢人の社会を離れて、イスラエル人の中に身を投じた。幼少のころから王侯の身分と富と奢侈のただ中で生きてきた彼が、その高い階級から身を落とし、貧民階級の奴隷、奴卑、農奴、賎民、奴僕、抑圧され、窮乏の中にあり、責め苦を受けつつある人々、れんが焼きがまの中の労務者と命運をともにすることにしたのである。
もう一度云うが、これは何と驚嘆すべき選択であろう。
たいていの人は、自分自身の困難を担うだけで精一杯だと思う。自分よりも卑しく蔑まれている人々をあわれむことはあるかもしれない。彼らを助けてやろうとしたり、彼らのためにお金を出したり、彼らの上に立つ人々に口をきいてあげたりすることさえするかもしれない。しかし、普通はその程度である。
しかしここにいるのは、はるかにそれ以上のことを行なっている人物である。彼は単に蔑まれているイスラエル人に同情するだけではなく、実際に彼らのもとに下り、彼らの社会に加わり、彼らと生活をともにしているのである。人は、グローブナー街やベルグレーブ広場の上流紳士が、何か善行を行なうために家屋敷財産を投げ打って、ベスナル・グリーンの路地裏で乏しい収入で暮らすことになったと聞けば、驚くべきことと思うであろう。しかしこれは、モーセがなした類の行動の、ごくおぼろげに想像させるよすがでしかない。彼は蔑まれた民を見、彼らとともに生きることを、全地の最も高貴な人々との生活にまさって選んだのである。彼は、彼らのひとりとなった。彼らの同輩、彼らの苦しみの同伴者、彼らの同盟者、彼らの仲間、彼らの友となったのである。
3. しかし彼はそれ以上のことを行なった。すなわち、彼は非難と軽蔑を選んだ。
一体だれが、パロの宮廷を去りイスラエルに加わろうとするモーセの行く手をさえぎり押し流そうとした嘲弄、あざけりの奔流を思いはかりえよう。人は彼に、気違いだ、とんだ馬鹿者だ、なんという愚鈍、愚劣、常軌を逸した行動だと告げたであろう。彼は自分の権力を失い、今まで生きてきた社会に住むすべての人々から寄せられてきた好意や名声を喪失したであろう。しかし、これらの事柄は1つとして彼を動かさなかった。彼は宮廷を去り、奴隷の群れに加わった!
もう一度、これがいかなる選択であったか考えてみよう。
この世で、あざけりと軽蔑ほど力強いものはほとんどない。それらは、公然たる敵意や迫害よりもはるかに大きな力をふるう。敵の砲口に向かって進軍し、命を的にして要塞の突破口を強襲することもいとわない多くの人が、同輩からのちょっとしたからかいには耐えられず、義務の道からしりごみし、それを避けようとするものである。笑い物にされること。冗談の種にされること。あざけられ、冷やかされること。軟弱者、まぬけとみなされること。馬鹿だと思われること。こうしたことの中には何も人の心を引くものはなく、悲しむべきことに多くの人々がこれらを忍ぶ決心をつけられないでいるのである。
しかしここにいるのは、その決心をつけ、その試練からしりごみしなかった人物である。モーセは彼の前にある非難と軽蔑を直視し、それを選び取り、自分の取り分として受け入れたのである。
これらがモーセの選んだものであった。すなわち、患難、蔑まれている民の仲間となること、そして軽蔑である。
これらすべてに加えて、モーセが決して愚鈍でも、無知でも、文盲でもなく、自分のしようとすることをわきまえ知らない者でもなかったことを銘記していただきたい。聖書には、彼は「ことばにもわざにも力がありました」とはっきり書かれている(使7:22)。にもかかわらず彼は、そのような選択をしたのである!
また、彼が選択をした状況を銘記していただきたい。彼は、しいられてそのような選択をしたのではない。だれも彼にそのような進路を強制した者はなかった。彼が選び取ったものは、彼の意に反して押しつけられてのではない。彼がそれを求めたのであって、それらが彼を求めたのではない。彼のなしたことはみな、彼自身の自由意志による、自発的な、自ら進んで求めた選択であった。
そこで、彼のなした選択は、彼の拒否と同じくらい驚くべきものであったという私の言葉が誤ったものかどうか判断していただきたい。世界の始まって以来、この聖句に見られるモーセのような選択をした者はいまだかつてひとりもなかったであろうと私は思う。
3. モーセを動かした原理
さてここで第三のことに移り、モーセを動かし、先に述べたような行動にかりたてた原理について語らせていただきたい。
彼の行なったこの行動には、どのような説明がつけられるだろうか。普通は善とされていることを退け、一般には悪とされていることを選ぶ、これは血肉の道ではない。人はそのように行なうものではない。そこには何か理由があったはずである。どのような理由があっただろうか。
答えはこの聖句の中にある。その偉大さと単純さは甲乙つけがたいほど素晴らしいものである。それは1つの小さな言葉、「信仰」で云いつくされている。
モーセには信仰があった。信仰こそ彼の驚くべき行動の原動力であった。信仰が彼をして彼のしたようにふるまわせ、彼の選んだように選ばせ、彼の拒んだように拒ませた。彼は信じていたからこそすべてを行なったのである。
神は彼の心の目にご自身の意志と目的を示された。神は彼に、イスラエルの血筋から一人の救い主が生まれることを啓示された。これから成就すべき数々の大いなる約束がこのアブラハムの子孫に結びついていること、そしてその約束の一部の成就が近づいていることを啓示された。モーセはその啓示を信頼し、信じたのである。彼の驚嘆すべき生涯の一歩一歩、パロの宮廷を去ってから彼の生涯でなされたすべての行動、悪と見えるものを選び、善と見えるものを退けたこと、これらはみな、ことごとく信仰という水源から引き出されたものにほかならない。すべてはこの土台に根ざしていることがわかる。神が彼に語っていた。そして彼には神のことばに対する信仰があったのである。
彼は神がご自分の約束を守られると信じた。神が一度述べたことは確実に行なわれ、一度契約を結んだことは必ず果たされることを信じた。
彼は、神には何事も不可能ではないと信じた。理性と常識は、イスラエルの解放などありえないと云ったかもしれない。あまりにも多くの障害、あまりにも大きな困難があると云ったかもしれない。しかし信仰はモーセに、神にはすべてが可能だと告げた。神が引き受けられたのだ。それはなしとげられるに違いない。
彼は神の叡知を信じた。理性と常識は、彼のとろうとする行動は愚劣だと云ったかもしれない。パロの娘との縁を切れば、有用な影響力をなげうち、同国民に益をもたらす機会が台なしになると告げたかもしれない。しかし信仰はモーセに、もし神が「この道を行け」と云うなら、それが最善であると告げた。
彼は神があわれみに満ちたお方であると信じた。理性と常識は、もっと楽な解放の道があるだろう、少し妥協すれば多くの難儀を避けることができるだろうと云ったかもしれない。しかし信仰はモーセに、神が愛であること、ご自分の民には、絶対に必要な量を越えて一滴でも苦みを味わせない方であることを告げた。
信仰はモーセにとって望遠鏡であった。信仰によって彼は、かなたの麗しの地、その安息、憩い、勝利を望み見た。近視眼的な理性では、そこに試練と不毛、嵐と暴風、疲労と苦痛しか見えなかったであろう。
信仰はモーセにとって通訳であった。信仰によって彼は、神が手ずから書かれた難解な命令の中から慰めの意味を拾い出すことができた。無知な理性では、そこに不可解さと愚かさしか見えなかったであろう。
信仰がモーセに教えたのは、身分や権力などはみな地上のもの、粗野で、つまらぬ、無益な、むなしいもの、はかなく、うつろいやすい、過ぎ行くものだとということである。そして、神に仕えることほど真に偉大なことはないということである。神の家に属する者こそ本当の王、真の貴族であった。天国で最後尾になる方が、地獄で一番になるよりましであった。
信仰がモーセに教えたのは、世の快楽は「罪の楽しみ」であるということであった。それは罪と混じり合い、罪に導き、魂に破滅をもたらし、神の不快を招くすものであった。神が敵対しているのに快楽を得ても、たいした慰めにはならない。苦しんでも神に従う方が、安楽にして罪を犯すよりもまさっている。
信仰がモーセに教えたのは、これらの快楽が結局のところ「はかない」ものであるということであった。それらは長持ちしえず、ことごとく短命であり、すぐに人を飽かせ、何年もしないうちにすべて後に残していかなくてはならないものであった。
信仰がモーセに教えたのは、信じる者にはエジプトの宝よりもはるかに豊かな報い、朽ちていくことも、盗人が穴を開けて盗むこともない、永続的な報いが天国にあるということであった。その永遠はしぼむことがなく、その栄光ははるかに重い永遠のものであった。信仰が彼に命じたのは、もしもエジプトの黄金に目がくらむようなら目をそらして、見えない天を仰ぎ見よということであった。
信仰がモーセに教えたのは、患難辛苦は本当は悪ではないということであった。それは神が恵みの子らを栄光に備えて訓練される学び舎であり、私たちの腐敗した意志をきよめるのに必要な薬であり、私たちから金滓を除き去る精錬炉であり、私たちを世に縛りつけている縄目を断ち切る短刀であった。
信仰がモーセに教えたのは、蔑まれているイスラエル人は神の選民だということであった。彼らには子とされること、契約、約束、栄光が属しているとモーセは信じた。彼は、彼らの中からいつの日か女のすえが生まれ、蛇の頭を踏み砕くことを信じた。彼らの上には神の特別な祝福があること、彼らが神の目には麗しく美しいこと、悪の宮殿で支配するよりは神の民の間で門衛となる方がまさっていると信じた。
信仰がモーセに教えたのは、彼にふりかかる非難や軽蔑はみな「キリストのゆえに受けるそしり」でありキリストのため嘲られ、蔑まれるのは名誉だということであった。キリストの民の迫害者はみなキリストご自身を迫害しているのであり、やがてキリストの敵たちがキリストの前に額づき、塵をなめる日が必ずやって来るということであった。こうしたことすべて、そして今は逐一語りつくせないその他多くのことをモーセは信仰によって見たのである。こうしたことこそ彼が信じたことであり、こうしたことを信じて彼は、彼が行なったように行なったのである。彼はこうしたことを確信し、心に堅くいだき、確実なこととみなし、堅固な事実であるとし、肉眼で見たのと同じくらい確かなものと受け入れ、これらを現実とした上で行動した。そしてそれこそ彼を彼たらしめた原理だったのである。彼には信仰があった。彼は信じたのだった。
彼が権力、富、快楽を拒んだのも不思議ではない。彼ははるかかなたを仰ぎ見ていたのである。彼が信仰の目によって見ていたのは、数々の王国が崩壊して塵と化す光景であり、あまたの財宝に羽根が生えて飛んで行く姿であり、快楽が死とさばきをもたらすさまであり、キリストとその小さな群れだけがいつまでも永らえる未来であった。
彼が患難や、蔑まれていた民や、非難を選び取ったことに驚いてはならない。彼は事の表面の下にあるものを見てとっていたのである。彼が信仰の目によって見ていたのは、患難はただ一時しか続かず、非難は消え失せ、永遠の栄誉がもたらされ、蔑まれていた神の民がキリストとともに王として支配する姿であった。
そして彼は正しかったのではないだろうか。彼は死んだが、今日もなお私たちに語りかけていないだろうか。パロの娘の名は忘れ去られたか、非常にあやふやな名しか伝わっていない。パロが支配した都市がどこかは全く知られていない。エジプトの宝は失せ去った。しかしモーセの名は、聖書が読まれる所ならどこでも知られており、「信仰によって生きる者は幸せなるかな」との証しを今なお続けているのである。
4. いくつかの実際的な教訓
さてしめくくりとして、このモーセの生涯から当然引き出すことができると思われる、いくつかの実際的な教訓を述べてみたい。
「一体こんなことが私たちと何の関係があるのか」、と云う人がいるかもしれない。「私たちはエジプトに住んではいない。奇蹟を見てもいない。イスラエル人でもない。こんな話にはもう飽き飽きだ」、と。
こんなふうに感じているのであれば、もう少し待っていただきたい。神の助けによって私は、ここには、すべての人に対する教訓があり、訓戒があることを示そうと思う。キリスト者生活を送りたいと願う者、真に聖くなりたいという者は、モーセの生涯に注目し、知恵を得るがいい。
1. まず1つのこととして、救われたいと思う人はモーセと同じ選択を下さなくてはならない。すなわち、この世にまさって神を選ばなくてはならない。
私の云うことによく注意していただきたい。ほかの何を忘れても、これだけは見落とさないでいただきたい。私は何も、政治家はその職をなげうてとか、金持ちは自分の財産を捨てろと云っているのではない。断じてそうではない。私が云っているのは、救われたいと思う人は、たとえ人生においてどのような身分にあろうと、苦しみに遭う覚悟をしていなければならないということである。その人は、一見悪と思われる多くのことを選び、一見善と思われる多くのことを捨て去り、拒む決心をしなくてはならない。
あえて云うが、一部の読者にとって、これは奇妙な云いぐさと思われるであろう。私は、あなたがたがある種の信仰のかたちに従っていること、そしてその結果何の困難にも遭っていないことをよく承知している。現代は、一種この世的な種類のキリスト教が至る所にあふれており、多くの人がそれを信奉し、それで十分だと思っている。それは、だれの怒りも招かず、何の犠牲も求めず、何の代価も必要なく、何の価値もない、安っぽいキリスト教である。私が語っているのは、そんな種類の信仰ではない。
しかしもし人が本当に魂の救いを真剣に求め、信仰を日曜しか着ない、流行の衣装以上のものとみなし、聖書によって生き、新約聖書的なキリスト者になる決意をしているのなら、もう一度云うが、その人は十字架を背負わなくてはならないことにすぐ気づくであろう。その人はモーセと同じようにつらい目に遭い、自分の魂のために苦しみを受けなくてはならない。そうしなければ救われないのである。
19世紀の世界は、過去の世界と何ら変わりない。人の心は今も同じである。十字架のつまづきは、やんでいない。神の真の民は今も、蔑まれている小さな群れである。真に福音的な信仰は今も非難と軽蔑をもたらす。神の真のしもべは今も多くの人々から愚鈍な狂信者だと思われている。
しかし問題をつきつめてみよう。あなたは自分の魂が救われることを望んでいるか。ならば忘れてはならない。あなたはだれに仕えるのか選ばなくてはならない。神と富に兼ね仕えることはできない。同時に両方の側に立つことはできない。キリストの友であると同時に世の友となることはできない。この世の子らの中から出て行き、分離しなくてはならない。多くのあざけりや困難や反対を耐え忍ばなくてはならない。さもなければ永遠に滅ぶのである。あなたはこの世がばかげていると思うようなことを喜んで考え、喜んで行なわなくてはならない。大多数の人には受け入れられないような意見をいだかなくてはならない。それには何らかの代価を払うことになる。流れは急であるのに、あなたはそれをせき止めなくてはならない。道は狭く急である。それを否定しても何にもならない。しかし、これだけは確かである。犠牲と自己否定を伴わないような信仰は、人を救う信仰ではない。
さてあなたは何か犠牲を払っているだろうか。あなたの信仰は何かあなたに代価を払わせているだろうか。私はあらん限りの愛情と優しさをもって、あなたの良心に問いたい。あなたはモーセのように、この世よりも神の方を好んでいるだろうか。「私たち」という危険な言葉のかげに身を隠さないようにお願いしたい。「私たちはそうあるべきです」とか、「私たちはそう願っています」とか、「私たちはそうしています」などというのではなく、私はあなたに、はっきりと聞きたい。あなた自身はどうなのか。あなたは、自分を神から引き離すものを捨て去る覚悟があるか。それとも世のエジプトにしがみついたまま、「これだけは手放さない、手放せない、手放すものか」、と云っているか。あなたのキリスト教には何か十字架が伴っているか。あなたの信仰にはどこか厳しい面があるか。あなたの信仰は、周囲の世俗的な考え方と常に摩擦を生じ、衝突するようなものか。あるいは、何の角も立たず、何の対立も生ぜず、世間の習慣や風俗にまるめこまれたものか。あなたは福音ゆえの苦しみを何か知っているか。あなたの信仰と行為は人の軽蔑や非難を招くものか。あなたは自分の魂を大切にするあまり、だれかから馬鹿だと思われているか。あなたはパロの娘から離れ、心から神の民の一員となっているか。あなたはすべてをキリストのために危険にさらしているか。心を探り、見きわめていただきたい。
これらは厳しい問いであり、ぶしつけな質問ではある。ほかに云いようはないのである。これらは聖書の真理に土台を置いていると私は信ずる。「大ぜいの群衆が、イエスといっしょに歩いていたが、イエスは彼らのほうに向いて言われた。『わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません』」(ルカ14:25-27)。残念ながら、多くの人々は栄光は好んでも、恵みを求めようとはしない。賃金には喜んで手を出すが、働くことはいやがる。収穫は求めても、労働はいとう。刈り取りは喜んでも、種蒔きはしたがらない。報いをほしがり、戦いは拒む。しかし、そのようなことがあってはならない。バンヤンは云う。「苦みが甘みに先立たねばならない」。十字架なければ栄冠なしである。
2. 第二に云うべきことは、人をして、この世にまさって神を選ばせるもの、それは信仰のほかにないということである。
ほかのものでは無理である。知識でも、感情でも、規則正しい宗教的慣行でも、良い友人でも不可能である。これらはみなある程度の良い影響は与えるが、その成果に継続の力はない。長続きしないのである。これらから生ずる信仰が続くのは、「みことばのために困難や迫害」が起こらない間だけであり、少しでもそれが起こるやいなや、たちまち涸れ果ててしまう。それは、ぜんまいや振り子のない時計である。文字盤は立派だし、時針を指で回すこともできるが、動き出しはしない。いつまでも残る宗教には生きた土台がなくてはならない。そしてそれは信仰のほかにない。
神の約束は確実で、頼るに足るものであると、真に心から信ずる思いがなくてはならない。聖書の中で神が云われることはすべて真実であり、これに反する教理は、だれが何と云おうと偽りである。神のことばはすべて、どれほど血肉にとってつらく不快なことであろうと、受け入れるべきものである。神の道は正しく、ほかのすべての道は誤りである。そう真に信ずる思いがなくてはならない。こうした思いがなくては、決してこの世の中から出て行き、十字架を負い、キリストに従い、救われることはない。
あなたは財産よりも約束を、見えるものよりも見えないものを、目の前にある地上のものよりも目の前にない天にあるものを、見える人間の称賛よりも見えない神の称賛を信じるようにならなければならない。そのようにして初めて、モーセと同じような選択を下し、世にまさって神を好む者となるのである。
さて私は読者ひとりひとりに問いたい。あなたにはこの信仰があるだろうか。もしあるなら、あなたは自分が一見善と見えるものを拒み、一見悪と見えるものを選べることに気づくだろう。明日の利益を希望するあなたは、今日の損失など何とも思わないだろう。暗闇の中をキリストに従い、最後の最後までキリストの側につくであろう。その信仰がないという人には警告したい。あなたは決して勇敢に戦うことはできず「賞を受けられるように走る」ことはできない。あなたはすぐに気分を害し、この世へと逆戻りするであろう。
何にもまして、主イエス・キリストに対する、真の永続的な信仰がなくてはならない。今あなたが生きるいのちは、神の御子を信じる信仰によるものでなくてはならない。絶えずイエスにより頼み、イエスを仰ぎ見、イエスから力を引き出し、イエスを魂のマナとして用いる確固たる習慣がなくてはならない。あなたは、こう云えるよう力を尽くさなくてはならない。「私にとっては、生きることはキリスト」、「私は私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリ1:21; 4:13)。
これこそ古の聖徒たちが良き名を得るもととなった信仰である。これこそ彼らが世を打ち負かした武器である。これこそ彼らを彼らたらしめたものであった。
これこそノアをして世の凝視と嘲弄の前で箱舟を建造させ続けた信仰である。これこそアブラハムをして居留地の選択をロトに譲らせ、静かな天幕住まいに甘んじさせた信仰である。またルツをしてナオミにすがりつかせ、故国と故国の神々に背を向けさせ、ダニエルをして獅子の穴が待ち受けていることを知りながら祈り続けさせ、あの三人の少年をして眼前の燃える炉をものともせずに偶像礼拝を拒ませ、モーセをしてパロの怒りをも恐れずにエジプトを捨てさせた信仰である。これらの人々がこのように行動したのは、みな信じていたためであった。彼らも、行く手にある困難や試練を見てはいた。しかし彼らは信仰によってイエスを、ほかの何よりもはっきりと見て、前進を続けたのである。使徒ペテロが信仰のことを「尊い信仰」と語っているのももっともなことである。
3. 第三に云うべきことは、世的で不敬虔な人々がこれほど多い真の理由は、彼らに信仰がないためだということである。
信仰を告白するおびただしい数のキリスト者は、モーセと同じようにすることなど夢にも思わないであろう。それは認めなくてはならない。耳当たりのよいことを口にして、現実に目を閉ざしても何の役にも立たない。盲人でもない限り、毎日のように目にはいってくるのは、何千何万もの人々が神よりもこの世を好み、永遠の物を後回しにしても一時的な物を、魂のことを放っておいても肉体のことを追い求めている姿である。私たちはこの事実を認めたがらないし、見て見ぬふりをしようとする。しかし事実は事実である。
ではなぜ彼らはそのようにしているのか。彼らはありったけの理由と云い訳をあげるに違いない。ある人は世の罠について語り、ある人は時間がないと云うであろう。ある人は立場上の困難を、また人生の心配事や思いわずらいを、また誘惑の強さ、肉欲の強さ、悪い友人の影響を述べるであろう。しかし結局において根本的な理由は何だろうか。彼らの魂の状態を説明するには、くどくど述べなくても一言で済む言葉がある。彼らは信じていないのである。ただの一言が、さながらアロンの杖のように、彼らの弁解をことごとく呑み込んでしまう。彼らには信仰がないのである。
実は彼らは、神が告げておられることが本当だとは思っていないのである。彼らはひそかに自分にへつらってこう考える。「そんなことが実際に起こるはずがない。教会で語られているような方法によらなくても天国へ行ける道はあるはずだ。救われなかったからといって大した危険があるはずない」、と。つまり彼らは神が記し、神が語られたことばに絶対的な信を置かず、そのため、そのことばに立って行動することをしない。彼らは心底から地獄を信じてはいないので、そこから逃れようとしない。心底から天国を信じてはいないので、そこを求めようとしない。心底から罪のとがを信じてはいないので、それを退けようとはしない。心底から神の聖さを信じてはいないので、神を恐れない。心底からキリストの必要を信じてはいないので、キリストに信頼せず、愛しもしない。心底から神を信頼する気持ちがないので、神のため何も賭けようとしない。彼らは「天路歴程」の短気児のように、良いものを今得なくては承知できない。彼らは神を信頼しない。だから彼らは待つことができないのである。
さて私たちはどうだろうか。私たちは聖書をすべて信じているか。そう自問してみよう。確かに、聖書をすべて信じるということは、多くの人が思っているよりもたいへんなことなのである。自らの胸に手をおいて、「私は信じます」と云える者は幸いである。
私たちは時々不信者のことを世にも珍しい人であるかのように語る。確かに、公然と不信仰を表明する人は、現在ではそれほど多くないかもしれない。しかしそれにもかかわらず、実質上の不信心は世に氾濫している。そして結局それはヴォルテールやベインたちの主張におとらぬほど危険なものなのである。日曜ごとに信仰信条を復誦し、使徒信条やニケーア告白にふくまれるすべてに対して自分の信仰を宣言することを欠かさない人々は多い。にもかかわらず、その人々が週日の間生活し続けるようすを見ると、まるでキリストが一度も死ななかったかのような、またまるで何のさばきも死者の復活も永遠のいのちもないかのようである。永遠のことや魂の価値について語りかけられると、「あ、そんなことは知っていますよ」、と云う人々は大勢いるであろう。しかし、彼らの生活がはっきり示しているのは、彼らは自分が当然知っているはずのことを何も知っていないということである。そして彼らの状態の最も悲しむべき部分は、彼らが自分ではそれを知っているつもりでいるという点である。
神の目にとって、行動の伴わない知識は単に無益で役に立たないものであるばかりではない。それより、はるかに悪い。それは、最後の審判の日、私たちの罪状と罪科を増し加えるものとなる。これは恐ろしい真理であり、考えに考え抜くべきことである。人の行動に何の影響も与えないような信仰は、信仰の名に値しない。キリスト教会には二種類の人しかいない。信じる人と信じない人である。真のキリスト者と単なる形式的信者の違いは、一言で云いつくされる。真のキリスト者はモーセのようで、「信仰がある」。単なる形式的信者には信仰がない。真のキリスト者は信じている、だからそれなりの生き方をする。口先だけの告白者は信じていない、だからそれなりの生き方しかしない。私たちの信仰はどうであろうか。信じない者にならないで、信じる者となろうではないか。
4. 最後に云うべきことは、神のために大きなことをなす真の秘訣は大きな信仰を持つことだということである。
私たちはみなこの点で間違いを犯しがちだと思う。私たちはさまざまな恵みや業績について考えすぎ、語りすぎ、信仰こそそれらすべての根幹であり母体であることを十分よく思い出そうとしない。神との歩みにおいて、人は信じる以上先には決して行けない。生活は常に信仰と比例している。人の平安、忍耐、勇気、情熱、仕事、すべてはその人の信仰しだいである。
あなたはウェスレーやホイットフィールド、ヴェン、マーティン、ビカーステス、マクチェーンなどの卓越したキリスト者の伝記を読むと、「何と素晴らしい賜物と恵みの持ち主であることか!」、と云いたくなるであろう。しかし、あなたはむしろ、神がヘブル人への手紙11章で推挙しておられる母なる恵みの方に栄誉を帰すべきである。彼らの信仰にこそ栄誉を帰すべきである。確かに、信仰こそ彼らひとりひとり全員の性格の推進力であった。
ある人は云うであろう。「彼らはみな祈りの人であった。それこそ彼らを彼らたらしめたものだったのだ」。私は答えたい。なぜ彼らはあれほど祈ったのか。それは彼らに大きな信仰があったためにほかならない。祈りとは、信仰が神に対して語りかけることにほかならない。
またある人は云うかもしれない。「彼らは非常に勤勉で労を惜しまなかった。それが彼らの成功の理由だ」。私は答えたい。なぜ彼らはあれほど勤勉だったのか。彼らに信仰があったためにほかならない。キリスト者の勤勉とは、信仰が働く姿にほかならない。
またある人は語るであろう。「彼らは非常に大胆だった。それで非常に用いられたのだ」。私は答えたい。なぜ彼らはあれほど大胆だったのか。彼らに大きな信仰があったためにほかならない。キリスト者の大胆さとは、信仰が正直に自分の義務を果たすことにほかならない。
またある人は叫ぶであろう。「彼らの聖さと霊性こそ彼らを大人物ならしめたものだ」。もう一言だけ私は答えたい。何が彼らを聖くしたのか。それは実感を伴う、生きた信仰の霊にほかならない。聖さとは、目に見える信仰であり、肉に宿った信仰にほかならない。
今この小論を読む読者の中に、恵みと私たちの主イエス・キリストの知識において成長したいと願う人がいるだろうか。多くの実を結ぶ者になりたい人がいるだろうか。傑出して聖く、用いられる人になりたいだろうか。明るく輝く光として人生を送りたいと願うだろうか。モーセのように、自分が世にまさって神を選んだことを真昼のごとく宣言したいだろうか。あえて云う。すべての信者は「そうです! そうです!」と答えるはずである。「そうです、それこそ私たちがこがれ求めていることです」、と。
それでは今日私が与える助言を受け入れていただきたい。主イエス・キリストのもとに行き、弟子たちがしたように、「主よ。私たちの信仰を増してください」、と叫びなさい。信仰こそ真のキリスト者の性格の根幹である。根を正しくすれば、実はすぐ豊かに実るようになるであろう。霊的繁栄は、常にその人の信仰に比例する。信じる者は単に救われるだけでなく、決して渇くことがなく、勝利を得、堅固な地盤の上に立たされ、世の荒波の上を着実に歩み、大いなるわざをなしとげるのである。
読者に云う。もしあなたがこの小論で語られたことを信じ、徹底的に聖い人となることを願うなら、信仰に立った行動を始めることである。モーセを自分の目標とするがいい。彼の歩みにならって歩むがいい。行って同じようにしなさい。
信仰者の模範モーセ[了]
_____________________________________
*1 東方諸国において、自分の血筋でもない者を自由に養子とし、息子同然の特権を与えるということが、非常に広範に行なわれていたのは周知の事実である。[本文に戻る]
HOME | TOP | 目次